第3話 私は所詮、影
「ローヴェレ枢機卿……何を言っているのです?私が毒を盛るわけないでしょう」
「貴様だろう!呼吸を止める毒……カンタレラはスフォルツァ家に代々伝わる毒薬。貴様はそれを使ったんだ」
カンタレラ――それはスフォルツァ家が政敵を毒殺するのに使っていると噂の毒薬だ。スフォルツァ家秘伝の毒薬で、生成方法はスフォルツァ家の者しか知らない。
「我が家のことをよくご存知で。しかし呼吸を止める毒薬ならカンタレラ以外にもたくさんあるでしょう。何の証拠にもなりますまい」
ロドリーゴは淡々と冷静に反論した。
「くっ……離せ!」
ローヴェレ枢機卿は、手を握っていた私の手を振り払った。
「……失礼を承知で申し上げるが、私の妻はあなたを助けたのですよ。お礼ぐらい言えないのですか?」
「礼だと?どうせこの聖女も貴様が仕込んだんだろう」
聖女じゃないんですけど……。
でもとにかく助けてあげたんだから、お礼ぐらい言ってくれてもいいじゃない。
「兄さん、料理人が逃げたらしい」
フアンさんが部下を引き連れて、広間へやって来た。
「そうか……。その料理人が犯人だな。捕まえて誰に命令されたか吐かせよう」
「茶番だな。やったのはスフォルツァ家の貴様らだ。どうせその料理人も貴様らが金で雇ったんだろう」
「なんだと!貴様!」
フアンさんがローヴェレ枢機卿の胸ぐらを掴んだ。
「やめろ!」
ロドリーゴがフアンさんを止めた。
「……ローヴェレ枢機卿は混乱しているようだ。とりあえず今日は解散しましょう」
「スフォルツァ大教皇、今日のことは決して忘れない……」
◇◇◇
私は再び木箱の中に入った。
「ルクレツィアさん、今日はありがとう。ルクレツィアさんのおかげてローヴェレ枢機卿が助かった。ローヴェレ枢機卿の言ったことは気にしないで」
……気にしないことは無理だ。
それよりも、私が気になっているのは、
「あの、ロドリーゴさんは本当に毒を――」
「今日は疲れたでしょう。屋敷に帰ったらゆっくりお休みください」
ロドリーゴは優しく微笑んだあと、箱の蓋を閉めた。
……ちっ。あんな奴、死ねばよかったのにな。
フアンさんの声だ。
……ああ。それもよかったかもしれん。
ロドリーゴの声だ。
……兄さんは何を考えている?
……ローヴェレ枢機卿は、いずれ何とかするさ。
「何とかする」って……いったい何をするつもりなんだろう。
私は木箱の中で、膝を抱えながら考えていた。
……今の話ぶりからすると、ロドリーゴたちは毒を盛っていないようだ。
でも、ローヴェレ枢機卿は、先の大教皇選挙で、ロドリーゴのライバルだった。しかもロドリーゴが選挙で不正をしたと非難している。
だからロドリーゴには毒を盛る動機がある。
……でも、このタイミングで毒を盛るだろうか。これではロドリーゴがやったと疑われてしまう。
揺れる木箱の中、私の思考はぐるぐると回る。もちろん考えたって私には何もわからない。
暗くて狭い場所で1人でいると、私は世界から切り離されてしまった気がする。私はロドリーゴたちにとって蚊帳の外にいる人間らしい。
もっと私にも、いろいろ話してくれてもいいじゃないか。
そんなに私は信用できないの?
秘密にされている感じが腹が立つ。
私は妻なのに……。
いやいや、訂正。それは違った。私は影だ。だからいない人間。いない人間に話をする必要はない。
ファルネーゼさんの言っていた「黒い影」とは、このことなのかもしれない。自分がここにいてもいいのか、わからなくなってくる。
……スフォルツァ様。こんばんは。大教皇へのご就任、おめでとうございます。
誰だろう?知らない男の声だ。
……ありがとう。
……ご結婚もされたようで、お祝い申し上げます。
……何を言っている?大教皇の私が結婚するわけないだろう。
……その木箱の中には、とても大切なものが入っているようですね。
え?私のことがバレてる?
……貴様、なぜ知っている?
フアンさんの声だ。
……神が私に教えてくださったのです。堕落した大教皇が罪を犯したとね。
……貴様は異端者か?
……異端者はあなた方のほうでしょう。信仰を汚すあなた方は、地獄に落ちるがいい!
バンっ!
木箱が大きく揺れた。異端者の男が叩いたみたいだ。
……貴様、殺すぞ!
……待て!フアン!奴はもう行った。お前がここを離れると危ない。早く帰ろう。
……ルクレツィアさん、大丈夫ですか?
ロドリーゴの声だ。
……はい。私は大丈夫です。
本当はすごく怖かった。
……怖いを思いをさせてしまって申し訳ない。もうすぐ屋敷に着きますから。
……帰ったら、教えてください。
……何を?
……すべてです。私が知らないこと全部。あなたの妻ですから、知っておく必要があります。
……わかりました。
案外、私からちゃんと聞けば、いろいろと教えてくれるのかもしれない。
私が来たばかりの人間だから、キツイ現実をわざと知らせないようにしてくれていたのかもしれない。
ロドリーゴなりの優しさだったのかな……。
でも、私には聞きたいことが山ほどあった。
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