紺碧の大蛇

第1話 冥王の毛先


 生者が死を迎えると魂は天へとあがり、天界にて魂の穢れ具合を確認した後それぞれにふさわしい幽世かくりよへと送られる。


 穢れのない魂は清める必要がない為、転生の機会がくるまで天界で保護されたり精霊界が受け入れたり――反対に清めきれない程穢れてしまった魂やこれはちょっと……というような魂は魔界に落とされる。


 そのどちらでもない、程々に穢れた魂は冥界で長い時を過ごし、穢れを落とした後に転生する。


 その為、天界から冥界には常に大量の魂が流れ込んでくる。

 様々な色の魂が集まった列は遠目から見れば厚い雲から差し込む大きな虹にも見え、その虹には大小様々な紺碧の蛇が無数に群がっていた。


 紺碧の蛇は魂を背に乗せ、あるいは飲み込んで所定のエリアまで運んでいく。

 悲しみや寂しさに塗れた魂は暖かで魂の多い場所へ、怒りや嫉妬に塗れた魂なら涼しげで魂の少ない場所へ。


 簡潔に言うと穢れとは後悔、嫉妬、絶望、後悔、怒りといった様々な負の感情が魂に刻みこまれたものであり、魂に穢れが刻まれたまま転生させると次の生に悪影響を及ぼす為、転生前に穢れを落とす必要がある。

 魂の穢れが薄らいでいくのを静かに待つ為の幽世――それが冥界であった。


 肉体を持たない魂は、基本的にふわふわと宙をうつろうだけだが、穢れに苛まれて暴れたり嗚咽をあげる魂も少なくない。

 また穢れた魂は穢れに飲み込まれた結果、魔物に変貌する可能性もある為、常に監視しなければならない。


 その為、虹から魂を適切な場所へと運ぶ紺碧の蛇、運ばれてきた魂が暴れたり変な所に行かないように見守る3つの頭を持つ犬ケルベロス、冥界や魂の様子を隅々まで主に伝える目玉蝙蝠に、主の意志を彼らに伝える冥界クラゲ――そしてそれらを使役する絶大な力を持つ冥王が、常に送られてくる大量の魂相手に仕事に励んでいた。




 空には厚い雲が延々と広がり、地には紺碧の岩と大地が広がる冥界に存在する唯一の建物――神殿の寝台に横になっていた冥王は冥界クラゲ540号から救難信号を受け取った。


『クラゲ563号と582号の触手が絡まりました』


 先程述べた通り、冥界には魂と冥王と蛇と犬と蝙蝠とクラゲしかいない。その中でクラゲの触手の絡まりを解けるのは冥王しかいない。


 魂が逃げたり、暴れたり、鳴き声が煩くて周囲の魂にストレスを与えたりなど魂に対する対応はもちろん、大量の魂を狙って侵入した魔族を追い返したり、現世や他界の者が迷い込んだら元の世界に戻したり。


 その他、ケルベロスの喧嘩の仲裁、紺碧の蛇の抜け殻集め、冥界クラゲの触手ほどきに彼らの病の対処まで――そういうトラブルの対処も全て冥王のお仕事である。


 飾り気の一切ない青緑のローブを身にまとう冥王の目は頭から生える大小様々な紺碧の蛇によって覆われている。

 目が見えなくともたった一つのため息が彼の感情を十分に表していた。


 冥界という恐ろしく広大な幽世を管理し、他界の王と同様絶大な力を持つ冥王が願う事は唯一つ。


(トラブルのない、平穏な時を過ごしたい)


 しかしその願いがかなうのは持って数時間。冥界は常に何かしらの問題が起きるのである。こうして横になって体を休めている時でも。


 冥王は指を鳴らして紺碧の縁に囲われた大きな鏡――水鏡を出現させる。鏡には2匹のクラゲが触手が絡み合い、引っ張りあう姿が映っていた。

 そこに冥王がおもむろに手を突き入れると鏡はトプン、と水のような音を立ててすんなり受け入れる。


 鏡が映すクラゲ達の前に現れた青白い手から淡い光が放たれると、冥界クラゲの半透明の触手が不思議とスルリとほどかれていく。

 触手が解かれたクラゲ達はまたふわりふわりとそれぞれ宙に浮き出した。


 手を水鏡から引き抜き、水鏡越しに無事に触手をほどかれた冥界クラゲの細長い触手の背景に見える虹に冥王は違和感を覚えた。

 

(虹の様子を確認したい)


 冥王がそう念じただけで水鏡は虹の近くにいる目玉蝙蝠の視界に切り替わる。

 虹はいつもより太く、かなり暗みを帯びている。その中にもはや黒に近い程にそまった魂が虹の美しさを所々阻害していた。


(また何処かの星で災害が起きたか……)


 冥王がもう一度、今度は長いため息をつく。

 

 無限に尽きない魂を保護する広大な冥界を管理している冥王が何より嫌うのは、自然災害や魔族などによって多くの生物が死ぬ大量死――そして、その大量死に呼応するように発生する謎の儀式であった。


 恐怖に塗れた魂の穢れはなかなか取れない。独特の叫び声もあげる。まして儀式のにえにされた魂は強い怒りや絶望も混ざり、特に魔物化しやすい。


 いくら穢れていようとも、罪を犯した訳でもない哀れな魂を魔界に落とすのは忍びない――と天界は贄の魂を冥界に回してくる。

 贄の穢れが消えるまで面倒を見なければならないのは冥王および冥界の生物達だ。



『最近送られてくる魂の量が多過ぎる。大量死が起きた際は少しはそちらの基準も緩めてもらわねば私の世界は魂で埋まってしまう。それと穢れた魂を哀れに思うのであればそちらが受け入れよ。都合の悪い魂だけこちらに押し付けるな』


 数年前、水鏡を通して冥王は天界の長にそう苦言を呈した。しかし天界の長の反応は良いものではなかった。


『そう言われてもな……天界にも常に魂が押し寄せてくるのだ。その中で穢れなき魂は極わずかで手もかからぬ故に保護しておるが、少しでも穢れた魂を受け入れればこちらもあっという間に魂だらけになる。広大な空間を持つそちらが羨ましい』


 天界が冥界より手狭である事を強調した言い方に冥王は食い下がる。


「ならば死を調節しろ。星を支配する神法アステリ・エレンホスを用いて自然災害を抑えるだけで大量死は大分防げる」

「馬鹿な事を言うな。星の荒ぶりすら制限するその神法は莫大な魔力を必要とする。その上解いた瞬間、受け止めた力が一気に解放される危険なもの。死にかけた星の命を一時的に永らえさせて星1つ分の魂に備える為の手段にすぎん術を何故未来ある星に使えようか!」


 王――時として神とも呼ばれる存在にしか使えぬ神法の名を出され、大きな鏡に映る神々しい輝きと大きな純白の羽を持つ体格のよい老人は眉をしかめる。


「星に生きる者が禁忌に触れぬ限り、幽世の都合で星の命を左右する事があってはならん……なぁに、あれこれと話している間に星の荒ぶりも納まる。今しばらくの辛抱よ」


 天界の長は最後、冥王を宥めるように穏やかな言葉を返した後、ゆらりと姿を消した。


(……使役できる者がいる奴は問題事を他人事のように語る)


 天界には何でも臨機応変に対応できる天使という存在が数多くいる。

 天界の長にとって大量死など大した問題ではないのだろう――実に羨ましい限りだ、と冥王は思う。


 冥王自身そういう部下を過去に持った事がない訳ではない。ただ、この娯楽も何もない冥界の仕事に従順に従い続ける者など滅多にいない。

 冥王自身、知的生命体とのやりとりがあまり好きではない、というのもある。


 例え己の自由が無くなろうとも、何でも自分でやってしまった方が早くて確実で安全――冥王は無限とも言える年月を経てそう結論付けて今に至る。



 そんな天界とのやり取りからしばしの時が流れたというのに――まだ送られてくる魂の量は減らない。

 細くならないどころか太くなっている。おまけに贄の魂も明らかに増えている。


(……変だな)


 冥王は重い腰を上げると再び水鏡に手を入れ、魂が作り出す虹から黒々しいまだらの魂を手づかみで抜き出していく。


 抜き出された魂は一列に並べられ、ぼんやりとかつて体を伴っていた時の姿を浮かび上がらせた。その姿はエルフやドワーフ、獣人や半獣人、リザードマン、牛や豚、といった単語で表せられる者もいれば形容しがたいものもいた。


 ――ただ、冥王が取り出した贄の魂の大半が人の、乙女や少女の姿をかたどっていた。そしてその姿は似たような装飾品で飾り立てられている。


(人型の贄の殆どが同じ星から来ているようだな……来るペースも、数も自然災害に対する贄にしては不自然だ……)


 明らかに、悪さをしている奴がいる――冥王がその結論に至り指を鳴らすと、大きな鏡は一瞬で消えた。

 そして取り出した魂を所定の位置へと運ぶようにと足元にいた蛇達に命令した後、寝室を出て歩き出した。



 寝室を出た冥王が足を踏み入れた、天井も見えない部屋には壁にも宙にも無数の紺碧の扉が存在していた。


 冥王は星に生命の予兆を感じると、こっそり星と冥界を繋げる扉を作る。

 今回のように目に余る大量死や生贄が出てきた際にこっそり星に干渉して調整する為である。


 冥界に限った事ではない。天界は魂を招く為、魔界は星に生きる者の肉や魂を食らう為、精霊界は星の成長を助ける精霊達を送り出す為――理由は様々だが何処の幽世も命が宿る星にそれぞれ扉を作っている。


(あれらの魂が来たのは、この星か……)


 冥王が無数にある扉の一つの前で手をかざす。その仕草だけで開いた扉の向こうは紺碧の神殿と同じような神殿の一室に繋がっていた。


 しかしその色味は紺碧というよりは青に近い。暗い青や濃い青によって染まった美しい神殿の中で冥王が指を鳴らすと、再び大きな鏡が出現する。


 大きな鏡は海中を泳ぐ巨大な海蛇を映し出す。

 巨海蛇は深海から海面に向かって真っ直ぐ突き進み、海を越えて空へと行かんばかりに跳ねた後身を捻り――海面にその身を叩きつけた。


 その衝撃は大きな波を起こし、津波となって島に襲いかかる。そして巨海蛇が波に引き寄せられた生き物達を大きな口で丸飲みにしていく。


(……こいつか)


 巨海蛇が何かをきっかけに陸の生き物の味に取り憑かれ、その身を盛大に海に叩きつけては意図的に津波を起こし、陸の生き物を食らっている。

 この行為によって大量死が発生し、贄という二次被害まで起きている。


(禁忌ではないが自然の摂理に反している、不適切な状況だ)


 この状況を看過している天界の職務怠慢に怒りを覚えつつ、冥王は鏡に手をつき入れた。

 トプン、と音と立てて冥王の手を受け入れる鏡から次に手が引き抜かれた時、手には深い青と薄水色の、まだらな色に揺らめく魂がおさまっていた。


 先程まで海を泳いで陸の餌を丸呑みしていた巨海蛇の動きがピタリと止まっている。冥王の前ではどんな強靭な肉体を持つ者も、魂を守る術を持たなければ無力な赤子と同じである。


(さて、これで大量死は落ち着くだろうが、どうしたものか……この星の人は今しばらく生贄を捧げるだろうし、私が姿を表して贄を止めろというのも抵抗がある。この星の荒ぶりも今しばらく収まりそうにない……)


 冥王は髪の毛を一本引き抜く。その手の中で小さな蛇がうにょうにょと蠢きながら冥王を見つめている。


「今からこの巨海蛇の核に水の支配ネロ・エレンホス不変エオニオを刻み、今後この星に大災害となるような津波や洪水が起きないようにする」


 星を完全に支配するのではなく、あくまでも水に限った災害――その中でも大量に生命が消失する災害を抑えるだけで確実に大量死は減り、贄の量も減る。


 「お前はこの巨海蛇と一体となって、贄を出すような愚かな者どもを諫めよ。そしてこの世界で命がむやみやたらに絶やされる事が無いように見守れ。出来る範囲で構わん」


 冥王は小さな紺碧の蛇にそう告げた後蛇を鏡の中へと突き入れた。そして巨海蛇に対し独特な文様が刻まれた六角形が幾つも連なった陣を放った後、冥界へと戻った。


(これで穢れた魂の増加も抑えられる。星全体を支配すれば煩いだろうが一つの星の水に関する災害に防いだだけだ。術が解けた瞬間暴走するというのなら支配の神法エレンホスと不変の神法エオニオを連結させた物を核に刻み、星の命が尽きるまで暴走させなければ何も言われないだろう)


 何か言われた所で言い返してやれば良い。『お前達がちゃんと仕事をしないからだ』と。

 これでしばらくはこの星の大量死と贄に悩まされる事はない。冥王の心は実に晴れやかだった。


 反対にこの世界にとり残された冥王の毛先――紺碧の蛇の心は重かった。


 蛇は大きくなって自然と冥王の頭から抜けた時に冥王の為に働くのを心待ちにしていた。

 見知った冥界で魂を誘導したり、監視したり。時には傷ついた仲間を運んだり。自由に動き回り格好良く仕事をこなす先輩蛇の姿を見ては自分もいつかと憧れていた。


 なのに、こんな未知の星に自分一尾残されて――特別な使命を託されたっぽい冥王の毛先は、主の突然の無茶振りに困惑するしかなかった。


 しかし命とも言える魂を抜き取られた巨海蛇が海底へと沈んでいく事に気づき、慌てて追いかけ、とりあえず冥王に言われた通り巨海蛇の抜け殻に入り込んで一体化を試みる事にした。


 あんぐりと開いた巨海蛇の口から体内に入り込み、本来魂があるべき場所に納まり、冥王の頭にくっついていた時と同じ要領で一体化すると、再び巨海蛇が生きているかのように動き出した。


(えっと、水の災害は冥王様の術が何とかしてくれるから……ぼくは、何をすれば良いんだっけ?)


 突然引き抜かれた痛みやら重要任務を与えられた事で半ばパニックになっていた紺碧の蛇は一生懸命主が言っていた言葉を思い出す。


(あ、そうだ! 『贄』の魂を向こうに送っちゃいけないんだ! 贄……さっき冥王様が並べてた魂……飾り立てられた人の子の魂を穢れないようにすれば良い、のかな? 贄……贄って陸から投げ込まれるんだっけ?)


 戸惑いながらも紺碧の蛇は自分より何十倍も大きい巨海蛇の体を動かして、陸地を探し始めた。


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