第3話 海神の巫女


(ぼくのせい!? ぼくのせいなの!?)


 巨海蛇の口の中に感じる血の風味とどんどん穢れていく魂に紺碧の蛇はパニックを起こしていた。


 冥王から『贄を出す愚かな者達を諫めよ』と命じられた後、紺碧の蛇は巨海蛇の体を操って島の付近の海を泳いでいた。


(生贄が投げ込まれたら助けて、その後生贄を投げた者達に生贄駄目! って注意するつもりだったのに……!)


 そして海に飛び込む飾り立てられた少女を発見し、早速助けようと陸に運ぼうとして口に含んだ際――巨海蛇の感覚や距離感を掴めず、うっかり生贄の肩を噛んでしまった。


 このままでは生贄は失血死、あるいは溺死で死んでしまう――


(どうしよう……! 贄を出すなって言われたのに、これじゃ冥王様に怒られる……!!)


 初めて役目を課せられて即失敗するなんて――と紺碧の蛇は恐怖に震え、どうすればいいか必死に考えた。

 不幸な事に蛇には相談できる相手もおらず、主に助けを求める術もない。


 とにかく死んで魂が体から切り離されてしまったらもうどうしようもなくなってしまう。

 まずは陸地に行かないと――と紺碧の蛇は近くの島へと向かい、海岸に着くなり巨海蛇の口からマールを吐き出した。


 岩場に落とされた衝撃でマールの口から海水が吐き出される。薄く赤に染まる服を着るマールの顔は青白く、意識がないのは明らかだった。


(意識がない、血もいっぱい出てる……このままじゃ死んじゃう! 何でこの子、核持ってないの!?)


 魔力を持つ者は命の危機に瀕した時にその魔力を自己治癒にあてる。けして強い治癒力ではないが、僅かな治癒能力のお陰で九死に一生を得ることもある。


 しかし生命に高い知能と魔力が備わると、魔族と同じような存在に――星を潰す存在になりかねない。

 その為、状況によっては進化の過程で魔力を作り出す核を抜かれる存在もいる。

 だから魂には色付きと色無しがいるんだ――と物知りな先輩蛇に教えられた事を蛇は思い出した。


 不幸な事に眼の前にいる少女――人という種族はそれに該当するらしい。


 だが核がない、という事実は蛇に希望ももたらした。今からでも核を入れれば魔力が生まれ、その魔力が体と魂と繋ぎ止めてくれる可能性が生まれるからだ。


(巨海蛇の核……これだけ大きかったら少し分離できないかな?)


 自分達は生まれる際、冥王の核から砂の1粒程の大きさの核が分け与えられる。

 今蛇自身が持つ核は誰かに分け与えられる程大きくはないが、巨海蛇の核ならば――


(うん、今僕が出来る方法はこれしか無い……!)


 この時、パニックになっていた紺碧の蛇は1つ重要な事を忘れていたのだが、それに気づく事無く紺碧の蛇は巨海蛇から一旦分離した後、器の中に潜り核に噛みついた。


 そして核の一部を食い千切る事に成功した後、核をくわえたまま紺碧の蛇は巨海蛇の体から抜け出し、マールの傍へと寄った。


(人の器の入口、狭い……!噛み砕かないと入らない……!!)


 これ以上血が流れ出るのを防ぐ為に紺碧の蛇は己を実体化させ、マールの左肩の穴に頭を突っ込んだ後、カリカリと己の歯で噛み砕いた核を少しずつ器の中へと落としていく。


 紺碧の蛇は冥王の命令を守ろうと必死だった。だから冥王が水の災害を防ぐ術と不変の術を核に刻んだ事をすっかり忘れていた。


 そして紺碧の蛇が持つ魔力は冥王が持つ魔力と同じ、紺碧――冥王がかけた術は全く同じ魔力を持つ紺碧の蛇によって改変する事が可能な状態だった。


 巨海蛇の核から生み出される薄水色の魔力、海が宿す青のまだらな魔力、紺碧の蛇の魔力――様々な魔力が浅い海で揺らめく波のような淡い光となってマールを包む。


 その光景は海岸近くにいた数人の島人達に目撃されていた。


 何が起きているのか分からない神秘的な光景に目が離せない者、巨海蛇に驚愕して脇目もふらずに集落の方へと走る者、そして――


「マール!!!」


 吐き出されるなり青い光に包まれた少女が幼馴染みである事を知るやいなや、恐れもなく真っ先に駆け寄る者――





(……誰?)


 名前を呼ばれた気がしたマールが目を開くと、そこには様々な青が混ざり合う不思議な空間が広がっていた。


 そして、先程食べたアズーブラウの実と同じ色――紺碧色の蛇が目の前に浮かんで、キョロっとした目でマールを見つめている。


『だいじょうぶ?』


 頭に響く優しい口調にマールの緊張が解ける。そして痛みも苦しみもない感覚に自分が死んだのだと思った。


『さっきまで凄く痛くて、苦しかったの……でも、今は何ともない。死ぬって、体がすごく楽になるんだね』

『君まだ死んでないよ』

『えっ……?』

『えっとね……うわっ、人が来た! あのね、生贄、迷惑なの! もう生贄出しちゃ駄目って君の仲間に伝えて!!』


 慌てた様子で紺碧の蛇はスウッと消えて、綺麗な海の中にいるような青の空間に切れ目が生じて、また別の青――澄み渡るような空の青と白い雲の色が広がっていく。

 そして、マールの視界にぼんやりと見えてくるのは――



「マール……マール!!」



 最後まで自分との別れを惜しんでくれた幼馴染みグリムと、贄に選ばれるまでいつも一緒に遊んでいた友達ククルクが必死に呼びかける姿。


 何で――と動揺したマールが身を起こそうとすると、左肩に鋭い痛みを覚える。咄嗟に手を当てると血に塗れた薬草の葉っぱが滑り落ちた。


 背中をグリムとククルク、2人の少年に支えられながらマールが辺りを見回すと、こちらを遠巻きに見守る島長を始め、十数人の島人達――その向こうには生まれ育った島の海岸が広がっていた。


(どういう、こと……?私、何で死んでないの?)


 ここから小舟に乗って遠くの沖に身を投げたはずなのに。潮の流れから再びここに戻ってくる事はないはずの場所で目を覚ました事に、マールは困惑した。


「あの、えっと、わた」

「マール……!! その目の色……!?」


 頭が追いつかないマールの戸惑いの声は背中を支えるククルクの声に遮られ、島人達の視線が一気にマールの目に集中する。


 島々の人の目は茶色か灰色の者が多く、青味を帯びている者も珍しくはない。実際今までのマールの眼も青味を帯びた茶色だった。


 しかし、今のマールの瞳は青味どころか晴天の空のように鮮やかな水色。これまで見たことのない色の瞳に周囲がどよめく。

 驚き、恐怖、困惑――そういった島人の表情にマールは体を震わせ、顔を俯ける。


 そんなマールを心配そうな表情で見つめるククルクとは反対に、グリムは驚愕の表情から目に光を宿して喜びの表情に変わり、その場に立ち上がると少し遠巻きに自分達を囲う大人達に向けて叫んだ。


「ほら、僕の言ったとおりだろ!? マールは海神様に愛されたんだ! だから戻ってこれたんだって……!! またマールを生贄なんかにしてみろ、この島に海神様の罰が下るぞ!!」


 喜びも怒りも抑えきれないグリムの声にマールが少しだけ顔をあげると、丁度島人達の間にもう一人、仲良くしていたはずの友達と目が合う。

 ククルクの1つ上の姉で、マールと同じように両親を亡くしている友はマールと目があうとすぐに視線をそらした。


(セナ……)


 そのよそよそしい態度にマールの心がチクリと痛む。だけど自分が先程抱いた感情に比べてどちらが酷いだろう? そう考えると、それ以上考える事ができなかった。


「マール……! 僕、マールの肩に青く光る羽を持った蛇がいたのを見たんだ! こっちに気づいて慌てて横たわる凄く大きな海蛇の口の中に入っていって、その大蛇ごとスウッと姿を消した所まで見たんだ!」


 大人達に叫ぶのを止めたグリムがマールの傍にしゃがみ込んで熱心に説明する。興奮するグリムの肩に手をおいて、島長がマールと視線を合わせるように膝をついた。


「……マール、一体何があった? グリムの言う通りお前は海神様に愛されたのか?」


 冷たい訳ではない、ただ優しさも感じない島長の問いかけににマールは恐る恐る言葉を紡ぎ出す。


 海に落ちた後、肩に凄い痛みが走った事、アズーブラウの実のような色をした蛇に『生贄を出さないように』と言われた事を伝えると島長は眉を潜ませ、マールの説明に聞き入っていた島人達がザワザワと騒ぎ出す。


「……死にたくないから嘘をついてるのでは?」

「それなら贄に選ばれた時から暴れただろう」

「どでかい海蛇を見たってグリムも言ってるしなぁ……」

「ああ、どでかい海蛇なら俺も見たぜ。グリムが言ってる事は嘘じゃねぇ」

「グリムはな。だが、マールは……あ、島長! あそこの舟……!」


 怪訝な顔で話し出す島人の一人が海の方を指差し、皆がそちらの方に視線を向ける。指が示す先には3人の男が乗っている小舟があった。




「それで、供え物を食っていいって言っても海神様の食べ物だからってアズーブラウの実一粒で済まして……俺はこれまでの人生でこんなに潔くて優しい子どもを見た事ありませんや。海神様もその子の美しい姿に心打たれたんじゃないですか? なぁ?」

「こっちに振られても何とも言えませんが……大きな海蛇と紺碧の蛇を何人も見たっていうのであれば本当の海神様かもしれません。これから海が穏やかになればその子は海神様の巫女って事になりますね」


 小舟に乗っていた男達は浜に着くなりラリマー島の民から状況を説明され、説明を求められ――最後まで自分の役目に忠実だった健気な少女を素直に称賛した。


 その言葉を聞いたグリムとククルクは更に目を輝かせ、島長は考え込み、島人達は黙り込んだ。マールを再び贄に出せという者は誰もいない。


「……ひとまず、様子を見るという事でいかがですか? 次はうちの番ですが今回の事を報告し、海の荒れが収まらないようであればまたラリマー島から贄を出してもらう、という事で話をしてみようと思います」

「……そうだな。悪いが他の島の者にもそう伝えて、今しばらく様子を見てもらえるか」


 ラリマー島の島長の言葉に3人頷くと「やった!」とグリムとククルクが歓喜の声をあげてマールを集落の方に連れて行く。


 そんな子ども達の背中と戸惑う島人達眺めながら島長は一つため息を付いた後、それぞれの島に戻る者達を見送った。


 生贄として差し出したマールが戻ってきた事が全く嬉しくない訳ではない。しかし、戻ってきた事への不安の方がずっと大きかった。


 もし本当に海神に愛されし者海神の巫女であれば、生贄として差し出したこの島に罰が下されてしまうのではないか――という不安。

 今まで頻発してきた津波や荒波が神の仕業ではない事を知っている者はまた別の不安。

 自分達の島だけ贄を出さずに済んだ事による、他島の不平不満が吹き上がるのではという不安――


 何も知らない、自分たちに都合の悪い面を見ようとしない子ども達とは違う感情を、島長の他、集落の多くの大人達が抱いていた。

 晴れやかな表情でマールを受け入れるグリムとククルクの後ろで大人達は大きな不安を抱えていたのである。



 ――それから波はこれまでよりずっと穏やかになった。ずっと悪さをしていた巨海蛇が冥王の手で魂を抜き取られたのだから当然の流れなのだが、人々がそんな事を知る由もなく。


 もちろん、悪天候によって海が荒れる事はしばしばあったが、それは海の神ではなく天の神の嘆きとして受け止められ。

 海に供物や贄を投げても天には届かない、そもそも海の神も天の神も我らの慰めを求めていないのかもしれない――という結論が出された。


 島々に長く続いた生贄の儀式は海神の巫女がもたらした海神のお告げによって、見事に止まったのである。



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