第4話 彼の本性



「佐伯さん」


「……ん」


「佐伯さん」


「うう……ん??」


 ぱちりと目を開けた瞬間、綺麗な顔が視界に飛び込んできたので、私は思わず変な声を上げた。反射的に起き上がろうとして、背中に痛みを覚える。何が何だか分からず、まず自分の姿を見下ろした。


 スーツのまま床に寝そべっていた。そこに、毛布が掛けられている。


「え?」


 ぽかんとして顔を上げた。困ったように笑って私を見下ろす成瀬さんを見て、一瞬で記憶がもとに戻る。


 しまった、あの後寝てしまっていた!? 少ししたら帰ろうかと思っていたのに!


 ばっとリビング奥を見てみると、カーテンの隙間から光が漏れていた。嘘だ、まさか朝を迎えているなんて。


 私は慌てて頭を下げた。


「すみません勝手に入った挙句眠ってしまって! その、少ししたら帰るつもりだったんですけど、ほっとしたら寝てしまったみたいです! 前日あまり寝ていないのもあり熟睡してたらしく……」


「待って待って、なんで謝る? 

 謝るのはこっちだよ。朦朧としてたんだけど、俺佐伯さんにここまで連れてきてもらって看病されたんだよね? ほんと、ごめん」


 申し訳なさそうに頭を下げる成瀬さんは、きちんと服を着ていた。私は首を振って返事を返す。


「私のミスのフォローのために寒い雨の中走り回ってくれたせいです。熱、どうですか?」


「まだ全快とは言えないけど、昨夜よりずっといいよ。

 夜中ここで寝てる佐伯さんを見つけたんだけど、勝手に移動させるわけにもいかないしそんな時間に起こすのもと思って……こんな寒いところに、大丈夫?」


「あ、この毛布成瀬さんが? 大丈夫です、ありがとうございます」


 体にかけてあった毛布を見た。成瀬さんはそんな私を見ながら、腕を組んで唸る。


「せめて温かいコーヒーでもいれてあげられたらいいんだけど、そんなもの俺の家にはなくて」


「ああ、引っ越ししたてなんですよね」


「いや? もう三年以上ここに住んでるよ」


 サラリと言われたので、私の手は止まった。ゆっくり見上げてみると、成瀬さんがニコリと笑う。


「え、でも、家具も家電もそろってないし、冷蔵庫の中は水しか……」


「あーうん。

 俺ね、仕事がないときは、とにかく動きたくない人間なの。昨日も丸一日何も食べてなくてねーだから体調崩したのかな」


「ん??」


 つい聞き返してしまう。当の本人はあくびをしながら答えた。


「普段は昼は社食食うから、それで保ってるんだけど。昨日忙しくて食いそびれてさ。一昨日の夜もめんどくさくて何も食ってなくて」


「ん??」


「やっぱり食べないと免疫落ちるのかなー」


 ぼんやりとそんなことをいう成瀬さんに、私は首を傾げた。なんか、違う。いつもの成瀬さんと違う。


「え、あの、そういえば玄関に大量のカロリーメイトのゴミとかが」


「あー何も手を加えず食べれるものって限られるじゃん? 気が向いたら夕飯あれ食べてる」


「え、別にコンビニとかスーパーでお弁当買って帰れば」


「買い物ってめんどくさいよね。あれはネットスーパーで大量買いしてるから」


 頭の中が疑問でいっぱいになる。つまり、成瀬さんは食に対してとことん興味がない人、ということだろうか?


 私の疑問に答えるように、彼は独り言のように言った。


「俺営業でよかったと思う。仕事がなかったら身だしなみなんて気にしないから、多分えげつない格好して出社する羽目になってた。

 仕事が終わるとスイッチがオフになるから、ほとんどソファの上から動けないんだよね。風呂とか歯磨きはさすがに出来るけど、あとはもうトイレ以外動きたくない。寝ていたい。一生寝ていたい」


「…………」


「飯を食うのも基本めんどくさい。目の前に準備されてたら食べれるけど、食うために買うとか温めるとかしたくない。冷蔵庫の中に入れなきゃいけない食材は腐らせること分かってるから買わない」


「…………」


「だから、佐伯さんが色々用意してくれたんだよね? 薬とか体温計とかさ。ありがとう、感謝してる」


 そう頭を下げる成瀬さんを止める余裕もない。


 話をまとめよう。


 会社では完璧人間で誰からも羨望の眼差しで見られる成瀬さん。でも仕事という役割が終わると、とことん生活力がないと。とにかく動きたくなくて、食事を取ることすら省いてしまう、というぐらいめんどくさがり。


 え、あの成瀬さんが?


 今更状況を理解し、目を泳がせた。抱いていた成瀬さんの像とはまるで違う。そりゃ人間、家に帰ったらずぼらな人ぐらいたくさんいる。でも、人間の三大欲求の一つである食欲を疎かにするほど動きたくない人と、私は出会ったことがない。


 部屋を見渡した。なるほど、だからテーブルもないのか。ちゃんとした食事なんてとらないことがこの人にとっては当然なのだ。


 私が唖然としていると、突然目の前にいた成瀬さんがずるっと脱力し、床に倒れこんだ。驚きで変な声を漏らしてしまう。屍のように床に横たわった成瀬さんに声をかけた。


「大丈夫ですか成瀬さん! 病み上がりでしたね、横になりましょう!」


「あーうん、横になってる」


「いやここでじゃなくて」


「大丈夫、風邪じゃなくてもよくあるから……エネルギー不足なだけだから……寝たらよくなるから……」


 いや自宅の床にエネルギー不足で倒れる人いる?


 力なく床に寝そべってるこの人、本当に成瀬さんなのだろうか。私のミスを完璧にフォローしてくれたあの先輩が、本当にこれ? 別人にしか思えない。

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