翠緑の美蝶

第1話 精霊王の子ども達


 4大元素と呼ばれる地水火風を始め、星を構成する様々な要素には『精霊』が同化している事が多い。


 精霊は自身と同化した要素を安定させ、星を助けながら共に生きる役目を担っておおり、まだ要素と一体化していない精霊は『妖精』と呼ばれる。


 妖精の多くは少年少女の姿に可愛らしい触覚と羽を付けた姿をしており、自分を生み出した精霊の元、あるいは精霊王が守護する精霊界に身をおいている。


 精霊界は妖精達を星に送り出す為に他の幽世同様、様々な星と扉を通して繋がっている。

 精霊王は妖精達が色々な星を見た中で「ここが良い」と思った星を選べるように、と星の扉を全て解放していた。


 全ては妖精達に相性の良い星を選ばせてあげたいと思う精霊王の優しさであったが、二千年ほど前にその優しさが仇となる事件が起きた。


 開放された星の扉の1つから多くの魔族が精霊界に侵入してきたのである。


 精霊王以外の精霊から産まれた妖精の力は微々たるもので、魔族や魔物に対してほぼ無力である。

 その上厄介な事に、精霊や妖精を食した者は彼女らの力を取り込む事ができる。


 飢えを満たす上にという意味でも魅力的な妖精は人より狙われやすい存在であった。



 この事件以来、精霊王は星への扉を全て閉ざし、扉を収めた館ごと自身が作り出した結界で固く閉ざしている。


 新しい星が産まれると精霊王は時期を見計らって一体化に適した妖精を選んで扉を開け、星へと送り出す。妖精が早々に精霊となれば魔族もおいそれと手が出せない。


 精霊王が力を尽くしたお陰で再び精霊界は安全かつ平和になったが――これで円満解決という訳にはいかなかった。




 妖精達はとても好奇心が強く、中には悪戯心が強く我儘な者も多い。

 色んな星に生きる者達を観察したり、あるいは一体化したい星を選ぶ楽しみがすっかりなくなってしまった精霊界の妖精達は結構ストレスが溜まっていた。


 弱い妖精達は自分達を守る為に精霊王が決めた事、と納得していたが強い妖精達は弱い妖精達の為に何故自分達まで我慢しなければならないのか――と不満を持つ者も多い。

 精霊王の子の一人、グリューンもそんな不満を抱く妖精の一人だった。


 蝶のような翠緑の羽を持ち、植物や風と語らう緑髪翠眼の少女は妖精達の中でも一際好奇心が強く、我儘だった。


 星に行ってあれこれできなくなった腹いせに、花や樹の精霊から産まれた妖精が大切に貯める蜜を堂々つまみ食いしてみたり、炎の妖精が持つ、燃えるような羽が水に濡れたらどうなるのだろう、と炎の妖精の羽に水を落としてみたり――


 そういう分かりやすい悪戯が判明する度にグリューンは自身を産んだ親である精霊王にたしなめられる。


 体格差も相まって母親が幼児をあやすような光景であるが、精霊王の少し癖のある虹色の長髪と、虹色の目、そして背には蝶の羽のような虹色の羽が放つ神秘的な雰囲気と美しさを湛える精霊王は母親というより慈愛の女神のようであった。


 そんな美しい精霊王から直に生まれたグリューンも、精霊王が持つ虹色の中の1色でもある翠緑と蝶の羽を受け継いだ、ややボーイッシュな印象を受ける中性的な美少女であった。


 ボーイッシュなのは見た目だけはないようで、精霊王のお説教を視線を合わせずに聞き流す姿は完全にお説教を聞く気がない悪ガキである。


 そんな、羽や容姿が美しかろうと悪戯好きで何度お説教されても全く懲りないグリューンの評判はけして良いものではなかった。


 だがグリューンは評判など一切気にしない――明確に言えば気にしてない訳ではないのだがそんな事より今度はあんな事をしてみたい、こんな事を試してみたい、という好奇心や悪戯心の方が強かった。



 今日もグリューンは精霊界の半分を占める森の中、泉の付近で風を操り小さな水竜巻を起こしていた。

 泉の妖精達は皆泉の底に避難し、森の妖精達はグリューンの戯れに巻き込まれたくない、とその場から遠のいているがグリューンはまるで気にしていない。


(ふむ……水はいまいち映えんのう。今度は火を巻きこんでみるか)


 水を含んだ竜巻を見てみたい、と思っての行動だったが想像より面白くなかったようだ。また新たな発想を持った所で「姉様!」と頭上から声をかけられた。


 見上げれば、鮮やかな黄緑の目と髪、そして櫛歯のような触覚とグリューンのものり2回りほど小さいが同じような蝶の羽を持つ少年――グリューンの弟、ジャッロヴェルデがグリューンに近づいてくる。


「グリューン姉様、シャルラハ兄様とエルレウス兄様が戻ってこられました!」


 ジャッロヴェルデが出した名前に一瞬(誰じゃ?)と思ったがもう一度ジャッロヴェルデの台詞を頭の中で繰り返し、2人が自分とほぼ同じ時期に産まれた兄弟の名である事を思いだす。


「……そう言えばあの2人、ここしばらく見ておらぬな。何処に行っておったのじゃ?」

「忘れたのですか? 二千年前に母様が兄様達に時の宝珠を探しに行くように命じてたじゃないですか!」

「時の宝珠……?ああ、母上が落とした時空をつかさどる珠か……」


 とき宝珠ほうじゅ――時空移動したり時間を逆流させる事すら可能な宝珠は悪しき心を持つ者が手にすれば星はおろか、全ての幽世の時すら自由自在に操る事ができると言われている、精霊界の至宝である。


 宝珠の力に抗う事が出来るのは神の中でもごく少数――とすら言われる禁断の秘宝は二千年前、魔族が精霊界に侵入した際に使われた。


 宝珠を使って時間を逆流させ、魔族が侵入してきた扉を塞ごうした際に精霊王がうっかり両手を離してしまい、精霊王の手から零れ落ちた時の宝珠が何処かの星の扉の向こうへと落ちてしまったのである。


 精霊王は焦った。時間の逆流は魔族を扉の向こうから襲ってくるまでの時間に戻しただけ。

 つまりすぐに宝珠を取りに行けば、魔族がまた精霊界に入り込んでしまう。


 そこで精霊王はひとまず魔族が入ってきた扉を塞ぐ事に注力し、その後他の扉からも魔族が入ってこれないように全ての扉を固く塞いだ。


 その後自身から産まれた2人の妖精、火のシャルラハと水のエルレウスにどの扉も開けれられる鍵を託し、時の宝珠を探すように命じた。


 精霊王はこの精霊界と一体化している為、星に降りられないのである。


「母上は本当にうっかり者なのじゃ……あんな状況じゃったから全部の扉を閉めるのは分からんでもないが、宝珠が落ちた扉だけは開けておくじゃろ普通? せめて扉の位置を固定させておけば半分位の年月であやつらも戻ってこられたろうに」


 グリューンは半ば呆れたようにため息を付いた。

 グリューンの言う通り、大半の扉は壁に面しておらず常に宙に浮いて移動しており、しかも全く同じ文様の扉なので時の宝珠がどの星の扉に入ったのか、再びその場に戻って来た精霊王には皆目検討もつかなかった。


 そんなうっかり精霊王がシャルラハとエルレウスに鍵が託した際に自分も行きたいといったら『絶対ロクな事にならないから駄目』と真顔で止められた事まで思い出し、心の中にイライラがつのる。


「しょうがないです、姉様。それまで精霊界に魔族が侵入してくるなんて事はなかったんですから。母様も慌ててたんです……でも結界が張られてぼく達も気軽に星に降り立てなくなったように、宝珠もこれからとても厳重に管理をされるんでしょうね」


 ジャッロヴェルデが母親のフォローを入れてクルりと一回転した後、興味津々の目でグリューンに問いかけた。


「あの、姉様は時の宝珠を見た事ありますか……!?」

「勿論あるぞ。両手に抱える程の大きさの半透明の玉でな。玉の中で大小の歯車が回って至る所で様々な針が時を刻んでおった。『こればかりは悪戯されたら困るから』と触れさせては貰えんかったな」


 一体いつ誰が何をどうやって作ったのか、全く見当がつかない摩訶不思議な宝珠を思い返すグリューンの傍でよりいっそうジャッロヴェルデの目が輝く。


「いいなぁ……! ぼく、見た事無くて……兄様達が戻ってきたから見てみたいって言ってみたんですが、母様にも兄様にも駄目だって言われちゃったんです」

「触るのはおろか見る事すら駄目とは、厳しいのう」


 とは言え『時の宝珠があるからこそ精霊界は他の幽世から強い干渉を受けずに済んでいる』とまで言われている精霊界の至宝である。

 そそっかしいジャッロヴェルデに持たせてうっかり落として壊れでもしたら冗談や悪戯では済まされない――自分の事は完全に棚に上げてグリューンは納得した。


 しかしジャッロヴェルデは諦めてきれていないらしく、縋るような眼でグリューンにねだる。


「姉様、ぼく、一度でいいんです。時の宝珠を見てみたいんです。こっそり持ってきてぼくに見せてくれませんか?」

「嫌じゃ。あれは母上が真顔で妾に触れる事を禁じた物じゃ。何かあれば間違いなくお説教ではすまぬ」


 可愛らしい弟の愛らしい姿に少々心がくすぐられつつも、グリューンはきっぱりと断った。

 宝珠の価値からしても、真顔で注意された事からしても何かあれば『あらあら、駄目よグリューン』では済まされないのは明らかであった。


「そんなぁー……見てみたいのになぁ……でも、そうですよね。凄く厳重に守られるみたいですから、いくら母様に次ぐ高い魔力を持つグリューン姉様でも無理ですよね」


 可愛い弟の悲しげな表情と、若干煽ってるような言い方がグリューンの自尊心を煽り、高ぶらせた。

 ジャッロヴェルデの言う通り、この精霊界においてグリューンは精霊王に次いで高い魔力を持っている。それを悪戯にしか使わないからタチが悪いのだが。


「……母上に駄目と言われておるだけで、できぬ、とは言っておらん。妾に不可能など無いのじゃ」

「本当ですか? いくら次ぐって言っても母様の方が強い事には変わりないし……ぼく、兄様達から宝珠を包んだ布を受け取った母様が寝所の方に行くのを見ました。多分奥の宝物庫に置きに行ったんだと思います。宝物庫の結界を破るのはいくら魔力が強くて頭の良くて姉様でも無理ですよ」

「くどいぞ。先程も言ったように母上はうっかり者じゃ。宝物庫には前にどんな宝物を保管しているのか見てみたくて母様のいない隙を狙って忍び込んだ事があるが、あの結界は見掛け倒しで隙だらけじゃ」

「姉様が入った時と変わってるかも知れませんよ? そんな状態でお願いするの、怖いなぁ」

「安心せよ。宝物庫に入った事について叱られた記憶はないから多分バレておらん。妾の力を持ってすれば宝珠を持ち出す事など容易じゃ。母様を森か何処かに引きつけているうちに寝所に忍び込めば良いのじゃ」


 ジャッロヴェルデはグリューンの扱い方が分かっているようで、言葉の一つ一つがグリューンの心を揺さぶり、自分の望む方法に誘導していく。

 嫌と言ったグリューンがもうやる気満々になっているのを見て、ジャッロヴェルデは嬉しそうに笑顔を浮かべた。


「流石、姉様です……!! でも、ちょっと心配なのでぼく、寝室の傍まで一緒にいってもいいですか? 邪魔はしませんから!」

「そうじゃな、お前が近くにいてくれた方が都合が良い。お前にちょっと見せてそっと元の場所に返せば妾もお前も叱られんですむからな」


 それはグリューンにしてみればいつもの悪戯だった。

 可愛い弟が見たいと思う物を見せたいという気持ちと、厳重な結界も自分の手にかかれば容易く潜り抜けられる、という姉としての自慢。


 そんな自尊心を満たす為の、他に何の意図もない、いつもの悪戯に過ぎなかった。



 悪戯に、過ぎなかったはずなのだが――


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