第2章 足止め

第3話 足止めⅠ


 星空の下、小さな街は騒然となった。

 ノエルとオーウェンは直ぐに宿屋に担ぎ込まれ、医者の手当てを受けた。今は二人ともただ静かに眠っている。

 二階にあるこの部屋の窓の外を見てみれば、街中の人と言っていい程の人数が宿屋前に押し寄せてきていた。その話声は壁を通り越して僅かに聞こえてくる。


「どうなってるんだ!?」


「勇者様に仕える者があんなに弱くてどうする! それなら俺が仕えた方がマシだ!」


「そんな事、無闇に言うもんじゃないよ! あんたに自分が犠牲になる覚悟があるのかい!?」


 こんな罵声なんて聞きたくない。耳を塞いでしまいたい衝動に駆られる。

 こういう時、二人ならどうするのだろう。聞きたくても、答えてくれる状況にない。

 もう、窓の外の様子に気を揉むのはやめよう。踵を返し、椅子に腰かける。

 テーブルの上には冷めたパンと具沢山のスープが置かれている。食欲も無く、スプーンに手を伸ばしてはいない。それよりも、私だけ食事を摂るのが申し訳無い。

 なんだか涙が出てくる。

 誰かに見られる訳でも無いのに両手で顔を覆い、さめざめと涙を流す。


「痛っ……!」


 突如として上げられた声に振り返ると、オーウェンが身体を捩り、苦悶の表情を浮かべていた。


「オーウェン!」


 慌ててベッドへと駆け寄り、その手を握り締める。


「此処は……? 何でおれ、こんな所に……?」


「此処はアストアの宿屋。肋骨折れてるから、動かない方が良いよ」


 はだけてしまったタオルをオーウェンの身体に掛け直し、椅子をベッドの傍へと移動させた。そこに腰掛け、私たちに起こった事を話していく。オーウェンは口を挟む事も相槌を打つ事も無く、黙って聞いていた。


「ノエルは?」


「まだ目が覚めないの」


「そっか……」


 オーウェンはそっと睫毛を伏せたと思ったものの、直ぐに私を見詰め返す。


「オフィーリア。それで泣いてたの?」


「えっ?」


 嫌だ。顔が濡れていただろうか。

 両手で顔を擦り、涙の跡を消す。


「自分の為には泣けないのに、仲間の為には泣けるんだな。もっと自分を大事にしなきゃ駄目だよ?」


 どうせ死ぬ運命にある私ではなく、これからを生きる仲間を思って何が悪いのだろう。首をブンブンと横に振る。


「大事な人を泣かせるなんて。これじゃあ、用心棒だけじゃなくて、幼馴染も失格だな」


「そんな事無い……!」


 街の人たちと同じ事を言わないで欲しい。感情的に反論すると、オーウェンは「あはは」と笑い、痛みのせいか直ぐに顔を歪める。


「痛っ……」


「オーウェン……!」


「ごめん、また心配掛けてるね」


 謝られる事なんて何もしていないのに。

 首を振り、手を握り直した。


「今日はもう休んで」


「うん、そうする……」


 オーウェンは深く息を吐き出す。


「オフィーリアも寝るんだよ?」


「うん」


 オーウェンから手を離し、そっと立ち上がった。

 私と二人の部屋は別にしてもらっているから、先ずはこの部屋から去らなくては。

 スープの置かれたテーブルを横目に、広くは無い部屋を一度省みる。


「おやすみ、オーウェン、ノエル」


「おやすみ、オフィーリア」


 危ない目に遭わせてしまってごめんなさい。そっと心の中で呟き、部屋を出た。

 このまま自分の部屋へ戻っても絶対に眠れない。少し夜風に当たりたい。でも、宿屋の出入口から外へ出れば街の人と鉢合わせしてしまう──

 一度部屋へ戻り、ドレスアーマーから普段着に着替えると、一階のフロントへと向かった。そこには三十代くらいの女性の姿があった。


「あの」


「あっ……勇者様! 何か御用でしょうか?」


「勇者様はやめて下さい。ただの客で、良いです」


「そんな事を言われましても……」


 女性は申し訳なさそうに首を振る。

 これでは埒が明かない。もう良い。


「……外に出たいんです。でも、外には人集りが出来てるから」


 扉の向こうでは未だに街の人たちが何かを話しているのだろう。ガヤガヤとした声が聞こえてくる。


「そういう事なら、勝手口をお使い下さい」


 女性に案内され、フロントの奥の扉の向こう側へと通された。そこは宿屋の主の居住スペースなのだろう。廊下を通り抜け、リビングへと入り、更に廊下へ出た先に小さな勝手口はあった。


「お帰りになりましたら、ご自由にお部屋へお戻り下さい」


「ありがとう」


 勝手口を開けると、春特有の少し肌寒く、それでいて清々しい風が僅かに流れ込んできた。その風に逆らい、歩を進める。

 やはり、街の人たちは話に夢中で、出入口とは真逆に居る私の存在には全く気付きもしない。

 見付からないように、駆け足でその場を離れると、隣接する広場の噴水も通り抜け、私たちがこの街へとやってきた街と草原の境を目指す。

 本来ならば夜行性のモンスターと出くわさないように街の外へ出ないのが鉄則である。

 今は、本当に少し、少しだけ。街の灯りが届かないような場所には行かないつもりだ。

 石造りの家々に目を遣る事無く、ただひたすらに石畳の道を駆け抜けた。


「ここら辺で……良いかな」


 街の門に寄り掛かり、息を整えてから深呼吸をする。新鮮な空気が肺へと行き渡り、気持ちを落ち着かせてくれる。

 この世界の人たちが私を好奇の眼差しで見てくる事は覚悟していた。

 想像と体験するのとでは全く違った。

 あのギラつく目、哀れみの目、好意の目──私を特別視する目に慣れていかなければならないのだろう。

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