第10話 便りⅢ
運ばれてきた野菜サラダに手を伸ばし、二人の話に耳を傾ける。
「ミエラ、サファイアの貴族の生活で聞きたい事ある?」
サファイアの貴族の生活──分からない事ばかりで、何を聞いて良いのかすら分からない。
サラダを口に含んで「う~ん……」と唸っていると、キャサリンは「ふふっ」と笑う。
「何気無い事でも良いんですよ」
「う~ん……」
何気無い事すら思い付かない。
困り果ててしまった私に、痺れを切らしたようにヒルダが口を開いた。
「愛人、とか」
「あい、じん!?」
顔の血液が一瞬にして沸騰したような感覚に襲われる。もう食事何処では無くなってしまった。
隠すように両手で頬を覆う。
「あはは! ミエラ、純粋だなぁ。あんな話聞かされた後じゃ、ミエラもクローディオも愛人作るなんて考えられないけどね。サファイアにはそんな文化もあるって事」
ヒルダはレタスを頬張り、数回噛み砕いて飲み込んだ。
「それで苦労する女性も多いんだよ? 私も幸い、まだ愛人は作られてないけどね。後は、そうだなぁ……」
人差し指を下唇に当て、ヒルダは「んー……」と何かを考える。
「雪国ならではの、一年に一度、一家総出の氷像グランプリ! とか、記念日は仲の良い貴族と過ごす! とか、そんな感じかなぁ。サファイアは夕暮れが早いから、結構一家団欒の時間が多いんだよね。後は、そう!」
ヒルダは一気に目を爛々と輝かせる。
「食べ物、特に海鮮は美味しいよね! アヒージョとか最高! スポーツだって、スケート大会もあったりするんだよ」
「お姉様はスケート滑れるんですか?」
「勿論!」
「この子、スポーツは大の得意なの。スケート大会淑女の部では負け知らずなんですから」
運動が苦手な私にとって、運動が出来る人は憧れの対象でしかない。羨ましいなと、ほぅっと吐息が漏れた。
「私、スケートした事がなくて」
日本に居た頃、学校ではスキー授業しか無かったから、スケート靴を履いた事も無い。
「じゃあ、この八ヶ月間、私が教えてあげるよ!」
「えっ?」
「授業の息抜きだと思って、気楽に滑ろう? 私も遊べるし!」
ヒルダは身を乗り出し、目を輝かせる。あまりにも彼女が乗り気なので、頷くしか無かった。
「やった!」
私の仕草を確認したヒルダは満面の笑みを浮かべる。
私がスケートを教わる事でヒルダも楽しめるなら、それが良いだろう。私もストレス発散ついでに運動するのも良いかもしれない。
「ね、お母様。この話の流れだし、此処で授業の説明しても良い?」
「そうですね。良いですよ」
丁度、そこへ湯気の立ち上るグラタン皿が運ばれてきた。コンソメの香ばしい香りもする。中を覗き込んでみると、チキンクリームニョッキだった。
凄く美味しそうだ。サラダを食べた筈のお腹が雷のような音を立てるから、キャサリンとヒルダに笑われてしまった。
「ミエラ、遠慮しないで食べて?」
その言葉にフォークを持ち、ニョッキに刺して口元へ持っていった。唇に付けていないのに熱気を感じられる。細い息を吹いて表面を冷ましたものの、中までは冷めていなかった。口に含んで噛んだ瞬間、熱が口の中を満たす。
「あっつ〜い!」
何とか口の中を冷まそうと空気を取り込んでいると、又しても二人に笑われてしまった。
「急かしてしまった私も悪いですね。ゆっくり食べて」
微笑むキャサリンに、何度か頷いてみせる。
「じゃ、気を取り直して。ミエラ、読み書きは出来るよね? 後は食事マナーは何とかクリア、魔導師様の歴史もクリア」
ヒルダは傍らに置いてあった白色の羽根ペンを手に、紙にメモをしていく。
「足りないのは王侯貴族の構成、ダンスや音楽の経験はある?」
「ダンスと音楽は、ちょっと」
「ちょっとね。後、作法に裁縫、乗馬、こんな所かな」
ヒルダは「良し」と呟くと、羽根ペンを置いた。
「明日は刺繍やってみようか。それなら私が教えられるから。そっちの方が緊張しないでしょ?」
微笑むヒルダに、軽く一度頷いた。
「じゃあ、他の家庭教師は明後日までに来てもらえれば良いですね。ヒルダ、時間が出来ました。ありがとう」
「ううん、気にしないで」
ヒルダが軽く首を振ると、キャサリンは置いていたフォークに手を伸ばした。
「さあ、食事を再開しましょうか。もう程良く冷めたでしょう」
それを合図に、三人でニョッキを食べ進めた。もちもちしていて、甘みもあってコク深く美味しい。
大して時間も掛けず、ぺろりと平らげてしまった。とても満足だ。小さく息を吐いてみる。その頃、ヒルダは「うーん……」と唸りながら、私の顔をじっと見る。
「後、私、ちょっと思ったんだよね。ミエラって素は良いの。良いんだけど、どっか垢抜けないっていうか……」
「あら。ヒルダもそう思う?」
「うん。絶対に可愛くなる筈なのに」
キャサリンとヒルダは私を置いて、二人で話し始めてしまった。私を見ながら、声を潜めて何やら決め事をしているようだ。
それも長くは続かず、二人は頷き合うと私へ向き直った。
「ミエラ、ちょっと部屋行こう! 可愛く変身させてあげる」
「えっ? えっ? あの……」
「良いから!」
ヒルダは私の傍に移動し、悪戯っぽく笑う。キャサリンも私の手を取って立ち上がらせた。ヒルダに背中を押されながら、半ば無理矢理、二階の自室へと帰り戻った。
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