第28話 死ぬ順番

 体育館前にある更衣室はステージ発表のための着替えの場所としても提供されている。

 神惠和奏はこれからステージで歌う。だから着替える。けれど。


「なぜ怯えないの?」

「んー?」


 クナイを喉元に向けられた彼女はきょとんと首を傾げる。何が起きているのか理解してないのか、その瞳に恐怖の色は無かった。

クラスでの出し物の衣装である浴衣を脱ぎ捨て下着だけ身に着けたその姿は女である私ですら目を奪われてしまいそうになる。制服を持ち仄かに微笑む

このタイミング。私、忍野真姫が狙っていたのはこのタイミング。坂井柊を油断させ、神惠和奏を私に預けるこのタイミング。

この先を有利に進めるための駒を手に入れる。それはこの瞬間以外にはない。


「忍野さんがなんのために私を脅しているかわからないけど、別に怖くないんだ」

「なに? あなたのその喉をすぐにでも掻っ切れるんだけど」

「無理だよ。私は死なない」

「は?」

「私が死ぬのは、柊くんが負けて殺されちゃった時だから」

「なにを……」

「私が死ぬのはいつだって、柊くんの次。そういう約束。だから死なない」


 なんだ、この異常な女。怖さで現実が見えなくなっているのか、それとも。


「それにさ、君、私を殺す気ないでしょ」

「え」


 その瞬間だった。視界の端で何かが微かに光った気がして。そして。


「がっ」


 私の身体は天井に激しく打ち付けられた。手からこぼれるクナイ。棚を掴んでしがみつこうとする手が動かなくなり。身体を締め付ける何かを振りほどこうとする足が動かなくなり。馬鹿な、ここは女子更衣室だ。いや、それ以上になんで、なんで私に気づいた。


「僕が、和奏に近づく影に気づかないわけ無いだろ、二重スパイが」

「……二重スパイ、か。まぁそう見えるよね」

「他に何だという。こんな調査力、他にどう説明する」

「『忍連』ともつながりがあるのは否定しないよ。でも、私は彼女の敵ではない」


 私の狙いがこの時点で漏れるのは良くない。

 彼は私の敵でなければいけない。でも、これだけは言っておきたい。


「私が彼女のファンなのは本当だから」

「意味が分からない」

「私は私の結末のために走る。それだけだよん」


 伝わらなくて良い。通じなくて良い。縛り上げられ吊るしあげられながらも、私はほくそ笑む。ここで倒されるのならそれはそれで良いのだ。


「ところでさ」

「あ?」

「私に構っていて良いの? 『対忍課』の人、縛って放置しているんじゃないの? そろそろ見つかって騒ぎになって……」

「ないっ!」


 追加で『糸』を展開する。


「くっ」


 展開しながら後ろに飛びのく。この瞬間にこの部屋は僕の領域となる。けれど、飛び込んできた御影の手足を捕らえたはずなのに、拘束は間に合ったはずなのに、一秒よりも短い時間、その間に鼻先を掠める拳。


「うそ、だろ」


 糸が、千切れてる。避けた先にあった木製のロッカーの仕切りが派手な音を立てて砕ける。

 いや、それよりも。


「あんた、自分の身体に何をしやがった……」


 さっきより身体、デカくなってねぇか。腕なんか丸太みたいになって。足だって、ズボンが今にもはち切れそうになってやがる。


「『忍連』秘伝の肉体強化の薬だね。副作用は効果が切れたら一週間はまともに動けなくなるよ」

「くっ。おまえ、そんなもの打たれて、それでも僕に」

「ふー、ふー、があっ!」

「ちっ」


 今度は全身を縛り付けるべく、蜘蛛の巣の如く糸を張り巡らせるが。身体に巻き付いたタイミングで。


「うがあああ!」


 という叫びと共に再び糸が千切られ御影は僕を狙い続ける。


「ねぇ坂井くん、私を解放してよ。私を拘束したままじゃ動きづらいでしょ。『忍連』の『忍』が本格的に動き始めた以上、君は大分不利だよ。その『対忍課』の人、かなりの濃度の奴打ち込まれたみたいだから、コミュニケーションをまともに取るのは無理だね」

「なんだと」

「むしろ君を狙うって目的を見失ってないあたり、精神力かなりのものだと褒めてやりたいくらいだ。君の一番の武器が通じない以上、ここは私に頼るべきじゃないかい?」


 少し考える。まず、こいつの目的を。それを聞き出せていない。和奏を人質にして僕に何を要求するつもりだった。それを聞き出した上でさっきの話を信用できるのなら、手を組む方向で考えるべきだろう。


「悩んでいる暇あるの! このままじゃ君の命は無いよ! そいつは薬が切れて意識を失うまで暴れ続ける!」

「! しゅ、柊くん!」

「なめんな。『操糸術』は確かに僕の一番得意な術だが、それが僕の全てじゃない。一番の武器じゃない。和奏、安心してそこで見てろ」 

「うん!」


 身に着けた技術と言えど、道具を用いる技術におんぶにだっこでは生き残れない。肝心な時に勝てない。最後に信じられるのは己の肉体。肉体を武器とした技術。

 己の身体を最大限使いこなすこと。

 クナイや小刀を用いずとも、己の手足をもって相手の肉体を破壊する技術、己が用意した道具でなくても、その場にあったもので相手を打倒する技術。『忍』なら当然身に着けているのだ。

 そしてこの規格外パワーゴリラだって、勝てない相手では無いのだ。

 『忍』の戦闘理論は、最短で音もなく気配もなく相手を仕留めることにあり。さっきとは違う。僕は冷静だ。

 色濃く見えてくる。打つべきところ。『操糸術』を鍛える日々の中で身に着けた、僕の目。確実に、それでいて最小限の糸で相手を拘束するために必要な狙うべきところが光って見える。

 一瞬を切り取れ。別に切り取りたい一瞬ではないけれど。僕が切り取りたい景色は、いつだって決まっている。


「見せかけにしかならねぇよ、身体デカくしたってよ」


 耳を澄ませば軽音部だろうか、ステージで演奏する音が聞こえる。だからか、ここまで更衣室で派手に暴れても誰も入ってこないのは。

 早くしないと和奏のステージの時間だ。

 ったく、『忍連』の奴め、自分から出て来いよ。いつもいつも、他人ばかり使いやがって。

 そんなことを考えていた。刺さないように気をつけながら、親指で御影の喉笛を突きながら。


「が、かはっ」


 それだけ。御影は膝をついてそのまま白目を剥いて気を失う。


「お前の執念を信じた僕の勝ちだ」


 冷静に一旦退く、それだけの理性があればまだ勝負は続いていた。それだけの肉体の強さが奴にはあった。ここまで激しく動き続け、喉笛を強く突かれて尚、殴ろうと息の溜めを作ろうとすれば、頭に回る酸素も足りなくなろう。


「行くぞ、時間が無い。和奏、早く服を着ろ」

「うん! ……って柊くん、私の下着姿にノーコメントですか!」

「言ってる場合か」


 まったく、こんな時まで。いつも通りと言うべきか、呑気と言うべきか。


「まぁそのなんだ……きれいだよ、和奏」

「えへへ」

「はぁ……いちゃついてる場合があるなら、私を解放するかどうか、早く決めてよ」

「あぁ」


 忍野をどうするか、か。それは確かに今すぐ……。いや、決めている。


「今この状況、お前に敵対されたら終わりだ。なら僕たちはお前を敵でないと、見做す以外にない」

「そっ」


 糸を解いた。忍野は自力で音もなく着地。その身のこなしの迷いの無さ。


「女の子をじろじろ見るもんじゃないぞ」

「あ?」

「ははっ」

「それで、お前の目的は何だ」

「んー。そうだね。もう予定とはズレてるから良いや。一つ、『忍連』と縁を切るため。もう一つはね、『忍会』、あなたたちとも縁を切るため」

「正気か? 『忍連』を裏切って命があると思ってるのか」

「そのための作戦だよ。『忍連』と『忍会』を争わせて弱ったところを『対忍会』に潰させる。その構図を作りたかったんだよね。神惠さんが関わればあなただって大人しくなるでしょ、と思っていたんだけどね。いやはや……イレギュラーだらけだよ。それぞれに有利な情報を流してたんだけど」


 やれやれと頭を掻いて。


「神惠さんがここまでイカれてると思わなかった。あなたがここまで強いと思わなかったし、御影さんがここまで自分で仕留めることに執念深いとも思わなかった。『忍連』がここまでなりふり構わないとも思わなかった」

「そうか」


 まぁ大方、僕と『忍連』の対決になり、和奏を人質に退くという選択肢を潰しつつ、『忍連』にも僕がこの学校から逃げないという担保の元、和奏に手を出させないと。そしてどちらが勝つにせよ、『対忍課』に漁夫の利で美味しい思いをさせるつもりだったと。そして自分と和奏は『対忍課』の保護に入れる。

 僕を倒すとなれば『忍連』も強者を送り込んでくる。両陣営のエース級を潰して戦力ダウンさせれば、『対忍課』も報復から自分たちを保護しやすくなるという算段か。

 悪くない流れだが、それを実行するには見通しが甘すぎると言わざるを得ない。


「お前個人で動いているんだな」

「なんでわかるのさ」

「それだけの諜報能力がある家が、こんなにもそれぞれの陣営の特性や性格を理解していない作戦を立案するわけがないからな。自分の都合の良いように物事が進む前提過ぎるんだ」


 ぐっ、と堪えるように呻く忍野さん。


「あいつらはいつだってそうだ。影に潜んで必要な時に他者を操り自分の望む展開を手繰り寄せようとする」


 『忍』らし過ぎる『忍』だ。『忍』の在り方に偏屈なまでのこだわりがある。余程のことが無い限り姿を晒さない。手段を選ばない。この薬が良い例だ。耐性があるかもわからない人間にこんなものを打つとは。結果を何よりも重要視する。過程は問題にしない。

だから僕たちのことを『忍』と認めないんだ。自分たちこそが正しい『忍』だと、僕たちを排除しようと躍起になる。時代に合わせ、時の政治の正義を損なわないように。

『忍』としての誇りを忘れ、ただの懐刀になったと。故に自分たちが正しい『忍』として時の権力と対等な存在となると。


「あいつらを引っ張り出す努力が足りてないんだよ。何より、勝つための努力も足りていない」

「うへぇ……はい」

「あいつらを引っ張り出すのは、あいつらが用意した手駒を潰さなければいけない。だから最初の僕と『忍連』の対決はそもそも成立しない。けれどまぁ、引っ張り出す条件はあともう一つ、最後の駒を潰すことだな」


 そして残念だが、今回も僕は和奏のライブをじっくり見れそうにない。僕が和奏の生ライブを見られる日が来るのか、はぁ。


「お前を信用して和奏を預ける。時間になっても和奏のステージが始まらなかったらわかってるな」

「任せてよ」

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まだ見えない空な私たち 神無桂花 @kanna1017

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