第2話 箱の中の花嫁

「これに入ってください」


 私の目の前に、大きな木箱が運ばれていた。馬一頭が入れるくらいの大きさがある。 


「どうして?」

「君は影の花嫁だ。君が妻であると誰かに知られるとまずい」


 人に私と一緒にいる姿を見れたくないから、私を木箱に入れて馬車に積み込み、晩餐会の会場まで行くつもりらしい。


「だからって……これは家畜を入れる箱でしょう?こんなのに入るのは嫌よ」

「すまない。でもルクレツィアさんを守るためです。私には敵がたくさんいます。私の妻だとわかれば、ルクレツィアさんの命が危ないのです」


 大教皇のロドリーゴには敵が多かった。大教皇の権威を利用しようとする連中は昔からたくさんいる。

 特に最近は、腐敗した教会を批判する「異端者」たちが増えていると聞いた。


「中はキレイにしていますから」

 ロドリーゴは木箱に手を当て、にっこり笑った。

「そういう問題じゃないんですけど……」


 私が木箱を開けると、中にベルベットの絨毯が敷かれていた。かなりの高級品だろう。壁に穴も開けられていて、息苦しくならないようにしてある。

 私は暗い木箱の中を見て、本当に自分は「影」なんだと思い知った。


「兄さん!そろそろ時間だぞ!」

 白銀の鎧を着た男がやって来た。

「おお、フアンか……紹介しよう。こちらは私の影の花嫁、ルクレツィアさんだ」

「へえ……この人が……私はフアン・スフォルツァです。今日はあなた方の護衛を務めます」


 フアン・スフォルツァ――ロドリーゴの弟で、大教皇軍の司令官だ。

 灰色の瞳とオレンジ色の髪が美しい。若いのに堂々として、威厳を感じる佇まい。


「あ、はい……」


 フアンの圧倒的な存在感に気圧されて、私は言葉が喉から出てなかった。

 フアンは膝をつき、私の手の甲に口づけをした。


「では、ルクレツィア様。木箱の中にお入りください」

 フアンは手を取って、私を木箱の中に入れてくれた。

「ルクレツィアさん。少々揺れますが、すぐに着きますのでご安心を」

 ロドリーゴが木箱の中を覗き込み、私の頬に触れた。暖かい、大きな手だ。

 私はロドリーゴの手を掴もうとしたが、すぐに手は私から離れて、木箱の蓋が閉められた。


 バタン――。 


 外から声が聞こえる……。


 ……兄さん。あんな普通の女でいいのかよ?兄さんならもっといい女と結婚できるのに。

 ……目立たない彼女がいいんだ。

 ……物好きだな。聖女でもないんだろ?

 ……聖女でないほうが都合がいい。


 いったい何?都合がいいって……。


 馬車が動き出した。

 けっこう揺れてお尻が痛かった。


 ……影の花嫁と言っても、私はロドリーゴに買われたと言っていい。だからこの扱いは、ある意味当然だった。


 表の縁談なら、持参金は新婦が払うものだけど、裏の縁談では、新郎が払うことになっていた。

 ロドリーゴは私を貰うために、お父様に700万リラルもの大金を払った。

 700万リラルは、我が貧乏男爵家の年収10年分に相当する。

 でもロドリーゴにとって、それは端金だ。広大な大教皇領を支配するロドリーゴには、お金はいくらでもある。

 ここへ来る前に私は、お父様に散々プレッシャーをかけられた。

 「早く男の子を産め」

 ロドリーゴは700万リラルをお父様に払う代わりに、私に男の子を産むことを求めた。しかも、1人だと病気で死ぬこともあるから、最低2人は産むこと。

 ロドリーゴはニコニコ微笑んでいたけど、腹の中では「払った分を早く返せ」と考えているのに違いない。

 うん。私はただの家畜だ。鶏小屋の雌鶏と同じ。はあ……。



 ◇◇◇



「ルクレツィア様、着きましたよ」

 フアンが木箱の蓋を開けてくれた。

「私の手を……」

 私はフアンの手を取って、木箱から出た。


 フェラーラ枢機卿すうききょうの屋敷だ。白いレンガ造りの立派な家だ。

 枢機卿は大教皇を補佐する12人の側近のことだ。神の代理人である大教皇に次ぐ地位にある。


「私の腕に捕まってください」

 ロドリーゴが私の隣に立って、腕を突き出してきた。


 これって……普通のカップルみたいに腕を組んで歩こうということなの?

 さっきまで家畜のように狭い木箱の中に押し込められていたのに、今度はいきなり、仲睦まじい夫婦のように振る舞えだなんて。


「……私は隣を歩きますから」

「嫌ですか?」

「正直申し上げて、嫌です」

「そうですか」

 ロドリーゴはあっさり腕を引っ込めた。そして何事もなかったかのような涼しい顔をして、

「では、私の隣を歩いてください」

「はい……」

 私に嫌だと言われても、何も気にしていないみたいだ。


 ロドリーゴと私は、並んで玄関へ入った。

「ようこそお出でくださいました。大教皇様、奥様」

 召使いに案内されて、2階の広間へ行く。


 フェラーラ枢機卿と、女性が迎えてくれた。

 優しそうな初老の紳士だ。その隣の女性は、奥さんだか愛人だかわからないけど、私と同い年ぐらいだ。

 一歩間違えたら私も、超歳の差の婚をするハメになっていたかもしれない。

 一番奥の上座にロドリーゴと私は座った。

 テーブルに並んだ12人の枢機卿たちを見ると、ロドリーゴと私よりはるかに歳上だから、とても場違いな気がしてしまう。


「……全員揃いましたね。スフォルツァ大教皇とファタール男爵令嬢とのご結婚を祝して、乾杯!」

「乾杯!」

 全員が盃を掲げた。

「え?」

「私たちは公に結婚式をすることができないから、ここでささやかな宴を催すことになってね。影の花嫁たちは皆、この屋敷で夜に結婚を祝ってもらうんだ」

 たしかに私たち夫婦は公に結婚式をするわけにはいかない。だからこの晩餐会で結婚式の代わりをやるらしい。


「さあ、新郎新婦は立って」

 フェラーラ枢機卿が前にやって来た。

「申し訳ないが時間がないため、略式で婚姻の儀を行います。汝、ロドリーゴ・スフォルツァ。あなたは病めるときも健やかなるときも、ルクレツィア・ファタールを愛しますか?」

「はい。愛します」

 ロドリーゴはまっすぐ目を見ていた。

「では、花嫁に指輪を」

 私の右手の薬指に、指輪が通された。影の花嫁だから指輪は左手でなかった。

 プラチナの指輪で、大教皇の紋章である「鍵」が刻印されている。この鍵は、天国への鍵を意味する。天国への鍵を持っているのは、大教皇だけだ。


「花嫁にキスを」

「いや、キスはちょっと……」

 いきなりのキスに戸惑う私。まだ気持ちの準備ができていない。

「ルクレツィアさん、あなたはもう指輪をはめてしまいました。立派な影の花嫁です。キスさせてください」

 ロドリーゴが私の耳元で囁いた。

「あとでお金を払います」

「でも、ちょっと、うん……」

 強引に唇を奪われてた。

 無理矢理だけど、それは優しい口づけだった。


 かなり端折った婚姻の儀が終わった後、枢機卿たちが私たちのところに挨拶に来て、結婚の贈り物をくれた。

 

「あなたもついに堕落しましたね」

 私と同い年くらいの、若い枢機卿が話かけてきた。

 少し目が暗いが、顔立ちは整っている。かなり美形だ。

 この人は乾杯の時、ひとりだけ盃を掲げていなかった。

「ローヴェレ枢機卿、今日は来てくれてありがとう」

 ロドリーゴは眉一つ動かさず、笑顔で応じた。

「お祝いすることではないので、贈り物はありません。お気に触ったらお許しを」

「気にしませんよ。ローヴェレ枢機卿には期待しています。今度、枢機卿団長をお願いしたいと思っています」

「枢機卿団長……」

 険しい表情をしていたローヴェレの顔が、少しほころぶ。

「考えておきます。では、良い夜を……」


「お祝いしたくないなら、来なければいいのにね」 

 私がそうこぼすと、

「私に負けたのが悔しいのさ。何か言わなければ気が済まない。昔からそういう奴だった」

 ロドリーゴは笑いながら言った。


 ローヴェレ枢機卿は、ロドリーゴと神学校の同級生だった。秀才で、ロドリーゴと成績を競い合っていた。

 先の大教皇選挙でも、ローヴェレ枢機卿は、ロドリーゴのライバルだった。最初はローヴェレ枢機卿が優位だと思われていた。だが蓋を開けてみると、ロドリーゴの圧勝だった。

 ローヴェレ枢機卿は12人の枢機卿団の中で唯一、影の花嫁を娶っていない。愛人もいない。清廉潔白な聖職者だ。

 真摯に神に仕えるローヴェレの姿勢は、特に聖女たちから支持されている。


「奴は、私が票の買収をしたと触れ回っているようだ。私はそんなことしてないのに」

 正直に言えば、私は信じられなかった。何かをやったとしか思えない。

 ロドリーゴも父親の前大教皇も、黒い噂が絶えなかった。

 確信があるわけではないけれど、素直にロドリーゴの言葉を受け取れない。


「楽しんでる?少し私とあっちで飲みません?」

 さっきフェラーラ枢機卿と出迎えてくれた女性だ。

「行ってきてください。私は枢機卿たちと少し仕事の話があるから」

「ファルネーゼって言うの。歩きながら話しましょう」



 1階の柱廊をファルネーゼさんと私は歩いた。

 静かな夜だ。月光が白い柱に当たって美しく輝いていた。


「ファルネーゼさんはフェラーラ枢機卿の、影の花嫁なのですか?」

「そうよ。ルクレツィアさんと同じように、貧乏貴族の令嬢が聖職者に買われたの」

 やっと同じ境遇の人と話ができて、私は嬉しかった。

「ロドリーゴ様、いい人そうね。愛人も作っていないそうだし」

「噂では愛人が3人もいると……」

「それは弟のフアン様よ。噂って当てにならないものね」

 自分の旦那を疑っていたから少し恥ずかしい。

 でも、悪い噂が多すぎるから、信じてしまうのも無理ないじゃないか。

「ロドリーゴ様は珍しい人よ。私の旦那なんて毎日毎日、愛人を取っ替え引っ替えだから」

「そうなんですか……」

 あの優しそうなフェラーラ枢機卿が女好きとは驚いた。

「ま、私もなんだけどね……」

「愛人がいるんですか?」

「だって悔しいじゃない?こっちは影の花嫁で妻であることを公にすることもできないのに、あっちは愛人を作り放題なんて。だったらこっちも、やってやるって思ったの」

 たしかに私たち影の花嫁は、公に認められた妻ではないから、旦那が何人愛人を作っても文句は言えない。

「若い騎士と私も愉しんでいるの。でも旦那は何も気にしてないみたい。だから最近は堂々と家で会ってる。私なんか子どもさえ産めば、どうでもいいのね」

 ファルネーゼさんは笑っていたけど、その顔は、どこか悲しそうだった。


「私たちは影の花嫁になった時、大切な何かを失ったのよ。その何かは、二度と取り戻すことができないものだと思う……」

「その何かって?」

 私はおそるおそる聞いた。

「何かとしか、言いようがない。ときどきね、黒い影に自分が飲み込まれてしまうような気がするの……飲み過ぎちゃったみたい。今のは忘れて!」

 テヘっと笑うファルネーゼさん。

 でも今の言葉を、忘れることはできそうにない。


「ぐああああああ!」

 誰かの叫び声!

「2階の広間から聞こえたわね……すぐに戻りましょう!」

 ファルネーゼさんと私は、2階の広間へ戻った。

 ローヴェレ枢機卿が広間の真ん中で泡を吹いて倒れていた。

「何があったんですか?」

「あのエールを飲んだら、急に倒れられたのだ。どうやら毒を盛られたらしい……」

 毒殺!

 まさか……いったい誰が?

「聖女だ!誰か聖女を呼んでくれ!」


 ここに聖女はいなかった。

 私は解毒魔法を使うことにした。

 解毒魔法は聖女しか使えない高等魔法。

 でも……本物の聖女を待っている余裕はない。ダメ元だ。私は解毒魔法を詠唱し、ローヴェレ枢機卿の胸に手を当てた。

 どうせ、無理だと思った。

 聖女選定の儀式みたいに、いつも結果は良くないほうが出る。

 だけど……今回は違った。


「これは……解毒魔法!詠唱に成功している。すごい……」

 緑色の光がローヴェレ枢機卿を包み込んだ。すると、止まっていた呼吸が戻った。

「助かった!助かったぞ!」

 ロドリーゴが叫んだ。


 ……いったいどうしてなんだろう?

 私は聖女になれなかったはずなのに……


「うう……」

 ローヴェレ枢機卿の意識が回復した。

「ローヴェレ枢機卿、大丈夫ですか?」

 私はローヴェレ枢機卿の手を握った。

「スフォルツァ大教皇……貴様、毒を盛ったな!」




 

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