第7話 男の過去・3
村長や義兄さんを犠牲にして乗り越えたヒュドラプラントは寿命を迎えて動かなくなった後、数日で急速に枯れていった。
カサカサになった触手の中にはもう骨も何も残っていない。
「……焼かなくていいのか?」
「焼いたら種の毒が周囲に撒き散るでな……なに、お前さんも知っておるとおり、近づきさえしなければ何の害もない植物じゃて」
ヒュドラプラントが枯れきった根本の袋から大人の男の拳大ほどの大きさのある黒々しい珠が2粒ほど溢れているのが見えた。
種ならば処分しなくてはと問いかけたんだが山の村の長は種には毒があるから、と首を横に振った。
「シーヴァ……大切な人達と笑顔で再会できるといいわね」
ボクを見送る山の村の長やシプリン、村人達の笑顔と言葉には刺々しいものを感じたけれど、その時は帰れる事の喜びでいっぱいで、深く気にする事無くボクは山を降りた。
10年――村はどうなっているだろうか? 流行病にかかっていた者達は今も元気にしているだろうか? お腹の中にいた子は男の子か、女の子か。病弱だった息子や弟達は病を乗り越えて少しはたくましくなっているだろうか?
妻と子ども達に、弟達に会えればこの心の中に抱える負が、どれほど軽くなるだろうか――ワクワクしたよ。早く愛する者達の元へ帰りたい、と色んな希望を胸に懐いて村へと戻った。
村は10年前と変わらず、そこにあった。遠目からでも穏やかな雰囲気に心が躍る。自分の家も変わっていない。
村に入ると、見る人間それぞれが驚愕の表情でボクを見据えた。彼らにも声をかけたかったけれど、まずは10年も待たせてしまった妻と子に会いたくて家へと向かった。
皆が戸惑うのも当たり前だろう、なんてのんきに考えながらボクが家に着くと、ちょうど妻が出てきた。
幼い少年の手を引き、命が宿っているのが明らかな大きなお腹を抱えてね。
「ベスビア……!?」
「えっ……!?」
少年は息子やまだ見ぬ子にしては明らかに幼く、お腹の中にいるのは明らかにボクの子じゃない。
だけど、その女性は間違いなく10年前ボクの妻だった人で、出てきた家はボクの家だった。
「……おかあさん?どうしたの?」
少年が妻をお母さんを呼んだ事で、全てを理解した。
……10年だ。ボクが死んだと思った妻は別の男と家庭を作ったんだと、思った。
聞いて分かる通り、ボクにも事情がある。
だけど妻にも幼子を養っていかなきゃいけない事情がある。
父親としての役目を果たせなかったボクに、妻を責める資格はない――ただただ重い沈黙が流れる中、家の中から男が現れた。
「兄、さん……?」
親の家に住んでいたはずのヴィリュイがそこにいた。
ボクを見つめる二人が寄り添い合う姿を見て、そして、2人から憎悪の表情で睨まれて心が凍りつくのを感じた。
今も、その心が溶けない。だからこうして、自分の身に起きた事を他人事みたいに淡々と話せてる。
「今更、何の用よ……!」
「遅くなってすまない……だがボクは絶対に戻ってくると、約束したはずだ。なのに、何故よりによってお前達が」
妻と弟、大切な者達に裏切られた悲しみからつい出てしまった言葉は、二人を激怒させた。
「それならどうして、あんな物をよこしてきたんだよ!? 兄さんのせいで、クレースも、アイドも……!!」
ボクはヴィリュイが何を言ってるのか分からなかった。
ボクの様子からヴィリュイは何か察したみたいで、少しだけ表情を緩めて10年前に何があったのか説明してくれた。
「……10年前、行商人から、兄さんがヒュドラプラントの攻撃から逃げ延びて山の村から根を投げたって聞いた。根に括り付けられた紐は、兄さんの髪で作られた物だとすぐに分かった」
「ボクが生き延びたと分かっていたなら何故ベスビアと子を成した? ボクは、自分の代わりに守ってくれとは言ったが、代わりに家庭を作れとは言っていない……!」
死んだと思われて新しい家庭を作られるのならまだ理解できたが、彼らはボクが生きていると分かった上で家庭を作った。
その怒りを零すと、弟は震える声で呟いた。
「……兄さんが毒を投げたからだよ」
「毒……?」
「兄さんが落としてくれた根を煎じて、症状の重い村人達に飲ませた数時間後に皆、急に嘔吐して、血を吐き出して、激しく震えて……亡くなった」
ボクが落とした根を煎じて飲んだ村人達は皆死んでしまったのだと、弟は言った。
「そ……そんなはずはない! ボクはちゃんと山の村の人達から託された根を落とした……!! 行商人がそれと毒をすり替えたんじゃないのか!?」
根が特効薬になる事は行商人も知っている。だからすり替えたのでは――と訴えてはみたけれど、村に根を配り終えた行商人が再び村に戻った時、惨劇を知ってパニックを起こした行商人はその後自ら命を絶ったという。
手渡したのが毒根だと知っていればそんな事はしないはずだし、そもそも村に戻ってきたりはしないはずだと。
それを聞かされて、一つの可能性が頭に浮かんだ。行商人でも、ボクでもなければ残された答えはもう1つしかない。
「そ、それなら、山の村の人達が……!! ヒュドラプラントを守護神だと崇めていた彼らが、あの魔物を傷つけて村に辿り着いたボクを恨んで……!!」
必死に弁明するボクに対して、妻は酷く冷たい視線でボクを見据えてきた。
ボクが今更何を言った所で、ボクが崖から落とした根が毒で、それを煎じた薬を飲んだ村人達が死んだのは事実で、死者は戻ってきやしない。
まして、ボクが山の村人達の不快を買ったから毒根を託された――だなんて何の弁明にもならなかった。むしろ、火に油を注ぐような行為だと悟って何も言えなくなった。
「貴方のせいで……父さんも兄さんも無駄死にして……アイドとクレースは……!!」
10年前に生きて戻ってきてと願ってくれたはずの妻が、ずっと厳しい顔でボクを睨んでいる。その眼差しには、強い殺意が込められていた。
まあ、大人しく死んでれば良かった夫が足掻いて生き延びで手に入れた毒根で子どもや親しい友人達が死んだんだ。どれだけ愛していた存在でも殺意を込めて睨むだろうね。
ヴィリュイもボクに弟を殺されたも同然だ。よくボクに冷静に話してくれたなと思うよ。
10年という時が、ある程度弟の気持ちを整理させて、冷静にさせてくれたのかもしれない。
だけど、ボクからしてみたら突然突きつけられた事実で。でも妻からすれば父と兄を失い夫が手に入れた毒で子どもまで失って。
そんな中、ヴィリュイと家庭を築いてようやく平穏が戻ってきたって所でフラッと元凶の夫が帰ってきたら、まあ、冷静ではいられないだろうね。
「出ていって……! 出ていってよ!! もうこの村に貴方の居場所なんてない!!
私の目の前から消えてよ!! 父さんも兄さんもアイドもクレースも皆死んでるのに、何で貴方がまだ生きてるのよ……!!」
「ベスビア、落ち着け!!」
「だって……だって!! この人のせいで、私は、私達は……!!」
暴れる妻を抑えるのは、本来であればボクの役目だっただろう。だが実際に肩を抑えて宥めたのはヴィリュイだった。
「兄さんだって今初めて皆が死んだ事を知ったんだとしたら……騙されてたんだとしたら、兄さんを責めるのは間違っ」
「騙されてた!? 騙されてたら人を殺してもいいっていうの!? のうのうと戻ってきて私達の生活を壊してもいいっていうの……!?」
ボクの妻だった女は、ボクの弟の胸に顔を埋めて泣き、二人の子であろう少年が母親の錯乱に泣き叫んでボクに出て行けと叫んだ。
「あの行商人だって、騙されたって知った後、自分で死んだわ……!! 貴方も……貴方も死になさいよ……!! 今、ここで、私達に侘びながら死になさいよ……!!」
妻はボクに死ぬ事を望んでいた。騙された行商人が死んだのにボクが死を選ばない事が許せないみたいだった。
そんな感じだったからもう、あの時お腹の中にいた子は生まれたのか死んだのかも聞けず――ボクはその一切の救いも望みもない、重苦しい絶望の空間から逃げ出した。あのままいたら殺されそうだったしね。
だけど外に出も救いはなかった。周囲を見回せば村人達の視線も、改めて見れば戸惑いと、敵意、悪意――村全体が、ボクに対する殺意で満ちていた。
毒根で死んだのはボクの息子や弟だけじゃない。彼らの家族の中にもまた、ボクが落とした毒根で命を落とした者がいるのだろう。
この村だけじゃない、他の、村でも。
その事実と村人達の視線に耐えられなくて、咄嗟にこの森の中に逃げ込んだんだ。
でも森を歩いていく内にボクも死ぬしかないかと思い始めた。
死で償えるとは思っていないけれど、ボクが死ぬ事で少しでも彼らの慰めになるのなら――そうした方がいいかと思い始めたんだ。
ただ……それでも村人達の前で潔く死ねる気がしなくてね。
魔物に食われて死ねばいいかと思って歩いてたんだけど、こんな時に限って全然魔物と出会いやしない。
奥深くに踏み入ればそのうち魔物が見つけてくれるだろうと思って奥へ奥へと歩いている内に、ここに辿り着いたんだ。
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