第2話 時の宝珠


 時の宝珠を確認する間、精霊王をどう引き付けるか――という問題は、偶然解消した。


 まずは下調べを、と思ったグリューンがジャッロヴェルデを連れて精霊王の寝所及び宝物庫のある神殿を訪れると、精霊王がある一室に入っていく後ろ姿が見えたのである。


 その部屋は天界と通信する際に使われる部屋で、その部屋に入るとしばらく出て来ない。


『姉様、チャンスです』


 絶好の機会、と言わんばかりにジャッロヴェルデがテレパシーで囁く。


『ううむ……できれば気づかれた時に対処できるよう、遠ざけたいのじゃが……』

『姉様なら気づかれずに持って来れますよね? 僕、信じてます!』

『と、当然じゃ! 妾に出来ぬ事などないのじゃ!』


 可愛い弟の愛くるしい瞳に込められた希望と信頼に応えようと、グリューンは寝室の方に向かって飛び、ジャッロヴェルデもそれに続く。


 大きな石柱に支えられた石造りの神殿はかなり広く、部屋と部屋を隔てる扉がない。

 その代わり、精霊王とその子ども達しか神殿内に入れない結界が張られている。

 今、神殿内には精霊王とグリューン達以外誰もいなさそうな事も2人にとって好都合だった。


(サッと持ってきて、サッと見せるだけじゃ……何とかなるじゃろう)とグリューンが思い直すのとほぼ同時に精霊王の寝所にたどり着いた。


「ではヴェルデ、ここで待っておれ。誰か来たら知らせるのじゃぞ」

「分かりました」


 広い寝所には精霊王が眠る為の大きな天蓋付きの寝台が1つだけ置いてある。その奥には七色に揺らめく結界が寝室と宝物庫を繋げる道に張られていた。


(以前忍び込んだ時と全く同じ……隙もそのままじゃ)


 精霊王はけして見掛け倒しの隙だらけの結界を張っていない。ただ、グリューンからしてみればそういう結界に見えるだけだ。


 他の精霊王の子――グリューンと同時期に産まれた兄弟にもそれぞれ特化した力があるが、グリューンの場合は術の仕組みの隙を見抜く観察眼や繊細な術の扱いに長けていた。

 結界の何箇所かある針の穴ほどの隙間を慎重に広げると、スルリと中に入り込む。


 宝物庫には虹色に光るメダルや金銀に輝く武具やメタリックに輝く七色の装飾品の他、ドレスや壺などが大量に乱雑に置かれ、山と盛られた宝石もそこかしこに点在している。

 それらの宝石は普通の宝石ではなく、滅んだ星の精霊達の力が込められた、精霊石と呼ばれる物である。


(精霊石……昔、母様から『いつかグリューンが大きくなったらこの石でアクセサリーを作ってあげるわ』と言われたが、いっこうに作ってもらえぬ……)


 忘れているのか、まだ、大きくなっていないからか分からないがもう何千年も経っているのに、未だ装飾品一つ貰えない事にグリューンは強い不満を抱く。


(……ちょっと位貰っていっても気づかぬじゃろ)


 精霊石に特殊な術がかけられていない事を確認した後、精霊石の一山を狙ってパチンと指を鳴らし、その山の3分の1程を亜空間へと収納する。乱雑に盛られた精霊石はパッと見盗られたと気づかない。


(さて、目的の物は……ああ、あった)


 時の宝珠はすぐに見つかった。他の宝物を押しのけたかのように部屋の中央に仰々しく置かれている。


 転がらないようにする為か床に布を敷いた上に載せられている時の宝珠に、これと言って特殊な術はかかっていない。

 グリューンは自分の体の半分もある時の宝珠を浮かせて結界外に運び出す。


(まったく。結界を信用しすぎなのじゃ、母様は)


 グリューンのように精霊王の結界の隙を見抜ける者はこの精霊界にはいないのだが、自分が見抜ける物はきっと幽世の長も見抜ける。


(忘れぬように目立つ所に置いたのじゃろうが、もう少し隠さぬと妾のようにあっという間に持ってかれる)


 母親のうっかりに呆れたように一つため息をつくと、ジャッロヴェルデの所へと戻った。



「ほらヴェルデ、持ってきてやったぞ」

「姉様……ありがとうございます! へぇー、これが……」


 ジャッロヴェルデは時の宝珠をマジマジと見つめると、それを抱えるグリューンに上目遣いですり寄る。


「あの、姉様」

「触ってはならん」


 ジャッロヴェルデが何を言ってくるのか、容易に推測できたグリューンは時の宝珠を高く掲げた。見たら次は触りたくなるものである。


「でも、どんな風に使うのか知りたくないですか? 何処かにボタンがあったりとか……」

「持ってどうしたいかを強く念じるのじゃろう? 知っておるわ!」


「へぇ、そうなんですね」


 そう笑ったジャッロヴェルデは笑顔で魔力を固めた弾を瞬時に作り出し、グリューンに容赦なく放った。

 完全に油断していたグリューンは弾き飛ばされて地面に尻餅をつく。

 宙に浮いた時の宝珠をジャッロヴェルデが受け止めた。


「おっとっと、思ったより重いなぁ」

「ヴェルデ、お前、何を……!?」

「すみません姉様……ぼく、どうしてもこれが欲しかったんです。母様を生まれた直後の赤子に戻して、それを食べてしまえば、ぼくが虹色になれる。姉様達より上の存在になれる。そうしたらぼくは、死ななくてすむから」


「……は?」


 ジャッロヴェルデの言っている事がグリューンには理解できなかった。

 脳内でもう一度彼の言葉を繰り返し、考えてみてもやはり、理解が出来ない。一体何を言っているのか、何処から説明を求めるかグリューンが考えている間に、


「ああ、来た」


 まるで来る事が分かっていたかのようにジャッロヴェルデが呟くと、少し離れた通路に厳しい表情の精霊王が立っていた。


「グリューン、ジャッロヴェルデ……! そこで何をしているのですか!? その宝珠を返しなさい!!」

「嫌です」


 ジャッロヴェルデはそう言うとすごい勢いで近づいてくる精霊王に向けて時の宝珠をかざした。

 瞬間、精霊王が叫んだ表情のまま、固まる。


 精霊王の時を止めたのだと、グリューンは瞬時に理解した。


「やめろ! ヴェルデ、やめるのじゃ!!」


 グリューンは風を起こしてジャッロヴェルデから時の宝珠を引き剥がそうとしたが、時の宝珠は張り付いたように彼の手から離れない。


「嫌です。だって、このままじゃぼく、殺されますもん」

「言うておる事の意味が分からん!! 誰からも愛されるお前を、誰が殺すというのじゃ!?」


 悪戯で周囲に迷惑をかけて嫌われている自分グリューンとは違い、ジャッロヴェルデは誰からも愛されている。

 自分達の誰より遅く生まれてきた精霊王の末子は過保護と呼べるほどに大切に扱われてきた。


「数百年前、母様が言っていたのです……自分が生きている間に再び虹色の妖精が生まれなければ、僕達を殺し合わせて新たな精霊王を作らねばならないと。そうしたら、力の弱い僕は、真っ先に殺される」


「お前を殺さねばならぬような運命ならば、妾がそれを打ち破ろう。妾だけではない、他の兄弟とて殺し合う運命を拒絶する者はおるはずじゃ……!!」


「そうやって母様も兄様も姉様も、僕を子ども扱いする……僕はもう嫌なんですよ。僕だって何千年も生きてるのにこの世界じゃずーっと子ども扱いだ。魔族が来るからって何処の世界にも遊びにも行けない。そういうのも、もう、ウンザリなんです」


「ヴェルデ……こんな事をしてもお前の思いどおりにはならん!!」


「そんなの、やってみないと分からない。姉様がいつも言っている事でしょう? 僕は、生きたい。認められたい。誰に守られる事無く……だから母様を取り込んで、僕が精霊王になって一番上に立てばいい」


 グリューンが叫んで止めるが、ジャッロヴェルデには一切響かない――話している内に気づけば精霊王の体が徐々に小さくなっていき、七色の光に輝く小さな蝶の卵が宙に浮いた所でようやく止まった。


 だがジャッロヴェルデは喜びの感情どころか、世界の終わりが来たかのような絶望の表情を浮かべている。


「そんな……卵の時点でも食べられない、とか」


 簡単に子どもの口でも含めそうな虹色の卵からは恐ろしく強い魔力が放たれている。


「だから言うたであろう……!精霊王になるべくして産まれた母様の魔力は、今のお前ごときの魔力で抑えきれるものではないのじゃ!!」


 例えば精霊王が100の力を持つ精霊だったとして、時間を逆流させて卵にしてみたらそれでも30の力を持っていた、という話。

 10の力を持つ魔族が3の力しかない妖精を取り込んで13の力になるのとは勝手が違う。


 グリューンならまだしも、ジャッロヴェルデがそれを食えば、逆に飲まれる――ジャッロヴェルデが取り込まれてちょっと黄緑色が濃い虹色の卵になるだけだ。


(愚かな……)


 呆然としているジャッロヴェルデにグリューンは憐れみすら感じていたが、微かに揺れる地震に我に返る。


「精霊界を守る精霊の繋がりが切れておる……! 早く母様の時を戻さねば精霊界が滅ぶ!! 時の宝珠を返せ、ジャッロヴェルデ!!」


 悪戯の域を超えた愚者の行いにどう制裁を下すかの前に、精霊王の時を元に戻さねばならない。

 呆然としているジャッロヴェルデから時の宝珠を奪い返そうとした、その時――



「何をしている!!」


 炎の精霊イフリートとも見間違う程の筋骨と燃えるような髪に赤色の蝉の羽を持った妖精が炎とともに現れる。


「シャルラハ、ジャッ」

 グリューンが叫んだ瞬間、時の宝珠を持ったジャッロヴェルデがシャルラハの方へと駆け出した。


「シャルラハ兄様!! グリューン姉様が時の宝珠を使って母様の時空を……!!」

「な、それはお前じゃろう!? シャルラハ、妾は何もしておらん!! 全てはジャッロヴェルデが時の宝珠を見たいと言ったから……!!」


 シャルラハは自分に身を寄せてきたジャッロヴェルデを優しく抱きとめ、グリューンを睨む。

 2千年前より以前、何度もグリューンの悪戯に悩まされていたシャルラハは堪忍袋の緒が切れたように一喝する。


「嘘をつけ!! お前と違って悪戯をした事がない可愛いヴェルデがそんな事をするか!! 母上の時空を逆流させた罪、己が命をもって償え!!!」


 グリューンの弁明を一切聞く事無く、シャルラハの炎はグリューンを包んだ。

 グリューンは風で振り払おうとするも、炎は執拗にグリューンの体にまとわりつく。


「あっ……あああああアアアア――――!!!」



 精霊王に次ぐ魔力を持つのは、グリューンだけではなかった。

 色は違えど全く同等の魔力を、グリューンと同時期に生まれた子どもたちは持っている。シャルラハもその一人であった。


 グリューンの全身を巡る激痛と共に燃え盛る火炎がグリューンの髪と羽根を焼き、美しい皮膚が焦げていく。


 グリューンは赤い炎の隙間にジャッロヴェルデの姿を捉えた。

 信じたくない、という思いを込めて見つめた視線の先には、口角を上げた微笑んでいるジャッロヴェルデの微笑みがあった。


 もうそこには、姉弟の情――いや、死にゆく仲間に対する哀れみすら無かった。


 それを見た瞬間、グリューンの中で理性が吹き飛ぶ。


「――ジャッロヴェルデエエエエ!!」


 自身の内に膨れ上がる怒りの風で炎を吹き飛ばしたグリューンはジャッロヴェルデに飛びかかる。


 焼け焦げた羽を補うように緑の魔力が彼女の背中から噴出して羽を作り出し、グリューンの飛行を助ける。

 完全に理性が飛んで魔力の制御も無くなったグリューンの勢いはシャルラハの炎も障壁も吹き飛ばした。


 その声は醜い魔物の雄叫び、ほぼ全身が醜く焼けたグリューンを前にジャッロヴェルデは再び時空の力を使う為に時の宝珠をかざした。



 しかし、時の宝珠は反応しない。



 精霊王という幽世を支える程の多大な力を持ち、何万年と生きる存在の時間を逆流させてこれまで貯めていたエネルギーを全て放出してしまっていた時の宝珠には、グリューンの時を一秒たりとも止める事は出来なかったのである。


 そして、グリューンの全力の一撃はジャッロヴェルデではなく時の宝珠を砕く。


 ビシッ、という音にバキン、と大きな音が続き、宝珠は粉々に砕け――閃光と共に幾つもの破片がグリューンの体に突き刺さった。


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