第3話
あまりに唐突に知った名前が出てきて、吾輩は目を見開く。助ける―――そうだ。ここが過去だとするならば、今、彼女は生きているはずである。
吾輩が何も言わずにいると、アルターが続けた。
「彼女は『弱まった溺惑の魔女の封印』を張り直せる、唯一の人間なのでな」
「『溺惑の魔女』とは……あの御伽噺の?」
それは吟遊詩人の語り継ぐ、有名な物語である。人の欲望を煽り、『我慢』あるいは『自制心』を失わせ、国を混乱に陥れた魔女。最後には当時の国王により封印されたという法螺話である。
子供たちに我慢を憶えさせるための教材として、とくに子を持つ親に好まれているようで、吾輩の幼少期にもよく聞かされたものだ。
「『溺惑の魔女』は実在する」
「まさか」
「事実じゃ。彼女は儂ら魔女の中でも、突出した力を持っておった。300年前、彼女の力を知っていた当時の魔女でさえ自制心を失わせ、互いに殺し合わせた。儂が『嘘』の魔法を使うように、奴は『溺惑』の魔法を使うのじゃ」
「…………」
にわかには信じられぬ話である。もしもそれが本当であるならば、イレェナが殺されたのは何かしらの思惑が働いている可能性があるということだ。
吾輩が信用しかねているのが分かったのだろう。アルターは小さく肩をすくめて、コップを机の上に戻した。
「別に、貴様が信じる必要はない。儂は第三王女を助けるために、貴様を利用したにすぎぬからな」
それだけ言うと、アルターは「ぴょん」とソファから飛び降りた。そのまま吾輩に背を向け、「世話になったな」と扉に歩いていく。
どうやらここを出ていくつもりらしい。流石に、この寒空の下に童女を一人放す気にもなれず、吾輩は適当な質問を見つけて、その背に声をかけた。
「ひとつ疑問なのだが」
「なんじゃ」
「吾輩はその、三年と三か月の時を遡るはずだった、という話であったな」
「…………それがなんじゃ?」
「三年と半年ほど戻っているようであるのは、一体どんな理由なのである?」
このころの吾輩は、一週間に一度は日記をつけていたはずである。なれば、今は神聖歴958年12月3日から12月10日くらいのはずだろう。
アルターは目を泳がせてそっぽを向くと、急に口笛を吹き始める。何か誤魔化そうとしている顔であろう。ほら吹きの吾輩にはよくわかった。
吾輩が無言で見つめていると、アルターは観念したように小さく呟いた。
「…………じゃ」
「む? なんと?」
「イケメンに目を奪われて居ったのじゃ!」
アルターはもはやヤケクソといった風で、吾輩に唾を飛ばしてきおった。
「…………手が滑ったということであるか?」
「仕方ないであろう!? 貴様の真下に、筋骨隆々で健康的な兵士があれほどいたのじゃぞ!? これを眺めずしてなんとする! 儂は確かに333年を生きた魔女じゃが、心は乙女なのじゃ!」
「……………」
唐突な年齢と性癖のカミングアウトに、吾輩は何も言えなくなってしまった。口調が老人臭いと思ってはいたが、333歳というのが事実であれば、なるほど、納得である。
333歳の面食いとは、なかなか強烈な設定であるが………。
「うぅ……」
泣きながら膝を抱えて蹲るアルターに、吾輩は首を傾げた。
「そんなに嫌なら、嘘で誤魔化せばよかったのではないか?」
「………一度『嘘の魔法』で対象に選んだモノには、二度と儂の『嘘』は通じぬ。『信用』を失うのじゃ」
分かるような、分からぬような……。
「ふぅむ」
アルターが「もう一度穴に入りたい……」とぼやくのを横目に、吾輩は正面に視線を戻した。
彼女の言っていることは荒唐無稽だが、筋は通っているように感じる。『溺惑の魔女』とやらを封印し直すためにイレェナを助けたいというのも、それが事実なのであれば吾輩も望むところである。
イレェナを助けられる。
彼女が殺された間際、吾輩はこの家でのんびりと過ごしておった。たまに町から訪れる子供たちに法螺話を聞かせてやって、夕方になれば送り届ける。そんな生活を繰り返していたのだ。
事が起きた一か月後、新聞の見出しを見て、彼女の死を初めて知った。
それからは兵士に捕まり、拷問され、裁判に立ち、処刑台に至る。何ともまあ、情けない話である。
それに、最期には―――。
「うむ、決めたぞアルターよ」
吾輩は決心を固めて、振り返るアルターに向き直った。
「………何をじゃ」
「吾輩は、お主に協力するのである」
魔女の帽子は畑に生える~法螺吹き伯爵の2回目~ @misisippigawa1
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