第4話 彼女の使命
夜――再び毛皮に身を委ねて、イデアルは横になる。
(日が昇ったら、周囲を探索してみるか……)
エル達は周辺の地図を持っていなかった。
魔力を持っている者達から逃げ続けている状況を考えれば当然ではあるのだが、辺りに何があって何がないのか、が分からないのは実に不便である。
(探索した時に赤目族の巣を発見したら情報を聞き出すのもありか……)
彼らの親玉がいるとされる国は聞き慣れないものではあったが、もしかしたらフェガリと関連があるかもしれない。
北、西、南――イデアルがこの星で目覚めてからずっと感じている色と方角が一致するからだ。
目を閉じて気配に集中すれば、微かにそれらの色と繋がっているような感覚を感じる。
それらが魔力である事も、その魔力の持ち主が遥か遠くにいる事も分かる。
(何故こんな感覚になるのか、彼らに会ってみれば分かる気もするが……)
飛行バイクも超伝導リニアもない地で月日をかけてその地まで探りに行くべきか、宇宙船にも近いここに拠点を構えるべきか――
時間がない――焦りを覚える中、再びミスティが室内に飛び込んできた。
「エル、また赤目族の奴らが来たわ……!! 逃げた奴らが仲間を連れてきたみたい……!!」
ミスティの言葉を理解するやいなやイデアルがリベラシオンを片手に立ち上がると、少し離れた場所で寝ていたエルが起き上がる。
「イデアル様、何処へ……!?」
「次はあいつらから情報を仕入れる」
「お、お待ち下さい、イデアル様……!! どうかこの村を残って、皆を守って頂けませんか……!?」
よたよたと起き上がったエルが杖とミスティに支えられながらイデアルに近づく。
イデアルは赤目族と戦える。しかし、エル達は戦えず少数の人間を犠牲にして逃げるしかない。
そんな状況で怪我を負ったエルが彼女に縋るのは自然な流れであったし、イデアル自身、引き止められるだろうなと思っていた。しかし――
「どうか、お願いします……もう逃げ続けるのは限界なんです……!!」
イデアルの手を掴んで縋るエルの大きく、力強い手にイデアルは動揺する。
これまで人に手を掴まれた事も、縋られた事もない彼女の心臓が、激しく高鳴る。
そしてエルの必死に縋るような表情と声――今のエルの全てがイデアルの心拍数を大いに上昇させていく。
『フェネチルアミン多量検出。ドーパミン、ノルアドレナリン濃度上昇。制御します』
感情と心拍数が緩やかに落ち着いていく中、クリアになった思考は、感情と理性を上手くかみ合わせる。
「……私の願いを叶えてくれるなら、ここに留まらなくもない」
「も、もちろんタダで守られようとは思っていない……! 俺達に出来る事があれば、何でもする……!」
希望が宿ったかのように目を輝かせるエルにイデアルは口元を少し緩めて微笑んだ。
「ならば、私と子どもを成せ。それが私の願いだ」
イデアルの言葉にエルもミスティも硬直して、数秒――沈黙を破ったのはミスティだった。
「なっ……いきなり何を言い出すの!? 追い払う代わりに契れだなんて、馬鹿げてるわ!!」
彼女の嫌悪感を一切隠さない物言いと、彼女を庇うようにたちはだかるエルにイデアルに強い不快感を覚える。
『羞恥、怒りによる多量のアドレナリン検出。制御します』
「確かに……ほぼ同じ人類に属するとは言え、私の見目はお前達と違うからな。抵抗があるのは分かる」
文明レベルの高低に関わらず、誰だって非なる種族との交配は抵抗があるだろう。
イデアルは頭に鈍い痛みを覚える中、自身が願望しか言わなかった事を反省し、改めて自身の目的の一つを告げる。
「……私の体はもう5年と持たない。だから私は早く私の力を引き継ぐ子を産まねばならない。しかし相手が誰でもいいという訳じゃない。お前のように丈夫で健康で話の分かる男がいい」
本来はフェガリの民同士で交配し、子孫を残すのが望ましかった。
しかしフェガリの民の痕跡が全くない現状では、この星の――ル・ティベルの民と交配する選択肢しか残されていない。
時間を無駄に消費する訳にはいかない。
これで了承しないのならば、ここを去って別の無力者の男を探さなければ――と考えるイデアルを前に、エルは困惑の声を上げる。
「……俺と、ですか?」
驚愕と怪訝が混ざった複雑な表情に話が噛み合ってない事を察したイデアルはエルとミスティを比較する。
2人は年齢こそ同じ位だと推測できるが、明らかに体つきが違う。
ミスティの体の丸みやくびれ、胸の膨らみ――イデアルはフェガリの民もかつては同じような性差があったらしい事を思い出した。
「……ああ、私は女だ。子を産む為に求めている相手は男だ」
イデアルの胸の膨らみがないのは個体差ではない。フェガリの民が必要のない機能が退化させていった結果である。
文明崩壊の危機を乗り越えてきたフェガリでは一生では体験できない程の娯楽に溢れていた。
民は子孫を残す事より自分自身の生を楽しむ事に重きを置き始め――繁殖の義務を手放していく退化が待っていた。
文明が発展すればするほど、生命が繁栄すればするほど、種族が生き長らえる為の節度とバランスが必要になっていく。
フェガリの民はこの問題を体外授精や遺伝子合成、人工子宮、完全栄養食、養育機関などで克服したがこの星にそんな高度な設備がないのはエル達を見れば明らかだ。
今のイデアルには人類として最低限の生殖機能だけが残されている。よって、この世界でイデアルが子を成す相手は男に限られる。
「……ああ、いざ契る時に交配不可だと困るからな。念の為確認させてもらうぞ」
イデアルの髪に付随した2つのコードがエルの全身を撫で回す。
まるで得体のしれない魔物の触手に襲われているかのようにエルもミスティも固まった。
『重要遺伝子相違点2%未満。右足火傷による貧血状態の外、問題無。交配可能』
「……ふむ、やはり問題はないな」
幸い、ここは宇宙船にも近い。ここを拠点にすれば宇宙船の残骸から拠点を守る兵器も作れる。
料理やサバイバルの知識はなくとも、その手の知識はイデアルの脳と端末に山程入っている。
「エル……お前は先程、自分達に未来がないのかと問うたな。未来が欲しいならお前達も魔力を持てばいい。私の子は私と同じ黄色の魔力を持って産まれる。その子がまた無力者と子を成せばどんどん魔力を持つ仲間が増えていく」
「それは」
『魔力感知。南方100メートル先、赤15体観測』
「後、5分もしないうちに赤目族とやらが15人程ここに来る……どうする? 選択肢はお前にある……このまま奴らに襲われて死ぬか、賭けに出て今からでも逃げるか、皆を守る為に私と子を成すか選べ」
重い沈黙が流れる中、イデアルは暗い顔をするエルから視線をそらした。そらした先にいるミスティは不安に打ち震えながらエルを見つめている。
(……感情制御できない人間は哀れだな)
感情を制御できないが故に、自分達にとって最善の選択ができない。感情に流されて取り乱した結果、誤った判断をしてしまうのだ。
イデアルの脳には物心着いた頃には既に感情制御システム《カルディ・ア・ルモニア》が取り付けられていた。
だから彼らのように判断に苦しむ状況に陥った事は一度もない。
だからこそ、この絶体絶命の状況で最善の判断ができない彼らを心底哀れに思った。
彼らは恐怖心や嫌悪感を調整できない。その苦しさも、辛さも、自分の心の中で昇華する事しか出来ないのだから。
外が一層人の声と足音で騒がしくなる中、重い空気を漂わせた室内でエルは重々しく頭を垂れた。
「……分かりました。俺で良ければ、是非」
「交渉成立だな」
リベラシオンを手にテントを出るイデアルの背に、言い争う男女の声が飛び交う。
「エル、貴方何を……!!」
「ミスティ……あの方は俺達を守る力を持ってる。俺が動けない今、皆を守るにはこれしか方法がない……!!」
「だからって……だからってあんな化け物と子を成すの……!? 化け物の親になるっていうの……!?」
ズキリと痛む頭を抑え、イデアルはテントから離れる。
感情制御システムも、体内にあるナノマシンも、人類本来の機能を著しく弄っている。その為どちらも体に相当な負担がかかる。
だからフェガリの民は定期的に負担がかかった部分を修復する処置を施す。そのため本来の寿命には然程影響せず、百歳を超える事も珍しくない。
しかし――その技術から遠く離れてしまった今、イデアルの体は驚くほど短い年月しか持たない。
故郷の滅亡、家族や同胞の死、今ある文明が翌日使えなくなるという状況、異星人との対話、己の寿命――
それらの強すぎるストレスを全てを制御する反動――激しい頭痛に耐えながら、イデアルはテントから少し離れた場所で立ち止まった。
赤の魔力の集団とはまだ20メートル程の距離がある。イデアルは立ち止まってレンズの光を消し、リベラシオンを構えた。
(今度は意識を失わないようにしなければ)
『魔力回復70%……68%使用。高エネルギー変換、圧縮』
(……一人くらい生かして恐怖心を植え付けた方が良いか? いや……万が一『王』に来られると困る。ここは……皆殺しにするしかないか)
正当防衛で人一人や、野犬を一掃するのとは違う。相手から攻撃された訳でもない不意打ちで全滅させるこれは――明らかな過剰防衛である。
『更なるストレスを確認。制御します』
一掃してしまえば誰も復讐に訪れる事はない。最も確実な策はこの場に来たはぐれ者の群れを皆殺しにする事である。
(復讐などしに来なければ、死ぬ事もなかったのにな……本当に、この世界の人間は愚かで、哀れだ)
イデアルはズキズキと刺すように痛む頭痛に耐えながらリベラシオンに向かって念じる。
瞬間、淡く輝く剣先から15筋の光が放たれ、闇夜を駆ける一筋一筋が確実に標的の体を射抜いていった。
『一帯に赤の生体反応無し……一掃確認』
一安心した所で、強い疲労感に襲われイデアルはその場に膝をつく。間もなくして、傍に立つ人の気配に顔を上げた。
レンズが照らす男――エルの表情は緊張や恐怖のせいか、ぎこちなく強張っている。
「……大丈夫ですか?」
イデアルに恐怖を抱きながらも、エルは彼女に気遣いの声をかけ、手を差し伸べる。
その手を取れば彼の右足に負担がかかる――イデアルはリベラシオンを杖代わりに立ち上がった。
今この場で「女を説得できたのか?」と聞くのも無粋かと考えたイデアルは自分なりに無難な言葉を紡ぎ出す。
「……どうだ? 凄いだろう。リベラシオンの力は」
「……ええ」
かけた言葉にエルは小さく頷いて同意する。
その様子を見ながらイデアルは頭痛が和らいでいくのを感じた。女に比べてエルはイデアルに対する嫌悪感が大分薄い。
例え相手が異星人であれ、まともな会話ができる者がいるのはイデアルに少なからず安心感をもたらした。
「リベラシオンには私にしか使えないようにセキュリティが何重にも組み込まれている。私と同じ遺伝子を持つ子どもも使える」
「……貴方の子であれば、それを使えると?」
「ああ。厳密に言えば異星の者と契れば遺伝子にも変異が起きるが……その辺りは調整できる……お前達が私と、私の子孫を大切にし続けるなら、私もお前達を尊重しよう」
「……ありがとうございます。俺で良ければ最大限、イデアル様に尽くさせて頂きます」
返ってきた言葉に、イデアルは満足そうに微笑んだ。目覚めて早々に目的の一つを果たす目処が出来たからだ。
「……肩を貸してやる」
「いえ、自分で歩けます」
「お前はもう自分だけの体ではないのだ。お前の足に負担をかけて厄介な疫病に感染されても困る」
「……では、ありがたく」
複雑な表情を浮かべながら、エルは大人しくイデアルに支えられる。
人が密着する感覚に少し抵抗と――結構な心地よさを感じながら、イデアルはエルと共に歩き出した。
(……フェガリの血を私で終わらせる訳にはいかない)
もしこの大剣が神の怒りを買った原因だったなら――これを作り出した自分が、尚更、終わらせる訳にはいかない。
仮にこれが原因ではなかったとしても――それなら何が原因で故郷が滅ぼされる事になったのか。分からない事は、知らなければ気が済まない。
フェガリの血を残し、神の怒りの原因を究明する――それが今のイデアルを支える己の『使命』であった。
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