第8話 抱えていたこと

 部屋のベッドで、流石におかしいなと思いながら僕は今日撮った写真を眺めていた。

 和奏は何を見つけてこれを欲しいと言ったんだ。

 一見何の変哲もない写真だ。

 白いマンションの壁に夕日が差し込んで乱反射した光が景色をきらめかせて見せる。

 空が紅に染まる気配を見せて、影が少し伸びている。

 マンションの前の駐車場に人が一人立っていてマンションを見上げている。


「んー?」


 わからない。和奏はこの写真を見て何に気づいたんだ。

 ん? そういえば。


『身の回りに気をつけなさい』

「んー……」


 正直突飛な発想だ。でも、和奏ならありえる。

 珍しい話じゃないだろう。いや、珍しい話であって欲しい、なんならありえない話であって欲しい。でも僕は知っている。そんなこと、当然のように起きるって、そういうことをする奴を飽きるほど見てきた。

 僕は有名税なんて言葉がきらいだ。でも、本格的に考えなければいけない。

 和奏をストーカーする奴がいる可能性。

 もし、そうだとしたら……。

 和奏の部屋の扉を叩く。

 もし、その通りだとしたら僕は……聞き出さなきゃ。

 ……話したくないなんて気持ちを聞いている暇なんて、無い。


「どうしたの? 柊くん……怖い顔して」

「和奏、正直に話せ」

「え? なにを?」

「……ストーカー、いるのか?」

「あ……」


 スッと前髪を引っ張るが今は……!


「和奏!」


 肩を掴んで顔を上げさせる。


「教えてくれ……僕、和奏のためなら」

「だからだよ、柊くん……言えなかった。ごめん……気づかれたなら、仕方ないね」


 気づいたのは温かくて甘い何かの花の香りがしたから。

 お風呂上がりでホカホカの身体。細い腕がぎゅっと回されて、下を向けば和奏が僕に抱き着いているのがわかった。

 わかっていた。僕たちは知らない間に成長しているって。心も……身体も。知らない、記憶にない感触がある。でも。ちゃんと確かめれば知っている柔らかさと硬さがある。


「……ごめんね……巻き込んで……見つからなければ……逃げきれればよかったのに……柊君に気づかれる前に解決できればよかったのに……」

「……和奏が謝ることじゃねーよ」


 ふざけんな……なんで和奏が悲しまなきゃいけないんだ。





 リビングのテーブルにコーヒーが二杯並んだ。落ち着いた和奏は目元を拭って。


「……活動休止とは関係ないんだけどね、まぁ、前の自宅が特定されてしまいまして。警察にも弁護士にも相談したわけで……動いてはくれたんだけどさ……でも、結局は安全のために引っ越すことになりまして」


 乾いた笑い声……なんで和奏がこんな風に笑わなきゃいけないんだ。

 省かれた何をされたかという話。予想がつく限りだけでも机に指が食い込みそうだ。


「わかったよ、和奏……」

「ダメだよ柊くん」

「え?」

「今、それなら僕が解決してやるって言おうとしたでしょ」

「そ、それは……」

「巻き込むことになっちゃって言うことでもないけど、ダメだよ、柊くん……すぐ無茶するから。そこらへんは変わってないって、わかったから」

「だ、だけど!」


 和奏が危険な目に合うくらいなら……。


「先に潰した方が早いって言うんでしょ。……だめだよ。ルール無用の相手にルールを守った上で勝つ、それがね、正義の証明なの」


 それは……その言葉は……


「柊くんのお母さんの言葉だよね」

「……チッ」

「舌打ちなんて行儀が悪いなぁ。私はこの言葉好きだよ。頷かされる」

「でもそれで、それで手遅れだったら、意味がない!」


 僕は、和奏は……和奏だけは!


「それでもだよ、柊くん。……ごめんね。巻き込む前に私はいなくなる」

「和奏!」

「なんでバレちゃったかなぁ、ほんと。東京を出て地元とは反対側に越したのになぁ……大人の人からすれば無いような距離なのかな……柊くん?」


 もう和奏と話していても埒が明かない。


「もしもし、母さん! どういうことだよ! なんで言わないんだよ!」

『あぁ……知っちゃったのか聞き出したのか……まぁどっちでも良いかな。じゃあ私から説明させてもらおうかな。和奏ちゃん、それで良いよね?』

「……はい」


 電話に出た母親はのんびりとした拍子で、やれやれとでも言いたげだった。スピーカーに切り替えると、わざとらしく咳払いして。


『そうだね、とりあえず、認識のズレを正すために最初に明かすけど、警察や弁護士に相談して対応はしてくれたけど結論は証拠不十分。何もできない。だから和奏ちゃんはね、私たちに相談したのよ』


 和奏はペコペコとスマホに向かって頭を下げている。……だからなんでそれを僕に知らせておかない。


『地元に帰っても向こうが和奏ちゃんの出身を知っていれば真っ先に調べに来る可能性があった。だから』

「地元を出て一人暮らししている僕のところに送った」

『正解。我が息子ながら腕は良いし、本当は別の部屋に住ませるべきだろうけど、こればっかりは仕方ない、隣の部屋埋まってるし』

「……それで。なんで僕に説明しなかった」

『護衛だけなら必要ないでしょ?』

「護衛にはあらゆる情報が必要だ。せめて敵がいることくらい教えればよかった」

『そうなったらあんたはその敵を真っ先に潰しに行くでしょ』

「それは! 現にここに来てるみたいじゃねーか! 見つかってるんだろ……いや、今はそんなことより。敵の正体を掴んでるんだろ。ならさっさと……」

『柊、だめよ。そもそも私たちはもう本来は存在しちゃいけないのよ。折角の不可侵条約、向こうに付け入る隙を与えたくないわ。また追われ続ける日々はもうこりごりでしょ?』

「だけど……」

『同胞のためにも余計なことはしない。わたしたちは和奏ちゃんを守るだけよ。和奏ちゃん、また引っ越すなんて馬鹿な真似はやめてね? わたしたちに余計な事させないで』

「あ……はい……あ」


 母さんの言葉に咄嗟に頷いてすぐに口元を覆うが。


『良いのよ、それで。素直に守られなさい。折角再会して嬉しそうな柊の顔を曇らせないで。都合が悪くなったから離れるのもまた無責任よ。再会することを選んだ責任を全うしなさい』

「……はい。すいません」


 母さんの圧力に和奏は頷かされ約束させられる。僕の手元から離れないことを。


「母さんのことだ。どうせ敵の正体も居場所も掴んでるだろ」

『……さぁ』

「はぁ。……余計なことしないから敵の正体を教えてくれ」

『本当に?』

「約束は守る。それに、僕はともかく和奏は知る権利はあるはずだ」

『それもそうね……じゃあファイルにして送っておくから確認なさい』

「待って! 柊くん、私とも約束して……無茶なことはしない。勝手に動かない。良い?」

「わかったよ。だから!」

『はいはい、今送るわよ』

「ありがとう」


 メールの受信をスマホが知らせた。それを確認して電話が切れる。


「はぁ、今日は休もう。和奏も疲れただろ」

「そだね……うん」


 和奏が寝室に入ったのを確認して。僕は玄関に隠してある小刀を手に持って外に出た。

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