第二章 暗殺決行②
もう二日も歩けば樫の国に着く、というところで野宿となった。
紗月は心を決めて、夕食の
人目を
食事の際、紗月は汁物を飲むふりをして、
夕食を終えて
しばらく
そっと立ち上がって、あたりをうかがう。
幸白を取り囲むようにして座っていた、見張りの三人の武士は前のめりに
少し
紗月は懐から短刀を取り出し、
幸白に近づく。彼は布団をかぶって、右を向いて横たわり、寝息を立てていた。彼を
迷いとためらいを捨て、大きく振りかぶる。心臓をひと
紗月はいつの間にか、地面に押し倒されていた。紗月を押さえつけているのは――誰あろう、幸白だった。彼の手には、紗月の持っていた短刀がある。
(
紗月はもがいたが、幸白は短刀を紗月の首に突きつけた。
「暴れないで。様子がおかしいと思っていたんだよ」
無表情で、彼は告げる。見たこともないような、
今までの、あの優しい若君の顔は全て演技だったのだろうか。これが本性なのだろうか、と疑ってしまう。
「誰の命令?」
冷えた声で
そして、幸白は紗月の懐を
「君は……女だったの?」
「……それがどうした! さっさと、その手をどけろ!」
それは毒薬だった。なぜ幸白が起きていたのかはわからないが、とにかく暗殺は失敗した。早く死ななければ、と紗月は
「そ、それを私に飲ませてくれ。私には持病があるんだ」
紗月の嘘は、すぐに見破られた。
「これは薬ではなく、毒だろう? 君が病気とは思えない。持病を持っていたら、護衛
そこまで語って、幸白は
「君は、落花流水の手の者?」
と問うてきた。
「なぜ、わかった?」
紗月は
「
幸白はうっすらと
「どうして、私が……怪しいと思った?」
「言動が少し変だったからね。梓の育ちなのに、白い子への
紗月は、
「怪しいと思ったなら、もっと早くに手を打てばよかったのに」
時間
こうなれば舌を
「死なせないよ、今はまだ」
幸白は自分の
「君には迷いが見えたし、僕も確信が持てなかった。君の身元は護衛の選抜試験のときに証明されているはずだし。でも何か決行するなら、今日以降だと思ったんだ。
語りながら、幸白は自分の荷物を探っていた。下ろされた白い髪が、夜風に
「今日の夕食を君がよそっていたのを見て、念のため食べずに、近づいてきた野生の
幸白の
「まだ、何か
幸白は、また紗月の懐をまさぐる。そして彼は桜色の
勾玉は紐を通して
返せ、と叫びたかったが、紗月の口は鞘に
しかし紗月の反応で大事なものだと察したらしい幸白は微笑んで、もちろん返してくれなかった。
「これは預かっておく。君が僕の命令に従うなら、返してあげるかも」
勾玉を
がっ、と首を押さえられて、うつむかされる。
何をされるのだろう、と思っている間に、甘い
(しまった!)
幸白の手が離れたときにはもう、紗月の鼻は
「一時的に
自白薬を使われた。最悪だ、と思いながら紗月は意識がぼんやりするのを感じる。
幸白は紗月から紐を外し、鞘を取った。ようやく口が自由になったが、自白薬のせいで自決する
髪を結いながら、幸白は問うてくる。
「依頼人は
「……知らない。
「ふうん」
紗月の言い分を信じたらしく、幸白はまた一転して紗月に
「君はなぜ、その若さで暗殺者になったんだい?」
幸白に問われて、紗月は簡単に
「落ち武者に村を
「そう……。気の毒なことだね」
同情されても、何も
「この勾玉は、どういうものなんだい?」
「形見。父が残した。
そう、とうなずいてから幸白は
「君は
「
「為政者がみんな、悪ではない。大体、君が命令を
幸白に言い聞かされ、紗月の心は少し揺らいだ。
「君は暗殺者にならなければ、生きていけなかったんだろう」
その言葉で、紗月は思い出す。落花流水での
「僕に従ってくれるなら、悪いようにはしない。梓の城で保護してもらうよう、
幸白に問われ、紗月は迷った。
彼はここで生きるか死ぬか選べと言っているつもりらしいが、暗殺失敗の時点で、紗月の運命は終わったも同じだ。断れば、ここで幸白に殺される。かといって、彼に協力すれば落花流水からは裏切り者扱いされて殺されるだろう。後者のほうが、少し命が延びるだけ。幸白は城で保護すると申し出てくれているが、紗月は師匠である虚空に殺されることになる。それが師匠の責任だからだ。虚空なら、紗月が城にいても確実に殺してくる。
(どうする? 考えろ!)
必死に、思考を
しかし、それ以外の答えが出てこなかった。
「私があんたを暗殺すれば戦争が起こるというのは、本当か?」
いきなりとも言える紗月の問いに、幸白は戸惑ったように眉をひそめながらも、うなずいた。
「本当だよ。この短刀は、樫の名
問われて、紗月は
「光道斎の刀は本来、樫の国から門外不出のものだから、樫の者が暗殺したという筋書きになる。そうしたら、僕の父は和平を持ちかけておきながら息子を殺した樫の国主に宣戦布告するだろう。――君は戦争を起こすために、暗殺者になったの?」
問われ、紗月は
(――違う。私は、戦争を起こす為政者を殺すような暗殺者になりたかったはずだ。でも、それは本当に?)
「君は本当に、暗殺者になりたかったの?」
「……なりたかったと、思っていた」
そうでないと、生きていけなかった。他の子どもたちを
(本当は……なりたい、のではなかった? ならなくてはいけないと、思っていた?)
だって紗月は、両親と故郷を失った。
紗月の振るった
紗月が答えあぐねていると、幸白はぽつりとつぶやいた。
「僕は、死ぬわけにはいかないんだよ」
(「死にたくない」じゃなくて「死ぬわけにはいかない」? 失敗できない理由があるのだろうか)
幸白は目下の者にも優しくて、いつもにこやかだった。しかし、紗月を
(なんだか、とても――不思議なやつだ)
多面的、とでも言えばいいのだろうか。興味を
「そのために、
幸白に
「私が裏切らないって、どうして言える?」
「さあ。裏切る可能性もあるね。でも、君が死んで新しい暗殺者を
幸白は懐から
紗月は思わず、
「私が、それを
紗月が問うと、幸白は勾玉を消してみせた。次の
(こいつは何者だ? 白い子には、ああいう
「僕が返そうとしない限り、君が勾玉を取り
(父さんの、勾玉が……)
協力するふりをして幸白を殺せば、唯一のよすがを失う。――
「さあ、どうする? 悪いけど、長くは待てないよ。護衛の武士たちが起きてこの
小一時間もすれば、
考えないふりをしていたが、この暗殺は戦争につながる火種だった。それを無視し、幸白を殺せば紗月はかつての紗月をも裏切ることになる。
腹を、くくった。
(私は、どっちにしろ死ぬんだ。なら――幸白を、生かそう。こいつに興味も出てきたことだし)
紗月はぎり、と歯ぎしりして、言葉を
「……わかった」
紗月はとうとう観念して、うなずいた。だが、質問を続ける。
「幸白、あんたは……国主になったら、戦争を起こさないと
幸白は驚いていたが、少し間を空けてからしっかりと首を縦に
「――国主といっても、
「ああ」
どうせ、もう終わったような命だ。落花流水に殺されるまで、有効に使おうと思った。
幸白は紗月の命を助ける代わりに協力させることに成功した、と思っているはずだ。しかし、幸白は落花流水のうわさは知っていても、実力をわかっていない。相手は虚空だ。どこにいようと、紗月は確実に死ぬ。この
「宗次は
「紗月。字は――
「ふうん。紗月か」
幸白に名を呼ばれて、紗月はうつむいた。
「
「私があんたを殺さないまま樫の国の城に着きそうになれば、組織は新しい暗殺者を
紗月が
「落花流水が動かないように、
「そういうことだ。でも、ずっと身を
「暗殺依頼を取り消すにはどうすればいい?」
「依頼人本人が依頼を取り消すしかない。私は
「なるほどね。悪くない。君の案に乗ろう。依頼が取り消されたと確認でき
***
紗月を解放し、
刀身を見ただけでもわかったが、念のために幸白は
紗月は、これを使って幸白を殺そうとした。紗月に説明したとおり、これを使えば樫の国が暗殺者を放ったと思われるからだろう。樫の国の
樫の国や梓の国の両方と国境を接する、「
最悪なのは、身内――梓の国に犯人がいる場合だ。梓の家臣に和平反対派もいた。彼らの仕業だろうか。
紗月の計画どおり上手くことが運んでも、一旦、梓の城には幸白の
(まあ、いざとなれば幸久の兄上がいるし。和平
父なら、幸白の代わりに幸久を
そこまで考えたところで、幸白は短刀を
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