第6話 赤の始まり


「逃がさねぇ!!」


 ルガーが全力で斧を投げると斧は回転しながら空を旋回し、一体の逃げる魔族の首を切り落とした後、ブーメランのようにルガーの手元に戻ってきた。


 それを繰り返して3体の魔族を仕留める事に成功したルガーが襲われていた村に立ち寄ると、お礼にと蜂蜜が入った木筒や木の実が入った袋を差し出された。

 ルガーはありがたく受け取った後、再び巨竜の背に乗って空を舞う。


『吾輩と竜の牙を武器にする者が近くにいると分かれば、奴等ももうこの辺りで群れを組む事はあるまい。そうなればお前達を襲う者はいなくなり、酒も蜂蜜も作り放題だな!!』


 夕日に照らされて橙色に染まった帰り空、巨竜は上機嫌だったがルガーの表情は暗く、自分が手に持っている赤い斧をまじまじと見据えている。


「……2体、逃しちまった」

『……お前の村を襲った魔族に対して怒りが収まらんのは分かるが、奴等を全滅させようと思ってもキリがないぞ? 己の命が惜しければ仇を取りきろうなどと、身の程を越えた願望は抱かん事だ』

「分かってる、自分の力で倒せた訳じゃない事も分かってるけどさ……って言うか、本当にこの牙、武器にして良かったのか?」


 先程の戦いで活躍した真紅の輝きを見せる両刃の斧は、巨竜の番の牙から作り出された物であった。

 不思議と手に馴染み、持ち手から仄かな温かみを感じるこの斧が無ければ逃げる魔族を一体も仕留める事は出来なかっただろう。


 この赤い斧にも大いに助けられているし、感謝している。

 しかし元々が何であったかを考える度にルガーはちょっと心に重たいものを感じ、改めて問いかけたのだが、巨竜はガッガッと笑う。


『構わん! 吾輩が自由になった事をディナも喜んでいるに違いない。逆の立場なら吾輩も喜んで人に牙の一本や二本、皮の一枚や二枚差し出したであろう! ただし手入れは怠るなよ! 牙も皮も、吾輩にとって命より大切なディナの形見なのだからな!』


 人に託したとはいえ、粗末な扱いは絶対に許さないと言わんばかりにしっかり念押しした後、


『それと、その牙は敵討ちの為に託したのではない。お前が守りたい者を、お前自身の力で守れるようにと託したのだ。その事、けして忘れるでないぞ!』


 人が力に溺れて無意味な殺戮で番の形見が血に染まる事を懸念して忠告の言葉を添えた。しかし、ルガーから相槌がない。


『…………どうした?』

「あ、いや……お前が奥さん食ってるの思い出して、ちょっと気持ち悪くなってさ……」

『何を言う! 番食いは竜の定めぞ! 愛する者の亡骸を取り入れる事で一体となる事は喜び以外の何物でもない! 竜族にとって番の儀式に次ぐ尊い行為を気持ち悪いなどと言うな!!』

「わ、悪かったよ!! でも人はそんな事しねーもん!!」


 巨竜が唸り声と共に怒りの言葉を浴びせかけるとルガーは慌てて謝る。その謝罪に添えられた言い訳に思う所があった巨竜はルガーの心に穏やかに語りかけた。


『……確かにな。吾輩も竜と人の違いに驚愕しておるわ。何故好いた相手に好意をちゃんと伝えずに嫌味を言うのか、吾輩、ちーとも理解できん』

「何でそこで俺の話になるんだよ」

『自覚があるならあの娘に嫌味を言うのは止めて、真っ直ぐ好意を伝えろ!!「お前の事が女として大好きだ! 俺にもお前の名前を背負わせてくれ!! そして俺の子どもを産んでくれ!」くらい言ってみせろ馬鹿者!!』

「い……言えるはずないだろ!! 子どもも目が真っ赤だったり角とか羽根が生えてたり、最悪たまごで生まれてきたらどうすんだよ……!? 他の女が赤子抱いてるのにリアだけたまご抱いてるとか可哀想だろ!? 子どもだって仲間外れにされたりなんかしたら可哀想じゃねぇか……!!」


 何を言っているのだ、この男は――ルガーの言葉に巨竜の表情が固まり、一瞬不思議な沈黙が漂う。


『そ、そんな事ある訳が……!!』


 ハッと我に返った巨竜が否定しようとしたタイミングで、はるか昔に馬と番った竜がいた事を思い出した。


 極稀に、ではあるが竜は竜以外の生き物を番にしてしまう者がいる。

 異種間交配――全てが全て成立する訳では無いが、その竜と番として見初められた馬は成立した。

 馬をさらい、巣に連れ込み、馬の為にせっせと草を運ぶ竜にそのうち馬も諦めたのか仲睦まじく寄り添いあう一連の流れを巨竜は見ていた。


 しかし異種間というのはどうしても弱い方に負担がかかってしまうもので――出産の際、馬と番った竜が悲痛な咆哮をあげる中、息絶えた馬の傍には子馬一頭分くらいの大きさの、鳥が産んだようなたまごがあった。


 番を失った竜は悲しみのうちにたまごを持って飛び立ってしまった為、どんな姿で産まれたのかまでは巨竜は知らない。

 ただ、竜はたまごを生むし、竜と馬の間の子もたまごで生まれるという事実は知っている。


(いやしかし……ルガーは人間ぞ? 吾輩の血が混ざった程度で繁殖形態まで変わるとは思えんが……)


 しかし巨竜は今いち大丈夫だと言える程の確証が持てなかった。


『た……たまごで生まれる事もあるかも知れんが、お前は元々人だし普通に生まれてくる可能性の方が高い! 試してみない事には始まらんだろう!?』

「嫌だよ!! そんな事にリアを巻き込めねぇよ!!」


 ギャアギャアと言い合って日が暮れかかった頃、巨竜が眠っていた森の空き地に降り立つ。


「じゃあまたなっ! あんまり俺の恋愛事情に首突っ込まないでくれよ!」


 若干怒りの感情が籠もった、釘を刺すような言い方に巨竜は千と数百年ぶりに子どもの反抗期に苦慮する親の感情を覚えた。

 竜であれば独り立ちの合図であるのだが、ルガーは人であり、これから少なくとも彼の一生に付き合っていかなければならない。


 巨竜はルガーの後ろ姿を見送った後重い溜息をつき、顎を地につけて目を閉じて再び眠りについた。




 翌朝――ちょっとバツの悪そうな顔でルガーは酒の入った壺を抱えて巨竜のもとにやってきた。


「昨日はちょっと言い過ぎたなと思ってさ。お前のお陰で村守れてるのに、生意気な事言って悪かった」


 ルガーの直情的で思った事を素直に言ったり口が悪かったりといった所は短所だが、反省した時はちゃんと相手の好きな物を持ってきて素直に謝る――ルガーのそういう所が巨竜は憎めなかった。


 しかし何故かそういう長所が想い人には適応されない。何故なのかと巨竜が酒をちびちびと舐めながら考えていると、森の奥からルガーと同年代らしい癖っ毛の男がやってきた。


「ルガー、昨日は子ども達に蜂蜜分けてくれてありがとな。お陰で昨日は夜泣きに起こされずにすんだ」

「そりゃ良かった。あいつら俺達に気を使って元気に振る舞ってるけどまだまだ辛いはずだし、立ち直るには楽しみがないとな。今回はお礼で貰ったけど何かと物々交換でもらえないか、また行って聞いてくるよ」


 ルガーの言葉に巨竜は驚いた。竜の子どもは基本感情に忠実――言わば我儘で、ベタベタと触ってくる子ども達が村を魔族に襲われた事への辛さや苦しさを抑えているという発想が全く無かった。


(人というものは本当に……分からんもんだな)


 竜であれ人であれ、子どもは心身共に明るくあってほしい。

 空を飛ぶ事で子ども達の気を紛らわせられるなら、また乗せてやろうか――と巨竜が考える中、癖っ毛の男はルガーに困ったように返す。


「そうしてくれるのは助かるが……皆お前とリアがいつ夫婦になるのか、いつ新しい仲間が出来るのかの方がよっぽど楽しみにしてるぞ?」

「いや……俺、もうリアの事は諦める」


 意外な言葉に癖っ毛の男も巨竜も目を見開く。


「は……? リアと何かあったのか?」

「何かあった訳じゃねぇけど……俺の子ども、角とか、牙とか生えた状態で生まれるかもしれないし、最悪たまごで生まれるかもしれないじゃん? それに俺、竜の血もらったから告白に成功したらリアルガーって名乗んなきゃなんねぇんだ……」

「リアっ……!? へっ、へぇー……竜って夫婦の名前を組み合わせる習わしがあるのか……」


『おい、ルガー……吾輩は強制した訳では……』


 その位の勢いを見せてみろ、と言っただけで強制した訳ではないし、竜にそういう習わしはない。

 あくまで本来の習わしを破った巨竜が代わりにと思いついたものに過ぎない。しかし巨竜の呼びかけは癖っ毛の男の言葉に遮られる。


「し、心配するな……お前がリ、リアルガーになろうとお前の子どもが赤い目で産まれてもたまごで産まれても……ふっ、村の英雄のお前とお前の家族を馬鹿にするような奴なんてこの村はいねぇよ。俺達の事をもっと信じ……ぷふっ、リアルガー……」


「ガァッ!!」

「ひっ! すみません! 二度と笑いません! リアルガー、いいと思います!」


 癖っ毛の男の完全に馬鹿にしたような笑いに反射的に威嚇すると、癖っ毛の男は怯えながら森の奥へと走り出した。


 そこで初めてルガーは男の逃げ出す方から一人の女が歩いてくる事に気づく。


「リ……リア!?」

「ルガー……今の、リアルガーって何?」

「……竜は恋人の名前を自分の名前の前につけるんだってよ。カーディナルとロートでカーディナルロートだから、俺とお前が、その……くっついたら俺はリアルガーになるんだってさ」

「へぇー……長い名前だなと思ったらそういう理由があったのね。素敵な話ね」

「マジかよ!? 人と人の名前をくっつけて素敵とか、何言ってんだ!?」


 リアの肯定的な反応にルガーは思わず声を荒げる。いつもならそこで喧嘩になりかねないのだが、その日のリアはちょっと違った。


「別に……ルガーがリアルガーって名乗ってくれるなら、嬉しいなって……そう思っただけよ」


 ルガーから視線をそむけ、顔を赤らめながらも、口は素直な気持ちを紡ぐリア。

 (これは――)と酒をなめていた巨竜の舌が止まる。


「リア……お前って本当に俺の事好きなんだな」

「なっ……」


 またこいつは……!! と思いながら巨竜がルガーを睨むと、ルガーは今にも泣きそうな顔で眉を下げて笑っていた。


「でも俺もう、その気持ちだけで十分だよ……お前だってさ、たまごなんか産みたくないだろ? 俺なんかよりちゃんとした男と、ちゃんとした子ども作ってくれよ」

「ルガー、貴方、何言ってるの? たまごって何の事?」


 鈍感な男に懲りずに分かりやすいアプローチをして、ようやく気持ちが通じあえたと思ったら今度は謎の断り文句――眉をしかめるリアの反応は当然である。しかしルガーは少し震える声で真剣に語りだす。


「……俺、竜の血もらっただろ? だから俺の子はたまごで産まれてくるかもしれないんだ。ごめんな、俺もっと早くお前に告白してれば良かった。お前と子ども作ってから竜の血が混ざれば良かった。お前をずっと待たせちまった上に、こんな事になるなんて……情けない男で、本当ごめんな」

「ルガー……」


 これまで待たせた申し訳無さも後悔も全部含めた言葉に、リアの瞳も潤み始める。

 巨竜はその二人のやり取りに(別れの光景など他者が見ていいものではないな)と視線を逸らした先に木々に隠れてこちらの様子を見守っている子ども達や村人の姿を発見した。

 状況が状況だけに声を荒げて場を乱す事も出来ない。


「俺、お前には幸せになって欲しいんだよ。だからもう、俺の事は……」


 ルガーの言葉に周囲が息を呑む。これまで散々喧嘩してはカラッと仲直りしてきた2人の決定的な別れが来るかと思われた、が――


「……何よ、たまごくらい」

「……え?」


「たまご位なんだって言うのよ!! ルガーがずっと傍にいてくれるなら、たまごでも竜でも何でも産んでやるわよ!! な、名前だって、ルガーが嫌なら私がルガーリアになるわよ!! どっちか片方だけでも問題ないでしょ! ないわよね!? カーディナルロート様!?」

「グ……グゥ」


 リアの並々ならぬ勢いに巨竜がいつになくか細い声で鳴く。


「リ、リア……?」

「わ、私だってルガーに竜の血が混ざった時に色々考えたわよ! でも、好きなんだもん……ルガーが人じゃなくなったとしても、ルガーの事、諦められないって言うか、放っておけないんだもん……!!」

「リア……」

「私に、幸せになって欲しいんなら、あんたの傍にいさせてよ、あんたが責任持って幸せにしてよ……!!」


 リアの悲痛な言葉と共に溢れ出す涙と愛の言葉にルガーの表情も真剣な物になる。

 力強く肩を掴み、リアをまっすぐに見据えた。熱い眼差しにリアと巨竜の心臓が期待に高鳴る。


 巨竜も、木々の影から見守る村人達も(ついに……!!)と期待の眼差しで見守っていた。


 しかし――


「お前、頭おかしいぞ……!! 何か変なものでも食ったのか!?」

「……この、馬鹿ぁあああああ!!」


 リアの怒りの声と共に、羽根を休ませていた鳥達が一斉に羽ばたくほどの小気味いい平手打ちの音が周囲に響き渡った後、竜の嘆くような鳴き声が森中に響き渡った。


「もういい! もうルガーなんて本当に知らないっっ!!」


 泣きながら走り出すリアをルガーが慌てて追いかける。


「何だよ!? 俺何かマズい事言ったかよ!?」

『マズい事しか言っとらんわこの大馬鹿者がぁ!!』



 再び巨竜の嘆き咆哮が響き渡る。もうここにはその嘆きの咆哮に怯える人はいない。

 赤竜様が咆哮を上げるのも当然とばかりに一同、納得の頷きを見せる。



 人を食らう巨竜と、竜を恐れた人々――かつての彼らが見れば信じられないほどの温かい繋がり――その繋がりを作り出す、馬鹿で、鈍感で、その目と心に明るい光を宿す男、ルガー。


 ルガーがこの後、無事にリアと仲直りする事が出来たかどうかはさておき、この男がル・ティベルにおいて数千年に渡って栄華を極める事になる「赤」の一族の祖先となり、子孫が史上に様々な英雄譚とトラブルを刻んでいく事になるとはこの時誰も知る由もなかった。


 そして巨竜――カーディナルロートの血は角や羽根といった目に見えての形にはならなかったが、竜族の一目惚れと執着気質はしっかりとルガーの子孫達に受け継がれていく事になる。



 『愛情はとにかく率直に伝えるべし! 愛する者には尽くすべし!』とせつせつと説く真紅の巨竜、カーディナルロートと一緒に。



 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ※次話より青の物語です。


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