第二章 暗殺決行①





 たまに町に寄って旅籠はたご宿泊しゅくはくしたが、基本は野宿だった。

 高貴なひとの花婿行列だというのに、野宿が基本なのは不思議である。

 なぜかは、初めて町に入ってわかった。町の者は、好奇こうきの目で幸白を見てひそひそとささやいていた。ばつを受けるのをおそれてこちらに聞こえるようには言わないが、なんとなくいやな感じだった。

 旅籠の主人も、丁寧ていねい幸白ゆきしろを部屋に案内していたが、怯えが見て取れた。

(白い子への蔑視べっしは根深いらしいな)

 そんなことを考えながら、紗月さつきは他の護衛と雑魚寝ざこねする部屋で荷物を整理していた。

 食料を補充ほじゅうするためには町におとずれなくてはならないし、ずっと野宿だとつかれが取れない。そのための、たまの旅籠宿泊なのだろうが、幸白にはきっと苦痛だろう。

 夕食は、大広間でみんなで取った。保存食でない食事が久しぶりだったこともあり、つい紗月はがっつきそうになり、あわてて慎重しんちょうはしを運んだ。あのとき、幸白に見られていたような気がする。紗月が幸白を見たときにはもう、彼は隣に座っていた武士としゃべっていたので、真偽しんぎのほどはわからないが。

 この旅籠には温泉があるらしい。見つからないよう、真夜中にでも入るかと思案していると、武士のひとりが「御免ごめん」と言って部屋に入ってきた。

宗次そうじ。幸白様がお呼びだ」

「お、俺を? なぜ、俺なんだ」

「知るか。さっさと来い」

 うながされて、他の護衛たちのうろんげな視線を受けながら、紗月は部屋を出て、武士の案内に従って幸白の部屋を訪れた。

「やあ。来てくれたね」

 幸白は酒のさかずきを片手に、座っていた。彼のそばには、武士がふたりひかえている。

「は、はあ。なんの御用ごようでしょうか」

一緒いっしょに、お酒を飲もうかと思って」

「……どうして、俺なんでしょうか」

「少し、聞きたいことがあってね。まあまあ、座って」

 紗月は仕方なく、幸白の近くに正座した。

 紗月を連れてきた武士は立ち去り、控えていた武士のひとりが紗月に盃をわたしてくれる。とっくりから、幸白は直々に酒を注いでくれた。

「ありがとうございます。あの……聞きたいことって?」

「うん――君、僕の舞を見たとき、途中でどこかに行ったよね。あれがなぜか、知りたくてさ。見苦しかった?」

「まさか! あの……反対です。俺は、あんまり舞とかそういうの、見たことがなくて。感激して、泣いてしまいそうだったんです。あの場で泣いたら、みんな驚くだろうし、舞を邪魔じゃましてしまう気がして。それで、木立に隠れて気持ちを落ち着けたんです」

 うそを混ぜて答えると、幸白は苦笑くしょうしていた。

「そうだったのか。それほど感激してくれたなんて、照れくさいけどね」

 幸い、紗月のこぼした涙には気づかれていなかったらしい。

「結果的に、不快に思わせてしまったのなら、ごめんなさい」

「いいよ。気にしないで。むしろ光栄だよ」

 幸白は屈託くったくのないみを浮かべていた。

「実はさ、君は年も近いから気になっていたんだよね。花婿はなむこ行列が向こうに到着到着するまでのえんだけど、この機会に色々話してくれるとうれしいな」

 そんなことを言われて、紗月は断れるはずもなく「俺でよければ」と頭を下げた。

「逆に何か、聞きたいこととかない?」

 幸白に問われて、紗月は少しためらったあと、口を開いた。

「じゃあ、ひとつ。幸白様は、こわくないんですか? 樫と梓って、ずっと敵対していた国ですよね。たしかに国主になれるかもしれないけど……供の者は、着いたら全員帰されるって聞いていますし」

 その問いに、控えていた武士がまゆをひそめて紗月を見た。

 幸白が察したように手をあげ、「いいんだ」と武士に告げると、彼は不満そうにしながらも紗月から目をそらした。

(しまった。すで覚悟かくごができているから、こうして花婿行列をしているはずだ)

 迂闊うかつな発言をやんだが、幸白は気を悪くした様子も見せずに微笑んだ。

「……正直ね、怖いよ。でも、僕は兄をひとりいくさくした。樫の国主も、息子むすこをふたりも亡くしている。この血みどろの戦いに終止符しゅうしふを打てるなら、僕ひとりの犠牲ぎせいなど安いものさ。跡継あとつぎをもうけるまでは、僕の命も保証されているだろうし。それに、もうたみに犠牲を出したくない。戦争で田畑がれ、息子や兄弟や父親が死んでいく。落ち武者は村を略奪りゃくだつする。戦争で一番傷つくのは、国の民だよ」

 幸白の語りを聞いて、紗月は心を打たれた。

 彼は、自分が人柱に等しいことを知っている。それでも、行くと決めているのだ。

(国主の息子なんか、民のことを考えたりしないと思っていた)

 自分の考えは、間違まちがっていたのだろうか。

 紗月は、そっと清酒を口にふくんだ。


 幸白の部屋を辞したあと、紗月は護衛たちの部屋に帰った。みんなもうねむっていて、いびきや寝息ねいきが聞こえてくる。

 紗月は荷物を整理しながら、服にまぎれさせていた短刀を取り、少しだけ刀身を引きいた。

 この刀で、幸白を殺す指示が出ている。幸白が「樫の国」に殺されたと思わせたい依頼いらい人がいることは確実だった。一体、だれが依頼したのだろう。そこまで考えて、紗月は首をって思考を打ち消した。

(自分はやいばだ。刃は、使い手のことなんて考えなくていい)

 と自分に言い聞かせる。

 それまで、紗月は深く考えていなかった。若君を殺すなんて上等だとすら思っていた。

 しかし幸白は自分を見下したりしない、国のために犠牲になるのもいとわない、やさしい少年だった。

(どうして、あのひとはおこらないんだろう)

 武士が怒りそうになったときも、幸白は止めてくれた。旅籠の主人や町人の、かくしきれない嫌悪けんおの態度にも気づかないふりをしている。

(……怒らない、のではなくて、怒れない?)

 幸白が人一倍気をつけていることは、なんとなくわかった。それは、恐れから来るものではないだろうか。

 紗月は、今まで「身分の高い人々」をひとくくりにしてにくみ、その憎しみをつらい訓練生活を生き抜くための原動力にしていた。だが、幸白を見ていてわかった。「身分の高い人々」も、よくも悪くも紗月と同じ、弱さを持った「人間」なのだと、痛いほどわかってしまった。

 それに、幸白は覚悟を決めている。和平のために、身を差し出す覚悟を。

 その覚悟をつのがおのけんだと思えば、背筋がこおった。

(考えるな。相手は標的だ。――必ず、殺す)

 まどう心をふうじるように、紗月は短刀をさやに納めた。


 紗月の迷いとは裏腹に、花婿行列は進んでいく。

 休憩きゅうけいのときなどに、幸白はよく紗月に話しかけてきた。

「お前、幸白様に気に入られているな」

「……そうかな」

 となりを歩く、いかつい護衛の男――新太あらたに話しかけられて、紗月は馬に乗る幸白の背中を見る。

 出発した日以外は、幸白は地味な色の着物を着ていた。あくまで、あれは儀式ぎしき的な意味合いだったのだろう。おそらく、樫の城に入る際はまた白い着物をまとうことになるのだろうが。

「どうしてだろうな」

 紗月がつぶやくと、新太は笑っていた。

「さあなあ。多分、年が近いから親近感を覚えるんじゃねえかな。――しっかし、国主の息子だし白い子だしっていうんで、正直敬遠してたところもあるんだが……予想以上に、優しいひとだったな」

 しみじみと新太が言ったので、紗月は軽くうなずく。

 幸白は、紗月の話を聞きたがった。どこで剣を習ったのかとか、どういうものに興味があるのか、とか。

 落花流水をつ前に、嘘の素性すじょうに合わせてそういう話は作ってある。だが、嘘をつくのは心苦しかったし、すべてに対応できるわけもない。

「本当に、いいひとだよなあ、幸白様は。もっとえらそうなやつかと思ってたぜ」

 新太のつぶやきに、紗月は深くうなずく。

 そう、幸白はいいひとだ。身分の貴賤きせんに関係なく話しかけるし、気遣きづかう。感謝の言葉も忘れない。――だからこそ、困る。

 このままでは情が移って、殺せなくなりそうだ。虚空が選んでくれた、初仕事なのに。しかもこれは、最後の試験のようなものだ。

 失敗してつかまりそうになれば、服毒自殺する決まりだ。毒は常に、ふところに入れてある。もし自殺しそこねたら、拷問ごうもんされてしまうかもしれない。拷問を受けるぐらいなら、毒で死ぬほうがマシだった。

 ――甘さがお前の足を引っ張っている。

 虚空の言葉を思い出して、紗月はぎゅっとこぶしにぎる。

 ひとりめだから、ためらってしまうだけだろう。きっと、ひとり殺せばっ切れて、暗殺者らしく冷酷れいこくになっていくのだろう。虚空のように、冷徹れいてつになれるはず。

(甘さは捨てる。悪いな、幸白。お前には死んでもらう)

 心のなかで告げると、その言葉が届いたかのように幸白が振り向いた。

 あわてて目をそらすと、幸白はすぐに前を向いた。

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