第6話 男の過去・2

 ※闇回です。グロいシーンもあるので苦手な人はご注意ください(7話冒頭で何があったか簡潔にまとめる予定です。)

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「お、俺は途中の食糧の提供で来ただけだ。こんな所で死ぬのはごめんだぜ」


  皆が戸惑う中で、自分も巻き込まれる事を恐れた行商人が馬を連れて逃げようとしたのを村長が引き止めた。


「待ってくれ、お主を入れれば10人……もしここにいる9人全員が食われたらお主が村に行ってほしい」

「む、無理だろ、あんなのバシッと弾かれて崖から落ちたら終わりじゃねぇか!」

「安心せい。人を捕らえた触手はピタリと動かんくなる。危害を加えなければすんなり通れるはずじゃ」

「俺達もただ食われに行く訳じゃないからな。何かしら足掻こうと思ってる奴もいる。ただ、一回あそこを通過できても戻ってこれるか分からない……だから誰かが通過したら村に根を分けてもらって崖下に落とすから、お前は崖下に移動して村から根が落ちてくるのを待ってくれ」


 山に上る途中、絶壁の崖の上に村が見えた。あの崖からに下に向かって特効薬になる根を落とし、行商人がその根を村に運ぶだけでもボク達の役目は果たされる。

 

 だからその場にいる9人全員が食われれば道を通過し、一人でも無事に通過すれば崖下で値が落ちてくるのを待つ――義兄さんがそんな提案をしたら行商人はそれなら、と足を止めた。


 あの時は楽な立場だなと思ったけれど、人が食われるのを見届けてから動けって話なんだから彼が残ってくれた事に一応、感謝しなければならないんだろうね。


 ……そして、ボクらは一斉に駆け出した。皆、崖から落ちて無駄死にする位なら、と皆、極力内側を走った。


 …………次々と皆が触手に囚われていく光景は地獄だったよ。救いがあるとすれば、皆あまり痛みを感じずに死ねたんだろうなって事くらいかな。


 何で分かるのかって……? ボクも触手に捕まったからだよ。


 ただボクは、捕まった後どう動くかまで考えていた。

 ヒュドラプラントは植物系の魔物だからね。食われても穴を開けることさえ出来れば逃げ出せるかもしれないと思った。

 だから冷静に、手に持っていた長い石刃を皮に突き刺して、全力を込めて内側から繊維に沿って一気に裂いた。

 

 だけど触手の内側から滲み出てくる甘ったるい蜜が強烈でね。すぐに力が上手く入らなくなって、頭がクラクラした。

 この感覚に飲まれたら、痛みも感じずに死ぬのだろう――となんとなく感じた。


 でもボクは絶対に生きて帰らなきゃいけない。甘い微睡みから逃れるように唇を噛んでその痛みで我を保って、何とか這い出る事が出来た。

 幸い、だったんだろう。ボクが裂いた触手はしばらく地面に倒れて動かなかった。


 そして他の触手がもう人を捉えていたお陰で、ボクは他の触手に襲われる事無く、何とかヒュドラプラントの攻撃範囲から脱する事が出来た。


 ――行商人に通り抜けた事を伝えなければいけないと思って振り返ったら、ボクと同じ様に抜け出そうとした人間と目が合った。


 義兄さんだった。


 ボクと同じようにフラフラと這い出て、四つん這いでこちらに来ようとしたんだ。だからボクも手を差し出した。


 だけど――ボクが義兄さんの手をつかんだ時、ボクに逃げられた触手が義兄さんを捕らえたんだ。


 触手は物凄く怒っててね。凄い力で義兄さんを加えると自分のエリアに引っ張ろうとした。

 ボクは巻き込まれる事を恐れて手を離した。

 義兄さんを飲み込んだ触手は何度も激しく自身を地面に叩きつけて。義兄さんはもう、出てこなかった。


 ボクは、その場から後ずさるしかなかった。後ずさって、行商人に手だけ振って、行商人が降りていくのを見送って――


 ……ああ、駄目だね。それからもう10年も経つのに、未だに思いだすと震えが来る。何度も夢に見るくせにずっと慣れない。ずっと。


 …………そこから、山の村に着いた――着いていた、と言った方が正しいかな。気づいた時には小屋に寝かされていたんだ。


 気を失ってからそう時間は経っていなかったようで、山の村の長だという老人に事情を説明すると、茶色くて細長い根をたくさんくれた。

 ボクは石刃で切った髪を編んで紐を作り、根を纏めて括って崖から落とした。


 そして蜜の感覚が抜けた後、何とか帰れないかと再びあの崖道に向かった。


 ヒュドラプラントの触手は1本だけ、ベチベチと怒り狂ったようにのたうっていて、到底通過できそうになかった。

 そして、道に寝そべる触手から見える彼らの、体が、目が――蜜に侵されてあがる、人とは思えない、聞くに堪えない声が、聞こえた。


 ボクは、怒り狂う触手を避けながら彼らを乗り越えられる自信がなかった。


 帰れなくなったボクを山の村の民はあのヒュドラプラントは10年後に枯れるからそれまでいればいい、と迎え入れてくれた。


 根が特効薬になる赤い花がもう少し山を登った所にある花畑にいっぱい咲いてるから、時期になったら花を摘んで崖から落とせばどうだとも提案された。


 花畑には管理用の小屋があるから、そこに住んで花畑を荒らそうとする害獣を追い払ったり薬草を摘む手伝いをしてくれれば村の食糧を分けてやるとまで言われた。


 ボクは山の村の村長の言葉に甘えて、その小屋に住みはじめた。


 花畑の管理は大変じゃなかった。害獣と言っても鳥や小動物だ。凶悪な毒虫や魔物がいる訳じゃなかった。


 そこからボクは山頂近くの花畑を管理し、村人が来た時に求められる花や葉をまとめ、赤い花が咲く時期になる度に髪の毛を石刃で切り、赤い花の根を石に括り付けて落とした。


 ヒュドラプラントに襲われた時の事を、義兄さんを見放してしまった事を何度も夢に見ては花畑に立ち、遥か遠くに見える精霊の森を眺めて、そこにいる愛する者達の顔を思い浮かべて耐え忍んだ。


 そうして過ごしているうちに村長の孫娘――シプリンと言うんだけど、彼女はちょくちょくボクがいる小屋に遊びに来るようになった。


 シプリンは精霊の森の事を知っていたみたいでね。精霊に興味津々だった。彼女とは薬草を摘んだりしながら色んな話をしたよ。


「ねぇシーヴァ。あの森には精霊が住まうと言われているけれど……シーヴァは精霊を見た事あるの?」

「いや、ない。森の奥深くには入らないように言われているからね」

「じゃあ精霊って実は魔族や魔物かもしれないって事?」

「その可能性もあるだろうね。でも精霊の正体が何であれ、村が魔物や魔族から守られ、穏やかな時が流れているのは確かだ。感謝しなければいけない」


 精霊の森の精霊が魔族や魔物だったとしても、感謝しないといけない――そんな話をした時もあった。


「……良かった。貴方もそういう人間だったのね」

「どういう意味だ?」

「貴方も私達と同類で良かったって意味よ。あの食人植物は嫌な人間をこの村に寄せ付けない。貴方にとっては仲間の命を奪った嫌な魔物かも知れないけれど、私達にとっては外敵から守ってくれる守護神なの」


 シプリンは崖道に住み着いているヒュドラプラントを守護神と呼んだ。山の村長も、他の村人達もヒュドラプラントを食人植物と呼んで、魔物とは呼ばなかった。


 守護神は精霊と同じ、感謝すべき存在なのだと。だからボクと自分は同類なのだと笑っていた。


 ああ、そうそう。精霊の森とは逆の方向に遠い場所にまるで天に向けて棘が突き刺さっているような物体――実際に近づいたらかなり大きいだろう建物があってね。シプリンがよく気にしていた。


「あそこに見える建物にも、何かいるのかしら」

「気になるのなら行ってみればいい」

「いいえ、下の世界は危険だから。この村にいれば安全なの」


 村が存在する場所が場所なだけに、山の村の人達はとても閉塞的な人間だった。豊富な山菜や果実、肉だって小動物を狩れば得られる。

 嫌な部分があるとすれば高い場所にあるから多少息苦しい位だけど、それもずっとその場所で生まれ育った人間には全く問題じゃなかったんだろう。


「ねえ、シーヴァ……私、貴方にずっとこの村にいてほしい。ここは精霊の森よりずっと平和で安全よ」

「シプリン、ボクには既に妻と子がいる。君の夫にはなれない」

「もう生きていないかもしれないわ」


 シプリンはボクに好意を抱いていた。別に、それ自体は悪い気はしなかったんだけど逐一嫌な事を言う子でね。

 ボクの妻や子がもう生きていないかもしれないからなんて、笑顔で言う。


 冗談でもそんな事を言う女は好きになれないな――と何度言い返しそうになっただろう?

 だが間借りしている身で立場を悪くする訳にはいかない、と何度もその言葉を飲み込んだ。


 ああ、手は出していないよ。父も兄も失った妻にはもうボクしかいないんだ。

 だからボクは絶対に帰らなきゃいけない。ボクの帰る場所はこの森の村だって、シプリンに何度も言った。それでもなかなか諦めてくれなくて悩まされた。


「ねえ……村に戻っても誰も貴方の事を待ってなかったら、私の所に戻って来てくれる?」

「その頃にはもう君はボクに興味を失くしているよ」

「そんな事ないわ」

「……どうかな、その時に分かるさ。いや、それよりもっと早く分かりそうな気がする」


 幸い、シプリンはボクが山の村を出る2年前に村の男と契り、子を成した。

 6年位は本気で待ってたんだから、なんて他の男との子を抱きながら言うシプリンにボクは苦笑いせざるをえなかった。


「女は力のある強い男に惹かれるものだ。もう30も超えて後は老いていくだけの、夢に魘されて怯えるボクには何の魅力もない」

「……私を選んでくれていれば、貴方は孤独にならずに済んだかもしれないのに」

「君を選んでいたら、きっと今頃ボクは君を惹き付ける若い男に醜く嫉妬して、妻を捨てた事を後悔していたよ」


 何にせよ、シプリンがボクを諦めてくれた事に感謝した。

 いくら親切にしてくれたとは言え、仲間を殺した人食いの魔物を守護神と崇めるこの村の一員にはなれなかったからね。


 ただ、守護神を傷つけたボクがそんな怒りを顕にすればこの村の民は容易くボクに牙を向けるだろう。


 夢に悩まされ、村の違和感に悩まされ、それを何処にも打ち明けられず心に一切の安寧が訪れないまま、気を張り詰めながら10年の時が過ぎて――山の村の長が言った通り、ヒュドラプラントは枯れた。


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