第8話 人の本質


 島民達から吹き出した、周囲を覆うほど濃い靄にマールは戸惑う。


(どうして? 魔族からセナを助けたのに、頑張って魔族の島の魔族も一掃してきたのに)

 

 紺碧の大蛇から吐き出される醜悪な魔族の遺骸を前に失神する者も何人か現れ、傍にいた島民に支えられる。


「ほら、悪魔でしょ!? 悪魔が悪魔を吐き出してる!! 悪魔ぁ!!」


 ククルクの腕の中でセナが壊れたように叫びマールを指し示した。

 悍ましい光景に島民達の中にもマールに対する強い恐怖を抱く者が大勢いた。が――


「ち、違うもん!! 私、悪魔なんかじゃないもん!! これ、私とアズーブラウがやっつけた魔族だもん……!!」


 今泣き崩れそうになっているマールを追い詰めれば、今度は自分達が紺碧の大蛇に食われてしまう。

 アズーブラウの前に吐き出された魔族の成れの果てを前に、黒い靄を出したまま島長が口元を歪めた。


「そ……そうだな。マールは悪魔じゃない。セナを助ける為に、魔族を殺してきてくれただけだろう?」

「そうだよ……! 私、セナを助けに行っただけだよ……!」

「そうかい……ありがとう、マール……」


 島民達の数人が顔を笑顔に歪めてマールに温かい声をかけるようにつとめる中、セナが「何で! どうして!!」と叫ぶ。

 島長の目配せにククルクがセナを半ば引きずるように人溜まりから遠ざけていく。


「マール、魔族をたくさん殺して疲れただろう……? 詳しい話は明日聞くから、今日は小屋に戻ってゆっくり休むといい。後で夕ご飯を届けさせよう」

「……うん。でも今日はもう寝るから夕ご飯いらない」

「何も食べずに寝るのは良くない。後で青蜜柑のジュースを持っていくからそれを飲んでから寝なさい」

「……分かった」


 島長の言葉にマールが頷いて小屋の方に体を向けると、アズーブラウがシュルシュルと小さくなってマールの首に垂れ下がり、小屋に入るなりマールの心に呼びかけた。


『……ここの皆、僕達に感謝してない。怖がってる』


 それはマールも痛いくらいに感じていた。いくら笑顔を浮かべていても、優しい声を出しても、島民から黒い靄は収まっていなかった。


「……大丈夫だよ。皆ちょっと不安になってるだけだよ。私もさっきいっぱい魔族吐き出されるの、ちょっと気持ち悪かったもん」

『僕のせい?』


 マールの眉を潜めた表情にアズーブラウが頭を傾げて心配そうに問いかけると、マールは眉を下げて微笑んだ。


「ううん、アズーブラウは悪くないよ……悪いのは、皆を怖がらせちゃった私と怖がっちゃった皆。ごめんね、アズーブラウに嫌な思いさせちゃったね」

『僕、嫌な思いしてないよ。ただ、マールが悲しいと、僕も悲しい』


 アズーブラウは本当に嫌な思いはしていない。魔族の亡骸を見せたらこうなると察していた。

 ただ、マールがこうなるとは思っていなかった。マールが悲しみに包まれている事は素直に悲しかった。


『マール、汚れてる。綺麗にしてあげる』


 アズーブラウがマールの周囲を一回転すると紺碧色の光がマールを包み、服や体についた魔族の体液を綺麗に浄化していく。


「わぁ……アズーブラウって本当に凄いんだね!」

『マールも魔力使ったらこういう魔法使えるようになるよ。明日、教えてあげる。だから、微笑って』


 マールの悲しみが感動で薄れていくのを見てアズーブラウは満足した後、寝台に潜り込んだ。

 マールも早く眠りたい、と思ったものの島長が飲み物を持って来る。まだ眠る事は出来ない。


(飲んだ後にすぐ寝られるよう、先に部屋の雨戸を締めてしまおう……)


 そう思って開けっ放しの窓に近づいた時、「マール」と小さく呼びかける声が聞こえた。

 声がした方を見ると真剣な表情のグリムが立っている。


「どうしたのグリム……そんな所で」


 用があるなら入ってくればいいのに――と言いかけるより前にグリムが言葉を被せた。


「マール、さっきの蛇に乗って早くこの島から逃げるんだ。」

「どっ、どうして? 私、頑張ったんだよ? 魔族の巣だって潰してきたよ? 嘘じゃないよ?」

「……皆マールが嘘を言ってるとは思ってないよ。でも皆、マールの事を恐れてる……このままだと殺されるかもしれない、今のうちに早く逃げるんだ。これ、干し肉とか青蜜柑とか詰め込んできたから持っていって」


 差し出された小袋は2日位なら凌げそうな程の食糧が入っていた。グリムが本気でマールの事を心配している様子が伺える。

 しかし、マールはその袋を受け取らない。一切手を伸ばさずに微笑んだ。


「グリムは心配性だね……大丈夫だよ。もう何の危険もないんだから、一晩立って落ち着いたらまた皆幸せになるよ」

「マール……?」

「……皆、皆ね、幸せなら綺麗なの。不安になると醜くなっちゃうの。皆同じなの。私だって死ぬって思った時、凄く醜くなっちゃったの」


 海に落ちた後、息ができない苦しさと激痛に追い詰められた時に自分が考えた事を思えば、セナに手を差し伸べた時に出た靄など全然気にならなかった。


「だから、だからね、私が魔族をやっつけたって分かってもらえたらまた皆幸せになるはずなの。だから、大丈夫だよグリム。私、ちょっとやりかた間違えて皆を不安にさせちゃったけど、またすぐ皆笑顔になるよ!」


 マールの笑顔と流れる水のようにとめどなく溢れる言葉にグリムは戸惑う。


「……本当に、そう思うかい?」

「うん」

「悪魔って言われても、口汚く罵られても許すのかい?」

「うん……セナも私と同じだよ。美人だって凄い人だって、死を目前にしたら皆醜くなるの。私知ってるの。醜い人の姿は、多くの人の気持ちを醜くするって。ほら、私達が小さい頃、この島に助けを求めに来た人がいたじゃない? あの人だって必死だったのに、皆嫌な気持ちになっちゃった」


 マールに言われてグリムも幼い記憶を思いだす。

 生贄の儀式を断った島が津波の被害にあい、物資と人手を求めてやってきた男が島の大人達が冷たく槍や弓を向けて追い返す光景をグリムも見ている。


 だが、それだけだった。追い返された男の絶望した表情も叫びも、槍や弓を向ける島人の冷めた表情にも、グリムは何の感慨も抱かなかった。

 逆らった者が報いを受けるのは当然で、逆らった者に報いを与えるのは当然だからだ。


 生贄の事だって選ばれたのが大切な人マールだったから抗っただけで、グリムの本質は島人のそれと変わらない。

 むしろ(セナが贄に選ばれれば邪魔者がいなくなる)と思っていた分、グリムの本質は悪質――邪悪とも言える。


 だけど、マールは違った。違ったがゆえに抗った者の末路に心を痛め、(同じような人間を出したくない)という優しさと(自分が同じ視線を浴びたくない)という不安で恐怖を抑え、大人しく生贄になった。


 その後も島人が望むなら、と捧げ物を惜しみなく配り、友達に自分を嫌う者を助けてと願われれば自分の手を血に染めることも厭わずに助け、自分を悪魔と罵る者の憎悪や不安すら哀れむ。


「私も、セナから悪魔って言われてすごく嫌な気持ちになったよ? せっかく助けてあげたのにって思った。でもセナも凄く怖かったんだと思う。海に落ちた時の私みたいに、凄く醜い気持ちになっちゃってるんだと思う。人って不安だと凄く醜くなっちゃうんだ。そういうものなんだよ」


 マールの本質は誰より弱く――善良なものであった。だからこそグリムはマールに惹かれている。

 自分にはない綺麗なものを、マールは持っているから。


「……マールも死にかけた時、醜い気持ちになったの?」

「うん。だって、私、グリムにも、セナにも、島の皆に対して凄く嫌な事、酷い事考えちゃったもん。でも今はそんな事全然考えてない。だからセナも、島の皆も、怖くなくなれば今の私みたいになる。また元の平和で綺麗なラリマー島に戻るよ。だから、セナや島の人を怒らないで」


 マールの優しい声からは素直にセナを心配し、島人達を大切に想っているのが感じ取れた。


 真っ直ぐに相手を見つめるその淀みのない眼差しも、色以外まるで変わっていない。贄に選ばれた時と同じ、強い意志が込められた目にグリムはマールを説得する事を諦める。


「…………マール、もし、危ないって思ったら、あっちの森の……僕達が小さい頃、よく2人で遊んだ大きな木があるだろう? あそこに来て」

「本当に心配性だなぁ、グリムは」

「約束して。何事もなかったら笑い飛ばしてくれればいいから」

「……うん。分かった」

「忘れないで……誰が何て言ったって、僕はずっとマールの味方だから。小さな頃から、ずっと」


 グリムはそう言い残すと、袋を持って駆け出していく。


(どうしたんだろう、グリム……)


 この集落には同じ年頃の子どもがグリムしかおらず、両親が生きていた頃からずっと一緒に遊んでいた。

 セナ達が来てから2人きりで遊ぶ事はなくなってしまったけれど、それまではよくグリムの言っていた森の大きな木の近くで遊んでいた。


 不器用なマールは何でも出来るグリムに憧れていたし、色々助けてくれるグリムが大好きだった。


 この島で、一番大切な存在だった――のに、死にかけた時には恨んだ。


 グリムにはどうしようもなかっただろうと分かっていたのに、それでも恨んでしまった。

 その後ろめたさを感じて距離をおいていたのに。そんな自分を気遣うグリムに、マールは尚更罪悪感を抱いてしまう。

 


「マール、ジュースを持ってきたぞ」


 出入口の方で島長の声がして、マールは考えるのをやめた。青蜜柑のジュースが入ったコップを受け取って飲んだ後、島長に返す。


 少し苦味を感じた事は作ってくれた島長に悪い気がして言えなかった。

 きっとまだ熟れていない青蜜柑も混ざっていたのだろう、そう自分を納得させて島長の背中を見送ると、一つ欠伸あくびが漏れた。


(……早く寝よう。そしてアズーブラウから魔法を教えてもらおう)


 首を傾げるアズーブラウに困ったように微笑んだマールは寝台に上がり、薄い布を被ると強い睡魔に襲われ、そのまま深い眠りについた。




『マール、起きて! マール!』



 アズーブラウの声がマールの頭の中に響く。重いまぶたを開いて身を起こすと、淡く輝く紺碧の障壁が自分を覆っている事に気づく。


 障壁の向こうは真っ暗で、何も見えない。ただ、バチバチ、と木が燃えるような音と匂いが立ち込める。


『お家、燃えてるの。逃げよう』


 マールは一体何が起きているのか分からず、まだ眠気も抜けぬまま大きくなったアズーブラウにギュッとしがみついた。

 アズーブラウは口から大きな紺碧の弾を吐き出すと壁に大きな穴を開け、そこから抜け出す。


 燃えて本来のバランスを失っている上に壁が崩れた小屋はガラガラと音を立てて一気に崩れ落ちる。

 巻き込まれないようにアズーブラウが空中への浮かび上がると、下の方から男の怒声が響いた。


「逃げだぞ!!」

「まだ間に合う、撃ち落とせ!!」


 マールとアズーブラウを覆う紺碧色の障壁に向けて矢が放たれる。明らかに何者かに狙われている、という事実がマールの眠気が一気に引いていく。


 それでもまだマールには状況が理解できない。何者かが小屋を襲っている、自分達を狙っている、という事しか分からないのだ。


「アズーブラウ、ちょっと待って……! 何があったのか、確認しないと……! 集落の皆は無事なの……!?」


 アズーブラウが方向転換して島民達を見下ろすと、人が蜘蛛の子を散らすように散っていく。

 そしてマールの小屋だけが、周囲に油でも撒いたかように勢いよく燃え盛っている。


 逃げていく見覚えのある民達の背中、自分の小屋だけ燃えている事実、そして、集落全体を覆うように漂う黒い靄――それらが何を意味しているかをマールが理解した瞬間、中に抑えきれない感情が声に溢れ出る。


「どうして……ねぇ、どうして!? 何で!? もう怖くないのに……皆、大丈夫なのに!!」

『マール、ここ、怖い。逃げよう』

「何で……! どうして……!」


 どうして、の答えが出ないとマールは納得してくれない――そうアズーブラウは考えたが、自分にはどうしても答えが1つしか出せなかった。


 でも「皆、僕達が怖いから」と言ってしまったら更にマールを悲しませてしまう気がして言えなかった。


『……僕、分かんない』


 少しの不安や恐怖なら楽しくて綺麗な魔法で払えても、今マールを包み込んでいる絶望はそんな事で払えそうにない。

 でもマールが悲しんでるのが辛いアズーブラウは何か良い方法がないか一生懸命考えた。


『……あの子探して、聞いてみる?』

「あの子……? でも、セナは話を聞いてくれる状態じゃ……」


 あの子、という言い方が不味かったようでマールは別の少女を連想した。アズーブラウは違うと言わんばかりに頭を横にふる。


『僕達が魔族の島に行く前やさっきマールが寝る前に話してた子……グリム?』


 マールの絶望の中に、小さな希望が見えた。

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