第二章 暗殺決行②



 もう二日も歩けば樫の国に着く、というところで野宿となった。

 紗月は心を決めて、夕食の支度したくを手伝った。あやしまれないように、野宿の夕食の支度はこれまでも度々たびたび手伝っておいたのだ。

 人目をしのんで、汁物しるものの入ったなべのなかにそっと粉状の眠り薬を入れる。素早くおたまでかきまぜ、紗月は汁物をうつわって取りにきた武士や護衛たちにわたしていった。

 食事の際、紗月は汁物を飲むふりをして、みなの視線が向いていないときに素早く、草むらに中身を捨てた。

 夕食を終えて寝支度ねじたくをする。敷物しきものいて、その上に横たわって布団ふとんをかぶる。

 しばらくったところで、紗月はがばりと起き上がる。同じ敷物の横に眠っていた新太は、いびきをかいて眠っている。

 そっと立ち上がって、あたりをうかがう。

 幸白を取り囲むようにして座っていた、見張りの三人の武士は前のめりにたおれている。

 遅効ちこう性の眠り薬が、よく効いたらしい。

 少しはなれていたところで立っていた見張りの武士も、倒れている。

 紗月は懐から短刀を取り出し、抜刀ばっとうした。

 幸白に近づく。彼は布団をかぶって、右を向いて横たわり、寝息を立てていた。彼を仰向あおむけにして、彼にまたがる姿勢を取る。

 迷いとためらいを捨て、大きく振りかぶる。心臓をひときするつもりで振り下ろしたが――いきなり視界が反転して、紗月は驚愕きょうがくした。

 紗月はいつの間にか、地面に押し倒されていた。紗月を押さえつけているのは――誰あろう、幸白だった。彼の手には、紗月の持っていた短刀がある。

うそだろ!?)

 紗月はもがいたが、幸白は短刀を紗月の首に突きつけた。

「暴れないで。様子がおかしいと思っていたんだよ」

 無表情で、彼は告げる。見たこともないような、するどい目つきだった。

 今までの、あの優しい若君の顔は全て演技だったのだろうか。これが本性なのだろうか、と疑ってしまう。

「誰の命令?」

 冷えた声で詰問きつもんされても紗月が口を割らずにだまり込むと、幸白は近くに置いてあったなわで、紗月をしばり上げた。後ろ手に縛られ、足首も縛られてしまった。

 そして、幸白は紗月の懐をさぐってきた。その折に、体にれたからだろう。幸白は戸惑とまどいがちに、紗月をまじまじと見つめてきた。

「君は……女だったの?」

「……それがどうした! さっさと、その手をどけろ!」

 さけぶも、幸白は冷静さを欠いた様子もなく、紗月の懐から、あるものを取り出した。出てきた小袋こぶくろの中身を見て、幸白はまゆをひそめ、「丸薬か……」とつぶやく。

 それは毒薬だった。なぜ幸白が起きていたのかはわからないが、とにかく暗殺は失敗した。早く死ななければ、と紗月はあせる。失敗したら自殺するのがおきてだ。任務失敗で生きて帰っても、処分されるだけ。

「そ、それを私に飲ませてくれ。私には持病があるんだ」

 紗月の嘘は、すぐに見破られた。

「これは薬ではなく、毒だろう? 君が病気とは思えない。持病を持っていたら、護衛選抜せんばつで選ばれないはずだ。それに、観察していた限り君は薬を飲んでいたことはなかった。なら、これは薬ではない。毒だ。君が毒を飲みたがるのは、僕の暗殺に失敗したからだ」

 そこまで語って、幸白は

「君は、落花流水の手の者?」

と問うてきた。

「なぜ、わかった?」

 紗月はおどろいたが、幸白は平然としていた。

依頼いらい失敗のときに服毒自殺するという決まりを持つ暗殺集団で、なおかつこのあたりで有名なのは落花流水だから。これでも国主の息子むすこだから、そういう事情についてはくわしいんだよ」

 幸白はうっすらと微笑ほほえみ、小袋を自分の懐にしまった。

「どうして、私が……怪しいと思った?」

「言動が少し変だったからね。梓の育ちなのに、白い子へのあつかいに戸惑っているように見えた」

 紗月は、花婿はなむこ行列が都に入らないことを疑問に思い、口に出してしまった。かなり最初のほうで、怪しまれていたらしい。色々と話しかけてきたのも、怪しかったからなのだろう。

「怪しいと思ったなら、もっと早くに手を打てばよかったのに」

 時間かせぎもねて紗月がにらんで話しかけると、幸白はかたをすくめた。

 縄抜なわぬけしようと、手をひそかに動かし始めたところで幸白が気づいてしまったようで、紗月の首にまた短刀を押しつける。血が、一筋垂れた。

 こうなれば舌をんで死ぬしかない、と思って口を開けたところで、察したらしい幸白が紗月に短剣たんけんさやを噛ませる。がちり、という音と共に歯がぶつかる。

「死なせないよ、今はまだ」

 幸白は自分のかみわえていたひもをほどき、それで噛ませている鞘と紗月の後頭部を結んだ。固定され、首をっても鞘が外れなくなる。

「君には迷いが見えたし、僕も確信が持てなかった。君の身元は護衛の選抜試験のときに証明されているはずだし。でも何か決行するなら、今日以降だと思ったんだ。明後日あさってには樫の国に入る。一番、みんなの気がゆるむときだからね」

 語りながら、幸白は自分の荷物を探っていた。下ろされた白い髪が、夜風にれる。

「今日の夕食を君がよそっていたのを見て、念のため食べずに、近づいてきた野生のきつねに食べさせた。しばらく様子を見ていたらねむりこけたから、毒ではなく眠り薬を盛ったんだとわかった」

 幸白の淡々たんたんとした説明を聞いて、舌打ちしそうになる。

「まだ、何かかくしてないだろうね?」

 幸白は、また紗月の懐をまさぐる。そして彼は桜色の勾玉まがたまを見つけ、「これは……」と目を見張った。

 勾玉は紐を通して首飾くびかざりにしていたのだが、幸白は短刀で紐を切ってうばってしまった。

 返せ、と叫びたかったが、紗月の口は鞘にふさがれていてくぐもった声を発するだけ。

 しかし紗月の反応で大事なものだと察したらしい幸白は微笑んで、もちろん返してくれなかった。

「これは預かっておく。君が僕の命令に従うなら、返してあげるかも」

 勾玉をふところにしまったあと、幸白は手をばしてきた。

 がっ、と首を押さえられて、うつむかされる。

 何をされるのだろう、と思っている間に、甘いにおいに気づく。

(しまった!)

 幸白の手が離れたときにはもう、紗月の鼻はけむりを吸い込んでしまっていた。顔を上げると幸白は手に、線香せんこうの束のようなものを持っていた。先端せんたんに火がともされ、そこから青い煙がただよっている。紗月に下を向かせている間に、き火から火を移したのだろう。

「一時的に素直すなおになれる薬だよ。危ないものじゃないから、安心して」

 自白薬を使われた。最悪だ、と思いながら紗月は意識がぼんやりするのを感じる。

 幸白は紗月から紐を外し、鞘を取った。ようやく口が自由になったが、自白薬のせいで自決する覚悟かくごうすれていた。

 髪を結いながら、幸白は問うてくる。

「依頼人はだれ?」

「……知らない。したには、知らされないんだ」

「ふうん」

 紗月の言い分を信じたらしく、幸白はまた一転して紗月におだやかに語りかける。

「君はなぜ、その若さで暗殺者になったんだい?」

 幸白に問われて、紗月は簡単に境遇きょうぐうを語った。自白薬のせいで、他人に言いたくないことまで語ってしまう。

「落ち武者に村を襲撃しゅうげきされ、家族を殺され、そこで師匠ししょうに拾われた。村はほろんだ……」

「そう……。気の毒なことだね」

 同情されても、何もうれしくない。

「この勾玉は、どういうものなんだい?」

「形見。父が残した。唯一ゆいいつのよすがだ」

 そう、とうなずいてから幸白はさらに語りかけてくる。

「君は選択肢せんたくしがなくて、暗殺者になっただけだろう」

 やさしく言われたが、紗月は肩をいからせて主張した。

ちがう。為政者いせいしゃにくくて、暗殺者になった。戦争の結果、生まれた落ち武者に家族を殺されたから、戦争を起こす為政者が憎かった」

「為政者がみんな、悪ではない。大体、君が命令を遂行すいこうしていたらまた戦争が起きたんだよ。君の考えはかたよっている」

 幸白に言い聞かされ、紗月の心は少し揺らいだ。

「君は暗殺者にならなければ、生きていけなかったんだろう」

 その言葉で、紗月は思い出す。落花流水での過酷かこくな訓練。適性なしと判断されて、処分されていった子どもたち。

「僕に従ってくれるなら、悪いようにはしない。梓の城で保護してもらうよう、たのむよ。断るのなら、悪いけど君の命はここでおしまい。どうする?」

 幸白に問われ、紗月は迷った。

 彼はここで生きるか死ぬか選べと言っているつもりらしいが、暗殺失敗の時点で、紗月の運命は終わったも同じだ。断れば、ここで幸白に殺される。かといって、彼に協力すれば落花流水からは裏切り者扱いされて殺されるだろう。後者のほうが、少し命が延びるだけ。幸白は城で保護すると申し出てくれているが、紗月は師匠である虚空に殺されることになる。それが師匠の責任だからだ。虚空なら、紗月が城にいても確実に殺してくる。

(どうする? 考えろ!)

 必死に、思考をめぐらせる。

 しかし、それ以外の答えが出てこなかった。二択にたくしかない。ここで死ぬか、少し先に死ぬか……。

「私があんたを暗殺すれば戦争が起こるというのは、本当か?」

 いきなりとも言える紗月の問いに、幸白は戸惑ったように眉をひそめながらも、うなずいた。

「本当だよ。この短刀は、樫の名刀匠とうしょう光道斎こうどうさいの作だろう?」

 問われて、紗月はだまってうなずく。

「光道斎の刀は本来、樫の国から門外不出のものだから、樫の者が暗殺したという筋書きになる。そうしたら、僕の父は和平を持ちかけておきながら息子を殺した樫の国主に宣戦布告するだろう。――君は戦争を起こすために、暗殺者になったの?」

 問われ、紗月はこおりつく。

(――違う。私は、戦争を起こす為政者を殺すような暗殺者になりたかったはずだ。でも、それは本当に?)

「君は本当に、暗殺者になりたかったの?」

「……なりたかったと、思っていた」

 そうでないと、生きていけなかった。他の子どもたちを蹴落けおとして、生きいて。虚空や幹部に認められたくて。

(本当は……なりたい、のではなかった? ならなくてはいけないと、思っていた?)

 だって紗月は、両親と故郷を失った。記憶きおくもなくした。もう、落花流水のほかに居場所なんてなかった。

 紗月の振るったやいばのせいで戦争が起きたかもしれないと思うと、ゾッとした。すべて奪われて泣いた。強者になれと言われて、育った。強者になろうとした結果、新たに火種を生み出す者になっていたのだろうか。

 紗月が答えあぐねていると、幸白はぽつりとつぶやいた。

「僕は、死ぬわけにはいかないんだよ」

 おそろしいほど真剣しんけんな顔で放たれた幸白の言葉に紗月はおどろき、幸白にどこかあやういものを感じた。

(「死にたくない」じゃなくて「死ぬわけにはいかない」? 失敗できない理由があるのだろうか)

 幸白は目下の者にも優しくて、いつもにこやかだった。しかし、紗月をおどしてきたときの冷徹れいてつさは、紗月でもこわいと思ったほどだ。そして――この、危うさ。玻璃はり細工のようなもろさを感じる。

(なんだか、とても――不思議なやつだ)

 多面的、とでも言えばいいのだろうか。興味をかれる存在であることはたしかだった。

「そのために、知恵ちえと力を貸して欲しい」

 幸白にわれ、紗月は彼をにらんだ。

「私が裏切らないって、どうして言える?」

「さあ。裏切る可能性もあるね。でも、君が死んで新しい暗殺者をむかつよりは、こうして手綱たづなにぎっていた方がいい。この形見がしいだろう」

 幸白は懐から勾玉まがたまを取り出し、見せつけた。そして勾玉から、ひもを全て外してしまう。

 紗月は思わず、くちびるむ。

「私が、それをうばおうとするとは考えないのか」

 紗月が問うと、幸白は勾玉を消してみせた。次の瞬間しゅんかん、また勾玉が手に現れる。紗月は驚き、言葉をなくした。

(こいつは何者だ? 白い子には、ああいう特殊とくしゅ能力があるのか?)

「僕が返そうとしない限り、君が勾玉を取りもどすことはできない。ちなみに、すきを見て僕を殺したらこの勾玉は永遠に失われる。体内に入れたままにしておくからね」

(父さんの、勾玉が……)

 協力するふりをして幸白を殺せば、唯一のよすがを失う。――んでいる。

「さあ、どうする? 悪いけど、長くは待てないよ。護衛の武士たちが起きてこの状況じょうきょうを見たら、事情を話さなくてはいけない。君は、確実に殺されるだろう」

 小一時間もすれば、ねむり薬が切れてしまうだろう。

 考えないふりをしていたが、この暗殺は戦争につながる火種だった。それを無視し、幸白を殺せば紗月はかつての紗月をも裏切ることになる。

 腹を、くくった。

(私は、どっちにしろ死ぬんだ。なら――幸白を、生かそう。こいつに興味も出てきたことだし)

 紗月はぎり、と歯ぎしりして、言葉をしぼり出した。

「……わかった」

 紗月はとうとう観念して、うなずいた。だが、質問を続ける。

「幸白、あんたは……国主になったら、戦争を起こさないとちかってくれるか?」

 幸白は驚いていたが、少し間を空けてからしっかりと首を縦にった。

「――国主といっても、万能ばんのうなわけじゃないけどね。できるだけ努力するよ。それなら、協力してくれる?」

「ああ」

 どうせ、もう終わったような命だ。落花流水に殺されるまで、有効に使おうと思った。

 幸白は紗月の命を助ける代わりに協力させることに成功した、と思っているはずだ。しかし、幸白は落花流水のうわさは知っていても、実力をわかっていない。相手は虚空だ。どこにいようと、紗月は確実に死ぬ。この認識にんしきを正す必要はないだろう。

「宗次は偽名ぎめいだよね。本名は?」

「紗月。字は――更紗さらさの紗に、天体の月――と書く」

「ふうん。紗月か」

 幸白に名を呼ばれて、紗月はうつむいた。

早速さっそく、協力してもらいたい。僕は死ぬわけにはいかない。そのために、どう動けばいい? 落花流水は、どう動いてくる?」

「私があんたを殺さないまま樫の国の城に着きそうになれば、組織は新しい暗殺者を派遣はけんするだろう。時間をかせぐためには一芝居ひとしばい打つ必要がある。あんたは自害するふりをしてがけから落ちるんだ。私があんたを追って、安全な足場に誘導ゆうどうしてやる」

 紗月が即興そっきょうで考えた計画を打ち明けると、幸白はうなずいた。

「落花流水が動かないように、一旦いったん、死んだふりをしろってことだね?」

「そういうことだ。でも、ずっと身をかくしているわけにはいかない。暗殺依頼いらいを取り消して初めて、あんたの安全は確保される」

「暗殺依頼を取り消すにはどうすればいい?」

「依頼人本人が依頼を取り消すしかない。私はしただから、依頼人の情報を知らない。落花流水に帰らないと、依頼人をき止められない。……あんたをどこかの村か町で待たせて、私が落花流水に一旦行って情報を取ってくるよ。依頼人の正体如何いかんで、その後の進路は変わってくる。だから、確実に話せる計画はここまでだ」

「なるほどね。悪くない。君の案に乗ろう。依頼が取り消されたと確認でき次第しだい、僕は君に勾玉を返すよ」

 契約けいやくは成立、とばかりに幸白は微笑ほほえんで、手巾しゅきんで紗月の首から流れた血をぬぐってくれた。


 ***


 紗月を解放し、るようにうながしたあと、幸白は奪った短刀をしげしげとながめた。光道斎の作る刀には光が宿る、という評判どおり、他の刀にはないかがやきをまとっている。

 刀身を見ただけでもわかったが、念のために幸白はつかを外して、なかご――柄に収められていた部分をあらためた。たしかに、「光道斎」のめいが刻まれている。

 紗月は、これを使って幸白を殺そうとした。紗月に説明したとおり、これを使えば樫の国が暗殺者を放ったと思われるからだろう。樫の国の仕業しわざと見せかけるのだから、樫の国に依頼者はいないことになる。では一体、どの国からの依頼だろうか。梓も樫も大国でいくさに強いので、敵は多い。

 樫の国や梓の国の両方と国境を接する、「にれの国」なんてかなりあやしい。五年前に樫の国と戦争をして、痛手を負った「かえでの国」も、此度こたび縁談えんだんを止めたいと思うかもしれない。それとも、みかどかかえる「桜の国」の仕業だろうか。朝廷ちょうていの権力を取り戻したくて、双方そうほうをぶつけることによって他国の戦力をごうと考えてもおかしくない。

 最悪なのは、身内――梓の国に犯人がいる場合だ。梓の家臣に和平反対派もいた。彼らの仕業だろうか。

 紗月の計画どおり上手くことが運んでも、一旦、梓の城には幸白の訃報ふほうが伝えられてしまう。幸白が戻るまでは父にあとをたくすしかない。

(まあ、いざとなれば幸久の兄上がいるし。和平交渉こうしょうがなくなることはないだろう)

 父なら、幸白の代わりに幸久を婿入むこいりさせることを思いつくだろう。

 そこまで考えたところで、幸白は短刀をふところにしまって眠ることにした。

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