第2章 旅立ち

第3話 旅立ちⅠ


 月明かりが照らす部屋の中、セシリアが用意してくれたホットミルクの入ったカップを手に取り、ゴクリと飲み込む。飲み干す前にカップをテーブルへと戻した。

 既に夜中になってしまっただろうか。ネグリジェに着替えたし、寝る準備は万端だ。

 もう一度、城下街を見ておこう。と、カーテンの閉まっていない窓へと歩み寄った。硝子に片手を突いて窓の外を覗き込んでみれば、数時間前にはあんなに輝いていた民家の灯りは殆ど消えてしまっている。皆、眠ってしまったのだろうか。今日は色々な事があり過ぎたし、私もそろそろ休もう。

 欠伸をしながら踵を返し、ベッドを目指す。すると。

  部屋を照らしていた月明かりが突如として消えたのだ。窓が何かに遮断されたのだろうか。一体、何に。

 こんな真夜中に何かが起こる筈が無い。と訝りながらも振り返った。そこには。


「……えっ!?」


 見間違えるものか。青黒い鉄で造られた小型の飛空艇──

  ハッチは開かれていて、そこから黒色のショートカットの髪をした青年らしき人が身を乗り出している。必死に何かを叫んでいるようだ。

 慌ててバルコニーへと駆け寄り、窓を開け放った。青年の表情が緩む。


「良かった! やっぱりトラディアーだ……! きみ、早くおれの艇に乗って!」


 言いながら、その人は私に向かって片手を伸ばす。

 何を言い出すのだろう。見ず知らずの人の艇に、急に『乗れ』だなんて。しかも、意味嫌われている筈のトラディアーを見て喜ぶなんて。どうかしている。

 絶対に何か策略があるに違いない。目をキッと吊り上げて青年を見返した。


「乗れる筈無いでしょ? 貴方、何する気?」


「説明してる時間なんて無いんだ! 早く乗って! 悪いようにはしないから! それとも、その塔に一生閉じ込められていたい?」


 そんな筈が無い。一生、こんな場所で暮らすなんて。出来れば自由の身になりたい。

 どうすれば良いのだろう。「む~……」と唸りながら、黒髪の青年を見詰める事しか出来なかった。

 そんな私に業を煮やしたのだろうか。青年は「……あーっ!」と叫ぶと髪を掻き毟り、バルコニーへと降り立った。ずんずんと私の方へと近付いてくる。


「きみがその気なら、連れ去るまでだ! 文句は言わせない!」


「……えっ!?」


 そのまま腕を掴まれてしまった。今度は艇へと無理やり連れ込もうとする。


「ちょっ……ちょっと待って!」


「何だ?」


 青年は怪訝そうな顔で腕を掴む手の力を少しだけ緩めた。

 こうなっては、行くしかないだろう。私はどうなろうと構わない。ただ、翌朝此処がもぬけの殻だと、あの騎士たちの事だ。セシリアがどんな目に遭うか分からない。今日よりも酷い扱いをされてしまうだろう。それならば。


「お願い、もう一人連れていって欲しいの!」


「それは構わないけど……早くしてね」


 青年の手を振り解くと、急いで部屋の出入口に向かった。ベルを手に取り数回鳴らす。

 間を置かず、ルームドレス姿の待ち人は現れた。


「ベリル様、こんな時間にどう致しました……えっ!?」


 事の異常さに気付いたのだろう。セシリアは目を丸くし、飛空艇と青年を交互に見詰める。


「そこのきみも、時間が無いんだ! エメラルドの騎士に気付かれて、いつ攻め込まれるか分からない。二人とも、早く艇に乗って!」


 先程までの不安は何処へやら。セシリアと頷き合うと、バルコニーへと急いだ。青年はいち早く艇へと乗り込み、私たちの手を引いて艇に引き上げてくれた。丁度その時。


「お前、一体何者だ! ベリル様をどうする気だ!? セシリア! お前もエメラルドを裏切るのか!?」


 突如として騎士たちが部屋に押し寄せてきたのだ。

 こうなる事態を予測していたのだろうか。青年は不敵な笑みを浮かべ、騎士たちを見下ろす。


「トラディアーに世界の今ある姿を教えるだけだ。どう行動するかは……トラディアーたちに係ってる。地のトラディアーを塔に閉じ込めたおまえらが悪い」


「……何だと!?」


「きみたち、しっかり掴まっててね。発進するから!」


 その言葉通り、飛空艇は急発進を始めた。物凄い圧力が身体に掛かる。思わずセシリアと二人で座席に掴まり、「きゃあっ」と悲鳴を上げてしまった。

 飛空艇は塔を離れ、街の外へ向かって飛行を続ける。

 ようやく機体が安定したため、座席に腰を深々と落ち着けた。同時に「ふぅ……」と吐息が漏れる。


「エメラルドの艇も追って来ないし……大丈夫かな。付いて来られちゃー振り切るのも大変だから」


 青年は操縦桿から手を離し、私たちの居る後部座席へ振り返る。暗くて吊り目気味の瞳の色は分からないけれど、その表情はとても穏やかだ。


「この艇、六人乗りで良かったよ。二人乗りじゃーお供のきみも連れてこれなかったし。まあ、トラディアー以外に一人増えるのは予想してたけど」


 そんなに暢気に話をしていても良いのだろうか。操縦桿を離してしまえば、艇が墜落するとも限らない。

 慌てて身を乗り出し、片手を操縦席へと掛けていた。


「そんな話より、前見てよ~! 艇、墜落しちゃう!」


「大丈夫。この艇、自動操縦に切り換えたから」


 青年は言いながら「あはは」と笑う。安心し、ほっと胸を撫で下ろす。それも束の間、塔に居た頃に抱えていた不安がむくむくと甦ってきた。

 私たちはこれからどうなるのだろう。何処へ連れていかれるのだろう。口にせずにはいられなかった。


「……ねえ」


「何だ?」


 青年は不思議そうに小首を傾げる。


「この艇、何処に向かってるの? 私たちに何する気?」


 不信感を露にする私を余所に、青年は笑みを浮かべた。


「それはエメラルドの騎士たちにも言っただろ? きみの仲間になるだろう、本艦で待機してる艦長に会ってもらう。その後の事は、おれには……言えない。艦長が判断するだろ」


「本艦って……この艇が本艦じゃないの?」


 何か変な事を言っただろうか。私の言葉を聞くと、青年は豪快に笑う。


「こんな小さな艇が本艦に見える? おれらの事、侮ってもらっちゃ困るな」


 言うと、満足げな表情で正面へと向き直った。

 思っていたよりも大変な事に巻き込まれてしまったのではないだろうか。隣を見てみると、セシリアも不安そうな顔で私を見詰めていた。


「ベリル様に連れてきて戴いて何なのですが……本当に大丈夫なのでしょうか……」


「私も不安になってきちゃった」


「ですよね……」


 私たちに出来る事と言えば、遠ざかっていくエメラルド城と街並みを見届けるくらいだった。遂に街と外界を隔てる城壁を通り過ぎ、木々が鬱蒼と茂る森の上空へと差し掛かる。

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