第5話 男の過去・1


 まずは――この森の事について少し話そうか。


 この森はとても広くてね。森の周囲や浅い部分は魔物も魔族もいないから、いくつも村や集落があるんだ。


 だけど今ボク達がいるような深い部分は独特な生物や魔物の巣窟で、それらに魅入られた者は森の更に奥深くに引き込まれて、二度と森の外に出られないと言われている。

 これはきっと、君に術をかけた神官の言葉が言い伝えとして残っている事も影響しているんだろうね。


 森の奥に入れば精霊様の祟りが、あるいは精霊様の姿をした魔族の呪いが……って子どもの頃によく聞かされたから。

 そういう言い伝えがあるから、この森は『精霊の森』と呼ばれてる。


 ボクはこの精霊の森のすぐ近くにある村に、3人兄弟の長兄として生まれた。


 父と母は早くに亡くなり、ボクが代わりに弟達を養っていかなきゃいけなかった。

 薬草を集めたり木の実や果実を取ったり、弓を作って鳥や獣を狩ったり――何でも率先して動いた。


 その働きぶりが良しとされて村長の娘との結婚を勧められて、1年もしないうちに可愛い息子も産まれて……ああ、あの頃は本当に幸せだったな。


 だけど、その幸せは1つの病が流行り出した頃から崩れはじめた。


 その病は咳や気だるさから始まり、かかった者の体力を徐々に奪っていき最悪、死に至る。

 ボクも病にかかったけど、幸い20代半ばという若さに加えて体が丈夫だったから咳や気だるさを数日感じた程度で早々に回復した。


 でも体が丈夫でない者の症状はなかなか改善しない。しかもこの病は森で採れる薬草で作った薬は殆ど効果が無くて、徐々に病人の体力を奪っていった。


 ついに死者が出て、村に嫌な空気が漂い始めた頃――魔馬を連れた行商人を村長が自分の小屋に招いた。

 そして行商人が村長の家を出ていった後、今度は村の男達が村長の家に呼ばれた。


 村人の大半が呼ばれるなんて事、滅多にない。緊張が張り詰める中、いつになく重苦しい表情で村長はボク達に語りだした。


「ここから4、5日ほど歩いた先にある山の村の薬なら、この流行病に効くかもしれん……50年前にも同じような病が流行ってな、その際に山の村から貰った根を煎じた物を飲ませた所、皆みるみるうちに症状が改善したのじゃ」


 村全体、いや、森の周囲に広がる病に皆が苦しんでいる中、特効薬の話に目を輝かせない者はいなかった。だけど、村長が続けた言葉で皆表情を歪ませた。


『しかし、その村に行く道の途中の崖道には巨大なヒュドラプラントが巣食っておってな……そいつを何とかしないと、村に行けぬ』


 ヒュドラプラント――どう説明すればいいかな、虫を挟んで捕らえて離さない食虫植物がそのまま巨大化したような、人を喰う魔物……8本の触手が根本で繋がっていて地面に根を張っている。そんな魔物が山の村への崖道に巣食っている。


 厄介な事にこの魔物は人が大好物なんだ。だから動物を囮にしても意味が無い。

 まあその場から移動しないからグネグネ動く触手の範囲に入らないように気をつければ言うほど危険な魔物じゃないんだけど、道に巣食ってるという事は、魔物の攻撃範囲に入らないといけないという事だ。


『一人二人で行っても食われて終いじゃ。しかしあの植物は一本につき一体しか捉えられない上、捉えればピタリと動きを止める。消化するのに大分時間がかかるみたいでな。人を食わせている間に山の村から根を持ち帰れば、この村で苦しんでいる者は助かる』


 病が流行ってすぐに村長がこの事を打ち明けなかった理由はそれを聞いて理解したよ。

 村で苦しんでいる者達を助ける為に死ねる者を募る事になるんだからね。躊躇もするさ。


 「先程の行商人にも今の話を伝え、他の村でも人を募るように伝えたが、死ぬ可能性の方が高い旅にどれだけ人が集まるか分からん……犠牲になっても良いという者がいれば、手をあげよ」


 ボクは自分が行くべきか悩んだ。自分は回復しているけれどまだ幼い息子と弟二人が病にかかっている。

 皆、体が丈夫ではなくてね。改善する気配はないどころか症状は緩やかに悪化していた。いずれは命を奪いかねないと危惧する位に。


 だけどボクは、妻とお腹の中にいる2人目の子が気がかりだった。だいぶお腹が大きくなってきた妻を置いて自分が死ぬ訳にはいかなかった。


 妻とまだ生まれぬ子、弟と既に生まれた幼子に挟まれてボクはその場で手を挙げられなかった。


 重い沈黙が漂う中、手を上げたのは村長と村長の息子だけだった。


 妻の父と兄だ。尚更ボクは手を挙げられなくなった。


 家に帰ってその事を告げると妻は泣いたよ。泣いたけれど、「2人を止めて」とは言われなかった。

 今思えば妻は父親の苦しみと兄の覚悟を知っていたんだと思う。


 これで他の村で7人集まれば――皆が願いをかけて行商人が戻ってくる日を待ったが、行商人は6人の男達を連れて戻ってきた。

 行商人は馬を持っていて、食糧や水を運ぶ役目って事で勇士の数から除外されている。だから村長と義兄を含めても、8人しかいない。


 さっき言った通り、ヒュドラプラントは8本の触手を持っている。だから確実に逃れて山の村にたどり着く為には一人、足りない。


「もう人を集める時間もない……誰か、頼めぬか?」


 見送ろうとしていた村人達の間に重い沈黙が漂った。

 この場にいるのは皆、理由はどうあれ死にたくない者だ。その場から無言で立ち去る者が出始める中、一人の男が手を上げた。


「……俺が行くよ」


 ボクの弟、ヴィリュイだった。弟は覚悟を決めたように自分の家に戻った。




「ヴィリュイ、早まるな」


 人という生き物は酷いものでね、ボクは妻の父や兄が死ににいくのは止めなかったのに、自分の弟が死にに行くのは止めたんだ。

 家族の覚悟を尊重して啜り泣く妻を慰めておきながら……酷いものだよ、本当にね。


「ごほっ……早まってなんかない。こいつに比べたら、俺はまだ動ける」


 家に戻ったヴィリュイは末弟のクレースを心配していた。部屋の隅で横たわるクレースは症状が大分悪化していて、苦悶の表情を浮かべて眠っていた。


 確かに起き上がれないクレースよりヴィリュイの方が動けるだろう。

 妻も子もいないヴィリュイを行かせた方がいいって、ボクも分かってはいたんだ。


 ――だけとボクは、ヴィリュイを見殺しにする事が出来なかった。


「……駄目だ。お前は体が丈夫じゃない上に、病にかかっている。死ぬ可能性が高いと分かってて行かせられない」

「でも」

「ボクが行く」


 気づいたら、ボクは出ていこうとするヴィリュイを阻んでいた。そしてボクが行く、と自然と声に出していた。

 後悔はしなかったよ。今も後悔はしていない。したくないんだ。


 誰に何と言われても、この選択だけは間違っていたと思いたくない。


「でも、村長や村長の息子が行くのに、兄さんまで行ってしまったら、ベスビアは……それに今、二人目が」


 ヴィリュイはボクの妻の事を心配していた。当然だった。父、兄、夫を一度に亡くしてしまうかもしれない妻の苦痛は計り知れない。


「……大丈夫だ、ボクは死にに行く訳じゃない。生き残ってみせる。ああ、生き残ってみせるさ。だからお前はボクが帰ってくるまでここでベスビアとアイド、生まれてくる子を守って、助けてやってほしい」


 9人のうち、8人が食われたとしても1人は生き残れる。ボクはその一人になる自信はあった。

 必ず帰ってくるから、とヴィリュイにボクがいない間の妻と子を頼んだ後、ボクは自分の家に戻り妻を説得した。


「息子を助ける為に弟の命を犠牲にする事など、ボクには出来ない。ベスビア、ボクは必ず帰ってくる。だから、待っていてほしい」

「……私が引き止めても、行くんでしょう?」

「……ああ」

「父さんは、いいの……兄さんも……それが兄さんの決めた事なら……でも貴方は……貴方は絶対に帰ってきて……!」


 妻には引き止めても無駄だと理解されていたようで、絶対に帰ってこいと言われた。


「ああ。何があっても帰ってくる。それまでアイドとお腹の子を頼む……アイド、父さんが絶対にお前を助けてやるからな」

「お父さん……」


 横になってぼんやりとボクを見つめる幼い息子の頭をなでた後、食糧と荷物を持って村の入口に戻ると、村人達は来るはずの人間が替わっている事にザワついた。


 義兄さんには止められたけれど村長が「時間が惜しい」と言ってボクも加わる事が許された。

 


 山の村への道のりは4日かかった。最初の野宿の際、ボクは村長と見張りをする事になった。青白い星が直ぐ傍の川を照らす中、村長から改めて意志を確認された。


「……シーヴァ、本当に良かったのか? 何でも出来るお前がこんな所で命を落とさずとも……」

「すみません……村長達には悪いですが、ボクは何としてでも生き延びるつもりです」


 ボクは正直に自分の気持ちを告げた。他の人間には聞こえないように小声で。

 村長はきっとボクより息子を生かしたいだろうなと思っていたけれど、予想外の言葉が帰ってきた。


「……我らを見殺しにしてでも生きるつもりならば、それでよい。ワシも、そうして生きてきた」

「……50年前、同じ旅に?」

「ああ……あの時も同じ様に旅立った。そしてワシ一人生き残った。そして山の村の民からこれを煎じて飲ませれば良い、と根を貰ってな。村に戻って、言う通りにした事で我らの村も周囲の村も救われた。それでも、ワシ自身が救われる事はなかった」


 50年前に同じ旅に出て唯一の生き残りになったという村長は、今度は進んで自分が犠牲になろうとしていた。


「多くの人を助けても……仲間を見殺しにした罪は消えんかった。ワシには、消せんかった」


 村長の苦しみにボクは何も声をかけられなかった。向こうもボクの言葉を求めていた訳じゃなかったみたいで、生き延びようとするボクに色々助言してくれた。


「ワシはもう、いいのだ。あの時仲間を見殺しにした罪をこれで償える。ようやくワシは救われる。シーヴァ……ワシは娘の夫であるお前か、息子が生き延びてくれれば、と思う。だがな、生き延びても地獄じゃ。もしお前がそれでも生きたいというのならば見殺しにする覚悟を持て。潰れそうになったらワシの事を思い出せ。ワシは50年、生きたぞ」


 村長の助言に助けられたのは事実だけれど…………いや、何でもない。話を続けよう。


 3日目の夜は義兄さんと色々な話をした。他の人達とも多少話した。

 皆、孫や子ども、あるいは自身が病にかかった人達で、彼らは死を覚悟していた。覚悟はしてたけれどボクと同じ様に生き延びようとしている人達もいたと思う。


 そして4日目、目的の山の中腹に着いた。落ちたら真っ逆さまの、3人位が横並びで歩けそうな崖道に巣食う魔物は、確かにいた――が、ここで予想外の状況に陥った。


「おい、あれ……9本あるぞ……」

「ど、どうすんだよ……」


 精霊の森で目撃されるヒュドラプラントはどれも触手は8本だった。

 だけどその山にいたヒュドラプラントは突然変異したのか、触手が一本多かったんだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る