第一章 花婿行列②


 ***


 任務を受けてすぐ紗月は落花流水をち、梓の国に入った。虚空は仕事が入ったらしく、紗月より早く出発していた。彼がどこに行ったかは、紗月には知らされていない。だが、「俺が帰るより、お前の初仕事が終わるほうが先だろうな」と虚空が言っていたので、遠方に行ったのだろうと推測できた。

 紗月は難なく護衛選抜せんばつ試験に合格し、商家の次男「佐野さの宗次そうじ」として花婿行列の護衛にまぎれていた。

 当日の正午、梓の城前に集合と言われたとおりに集まる。首都の外れにある練兵場で開かれた護衛試験で顔を合わせた者が、何人かいた。

 城の前で待機していると、城から武士が十人ほどやってくる。

 彼らは馬に荷物をせていて、いそがしそうだった。

 紗月は、花婿行列に参加する男たちをざっと観察する。正規の武士が十人。護衛選抜をかいくぐった剣士けんしが九人。あとは雑用係とおぼしき男が五人ほど。

(全員を殺すのは時間がかかるし、面倒めんどうだな)

 素早すばやく判断し、紗月は思いえがいていた計画のひとつを採用することに決める。

 野宿の夜に眠り薬を盛り、みなが寝ている間に幸白だけを殺す。これなら、殺すのはひとりだけでいい。

 出発してすぐは、皆が警戒けいかいしているはず。もうすぐ樫の国というところで油断するときを待つのがいいだろう。

 そんなことを考えていると、城の門から市女笠いちめがさをかぶったひとが出てきた。

 護衛たちがざわつき、ひそひそと声を交わし合う。何をうわさしているのだろう、と不審ふしんに思いながらも、紗月はその人物を見つめる。

 白い羽織に、白いはかま。花婿衣装いしょうだろう。市女笠から垂れる布も、よく使われる半透明はんとうめいの布ではなく、白い布だった。

 彼は市女笠を少し上げて、行列の面々を見渡みわたす。

 白い髪に、赤い目。優しそうで、整った面立ちだった。

(話には聞いていたが、初めて見た……あれが「白い子」か。きれいなもんだな)

 主に女性が身に着ける市女笠を彼がかぶっているのは、日焼け防止だろう。白い子は、日の光に弱いという。

 紗月が思わず見とれていると、彼はこちらに気づいて微笑んだ。

 思わずドキッとしてしまい、紗月はぎこちなく笑みを返す。

 彼は、なぜか紗月に近づいてきた。

「はじめまして。君は、護衛選抜で選ばれた護衛かな」

「あ、はい。そうです。佐野宗次と申します」

 偽名ぎめいを口にして一礼すると、また彼はかろやかに微笑んだ。

「知っていると思うけど、僕は梓神幸白。道中、よろしくね。君はずいぶん、若いね。いくつ?」

「十五です」

 紗月以外は、全員二十以上の男だった。幸白が「若い」と思うのも当然だろう。

「僕より一つ下か。選抜結果が書かれた紙を見たよ。君は、三位だったね。その年で、すごいね」

 められて悪い気はしなかったが、同時に心苦しくなる。

(私は、このひとを殺すのだから)

 初めての任務で殺す標的。それ以外の何ものでもない。そう、自分に言い聞かせるべきだろう。

 虚空の言うとおり、ひとりめ――彼を殺せば、紗月も様変わりするのだろうか。

 紗月はそんなことを考えながら、「それほどでも」と謙遜けんそんした。

 それに、試験では少し手をいた。あまり強すぎても目立ってしまうからだ。

 その後、幸白は紗月以外にも、ひとりひとりに声をかけて回っていた。

(若君だってのに、えらぶったところがないな)

 感心しながらも、紗月はさりげなく幸白から距離を取った。標的と仲良くなるのは、得策ではない。あまり話さないほうがいいだろう。

 武士たちが幸白の周りを固め、それ以外の護衛は前方と後方に振り分けられた。

 護衛試験で身分証明もしているが、民間から集めた護衛はあくまで武士より信頼度しんらいどが落ちるということだろう。

 紗月は後方組になった。

 幸白だけが白い馬にまたがり、あとの者は徒歩だ。他の馬には、荷物が載せられている。

 花婿はなむこ行列は、「では、出発しましょう」という幸白の声で始まった。

 城のなかで別れをしんだのだろうか。国主や他の兄弟は、出てこなかった。城から見ているのかもしれないが。

 一行は町には出ずに迂回うかいし、町の外の道を歩いていく。思わず紗月は、「なぜ、町を通らないんだ?」と疑問をつぶやいてしまった。

 幸白が振り返って、目が合う。どこか、こちらを値踏ねぶみしているような目だった。

「君、ここに来て」

 招かれて、紗月は「まずい」と思いながらも、早足で幸白に追いついた。

「君は梓の育ちだよね?」

「はい」

 ここでうろたえると、もっとまずいことになる。紗月は冷静に返事をした。

「なら、白い子が凶兆きょうちょうであることも知っているよね?」

「……はい」

 師匠ししょうから、聞かされてはいた。

「だから、僕の花婿行列は町には入らないんだ。迷信めいしん深いひとが、おびえてしまうからね」

「いや、知ってはいましたけど……その、国主の息子むすこなんだし、和平のための婿入りなんだから、みんな惜しんで送ってくれるのではないかと」

 紗月が言い訳めいた説明をすると、幸白は苦笑くしょうした。

「そうだといいけどね。でも、危険性のほうが大きい。雑踏ざっとうから何かを投げられるかもしれない。そうなると、護衛たちも大変だろう?」

「そうですね。すみません、出過ぎたことを言ってしまい」

「別にいいよ。君はきっと、悪意というものを知らずに育ってきたんだね」

 幸白は意味深なことをつぶやいてから、「元の位置にもどっていいよ」と促した。

 紗月が後方に戻ると、となりを歩いているいかつい男が「馬鹿ばか」とささやいてきた。

「なんて気のかないやつだ。迂回する理由ぐらい、察しろよ」

「……悪かった」

 紗月が謝ると、男は「幸白様に謝っとけ」と鼻を鳴らしていた。

 そのまま、花婿行列はひそやかに進んでいく。

 ふと、「古代では、白が死の色だった」と書物で読んだことを思い出す。

 紗月は、この花婿行列が、幸白の死をもって途中とちゅうで終わることを知っている。そう考えると、花婿行列というよりも死の行列のように思えて、うすら寒くなった。

 そして、その「死」をもたらすのはほかでもない自分なのだ。

 落花流水には、暗殺失敗とわかった時点で服毒自殺しなければならない、というおきてがある。落花流水の情報をらさないためなのだろうが、それ以前に任務を失敗するような暗殺者は「生きる価値なし」とされるからだ。

大丈夫だいじょうぶ。私は、できる)

 こぶしにぎり、紗月は標的の背中を見つめた。


 旅は、順調に進んでいった。

 紗月がおどろいたのは、このなかで一番偉い幸白が供の者を気にかけて声をかけたり、「ありがとう」とよく礼を言ったりしていたことだ。

 落花流水の幹部は、みんな偉そうだった。見習い時代、幹部の食事のときにしゃくをしたことがある。紗月の目が気に入らないと言ってなぐられ、唖然あぜんとしたものだ。他の使用人――落花流水では、大した功績を挙げずに暗殺者を引退した者がなる――も、よく怒鳴どなられ、理由もなく殴られていた。

 初めて理不尽りふじんな目にったあと、紗月は師匠の部屋に行ってわめいた。虚空は『お前が弱いのだから、仕方がない。独り立ちすれば、手伝いには呼ばれない』としか言ってくれなかった。

 地位のある人間とはそういうものだという思い込みがあったので、紗月にとって幸白の態度は驚きを通りして衝撃しょうげきだった。

(あいつが、特別なんだろうか?)

 国主の息子に会ったのは初めてなので、彼が例外なのかそうでもないのかは、判断がつかなかった。


 護衛衆は、みんな最初はどこか緊張感きんちょうかんをまとっていた。身分差ゆえにか、幸白の見た目ゆえにかは、紗月にはわからない。しかし、旅が進むにつれて幸白のやわらかな態度のおかげか、幸白に対しても礼を失さない程度に話しかける者が増えていた。付きいの武士も特に注意はしてこなかった。

 紗月はもちろん、幸白とはなるべく話さないようにしていた。

 旅立って三日目。野宿の夜、夕食を終えたところで、酒が入って気の大きくなった護衛の男が「幸白様、まいが得意らしいですね。是非ぜひ、ひとさしってくれませんか」とうた。

 幸白は微笑ほほえんで、「少しでも、無聊ぶりょうなぐさめられるのなら」と立ち上がった。

 音楽は武士のひとりが担当することになり、笛をいた。

 幸白は打刀を抜いて、音楽に合わせて剣舞けんぶを舞った。

 優美でしなやかなのに、どこかするどさをめた舞だった。月光が刀に反射し、いっそう舞を幻想げんそう的に見せる。

(……きれいだな)

 落花流水に入ってから、きれいなものなんて見てこなかった。感動したことなんて、なかった。だからか、いつしか紗月のほおなみだが伝っていた。

 紗月はハッとして、幸白の舞を見る護衛たちのそばからはなれて、木立にかくれる。

 そでで目元をぬぐって、息をつく。

(大丈夫なのか、私は)

 虚空にきつくしかられて以来、泣いたことなどなかったのに。どうしてか、涙腺るいせんゆるんだ。

(これは、涙がこぼれただけ。「泣く」とまでは、いかないよな?)

 どこかにいる虚空に問いかける。虚空なら鼻で笑うだろうが、彼は幸いここにはいない。

 大丈夫だ、と思うことにしておいた。体力を消耗しょうもうするような泣き方をしていないし、と言い訳を心のなかでつぶやいて。

 それにしても、と紗月は背後を気にする。

 涙を見られなかっただろうか。目撃もくげきされていたら、どうして泣いているのかと、不審ふしんがられてしまうかもしれない。

 いや、反対に幸白なら心配してくれるだろうか?

(相手は、標的だ。忘れるな。やさしく見えたって、心のうちはわからない。相手は、甘やかされて育った国主の息子だぞ。きっと、私たちを見下しているんだ)

 自分に言い聞かせて、紗月は木の根元にうずくまった。

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