第26話 ホカホカの朝

 和奏の宣言通り、僕たちは朝ごはんでホカホカになった身体を朝の夏空に晒した。

 ご飯に納豆ととろろを混ぜたやつ、味噌汁にだし巻き卵に大根おろしを乗せて醤油をかける。さらにキュウリやナスの浅漬け、は身体の熱を逃がしそうなものだが、まぁ余計な熱は放出しようという和奏の気遣いか。身体を温めると言っても内蔵温めれば良いだろうさ。

 飲み物は温かい麦茶、残った分は冷蔵庫で冷やしてある。

 とにかく、身体の内側はホカホカで夏の陽気に少し汗ばんだ。


「あちーねぇ」


 隣を歩く和奏もそうぼやいた。襟元をパタパタさせて風を起こしている。


「これは学校について衣装に着替えたら制服は一回干さないとダメかなぁ。消臭剤持ってたかなぁ」

「無ければ使えるやつがある。水に溶いて霧吹きでかけるやつだ」

「へぇ、そんなのもあるんだ」

「あぁ。潜入の時とかに匂いを誤魔化すときに使う。秘伝の消臭剤だ」


 ズボンの裏の内ポケットから取り出したのは縛られた紙の包み。中には二摘まみ分の粉が入っている。


「夏の昼だとこれだな。夏の昼下がりの匂いとなる」

「それ、どんなの?」

「嗅いでみるか?」

「うん」


 スンスンと鼻を寄せている和奏。恐らくは夏の昼の建物内の空調によって涼し気に整えられ、除菌除湿された空気の匂いを感じている筈だ。

 今日学校がクーラーを効かせるかわからないが、その時はその時だ。


「んー……別に良い匂いってわけじゃないんだね……なんかすごく都会な匂い」

「あぁ。匂いを消すのは無理だから、紛れさせるとかその場の空気そのものになりきるとか、そういう感じ。いないという状態は作れないからね」


 隠れるという行為を突き詰めると隠れるって何だろうとなる。極めた人は目の前にいるのに気づかれないという。


「まぁ汗臭いより良いかな。うん。後で使わせてくださいな」

「はいよ」

 

 


 学校に着いて早速男子は甚平、女子は浴衣に着替える。

 さっさと着替えた僕は、景品の類の運び出しに備え、女子の更衣室となっている教室の前で、着替え終わるのを待つ。

 今日は生徒とその生徒が招待したお客さんしか来ない限定開放日。多少は気を抜いても良いだろう。


「おー、神惠さんスタイル良いねー。え、ちょっとつついて良い? 欲を言えば揉んで良い?」

「あんまりじろじろ見ないで欲しいな」


 という会話が扉越しに聞こえた。うん。適当に別の場所で時間を潰そう。

 祭りの前の賑わいと慌ただしさはどうしてか聞いていて心地の良いものであった。朝の建物の中のまだ涼しさの残る空気の匂いを思い切り吸い込む。これから何かが始まる。そんな予感を肺一杯に味わ……ん?


「爆薬の、匂い?」


 花火の空砲の準備だろうか……いや、去年はそんなことしなかったはずだ……花火をするクラスなんて無い。キャンプファイヤをやる予定はあるが火薬なんて使わないし、花火の予定なんて無い筈だ。そもそも学校のご近所さんにどこまで話を付けたら、花火まで許してもらえるんだって話だ。

 訓練された僕くらいしか気づいていない。いや、僕ですら思い切り息を吸うなんて普段やらない動作をしなければ気がつかなかった。


「……気になるな」


 そう、気になる。というかそもそも僕はこの匂いを知っている。

 そもそも僕らがどんなに訓練しても爆発物に着けるように法令で義務付けられたマーカーの匂いに気づけるわけがない。

 この匂いはそう。『忍』が仲間を巻き込まないように匂いを、訓練すれば気づける程度に強めたからわかったもの。

 スマホを取り出した瞬間だった。チリチリっと首の裏にしびれるような感覚に咄嗟に横に飛びのく。カンっ! という硬い音と床を蹴る軽やかな音が重なった。

先ほどまで僕がいた床には、武器にするにはあまりにも頼り無い長さに見えるが、しかし人の命を奪うには十分過ぎる鋭さと、無骨さすら感じさせる太さに保証された頑丈さがある得物があった。

床に突き刺さったクナイは間違いなく僕の足を狙ったもの。僕が避けても他の生徒に当たらないように、かつ、次の一撃を確実に当てるために足を奪おうとしたもの。


「何者だ!」


 こんな白昼に

、明確な攻撃の意思。間違いなく正面から飛んできた攻撃。だが、肝心の敵の姿が見えない。この僕が見逃すとは思えない。

 この一直線の廊下で僕に悟られることなく、姿を晒すことなく投げて来た。この意味は僕に疑念と思考の渦に叩き込むためと考えるべきだろう。だが、どのように投げたかは考えなければならない。

 ならば考えるべきは追撃の有無だ。落ち着いて周囲の状況を確認し、身を隠すのがセオリーだ。当然の対応だ。

そして仮に、追撃警戒させて僕の足を止め、本命の目的を達成しようとしているのならば……。そう考えるなら僕のやるべきことは?

 走り出す。一直線の廊下を猛ダッシュだ。狙い撃てるもんなら狙い撃ってみろ。父さんや母さんなら当てるだろうさ。

 だが、先の不意打ちでわかっている。相手は殺意や敵意を隠せていない。首筋にチリチリと感じる嫌な感覚を、あるいは心臓に刃物を向けられているような感覚を与えた時点で、不意打ちというものは失敗なのだ。

 追撃は無い。なら僕の選択肢は間違いではない。

 階段の手すりを踏み台に飛び上がる。どっちだ。まだ四階の更衣室か、もう二階の割り当てられた教室で準備を手伝っているか。

 いや、もう流石に会場の最終準備に入っていないともう遅い。

 僕を足止めして和奏を狙うというのなら容赦はしない。

 爆薬の匂い、襲撃。敵は恐らく『忍連』と考えて良い。

 どこからくる。どう攻めてくる。まずはとにかく爆弾を先に抑えたいぞ。


「……すぅ、はぁ」


 教室の前に着いた。和奏はせっせとプールにゴム風船を浮かべていた。

 県外にいる母親に声をかけるには遅すぎるし、急いで来させると余計な勢力を引っ張ってくることになるだろう。対処は僕一人でするしかない。そう考えながらスマホに今の状況を整理し書き込み、母親に送信する。

 ……和奏のライブまでには終わらせる。それだけは絶対だ。最低条件だ。

 クナイによる襲撃。そしてどこかにあるであろう爆薬の存在。


「はぁ……」


 ヒントが無さすぎる。

 相手のアクション待ちになる。狙いすらわかっていない。そもそも『忍会』の網を搔い潜って僕に別の『忍』が近づけているこの状況がまず異常だ。

 どうする……『忍会』の中に裏切者がいる線も考えた方が良いのか。

 そう思いながら教室に入ると。


「あ、柊くん、サボり―?」


 ステージを控えているのに緊張の様子もない、呑気とさえ言える様子の和奏は教室の奥に設けられた小さなひな壇に景品が並んだ的当てエリアを指さし。


「暇ならあの的当ての距離どれくらいが良いか決めようよ」

「え、なんで当日にもなって決まってないんだ?」

「色んな人の意見聞きたいんだってさ。はい、ダーツ」

「うん」


 受け取った瞬間に投げた。教室の反対側まで程度の距離、狙い通り当てられないわけがない。


「ごめん、柊くんは参考にならなかったや」

「あーいや、正直、調子に乗った」

「知ってるよ」


 薄く笑った和奏。その後ろからスッと現れたのは。


「やっ、お二人さん。今日も仲良いね」


 和奏の肩から顔を覗かせ、にまっと笑った忍野さんは。


「昨日休んだ分キリキリ働いてもらうよ~」

「お手柔らかに~」

「そうだねぇ、神惠さんは病み上がりだもんねぇ。優しくするね。じゃあ受付として教室の外で座っていてもらおうかな」

「あははぁ、お手柔らかにって言った気がするなぁ?」

「看板娘よろしく~」

「仕方ないなぁ」

「柊くんは外回りね。この看板背負って歩いてきて」

「……おう」


 なんてタイミングの悪い、と歯噛みしそうなる口元をキュッと引き結び。差し出された看板を背負う。シフトは基本的に一時間。その間何もないことを祈りつつ、しかしそういう時に限って、都合よくはいかないものだと諦めに似た感情と共に頭を回した。

 一時間、教室に釘付けにされることなく、学校を回り怪しい物や人がいないかを探索できる。

 そして和奏が受付にいるということは多くの人に目撃されている状態になるということ。それは大きな抑止力。

 いや、そう割り切らないと僕は今、右にも左にも動けない。先手が打たれている以上、次の一手に対してすぐにカウンターを撃てるようにしなければいけない。

 スマホが震えてすぐに手を伸ばすと、やはり母親からだった。


『クラスメイトの中に協力者が一人いるからすぐに状況を説明し協力を取り付けなさい。敵は忍連。状況はまだ不透明、些細な事でも報告せよ』


 敵は判明した。というか、協力者? 誰だよ。名前くらい書いておけよ。と思ったら。足元にポロっと紙が転がってきた。


『屋上へ』


 僕が気づけなかったほどの一瞬の手さばき。追跡を許さないあっという間に人混みへ紛れ込む身のこなし。只者じゃない。

 選択肢も時間も無いのなら、選んだ先でどうにかするだけ。階段を駆け上がる。状況を動かすためのスイッチを押すために。

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