第11話 謝罪と和解


 息絶えたエルを背負い、イデアルは再び村に降り立った。

 村人達が遠巻きに黄金の天馬を囲う中、イデアルは見覚えのある面影を残す青年達の前でエルを下ろす。


「お前達に希望を残した英雄だ。丁重に弔え」


 言葉を発した天馬に驚く者達もいたが、5年前エルを慕っていた者達にとっては人語を喋る天馬よりこれまで村を率いていた長の死の余程大事だったのだろう。


 かつて少年少女だった男女達の嗚咽が広がる中で、イデアルは先刻リベラルを見た場所を目指した。

 しかしリベラルの姿は見当たらず、魔力探知ですぐ近くの建物の中にいる事を確認すると、その建物の前に一人の女性が立っていた。


「……イデアル……?」


 5年前に自分に嫌悪の視線を向けてきた女性――ミスティが困惑の視線を向けながらが正体を当てた事にイデアルは驚く。


「ああ……何故分かった?」


 エルが分かるのは理解できたが、ミスティとはロクに関わっていなかった。出会ってから2日以来、言葉を交わした事もない。

 今は魔力を放出している訳でもないのに、何故理解できたのか――疑問に思いながら肯定するとミスティは目を細めて、広角を緩めた。


「……ずっと、見てたから」


 過去を思い返しながら黄金の天馬を見据えるミスティの視線に、もう敵意はない。


「馬に変化できるのは驚いたけど、貴方なら出来るかも知れないなって……」

「……変化した理由を説明する前に、お前に言わなければならない事がある」

「エル……死んだの?」


 イデアルが何を言うのか分かっていたかのようにミスティが言葉を被せた。


「……ああ。先程私の背で、息を引き取った」

「……そう」


 エルが襲われた事と黄金の天馬がエルを連れ去った事は既に誰かから聞かされ、覚悟していたのだろう。 

 頬に残る涙の跡が残るミスティはイデアルの言葉に一切動揺しなかった。


「……リベラルに会いに来たんでしょう? どうぞ、中に入って」


 5年前――自分に嫌悪感を向け、エルを引き離そうと取り乱した人間と同じ人物とは思えないほど落ち着き払った態度にイデアルは関心しつつ、促されるように中に入った。


 木の骨組みを軸に漆喰で塗り固めた建物の中に首を傾けて入った中には耳が少し長い少年が、厚みのある布団の上で幼い少女と一枚の毛皮を分け合ってすやすやと寝息を立てていた。


 寝ているのを起こすのも気が引けたイデアルは、壁に寄り掛かるミスティに問いかける。


「しばらく見ないうちに、村は随分大きくなったな……気心がしれた仲間達と慎ましやかに過ごしてくれれば、悪しき心を持つ者に殺されずに済んだだろうに……」


 イデアルは村が拡大する事を想定していなかった。

 厚い外壁も自動防御壁発生装置オートマタ・プロタクシアも、あくまであの規模の村を守る為に作ったものだった。


「……エルは、自分達だけが守られて力無き者を見捨てるのは、有力者と同じだって」

「全く、あいつの理想主義にはつくづく呆れ果てるな……」

「ええ。本当に……でも、悪い事だけじゃないのよ。この建物だって、布団だって、逃げてきた人達が作ってくれたの」


 ミスティの言葉も一理ある。木と自然の物を加工して作られた家に、柔らかい布団――疑似嗅覚が感知する、美味しそうな料理の残り香。

 空から見下ろした村の中の畑には小麦も野菜も実っているのが見えた。


 イデアルが自分の力では作れなかった物が、ここに溢れている。部屋を見回した後改めて眠るリベラル達に視線を向ける。


「リベラルの隣で寝てる子は……エルの娘か?」


 イデアルは制御するほどではない不安を抱えてミスティに問いかけると、ミスティは驚いた顔を見せた後、安心させるように微笑んだ。


「……私の娘よ。エルの子じゃないわ……貴方が去っても、エルは私の所に戻ってきてはくれなかった……きっと貴方を頼った時点で、私達は終わっていたのよ」


 もう完全に気持ちの整理が出来たようで、ミスティは何の感情もこもらない言葉で呟く。

 寝返りを打ったミスティの娘の手がリベラルの鼻に当たったのでミスティはそっと二人に近寄り、優しく手を鼻から離す。


「……リベラルを受け入れてくれて感謝する」


 二人を起こさないよう、静かにイデアルの傍に戻ってきたミスティの穏やかな表情にイデアルは自然と言葉を紡いでいた。


「貴方に礼を言われるような事はしてないわ……この子が私達を守ってくれるのなら、仲良くするしかないから」

「それでも、ありがたいのだ。お前が多大な怒りや憎しみを抱えながら、それでも私の子を自分の子のように見守ってくれた事が。感情制御も使っていない中で、それは簡単にできる事ではない……」


 少なくともイデアルには出来ない。

 あの夜に抱いた激しい感情を愛しい人も感情制御システムもないままどう落ち着かせればいいのか分からないし、愛しい人と憎い相手との間に生まれた子を前に、ミスティのように穏やかな表情を向けられる自信もない。


「そうね、確かに心を落ち着けるのは簡単じゃなかったわ……貴方がいなくなった時だって、私はエルが戻ってきてくれるかもって期待した。だけどエルは私に近づかなかった。リベラルの世話だって私以外の子に手伝ってもらってた……」


 ミスティの肩が強張るのが分かった。整った表情を微かに歪ませるそれは、心に渦巻く怒りの感情だとイデアルは察する。

 しかし、ミスティが改めてリベラルの方を視線を向けた後、肩の力を抜いた。


「ここにはリベラルが遊びに来るのよ。エル自身は私に近づかないけど、私とリベラルを遠ざける事もしなかった。エルは信じてたのよ……私がリベラルに何もするはずないって」

「私を殺そうと提案した女なのにな」

「……知ってたの? ええ、そうよ。そんな女なのに、エルは信じたのよ」


 ミスティは驚きの表情を見せた後、自虐しながら呆れたように息をつく。


「……イデアル。ずっと前に貴女が村に来た頃……私は、怖くて、辛くて、悔しくて、悲しくて……貴方への非礼を謝る事が出来なかった。遅くなってしまったけれど……色々、酷い事を言ってごめんなさい」


 目を閉じ、深く頭を下げるミスティの姿はけして表面的なものではなく、心からの謝罪である事が伝わってくる。


「……私も、致し方ない事情があるとはいえ、お前達を引き裂いてすまなかったと思っている。エルは……間違いなくお前を愛していた」

「分かってるわ。でも、エルは……」


 ――エルは、貴方に愛される事を選んだ――


 ミスティの喉元まで出かかった言葉は、声にならずに宙に消えた。


 自分が強者に愛される事で、強者に全てを守ってもらおうとする、他人に頼りきった情けなくて卑怯な手段――エルはそれを一番分かっていた。

 それでもエルはミスティの為に、残された村の者達の為に、恥知らずになる道を選んだ。


 右足を負傷して、皆を率いる力を無くして、力ある人外に媚びへつらう――そんな彼の辛さを思えば、自分の辛さなど押し込めるべきなのだろうと、ミスティは今なら思える。


 心の傷を癒やし、愛してくれる夫と娘と穏やかな日々を過ごせる幸せ――これは間違いなく、イデアルとエルがもたらした幸せなのだという事も。


 だから過去にどんなに苦しい思いをさせられても、身を引き裂かれるような辛さを味合わされても――ミスティはもうイデアルに過去のわだかまりや嫌悪感をぶつける事は出来なかった。

 

「イデアル……長く立ち直れなかった私のせいでもあるけど、皆、貴方と仲良くしなかった事を反省しているわ。だから貴方が帰ってきたと知れば、皆……」

「いや、私の名はもう『化け物』として知られている。この機体は『イデアルがリベラルの為に遣わした遺産』という事にして欲しい」


 イデアルが被せた言葉にミスティは眉を寄せる。


「それは……リベラルに母だと打ち明けるつもりはないという事?」

「ああ。この機体に意識を移し替えた時点で、もう私のは終わったのだ。これからはフェガリの民を探すと共に、この世界の監視者として生きる……エルを殺した者同様、悪しき感情を私の子孫に向ける者もいれば、私利私欲を向ける者もいるだろうからな」

「子孫って……貴方、何処まで生き続けるつもりなの?」

「そうだな……エネルギー……食料が尽きるまでは」

「食料? 天馬って何を食べるのかしら……」


 イデアルはミスティに分かりやすく言い直したつもりだったが、ミスティは何も分かっていなかった。

 エルとも似たようなやりとりをしたな――とイデアルは過去を思い返しながら言い直す。


「いや、この機体は天馬そっくりに作っただけで、天馬ではない……欲するのは野菜や木の実ではなく、魂だ」

「魂……? 生き物を食べるって事?」

「そうだ……だが、動物では駄目だ。私の魔力と同一、あるいは同一の魔力に馴染んだ人間の魂を捧げてもらわねばならん」


 イデアルの言葉にミスティは目を大きく見開き、顔を歪ませた。


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※次話で最終話です。20時に更新予定。

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