第9話 我儘な男の願望


 二人が契った夜、エラーを起こした感情制御システムカルディ・ア・ルモニアは翌日には復旧していた。


 不安がなくなったのはエルのお陰なのか、システムのお陰なのか――分からないまま一度の契りで妊娠したイデアルは予告していた通り、魔力を使えなくなった。


 しかし、元より準備していた自動防御壁発生装置オートマタ・プロタクシアと厚い外壁によって村は守られた。

 エルは宣言した通りミスティと距離をおいて常にイデアルに寄り添い、彼女を気遣う。


 怒りや不安から解放され穏やかな日々を過ごしていたイデアルが彼の本心を知るきっかけになったのは妊娠してから半年ほど経った、晴れの夜――木箱に座って夜風にあたる中でエルに頼まれたお願いだった。


「イデアル様……俺達にも自動防御壁発生装置オートマタ・プロタクシアのような物が作れるよう、魔法科学の基本から教えて頂けませんか?」

「……必要性を感じない。お前達はただ私の言う通りにしていればいい」

「ですが……俺達が少しずつでもこういう物を作れるようになれば、もっと貴方の役に立てる。今も有力者から逃げ続けている無力者達を救える」



 エルの肩に頭を傾げながら戯言と聞き流すイデアルに、彼は食い下がる。

 イデアルはエルと寄り添い合ううちに彼が正義感に溢れ、常に前向きな男だと分かってきた。だから村人達も彼に惹かれ、自分の傍にいてもなお彼を慕うのだと。


 その気質は人の上に立つ者としてとても大切なものではあるが、前を見続けるあまりに道を誤る危うさも感じられた。

 魔法科学の可能性強大な力に目が眩んで、道を誤ってしまった自分達のように。


「……魔力は無限の可能性を秘めている。極めれば神の領域にまで踏み入る事さえ出来る。だが……踏み込みすぎれば、神の怒りに触れる」


 遠い目をしたイデアルは細長い指でフェガリを指し示す。


「恐らく、星は常に神に見張られている。一度神の怒りを買えば星ごと焼き尽くされてああなるのだ」

「次は怒りを買わないようにすれば」

「いいや……お前達に魔法科学を教えれば、そう遠くない未来で誰かがフェガリの民と同じ過ちを犯し、この星は焼き尽くされるだろう。だからこの知識は、私だけが保有していればいいのだ」

「……そうですか……」


 エルの言葉は一度そこで途切れた。しかし数秒の沈黙の後、納得していないような表情で再び口を開いた。


「イデアル様は故郷を追われて、悔しくはないのですか……? 自分達が悪かったと自省するばかりで……故郷を滅ぼした相手に復讐しようとは思わないのですか?」


『強いストレスを感知。制御します』


「……そんな戯れた事を思える程の力量差ではなかった」


 宇宙船の窓から見えた、フェガリの建物が崩れていく光景といくつもの船の爆発を思い返せば、今なお恐怖心が湧き上がって制御がかかる。


 あそこまで尋常じゃない力を見せつけらたら、抗おうという気も起きない。それほどまでに、執拗に――叩きのめされた。


「フェガリは自然と生命に満ち溢れた、とても輝かしい星だった……それがどうだ、今はただただイリョスの光を反射するだけの、死んだ星と成り果てている。あの星を見上げて復讐を誓えるほど、私は馬鹿ではない」

「……馬鹿、ですか」


 更に食い下がってくる事はなかったが明らかに気落ちしたエルの様子に、イデアルは一つの結論にたどり着く。


(……そういう事か)


 エルは、イデアルが持っている力と知識がほしいのだ。

 それらを手にすれば――有力者達に襲われて死んでいった者達の仇を取れるから。


『強い悲哀を感知。制御します』


 イデアルはこれまでエルに心身を委ねても、『知識』まで委ねる事はなかった。

 もしシステムがエラーを起こしたままだったら、エルの言葉に揺れたかもしれない――感情制御システムが復旧してくれた事にイデアルは感謝した。


(まあ、人というのは本当に都合の良い生き物だからな……)


 怒りも悲哀も制御された中でイデアルは周囲を見回す。

 

 遠巻きに自分達を見ている人間が数人――相変わらずお互いに親しくなろうという気配はない。

 村人達は人型の魔物化け物のような存在でありながら敵意を持たず、自分達を守るイデアルに対し少なからず感謝の気持ちがあった。


 しかし――イデアルは村を守る引き換えに大切な仲間の仲を引き裂いた。


 自ら身を捧げる決意をした仲間エルの事を思い、イデアルに石や暴言を投げつけるような者はいなかったが、愛する者を奪われた仲間ミスティの事を思えば、イデアルに好き好んで近寄ろうとする者もいなかったのだ。


 イデアルの視界にこそミスティはいなくなったが、村人達は村の片隅でエルを奪われて意気消沈しているミスティを見ている。


 家族同然の仲間が影で泣いているのに、泣かせた相手に媚びを売る真似は出来ない――それもまた、感情を制御できない人間達特有の行動なのだろうとイデアルは結論づけた。


 システムがエラーを起こした時の感情の波に飲まれて、イデアルは改めて強い感情の恐ろしさを知った。


(人は自分の感情と他人の感情が邪魔して、なかなか最善の方法を取れない……)


 嫌いな相手とは建設的な議論ができない。

 誰かの気持ちを慮って自分の素直な気持ちを吐き出せない。

 見捨てるべき人間を見捨てられずに共倒れする。

 人の仇を取る為に、己が死ぬと分かっていても武器を取る。

 誰かを犠牲にする最善の方法を、最悪の方法だと誤解してしまう。

 復讐の連鎖を自分自身で留める事が出来ない。


 だからフェガリの民は感情制御システムを付ける事が義務付けられた。だからこそ発展し続ける事が出来た。


(だが……本来ある感情を機械に抑え込まれた私は果たして、人と呼べるのだろうか?)


 あの夜――感情制御システムのエラーによって阻まれなかった感情はこれまで感じた事がない程、心身を震わせた。何の音声も響かない脳は解放感に満たされた。


(心の高ぶりを常に監視され、抑え込まれて生きる……それは生きていると言えるのだろうか?)


 イデアルはフェガリにいた時、不幸だった訳ではない。

 不快にならない環境で好きな研究ができる喜びや楽しさ、達成感――そういったものに確かに幸せを感じていた。

 それでも、何かが引っかかる。制御するほどではない苛立ちやモヤがイデアルの心に纏わりつく。


 イデアルが心に巣食う疑問に答えが出せないまま、また月日が流れ――イデアルは一人の男児を産んだ。


 リベラルと名付けられた子はイデアルと同じ、柔らかな金髪と黄金の瞳――人差し指ほどの耳の長さと僅かに角ばった瞳孔こそ異質であったが、イデアルよりずっとル・ティベルの民に近い子が産まれた。


 そして、リベラルが生まれて、半年――イデアルは2人目を宿す事はなく。

 皆が寝静まった夜、テントの中でふくふくと育つ息子をエルに託し、唐突に別れを告げた。


「今夜、私はここを立つ。リベラルはお前が育てろ。歩くのに多少時間がかかると言えど、子守り位はできるだろう?」

「イデアル様……何か不愉快な事でもありましたか?」

「いいや。不服などない。だが前にも言っただろう……私には時間がないのだ。子を成した今、私には次にすべき事がある」

「子は……病や事故で亡くなるかも知れません」

「病は心配するな。事故は起こすな」


 イデアルはエルに気づかれないようにリベラルに自身の中で増殖していた情報伝達ナノマシンと免疫型ナノマシンを仕込んだ。

 免疫型ナノマシンは菌やウイルスに強く、情報伝達ナノマシンがイデアルの子である事を示し、リベラシオンを起動させる鍵になる。


 残るは事故の問題だが――イデアルは亜空間から銀色に輝く細身の長剣を取り出し、エルに差し出した。


「……お前にこの剣をやる。リベラシオンの威力には遠く及ばんが、その辺の木々や岩なら力を込めずともやすやす切れるし、柄に魔晶石を入れれば魔力を吸い上げて魔弾を放つ事も出来る……これがあればお前はこの村の長でい続けられる。私がいなくなっても誰もお前を何も出来ない無能な男とは呼ばないさ」


 この剣を渡さなくても村人達は誰もエルをそんな風に呼ばない――だが、エル自身はきっと自身をそう罵るのだろう。

 イデアルの推測が当たっている事を示すように長剣を受け取ったエルの目は輝いている。


「リベラルを宿してから今まで……ずっとお前を見てきた。お前の、村の者達を守りたいと思う気持ちも、お前自身が役に立ちたいと思う気持ちも痛い位に伝わってきた」


 右足が傷つき足手纏いとなっても、それでも周囲に必要とされ続けたいと願い動く姿はイデアルには哀れに見え――助けてやりたいと思わせた。


「イデアル様……この剣にもリベラシオンのように、名前があるのですか?」

「……エフハリストだ」


 エルへの最大限の感謝を込めた剣が喜んでもらえた事に満足しつつ、イデアルはひとつ息をついて、言葉を続ける。


「エル……私もお前も、役目を果たした。私がいなくなった後、お前はミスティと契ればいい」

「それは……」

「お前は本当に私に尽くしてくれた。だからもう、嘘をつかなくていい。お前とて、本当はミスティと結ばれたいのであろう?」


 別れ際にこんな事を言ってしまう自分自身に、嫌悪感を覚える。しかし、それでも――研究者としての気質が曖昧な状態で去る事を許さなかった。


 真実を知りたい。例え傷つく結果であっても――感情制御システムがある今なら、冷静に受け止められる。


 イデアルはじっとエルを見つめる。するとエルは諦めたように息をついて、困ったように微笑んだ。


「……仰る通り、以前は彼女と結ばれたいという気持ちがありました。ですが、今はもうないのです。彼女を不幸にさせる訳にはいきませんから」

「……どういう意味だ?」


 エルは視線を伏せ、自身の右足に手を当てる。火傷の跡は痛々しくはなくなっているが、それでも一目で異常だとわかる。


「見ての通り、俺は足が不自由です。この足では子を背負ってやる事も、外で遊んでやる事も出来ない……それに俺には貴方の子を育てる義務もある。ミスティは俺以外の健康な男と家族を成した方が幸せになれる」

「その足の怪我は私が治してやると言っているのに」

「イデアル様の優しさはありがたいと思っています。ですが、俺は……」


 言葉を詰まらせるエルに対し、イデアルは乾いた笑いを浮かべる。


「人でありたいんだろう。何度も言うな……辛くなる。全く、村を守ってほしい、自分にも役目がほしい、でも人でありたい、機械を入れたら人じゃない、愛しているのに結ばれたくない……お前は本当に我儘な奴だな」

「そうですね。返す言葉がありません」


 困ったように笑うエルは、自分が自分勝手である自覚があるようだ。綺麗事を言わずに、嘘をつかないでいい状況で取り繕いもしない。


(だが……そんな男を私は嫌いになれなかった)


 そして自分勝手極まりない男だったが――彼の判断は間違いなく、最善だった。

 恋人を諦めて村を守る力を得て、恋人からの誘いを断って化け物に尽くした。その結果、誰一人犠牲が出ないままこの地に居続ける事が出来ている。


 それにエルはただ我儘なだけではじゃない。我儘に見合う対価を払っている。

 だからこそ、イデアルはエルに惹かれた。


「……いいか、エル。私の子はフェガリの民の特質を維持している。遥か昔に栄華を極めた民の血と力は、大きな助けにも、障害にもなりうる。絶対に絶やさせるな」

「……ええ、この命に変えても、リベラルを守ります。イデアル様、今まで本当にありがとうございました」


 頭を下げるエルから背を向けて、荷造りを始めたイデアルをエルはそっと抱擁する。


「貴方に残された時間は僅かかもしれませんが……お元気で。どうか……どうか最後は貴方が望むように生きてください」


 引き止めるにはあまりに弱い抱擁はあっさりと解かれ、後ろ髪を引かれるような感覚は制御されるほども強くならず――その夜、イデアルは村から離れた。




(……ようやく一つ、役割を果たした)


 森を歩く中、イデアルは一つ息をついた。

 村を離れて数時間経――空が少し明るみを帯び始めた今でも後悔の念は湧き出てこない。正しい判断だった、とイデアルは思っている。


 イデアルが村を守り始めてから赤目族も緑目族もこの地を警戒している――いや、この地を後回しにして他の無魔力者ヌルを襲っていると言った方が正しい。


 今すぐではない。だが、いつかあの村は襲われる――王達が興味を示せば容易く打ち破られる外壁と防御壁が保たてている間に、自分が人でいられる間に、王達にも抗える力を持たせなければならない。


 それに、自分が離れれば、村人は多少耳が長い程度のリベラルを受け入れやすくなるだろう――自分とは仲良く出来なくとも、赤子に罪はないと思うだろう。


 ましてリベラルは彼らにとっての希望――自分がいない間もきっと、心を通わせていける。イデアルはそう考えた。


 後は、時間との戦い――改めて決意を固め、宇宙船に向かうイデアルの前にひらりと一枚、大きな羽が舞い落ちた。


 見上げれば、夜明けの空を舞う天馬。


(天馬か……)

 

 遠目からでも立派な体格だと分かるそれをイデアルはしばし見上げていたが――やがて何かを思いついたように微笑みを浮かべ、リベラシオンを空にかざした。



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