第4話 紺碧の蛇


 生贄の儀式から、3年――生贄を捧げずとも波が穏やかになった事から儀式は廃止され、どの島の人々も海の脅威から開放された喜びを噛み締めている。


 何処の島も、生贄に選ばれるのは親を事故で亡くした身寄りのない孤児が多かった。

 しかし例え孤児と言えど共に生きてきた者を見殺しにする精神的な負担は大きい。

 それでも他の島も従っているのだから――と泣く泣く続けてきた悪習から解放してくれたマールを各島の人々は海巫女うみみことして崇め、他の島から参拝者が供え物を持ってやってくる程特別な存在となっていた。


 海巫女にみすぼらしい生活をさせてはならない、とマールが住んでいたボロ小屋は島長やグリムが住む小屋より立派な物に建て替えられ、その小屋の中でマールは毎日化粧を施され、綺麗な服と装飾品を身に着けさせられるようになる。


 以前のように島を駆け回る事ができなくなり窮屈な生活になってしまったが、マールは嬉しかった。


 釣りも装飾品作りも木登りも下手で、贄になる位でしか役に立てなかったあの頃の自分とは違う。

 もらった供え物を皆にあげるだけで皆が喜んでくれる。今、自分は間違いなく皆の役に立っている――その満足感がマールの心の穴を埋めていた。


 ただ、マールには2つ気がかりな事があった。1つは大量に贈られてきた贈り物や参拝者の数は年月が経つごとに減っていく事。

 いつか誰も来なくなるのではないか、とマールは仄かな不安を感じていた。


 そしてもう1つは儀式から生きて戻ってきた後から島人の周囲に黒いもやが見えるようになった事。


 まるで体から滲み出るような薄気味悪い靄は島人の殆どから出ており、その嫌な感じを伝えれば周りの人を不安にさせるだけのような気がして、マールは靄の事を誰にも相談する事ができなかった。


 ただ、供え物を分けたり島人の言葉に従う事でその靄は徐々にではあるが薄れていく。反対に少しでもマールが嫌がれば靄は濃くなっていく。


 だからマールは食べたい物が贈られると自分の分を確保した上で島人達にあげた。それでも靄が出る時はある。

 美味しいものを食べる喜びよりその靄が気になって、結局誰かが欲しいと言ってきた供え物には手を付けずにあげるようになった。


 その日もマールは小屋の前で参拝者が持ってきた供え物のスイカによく似た果物カルプジを島人にあげた。靄を抱えていた島人は笑顔になり靄を晴らして嬉しそうにカルプジを抱えて去っていく。


 そんなやりとりを見ていたグリムが心配そうな表情でマールに歩み寄る。


「マール、いいのか? カルプジなんて滅多に食べられないのに」

「いいの。いっぱいもらうから食べ飽きちゃった」

「嘘だ。僕が見てる限り美味しいものは全部皆にあげてるじゃないか……」


 マールが魅力的な供え物に一切手を付けずに全部島人にあげている事をグリムは知っていた。

 誰からも欲しいと言われないような、この島でも採れる供え物だけ食べている事を。


「グ、グリムがいない時に食べてるの!」

「マール……皆にそんなに気を使わなくていい。マールは海神様からの伝言を賜った特別な存在なんだから、もっと偉そうにしてていいんだって! お腹いっぱいで食べられないから皆にあげるって言うなら分かるけど、そうじゃないだろ?」


 マールが贈り物の量に合わせてふっくらぽっちゃりとしていればグリムも特に疑問は抱かなかっただろう。

 しかし、マールの体型は儀式の時と同じ――いや、少し背が高くなった位で悪い意味でほっそりとした印象を受ける。

 化粧で血色を隠しているから目立たないものの、普段からマールをよく見ているグリムは彼女の顔色も悪い事にも気づいていた。


「マール、何か悩みとかあるなら、何でも……」

「グリム! 何してるのよ、今日は3人で森に行く約束でしょ!?」


 グリムの優しい問いかけはセナの甲高い声に遮られた。

 明らかに不機嫌そうなセナはスタスタと2人の所へと歩み寄ってきた。その後にセナの弟であるククルクが気まずそうについてくる。


 セナはマールと同じ孤児とは思えない位に血色も良く、美しい顔立ちに艶やかな髪に豊満な胸――飾り立てられた同い年のマールが可哀想になるくらいに美しい。


 しかしグリムはマールに向けていた心配そうな表情の眉を少ししかめてセナを見据える。


「……今から行く所だったんだよ。ああ、マールも一緒に行こうよ? 今、アズーブラウの実や青蜜柑が森にいっぱい成ってるんだ」

「グリム、何言ってるの? 海巫女様は小屋で祈りを捧げてれば皆食べ物いっぱい持ってきてくれるんだから、私達みたいにわざわざ森に入る必要なんて無いわ! 森に入って海巫女様の大切な体に傷がついたら、また海が荒れちゃうじゃない!」


 丁寧な言い回しではあるがセナの刺々しい言葉がマールの心に刺さる。セナから滲み出る靄は島人達の中でも一層濃い。


 その上、マールが何を言っても靄は濃くなるばかり。以前はマールが傷ついたように顔を俯ける事で少し靄が晴れたが、最近はそうしても靄が濃くなる事が多い。


 一体どうすれば、どう接すればセナの靄は晴れてくれるのか――マールがじっと顔をうつむけながら考えているうちに、セナは言葉を続ける事無く森の方へと歩いていく。


「ご、ごめんね、マール……」


 実の姉の態度を申し訳なく思いながら、姉とは違って素朴で年相応の少年、という印象を受けるククルクが深く頭を下げる。

 ククルクには靄は感じない。グリムと同じように靄を出さないでいてくれる貴重な存在を悲しませたくない、とマールは強く思い、顔を上げて微笑んでみせた。


「ううん、いいの……! じゃあ皆、いってらっしゃい!」


 マールの笑顔を見たククルクはホッとした表情でセナを追いかける。グリムはそんなマールの笑顔に少し不安を覚えた。


「マール……後でアズーブラウの実も青蜜柑もいっぱい持ってくるから。一緒に食べながら、ちゃんと話そう!」


 グリムはそれだけ言うとマールの返事を待たずに2人の後を追いかけた。マールは3人の背中を見送った後、笑顔を貼り付けたまま小屋に戻る。



(海巫女様、かぁ……)


 小屋に入りドアを締めて一つ長いため息を吐くと、隣の部屋から紺碧の蛇がマールの足元へと寄ってくる。


『マール、また魂穢れかかってる。何かあったの?』

「ああ、ごめん……何でもないよ、アズーブラウ」


 紺碧の蛇にもそのまま笑顔を向けて手を差し伸べると紺碧の蛇はスルリとマールの腕に巻き付く。

 マールは腕に紺碧の蛇を巻き付けたまま隣の部屋へと向かい、椅子にゆっくりと腰掛ける。


 そして窓から見える森の方を眺めながら、紺碧の蛇と再会した時の事を思い返した。




 生贄の儀式から一週間後、紺碧の蛇は再びマールの夢の中に現れた。様々な青が混ざり合う空間の中でキョロっと大きい目でマールを見つめる。


 2度めの対面だからか、自分が海岸で意識を失っている時に紺碧の蛇が傍にいた、とグリムから聞いてこの蛇は悪い蛇じゃない、と何となく分かっていたからか――マールは紺碧の蛇を怖いとは感じなかった。


『もう生贄出しちゃ駄目って、伝えた?』

「伝えたよ。しばらく様子見るって」


 でももし、また海が荒れたらきっともう一度自分が生贄になる――そんな不安がよぎると紺碧の蛇はマールの不安を察したかのように彼女の頭の周囲をぐるぐると回り始めた。


『大丈夫だよ! 悪さしてた奴はいなくなったから、波はまた元通りになる!』


 うにょうにょと宙に身を踊らせながら回る蛇の言葉にマールは目を丸くする。


「誰かが、悪い事してたの?」

『そう。すっごく大きな海蛇が波を起こしてたんだ! でも冥王様が海蛇の魂持って帰ったから、もう大丈夫!』

「冥王様……?」


 困惑するマールに紺碧の蛇は自分がどういう存在であるかを説明した。


 この世界とは別に、死んだ魂が穢れを落とす為に休む幽世がある事。


 穢れは負の感情――嫌な気持ちによって刻まれる事。穢れた魂は扱いに困る事。


 だから穢れた魂が増えないように冥王がこの星に降り立って悪さをしていた巨海蛇の魂を持っていった事。


 そのついでに巨海蛇の核にこの星の水の災害を抑える術を刻んだ事。


 自分はこれ以上贄を出さないように人に伝えろって言われて残されて、贄になりかけたマールを助けようとして失敗して、巨海蛇の核をマールに分け与えたらマールの近くから離れられなくなってしまった事。


 マールの目の色が変わったのは、核が生み出す魔力の影響である事――


 紺碧の蛇が話す内容は10歳のマールにとって難しく、また蛇自信どう説明すれば良いのか分からず有耶無耶になってしまった所もあった。

 特に何故マールから離れられなくなってしまったのか、紺碧の蛇には巨海蛇の核を削ってしまったからかも、という事しか分からない。


 分からない事だらけの蛇の説明にマールは困惑した末に考える事を放棄した。


『よく分かんないけど、冥王様が悪い奴をやっつけてくれたから海は突然荒れたりしないし、貴方は私を助けたせいで私から離れられなくなっちゃったって事なんだね?』


 マールが問いかけると紺碧の蛇はこくんと頷いた。


『そっかぁ……私と離れられないなら、一緒に住むしかないよね……えっと、貴方、名前は?』


 マールの問いかけに蛇は頭を横にふる。本来、冥王の頭から分離した際に個体として認められて識別番号を貰うのだがこの蛇は貰えなかった。


『……名前、無いの? なら私が付けてあげる。えーっとねぇ……あ、そうだ、アズーブラウってどうかな!? 木の実の名前なんだけど、貴方と同じ色をしてるの!』


 その蛇の色を見てマールがすぐ様思い浮かんだ、想い出の実――それを食べて海に飛び込んだらこの蛇が助けてくれた、と思うとこの名前しか思い浮かばなかった。


 蛇も仕事をする上で必要な識別番号ではなく、個体の存在を認める名前の違いだろうか? 偉大な主から貰うはずだった番号よりマールから貰った名前に特別感を覚えた。


『名前、つけてくれてありがとう。君の名前は?』

『あっ、私の名前はマールだよ。よろしくね!』

『……マール、皆に僕の事も冥界の事も言ったら駄目』

『何で?』

『分かんない。でも冥王様は星に降りる時「知られると面倒臭い事になるから」っていつもこそこそしてた。マールには言わなきゃと思ったけど僕、ここの人達に存在知られたくない』

「よく分かんないけど……分かった。秘密にする」


 この蛇が自分を助けてくれたのは間違いない。

 だけど海神様じゃなくて死後の世界の王様の使いだと知られたら、島の皆を怖がらせてしまう――よく分かってない少女と今いち分かってない蛇の秘密は誰にも知られずに3年後の今に至る。



『もう海は荒れないし、生贄の儀式もなくなったのに、何でマールは魂穢そうとするの?』

「穢そうとしてるつもりはないんだけどなぁ……勝手に穢れちゃうの」


 穢れが嫌な気持ちから生まれる――自分の中に嫌な気持ちがある事自体はマール自身分かっていた。


(儀式が無くなって、皆幸せになったはずなのに……贈り物だって皆にあげてるし……皆笑顔で優しく接してくれるし、嫌な事だって言ってこないのに、何でセナだけ……)


 最初は生贄の儀式に選ばれた自分が戻ってきた事で次はセナ自身が捧げられるのでは、と不安になったんだろうとマールは考えていた。

 セナも自分と同じ、孤児だからだ。

 ラリマー島に順番が回ってきてから生贄が決まる時まで、セナが物凄くピリピリしていた事を覚えている。


 ただマールと違ってセナとククルクは島長の姉の子で、グリムと従兄弟にあたる。5年前、島長の姉が嫁いだ先の島が津波に襲われ、孤児となった2人を島長が引き取ったという経緯がある。


 他島出身でも島長の縁者であるセナとククルク、ラリマー島の民ではあるが親を失い身寄りのないマール――誰が生贄になるのか、という状況は仲良く遊んでいた少年少女達の関係をギクシャクさせた。


 しかし生贄に選ばれたのはマールで、ギクシャクする原因だった生贄の儀式は廃止された。


 だからもうセナが自分を避ける理由はないはずなのに、どうしてだろう――そんな事を考えているうちにマールはいつの間にか寝入ってしまっていた。


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