第8話 異星人との交配・2


 ミスティが去る姿を、イデアルは呆然と眺めていた。


 思い返してみれば心当たりはたくさんある。


 出会った時――赤目族に襲われていた時、ミスティは怪我をしていたエルを庇っていた。

 自分が性別を言う前に契りを提案した時、エルはミスティを庇ったし、性別を明かした後、ミスティはエルを止めた。

 ミスティが自分を見る目は、遠巻きに自分を見る他の者達とは違って――攻撃的だった。


 エルが言わなかっただけで、態度に出さなかっただけで――二人が愛しあっていた事など、分かりきっていた事だった。


 ドローンとの同期を解除し、スクリーンゴーグルを消したイデアルの目は涙に潤んでいた。

 感情制御システムを取り付けられてから久しく流していなかった涙に違和感を感じて拭っても、涙はどんどん込み上がってくる。


(私は……このまま契って良いのだろうか? 他に相手がいないからと、時間がないからと、あまりに、急ぎすぎているのでは……)


 驚愕と絶望が塗り込める思考の中に、浮かび上がる問いかけは良心と罪悪感。続いてそれらに反発するように怒りと悲しみが蠢き出す。


(いや、二人には悪いが……私には時間がないのだ。二人がどんな関係であろうと私は役目を果たしたし、エルと契る権利がある)


 怒りと悲しみが良心と罪悪感を押しつぶし、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていく中で組み上げた答えは、間違いなく正しい。

 正しいのに――それでも涙が止まらない。まるで自身の中にある感情を全て押し流そうとするかのように。


 頭が痛むのは感情制御システムがエラーを起こす程、混乱しているからだ。

 でも何故胸やお腹までズキズキと痛むのか――イデアルには分からない。


 分かるのは、こうなったのはエルのせいだという事だけだ。


 この3節――イデアルの目にエル以外が目に入らなかった事も。エルが自分以外の男子を彼女に近寄らせなかった事も全て。

 イデアルの心の中にはもうエルがいる。エル以外に契れる相手はいない――イデアルはエルがいるテントの方へと歩き出した。


「あっ! ちょっ、ちょっと待てよ!」


 腰を抜かしてまだ立ち上がれない男子の一人が声を上げる。イデアルはその男子を見下ろしながら、重々しく口を開いた。


「お前らの魂胆は分かっている……だがエルは今、ミスティの申し出を断った。あの男はお前達と違って契約を破る事の重さをよく分かっている」


 そう。分かっているからこそエルはミスティを拒んだ。

 彼女を心から愛しているから、幸せになって欲しいと思っているからこそ――拒んだ。


「これ以上私の邪魔をするな。これは警告だ。今の私は、お前達を殺してしまう……エルはそれを望んでない」


 黙り込む男子達をその場において、リベラシオンを手にイデアルはテントへと向かう。

 辿り着く前にミスティの走り去る姿が見えたが、呼び止める事はせずそのままテントの中に入ると、エルが立ち尽くしていた。


「ああ、イデアル様……すみません、まだ準備が」

「何故、私に嘘をついた?」


 イデアルは質問と共にリベラシオンの剣先をエルに突きつける。

 微笑みを作っていたエルは表情を強張らせつつも、真っ直ぐにイデアルを見据えた。


「……何の事です?」

「ミスティだけを愛しているのに、何故、私と契ろうとする?」

「……今の、ミスティとの話を、聞いていたのですか」


 一瞬眉を寄せて不快の表情を作りかけたエルだったが、イデアルの目から零れ落ちた大粒の涙に言葉を詰まらせる。


「……ああ、分かっている。お前はあの時、最善の判断をしただけだ。あの時は私に縋るしかお前達が生きる道はなかった。だが、その後私は聞いたはずだ。本当はミスティと契りたかったのではないかと。でもお前はそれに対して答えなかった。はぐらかした」

「イデアル様、それは……」


 エルガその先の言葉を紡ぐ前に、リベラシオンが地に落ちる。ガシャンと音が響く中、剣を手放した手はイデアルの頭を覆った。


「私は、お前達を引き裂いてしまった。だが、私は、それでも子が欲しい……! フェガリの民の血を引く者を残さねばならない! ここで私が死んでフェガリの民の血が途絶えてしまったら、私は、私は何の為に……!!」


 イデアルは頭を抱えてその場にうずくまる。

 地に膝と頭をつける事も厭わずに激しい頭痛の中で紡がれるイデアルの言葉はいつもとは比較にならないほど感情に満ち溢れたものだった。


「お前のせいだ! あの時ちゃんと言ってくれればまだ制御できた! お前が私と契った後ミスティと契る事を許したり、他の男を探したり何かしら手段があった!! 何故、私と契る事を了承した!? 何故、何故……!!」


 イデアルの中で矛盾した感情が入り乱れ、そのまま流れるように吐き出されていく悲痛な叫びが虚しくテントに響く。


「ああ、頭が痛い、お前があの時正直に言ってくれれば、私は、あの時なら、感情を抑えられた……!! なのに、お前は」

「イデアル様、どうか私の話を」

「私はお前を束縛しない。私は私の子がいれば、それだけで良かったのだ。子さえ成した後は好きにすればいい。あのミスティという女とも子を成せばいいと、思えたはずなのに! それなのにお前が私に近寄るから! 好きにさせたから!! 今はお前が他の女を想う事が物凄く気に入らない!! 私は、私は、せめて、私が人である間だけは」

「イデアル様、落ち着いてください……イデアル様!!」


 両肩を掴まれ、イデアルは強引に身を起こされる。

 膝をついて自分を見るエルの必死な表情に、イデアルの心がまた大きく揺さぶられる。


「あぁ、そうだ……私は妊娠したらここから去ろう。この拠点はお前達にやる。お前は子種だけくれればいい。そうすれば、お前達は」


 イデアルの言葉は口づけによって塞がれる。

 互いが持つ同じ色の魔力が何の混じり気もなく交わり合う感覚の心地よさがイデアルの心を少しだけ落ち着かせた。


 イデアルの体の緊張が解けた事を察したエルが口づけを止め、改めてイデアルを見つめる。


「…………イデアル様、ミスティに言った言葉は嘘です」

「嘘……?」

「ああでも言わなければ、ミスティは引き下がらなかった。まさかイデアル様に聞かれているとは思わず……本当にすみません」

「……」


 深く頭を下げるエルに、嘘をつけと罵倒したい怒りが渦巻く。しかしその怒りは別の感情に阻まれる。


 嘘――ミスティへの言葉と、自分への言葉、どちらが嘘なのだろうか? あるいはどちらも嘘かもしれない――


(どちらが嘘かは「ミスティを殺せ」と言えば分かる事なのに……)


 ぼんやりとした理性が導き出した方法は、イデアルの胸の中に留まるだけで喉の向こうにいこうとしない。

 どうしようもない苦しみと悲しみを抱えながら、それでもエルの言葉の真偽を追求する気になれなかった。


 力強く自分の肩を掴む彼の手が――微かに震えているから。


「ならば……お前の『愛』は今、誰に向けられている?」

「もちろん、イデアル様です。貴方が望むなら私はいくらでもこの体を貴方に捧げます」


 微笑みと共に向けられる甘い言葉は、曇りがない。

 どれだけイデアルがエルを見つめても、エルの真剣な眼差しは一切淀まない。


 互いに真っ直ぐ見つめ合う中――イデアルはついに視線を落とす。


「……あの女と距離を置け」

「分かりました……ありがとうございます、イデアル様」

「何故礼を言う?」

「彼女は幼い頃から知っていますから……殺せと言われなくて、本当に良かった」


 言えばエルはミスティを殺してくれたのだろうか――? 押し寄せる感情の波に疲れ果てたイデアルはそれ以上、考える事が出来なかった。


「……そうか。私も、同僚を殺せと言われたら困る」


 殺すにしろ殺さないにしろ、エルに多大な負担をかけるのは間違いない。そうなる位なら都合の悪い事実から目を背けてしまいたい。


「私は……憎い相手の死より、愛しい者の愛が欲しい。エル……私は、お前を愛していいのか?」

「……私も、貴方の愛がほしい。貴方に愛されたい」

「……裏切ったり、しないか?」

「ええ……絶対に。先ほどは致し方なくミスティを抱きしめましたが、もう指一本触れません。私は最初からイデアル様を裏切っていませんし、裏切るつもりもありません」


 確かにエルはイデアルを裏切っていない。

 ミスティの誘いをエルは真正面から断ったし、イデアルを殺そうと言われた時に激怒した。それをイデアルは理解している。


 後はミスティへの言葉は嘘だと、愛しているのはイデアル自分だというエルの言葉を信じればいいだけなのに――

 

「……何故泣いているのだ?」

「イデアル様こそ、何故泣いているのですか?」


 涙を流しながらも微笑むエルが同じように涙を流すイデアルの頬に触れる。


「お前が私をどうしようもなく不安にさせるからだ。お前のせいだ。さっきから頭の中で感情制御システムがずっとエラーを起こし続けて頭が痛い。お前が、お前が……」


 肩を震わせるイデアルをエルはそっと抱き寄せる。


「では、その不安を取り払いましょう。私がどれだけ貴方の事を愛しているかを知れば、きっと貴方の涙も、頭の痛みも治まる」


 互いの唇がもう一度重なった。優しい口づけにまた涙が一つ、溢れた。


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