第3話 精霊界から逃げても
時の宝珠から放たれた閃光が収まると、シャルラハとジャッロヴァルデがその場に倒れ込み、グリューンだけがその場に立ち尽くしていた。
宙に浮いた虹色の卵から放たれる七色の光がこの凄惨な状況を場違いに照らしている中、5つの魔力が近づいてくるのを感じる。
青、藍、黄、紫、橙――グリューン達と同じ精霊王の子であり、兄弟達。
この状態で、誰が自分を信じてくれるだろう? 精霊界の至宝を割った自分を、誰が庇ってくれるだろう?
宙に浮いて輝き続ける卵が孵化しかかっている事に気づく事無く、グリューンはその場から逃げだした。
(どうでもいい……宝珠が割れようと母様が卵になろうと精霊界がどうなろうと、どうでもいい……!!)
死にたくない。逃げたい――ジャッロヴェルデが言っていた事が事実なら、時の宝珠を割った自分はまず真っ先に殺されてしまうだろう。
グリューンの頭は兄弟達からの攻撃やその先にある死から逃れる事でいっぱいだった。
神殿は4方何処からでも入れるようになっており、魔力が近づいてこない所から抜け出すと、グリューンは星への扉が収められた館の結界が消えている事に気づく。
グリューンが懸念した通り、精霊王が卵と化した事で結界も消えたのだ。
――逃げられるかもしれない。
(母様が時の宝珠を落としてしまった時のように、自分も、無数の扉の中に飛び込んでしまえば)
そう考えたグリューンは悩む事なくその館に逃げ込んだ。館の扉は結界が消えているお陰で難なく開き、広い空間に無数の扉が浮いている。
その全てが閉ざされていたが、グリューンは少し扉を押してみると、容易く扉が動いた。1つ1つの扉を閉ざす力も消えているのだ。
(一箇所だけ開けばそこに入ったのだとバレてしまう)
グリューンは何箇所も扉を開いた。十数の扉を開いた末に複数の魔力がこちらに近づいてくるのを感じ、行き着いた扉を開いて飛び込み、すぐに閉めた。
無数にある扉だ。閉じてある扉の方が多い上に、彼らは開いた扉の世界から探し出すだろう。それだけでも数百年の時間稼ぎが出来る。
(その間に体を休めて、羽を癒やして……)
閉ざした扉に縋り付くようにしゃがみ込んだグリューンは窮地を脱する事が出来て安心したのか、一気に疲れが押し寄せ、そのまま深い眠りに着いた。
それからグリューンはどれほど眠っていただろう? 魂が体から引き剥がされるような感覚を覚えて目を開くと、生い茂った木々と人の姿がぼんやりと見えはじめた。
「上手くいったみたいです」
「流石は神官様……!」
人間達が会話している光景にグリューンはなんとも言えない恐怖がこみ上げてくる。
冴えない人間達に一人混ざって薄汚れたローブを纏い、細い布を頭全体に巻きつけた、髪の色も目の色も全く分からない奇っ怪な神官と呼ばれた男に。
「いえいえ、媒体が良かったんですよ。群がってるからには相性が良いのだろうと思ったんですが、ここまでしっくりくるとは」
その神官が男達に向かって喋りながら自分の方に手を伸ばしてきたのでグリューンは「触れるな!!」と叫んだ。
が――自らの口から出てきたのは言葉ではなく
「ジィッ!!」
という、酷く気持ちの悪い鳴き声だった。
(何じゃ……!? 何が、どうなっておる!?)
「い、生きてる……!」
「あはは、そりゃあ依代にしたんですから生きてないと困りますよ!」
気味の悪い鳴き声に驚いたのはグリューンだけではなく、冴えない風貌の男達までも驚く姿に神官は呆れたように笑った。
グリューンは何度も声を出そうとするが、全てが醜い鳴き声に変わる。
そして体を動かそうにも全く勝手が違う。羽は何かに貼り付いているかのごとく動かせず、手足も思うように動かせない。
手足の間にまだ何かあるような、変な感覚も――何もかもが、分からず、理解できない中、魔力に言語を込めて相手に送る方法を思い出し、布男にぶつける。
『お主、何者じゃ!! 妾に一体何をしたのじゃ!!』
神官と呼ばれる布男は混乱するグリューンに再び顔を向け、蔑むかのように冷たい念話を返した。
『突然の状況に混乱しているか? 忌まわしき魔族よ』
『魔族……? 何を言うておるのじゃ、妾は』
『お前の本体はあまりにも醜い姿だったからな、代わりに可愛らしい体を用意してやったんだよ。ほら、そこに群がってる蝶だ』
神官は布の隙間から微かに見える片目を細めながらグリューンの念話を遮り、地面を指差す。
そこには透明な石の欠片が作り出したサークルの中に顔の半分とほぼ全身が焼け焦げた少女の体が横たわっていた。
(なっ……!?)
グリューンはまともに残っている顔の半分から、少女が自分自身であるとすぐに理解した。
そしてその体に寄ってきている蝶と同じような細長い腹と細い脚が、今の自分にも存在する事も。
『何じゃ、この姿は……!?』
全身を確認する為に動こうとするも、どうやら蜘蛛の巣に貼り付けられた状態のようで、もがけばもがくほどあちこちに粘ついた糸が貼り付く。
風を起こして切ろうにもこの蝶の体では魔力量が少なすぎて風を起こせない。
『くっ……戻せ!! 妾を元の姿に戻せ……!!』
暴れるグリューンの様子に満足したかのように布男は目を細め、冴えない男達の方を振りかえる。
「不可逆の式も成功しているようです。これでどんなに強い存在も無力化できる。そこの扉を開けられないようにもしましたので、後はこの世界の魔族を滅ぼすだけで私達の平和は守られます」
「そうか……これでもう魔族に苦しめられなくてすむんだな……!!」
「ぐすっ……本当に良かった……!! 神官様、本当にありがとうございます……!!」
神官はともかく人間達は涙を流して喜んでいる。グリューンは今度は男達にも伝わるように念話を飛ばした。
『お前達は勘違いしておる……妾は穢らわしい魔族などではない!! 精霊じゃ!!』
「……精霊?」
グリューンの一喝に神官含めて男達の注目を浴びる中、言葉を続ける。
『そう、精霊は星の成長を助け見守る存在ぞ!! 妾はその精霊達を統べる精霊王の娘じゃ!! このような事をして、タダで済むと思うな!!』
「……魔族ではなく、この星の為になる存在……精霊……」
『分かったならさっさとこの奇っ怪な術を』
解け、と言いかけた所で全身に電流が走り、念話が続けられなくなったグリューンは神官の指先を見た。
バチリ、バチ、と神官の指から小さな火花が音を立てて放っている。
「そ、それを攻撃しても大丈夫なのですか、神官様!?」
「惑わされたら駄目ですよ。自分の出自を偽るのは高位の知性ある魔族がよく使う手段なんです」
「そ、そうなんですか」
「そうです。見てください、そこの醜い体の持ち主がどうやって星の役に立つと?」
神官の問いに答えられる者はその場におらず、しばしの沈黙の後に改めて神官が口を開いた。
「今の貴方達のように惑わされる人間が出てくるかもしれない。今後、ここ一帯は立入禁止にしてください。この扉にも触れないように」
「へぇ……神官様がそう仰るならその通りにしやすけど……本当に大丈夫ですか? その蝶がくっついてる古い魔蜘蛛の巣が解けたら」
「本体と依代は繋がっています。例え蜘蛛の巣から逃れられても、この全く動かない遺骸を動かさない限り、この蝶はここから離れられませんよ」
揺らぎかけた男達の気持ちが神官の言葉で再び引き戻され、男達がグリューンに背を向けて歩き出した。
「……気持ち悪い生き物もいるし、ここが魔界の扉で間違いないと思ったんだけどなぁ。まあ、術を試せたのは良かったかな。早く本当の魔界の扉を探して魔族をこの星から追い出さないと……」
神官も男達には聞こえない声でブツブツと呟きながらグリューンから離れていく。
『こ、こら! 妾を置いていくな! この術を解け!!』
『悪いけどこの術、解く方法がないんだ。君の言ってる事が嘘なら残念だったね、だし、本当ならそっちが醜い姿で、異界の扉の前なんて紛らわしい場所で寝てるからそうなったんだ。自業自得だよ』
振り返ったグリューンを見据える神官の目は、何の色も宿していなかった。
「あ、そうだ、この蝶達が君に同情して余計な事をするかもしれないから焼いておくね」
神官がスッと手を振り払う仕草をすると、グリューンの本体に群がっていた蝶だけを的確に焼き払った。そこには何色の魔力の痕跡もない。
グリューンが言葉を失っている間に神官は再び背を向けて、二度と戻って来なかった。
(何じゃ―――何じゃ何じゃ何じゃ、この状況は!! 何で妾がこんな目に合わなければならんのじゃ!!)
誰もいなくなった深い森の中、崖に浮き出たように存在する緑の扉を前にグリューンは木に張られた蜘蛛の巣相手に藻掻き続けた。
その蜘蛛の巣はただの蜘蛛ではなく、魔力を持った魔蜘蛛の巣であり、糸の強度と粘着度はただの蜘蛛の糸と比べ物にならない。
(許せん! あの布男、再び視界に入れたら絶対にぶっ潰してやるのじゃ……!!)
羽や足に糸が絡まって身動きが取れなかろうと、全身に痛みが走ろうと、それでもグリューンは藻掻き続けた。
幸い、蜘蛛の巣の主がとうに朽ちておらず、糸塗れのグリューンを狙うような虫や動物もいなかった。だから雨の日も風の日も、焼け焦げた自分の体を目の前にひたすら糸と戦い続けた。
数年おきに迷い込んだり、迷い込んだ人間が自分の本体の存在を広めたのか興味本位で近づいてくる人の姿があったが、ここにいるのは魔族だから相手にするなとでも伝わっているのだろう、呼びかけても全く近づいてこず、近くに殺人蜂の巣ができて以来人の来訪はプツリと途絶えた。
緑の蝶が再び現れてグリューンの本来の体に群がる事もなかった。
誰も助けてくれなくても、埃を被り、糸に張り付く塵や泥にすっかり汚らしくなっても。別の場所で真紅の竜が大体同じような状況に陥って諦めた時と同じ位の時間が過ぎても、グリューンは諦めなかった。自分を顧みて反省する事もしなかった。
自分の無惨な姿をその目に映しながら、数百年――憎しみと復讐心の塊と化しながら糸と戦っていたグリューンはようやく、糸を張っていた木の枝が折れる、という展開によって木から開放された。
しかし折れたタイミングは最悪だった。昨夜雨が降った事で、グリューンが落ちた先は水溜まりになっていたのである。
(不味い、このままじゃと溺れる……!!)
「ジィーッ!! ジィッ!! ジッ」
必死の悲鳴も虚しく、パチャン、と水音が響いた。足掻こうにもすっかり糸が巻き付いた体は全く動かせず、しかも枝の重みで水に沈み、全く呼吸が出来ない。
(死にたくない……わらわは、こんな所で、死にたくないのじゃ……!!)
そんな願いも虚しくグリューンの意識が遠くなりかけた、その時――枝の重みから開放され、直後水溜まりからも開放された。
「おや……?」
蜘蛛の巣の形は崩れ、蓑虫のようにぷらんと枝にぶら下がった状態のグリューンは、人の声を聞き取る。
どうやら人が枝を拾い上げたようだ、と思っている間に視界がどんとん上がっていく。
そして――緑がかった黒髪と白髪が混ざった、やつれた中年の男と目があった。
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