第17話 ただ歩くそれだけ

 駅前から少し外れたところにあるアーケード商店街は今日も賑わっている。


「意外だね、柊くんがこんな人がいっぱいいそうなところに来るなんて」

「そうか?」

「うん。苦手そうじゃん」

「まぁ否定はしないよ。でも地域の人と円滑なコミュニケーション取れるようになるのは『忍』として大事なスキルではあるから」

「なるほどね。それはそうだ」


 父さんには仮にバレた際、「え? あの人が?」と思われるような存在になるのが望ましいと言われた。

 その点で言えば現状の僕は及第点も程遠いだろう。


「まぁ目的地はこの向こうだけどさ、こういう日常の風景も良いだろ?」

「そうだね」


 小さく笑った和奏と一緒に、人混みをすり抜けるように歩いていく。

 伸ばした手。はぐれそうだから。和奏の手を握ろうとした左手が握られる。


「同じ考えだね」

「そりゃ、この人混みなら……」

「嬉しいよ、柊くんが手を繋ぎに来てくれて」

「掴んだのは君だ」

「手、伸ばしてくれてたじゃん」

「そうだけどさ」


 人混みを抜けてアーケードの屋根が途切れて、空の舞台、その演目が変わり始める時間。歩く道は少しずつ勾配を上げていく。

 道路の脇に広い歩道があって緩やかな山を開発して住宅街になっている。


「意味もなく空の写真を撮る時期があったんだよ」

「ん?」

「和奏の写真を撮る次くらいにははまった」

「私の写真を撮るのにはどれくらいはまったの」

「たぶん、一番」

「えー……いやまぁ柊くんの見せてくれる写真は好きだけどさ……まぁ……はい」


 和奏は振り返ってピースサインを向けてくる。もちろんすぐにシャッターを切るけど。


「自然体の和奏が見せるふとした瞬間をカメラに収めたい」

「注文が多いカメラマンだね」


 出来上がった写真はこちらに向かってキメ顔でピースしている、そのままCDのジャケットにでも使えそうな出来栄えだが。僕が欲しいのはこういうのじゃない。これはこれでしっかり保存するが。


「私のこと好きだねぇ柊くんは」

「悪いか?」

「ううん」


 からかうように笑って和奏はぴょんと跳ねるように歩いて振り返って。


「はい」

「ん?」


 空を見上げていた視線を下ろすとカシャッと音が聞こえる。


「おかえしだよ」

「……ったく、どっか変なところに投稿するなよ」

「しないよ。もちろん」


 カラカラと笑う和奏はたたっと足音軽やかに坂道を登っていく。


「おー、これは確かにすごいね」

「目的地はもう少し先だ。ちょっとした展望台としてベンチとかあるから」

「あ、じゃあ私フライングしちゃったか」

「別に良いだろ。減るわけでもない」

「それもそうだね……良いな、なんか……独り占めしてる気分。街の輝きを」


 程なくして見えてきた目的地。歩道の脇に作られたスペースに並んだベンチ。この先をさらに歩けば、谷にかかった高い橋。開発される前の山の気配を残している場所があるが。今日の目的地はこっちだ。


「ここかぁ……すごいな……街ってこんなに明るいんだ……それじゃ確かに星なんて、見えなくなっちゃうよね」


 ずっと明るい筈なのに遠いから。手を伸ばしても届かないから。

 和奏は空に向かって手を伸ばす。どこまでも遠い空に。

 空はすっかり暗くなっていた。夏でもこんなものか……。

 星空の輝きを眺めていたらどうしてか夜闇がより濃く感じられて。僕は、歩いているうちにいつの間にか解けていた和奏の手を再び取っていた。

 一番近くにいる何よりも眩しい、目が焼かれようとも構わない。手を伸ばせばちゃんと届く。その手を掴めた事実に何よりも安堵する。


「片手塞がってちゃ、咄嗟に写真撮れないよ」

「良いよ」


 見せられた。

 僕は、誰かと共有したかった。


「この景色を和奏に見せたかったんだよ」


 たくさんの誰かなんかよりもずっと一緒に見たかった。シャッターを切りたくなる一瞬。そんな瞬間を僕が手元に保存したかったのは。


「和奏と一緒に見たかったんだよ」


 そうだ、今、僕が保存したい一瞬は……。

 夏なのに、散りゆく桜を思わせた。僕はこの時、和奏に咄嗟に写真撮れないよと言われたことを思い出した。

 家々の輝き、大きな幹線道路を走り抜ける光。夜闇を照らして住民に安心を与える明かり。そこらから目を逸らして向けられた灯。

 僕だけに向けられている。

 この一瞬、一瞬を……。


「楽しかったよ柊くん」

「うん」

「そろそろ帰ろうか。またどこか連れてって欲しいな」

「うん」


 今の僕に残された、生きている意味。存在証明。

 和奏と共にあること。和奏の剣となり、盾になること。

 僕に未来はない。でも、今はある。

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