第4話 何者でもないから
それから特に何事もなく放課後になった。
夕焼けに染まるアスファルトを踏みしめて歩く。
今日はどこで夕飯食べようかと一瞬考えたけど、その思考はすぐに追い出した。和奏が家にいるのだから和奏と決めるべきだろ。
マンションの前。夕日に照らされる自分の住む見慣れて見飽きた建物。スマホのカメラを起動して一枚。最初は、こういう何気ないけど目を奪われる、きっと二度と見れない光景を自分の中に残したくて、シャッターを切っていた。
中学生の頃に親にもらった安物のデジカメは最近使っていないけど、お守り代わりに常に持ち歩いている。スマホだってカメラの性能で選んでいた。今のスマホはそれこそずっと使ってきたデジカメよりきれいな写真が撮れる。
撮った写真をSNSで自慢するのが好きだった。
自分でもうまく撮れたと思った一枚への反響がそこそこあったりすると嬉しかった。
僕はこうやって写真を撮って生きていくのかなとある時から思ったけど。
いや、わかっている。そう思うなら一歩踏み出せば良い。安い一眼レフを手に入れるくらいなら難しくない。今までよりも質の良い写真が撮れるだろう。
僕はそんなに、先の見えない道を歩くのが怖いのか。僕はこんなにも、臆病だっただろうか。
鍵を開けて玄関の扉を開くと。
「あ、おかえりー」
なんて言って和奏がエプロンを付けて現れた。
「? なにしてんだ?」
「いやー荷物の整理が思いのほか大変でさー。さっきやっと終わったんだよねぇ」
「あ、あぁ」
その言葉を示すように、玄関から続く廊下の脇に、解体された段ボールが積み重なっている。一人分だからだろうか、少ないな。
「収納とかは足りるか?」
「うん。私、そんな服持ってないし」
「あぁそう」
「はー、柊くんもおやつ食べる?」
「もらって良い?」
「良いから聞いてるの」
「じゃあ、ご相伴に」
「うん。クッキー焼いたんだー」
歌うように笑った和奏に続いてリビングに入る。
「着替えてくる」
「ごゆっくりー」
和奏は夢を叶えて全力で走っていた。なのに、僕は何なんだ。
着替えて戻るとテーブルにはマグカップに入った紅茶とクッキーが並んでいた。
「……何を焦ってるのさ?」
「え?」
「そういう顔してる。追い詰められてる人の顔」
「そんなのわかるのかよ」
「うん。そういう人を見てきて、そういう人のために歌ってきたから」
「……へぇ」
「言ってみてよ。力になりたいんだ」
「……いや、これは僕の問題だから」
「話してみるだけで存外変わるものだよ。自分の内側に留めて問題を見つめるのと、口に出して問題を確認するだけでも大きな違い。別に誰かに話すことで解決するなんて甘い話してるわけじゃあないんだ」
そう言って和奏は唇を湿らせるようにマグカップを傾けて。
「口に出すことで舌で確認します。自分の出す声を耳で確認します。書き出せば手で確認出来て、書き出した文字を読めば目で確認できる。鼻は……思いつかないや、でもほら、凄いでしょ。はい、言ってみてー」
「……ははっ、すごいな」
でも……。
今の情けない僕を。和奏には……。
「悪い、いや、和奏が悪いわけじゃないんだ。僕の問題なんだ、本当に。絶対乗り越える。乗り越えたら聞いてくれ」
それだけ言って僕は立ち上がる。
「食べないの?」
「……いや、食べる」
食べてから頑張ろう。
和奏お手製のクッキーはチョコチップの量が絶妙で、ココアの香りと苦みが良いアクセントになっていた。しっとりとした食感は口の中で蕩けるようで。
「美味しいよ。あと、うん。和奏のおかげで、なんか冷静になれた」
「ほんとっ! 良かった。えへへ」
そう言って和奏は心底嬉しそうに頬を緩ませた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます