第10話 青の始まり・2


 マール達がラリマー島を立ってから、4日後――夜が明ける頃にラリマー島の海岸から人目を憚るように1つの小舟がそっと島を離れた。


「悪魔……悪魔……」

「はあー……こりゃあ重症だなぁ」


 小舟の上でボソボソとうわ言のように呟く少女を前に無造作に髪を縛った男が面倒臭そうに頭を掻いた。

 そんな男の様子に慌てた少年が少女を庇うように声を上げる。


「ね、姉さんの世話は僕がします! なるべく迷惑かけないようにしますので……!」

「見捨てたいって思った訳じゃねぇよ。海巫女様からのお願いだしお前らの所の島長からも色々貰ったからな」


 男はチラ、と自分の隣に置かれた袋を見やる。この姉弟をこっそり連れて行きたいと言ったら食糧や交易品が詰まったこの袋と共にすんなり差し出された。


 魔族に襲われた姪を厄介払いしたい気持ちと、親族の情――島長やそれを見逃す島民の複雑な気持ちは、男も分からない訳ではない。


 海巫女に直に頼まれなければ――近くの島の魔族を一掃したという話をされなければ、セナが魔族の子を孕んでいる可能性をアズーブラウが否定しなければ、男がこの姉弟を引き取る事もなかっただろう。


 ラリマー島の島民は魔族を見慣れていなかったが、男が住む島はよく魔族の被害にあっていた。だから魔族の島に確認しに行って魔族達の無惨な遺骸を見た時は素直に喜び、海巫女マールの『セナをラリマー島から引き取って欲しい』という願いを二つ返事で引き受けたのである。


「……しっかし、助けてくれた海神様と海巫女様を追い出すたぁお前らも罰当たりな事しやがるなあ。津波や荒波を沈めてくれた、魔族を退治してくれた……そんな海神様と海巫女様の正体が醜い魔物だろうと魔族だろうが、何だっていいじゃねぇか」


「巫女……悪魔……悪魔……うっ……うう……」


 セナはうわ言をやめて啜り泣く。この状況で男の言葉を肯定できる訳もなく、ククルクは顔を伏せて呻くように呟く。


「……僕達は、その魔物や魔族に両親を殺されたので」

「そんなのは何の言い訳にもなんねぇよ。この海に生きる奴は大抵家族を海か魔物か魔族に殺されてるからな。運が悪かった、で諦めるしかねぇんだ俺達は」


 男の持論にククルクは俯いたきり顔をあげず、セナの啜り泣きも一層酷くなる。

 男はそんな姉弟の姿から視線をそらし、明るくなる空を眺めながら誰に言うでもなく、ぼやいた。


「……俺は海より魔物より魔族より、人の方がよっぽど怖いけどなぁ。涙を流しながら生きてる奴を捧げるし、自分達の為にと尽くしてくれた子すら怖いからって理由で焼こうとする……これ以上に怖いものなんてあるかぁ? ま、何人も生贄が海に飛び込むのを黙って眺めてた俺が言えた事じゃねぇんだけどよ」


 男は数年前まで行われていた生贄の儀式の記憶を振り返る。泣き叫ぶ生贄も、パニックを起こす生贄も。時には嫌がる生贄を無理矢理突き落とした事すらある。


 だからこそ、一切抗わず、供え物にも最低限しか手を伸ばさなかったマールの姿が印象に残った。


「……俺の島で面倒見てやる代わりにもうあの子を悪魔呼ばわりするのは止めろ。あの子は、魔物から、魔族から、そして人からもお前らを救ったんだよ……本当に、綺麗な心の子だったよ。あの子がいてくれりゃあこの海はずっと平和だったんだろうになぁ」

「マ……マールは、もういないんですか……?」

「ああ。お前らん所の島長の息子と一緒に大陸の方に行くってよ。もう二度と戻って来ないだろうな」

「マール……悪魔、悪魔……!!」

「大丈夫、姉さん、大丈夫だから……もうマールはいないから……!!」


 ククルクは震える腕でセナの口を塞ぐ。今になって姉の感情が分かる。自分達の環境を滅ぼした悪魔に対しての複雑な感情が。


 ただ、ククルク自身はマールに悪感情を抱いていなかった。マールはククルクの願いを聞き入れてくれたのだ。


 助け方は姉を恐怖のどん底に陥れたかもしれない。しかし結果として姉は無事で、魔族の島を――母の仇までも討ち取ってくれた。もしかしたら、父の仇すら取ってくれているのかもしれない。


 その上、眼の前の男の言う通り、魔族にさらわれた時点で姉は見捨てられる存在だった。

 悪魔と罵られても、強い敵意や悪意を向けられようと、それでも姉の未来を案じて手引してくれたマールの優しさにククルクは涙するほかなかった。


 男はそんな姉弟に目を向けず、大陸があると言われる方角を見据える。


 マールと紺碧の大蛇が去った事は残念だったが、数年前までの状態に戻っただけだ。こんな場所に強大な力を持つ者が居続ければまた何かしら厄介な事になっていくのも目に見えている。


 海が穏やかになり、魔族がいなくなった益を享受できただけでもありがたいと思うべきだろう。


(……大陸で幸せになれるといいな、海巫女様)


 ――不幸な姉弟を前に、男は海巫女にそっと祈りを捧げた。




 一方、その頃――天界では。


 豪華に縁取られた巨大な鏡の向こうに自ら脱いだ蛇の抜け殻をくわえる蛇達が飛び交う。

 蛇が冥王のすぐ近くにある箱の近くに自身の抜け殻を入れ、また何処かへと飛んでいく中、冥王は自分の頭部の蛇の脱皮を助けていた。


 頭部の蛇は尾が頭にくっついている為、なかなか一匹では脱皮できないのである。脱皮を終えた蛇も他の蛇の脱皮を助けているが、やはり一番手際が良いのは勝手を知ったる冥王であった。

 皮を剥くのが楽しいのだろうか? 冥王の口元が少しだけ緩んでいる。


 そんな冥王を眺めながら、天界の長が呆れたように声をかけた。


「冥王よ……とある星にお前の髪の毛が1本紛れ込んでいるようだが」

『ああ……髪の毛は自然と抜けるものだからな。仕事をしない奴らに代わって穢れた魂と大量死の原因の突き止めている際に迷い込んだのかもしれんな』


 しれっと天界の怠慢をチクってくる冥王に天界の長は一切動じない。


「その髪の毛と一体化している魔物に『水の支配』がかかっているようだが?」

『知らん。そこの星の者が悪さをしたのではないか? あの星には他の神法も使われているようだったしな。そいつらが私から抜けた蛇を悪用してるのかもしれんなぁ……我らしか使えないはずの神法を使える者が星に存在している、というのは問題なのではないか? 何故そちらは対処しない?』


 重なる追求に冥王は素知らぬ顔で疑問を問い返すと、そこで初めて天界の長は眉をしかめる。

 明らかに水の支配をかけたのは冥王だが、冥王が言う通り、あの星には他の神法もかかっている――しかもその神法は刻まれた竜と人との間で分離し、何だかとっても厄介な状態になっている。


「……あれは仕方がないのだ。今更下手に干渉すると星が大きなダメージを受ける。しかし、お前の支配は別も」

「黙れ。こちらは厄介な魂が減った事で久々に蛇達の脱皮を手伝う余裕ができたというのに『こっちは良いけどお前はダメ』だなどと言われるのは非常に気分が悪い。星が死ぬまで持つようにわざわざ不変エオニオまでかけてやったのだ。放っておけばいいだろう? 冥界の門を閉ざされたくなければもう何も言うな!」


 機嫌を悪くした冥王は自分がかけた事を堂々を白状した後ブチッと通信を切った。巨大な鏡が映し出すのは天界の長と、一部始終を見ていた側近の天使達。


「い……いかがします?」


 冥王が言っていた通り、神法は星に生きる者が使えば禁忌である。

 だが、水の支配は術者が冥王であり、星に生きる者が禁忌を犯したとは言い難い。その上滅すれば最悪、冥界の門を閉ざされてしまう。


「……放っておくしか、あるまい……」

「しかし、もし何か起きたら……」

「その時はちゃんと話を聞かなかった向こうが悪い! あの星が消えたら魂は全部冥界に送ってやれ! そもそも最初の一件にお前達が早々に気づいていれば、あんな風に言われる事は無かったのだぞ!!」


 当たり散らす天界の長から放たれる波動に怯えた天使達はそそくさとその場から逃げ出していく。


「……幸い、あの門は神法によって固く閉ざされている……そこに新たに水の支配が加わった程度で何が変わる訳でもない……星が終わるまで、幽世を揺るがす程の事さえ起きなければ良いのだ。これ以上、誰も余計な事をしなければ……」


 ブツブツと呟く天界の長の願いも虚しく、ここからまた余計な事が起きるのだが――それはこの次の話である。




 かくして冥王の毛先アズーブラウと、アズーブラウと繋がってしまったが為に島を追われる事になってしまったマールは、冥王が自分がかけた神法の末路を天界の長から説明される前に通信を切ってしまった為に現状を知られる事はなく、天界からも見逃される事になった。



 彼女らはグリムと一緒に降り立った大陸の内部で魔物や魔族に悩まされる人達を助けると、すぐに神だと持て囃され、そこに小さな村を作った。


 グリムの言うとおり、何の確執もない彼らは素直にマールを崇め、そんな彼らの幸せそうな笑顔にマールの魂は少しずつ癒やされていく。

 

 紺碧の大蛇が守ってくれる村の噂はすぐに広まり、村はどんどん大きくなっていく。そんなある日の事――


「マール様、この村も大分大きくなりましたので名前をつけて頂けますか?」

「……ど、どうしよう、グリム」


 オロオロとグリムの方を見ると、グリムは優しく微笑む。ここに来てからマールは自分で判断せずにグリムを頼るようになった。


 グリムはマールとアズーブラウよりずっと頭がいい。島長の息子という事もあってか人の動かし方をよく知っているし、物事をよく見ている。

 だから本音を言えば村人達もグリムに直接指示を仰ぎたいのだが、グリムはまずはマールに指示を仰ぐようにいう。


 そうすればマールは自分に相談してくれる。

 アズーブラウやマールのように戦う力もない自分が、マールの傍にいる事が許され、マールに認めてもらえている事を感じられる。それがグリムにとって何物にも代えがたい喜びだった。


「マールの好きな名前をつければいいよ。問題ありそうな名前だったら言うから」

「じゃあ…………ラリマーにしていい?ここが私の、一番大切な場所だから……」

「……いいよ」


 オロオロと自分を見つめるマールにグリムは優しく微笑みかけると、マールも安堵の笑みを浮かべる。

 美しく歪んだ、温かい関係がそこにあった。


 アズーブラウだけがいつか冥王に叱られる日が来るかも、と内心ビクビクしていたが全然そんな気配もなく――数十年後、グリムが病で亡くなった後、後を追うようにマールが亡くなった瞬間――次はマール達の娘から離れられなくなってしまった。


「……アズーブラウ、お母さんと一緒に行かないの?」

『行けないみたい』

「何で?」

『よく分かんない』


 大好きなマールの綺麗な魂と一緒に冥王の所に行きたかったアズーブラウだが、それが出来なくなって涙ぐむ。

 そんなアズーブラウが可哀想になったマールの娘はアズーブラウに微笑みかけた。


「……じゃあ、私と一緒にラリマー守ってくれる? お母さんがいなくなったらアズーブラウもいなくなっちゃうって、皆不安だったの」

『分かった。マールの一番大切な場所、僕が守る』


 こうして、小さな島の名前を付けられた村は更に大きくなっていき、1つの国家を築き上げる事になる。そして青の魔力を持つ者は徐々に増えていった。


 青の魔力を持つ者はマールとグリムどちらから受け継がれた物か、あるいは引き継がれていく核の冷たさのせいか――冷酷無比かつ無邪気な気質はル・ティベル史上において、時折思い出したように人々を恐怖に陥れるような事件を刻みながら広がり、他の色と混ざっていく事になる。


 何が起きているのかよく分かっていないアズーブラウは大丈夫なのかなぁと思いつつ『魔族や強い魔物とは戦うけど弱い者いじめはやだ』と宿主を困らせつつ、大好きなマールの一番大切な場所を守り続けるのであった。



――――――――――――――――――――――――――――――――

※次話から緑の話になります。

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