第5話 赤色の奇跡


 巨竜がルガーを尻尾で捕まえたまま岩をどかして洞窟に入ると、隅で寄り添いあう女子ども達が一斉に悲鳴が聞こえた。


「ルガー!!」


 先程子どもを諌めた女が叫び、尻尾に巻き付かれたルガーに寄り添う。しかしルガーから声が紡がれる事無かった。


「やだ……ルガー、ねぇ、目を覚ましてよ……!!」


 ルガーの両頬を両手で包み、縋るような震え声は何故か次第に怒りを帯びていく。


「私、まだ貴方に好きだって言われてない……!! ねえ、起きてよ!! 起きなさいよ!! 散々待たせておいて死んじゃうなんて酷いわよ、ねぇ……!!」


 怒りの言葉にも似た女がその場に崩れ落ち、嗚咽が洞窟内に響き渡る。

 まるで番と離れ離れになってしまったような、竜と同じような悲鳴に巨竜は何とも言えない位心を締め付けられながら、洞窟の奥の方へと歩き出した。


 女が縋ってきたが「ガァ」と宥めるように一声鳴くと、女は止まった。


「ルガー……うっ……ううっ……」

「やだぁ、やだよぉ、ルガー兄ちゃん……!!」

「ルガー兄ちゃん……!!」


 女子どもの嘆きの声を背に、巨竜は歩く。

 空洞に出て誰も着いてこないのを確認した後、番の亡骸の隣によりそい、真紅の扉の前にルガーの身体を置く。


(……人ならざる者よ。何だかんだで我は番と共に何百年とこの扉を守ってきた。お前達がいなくなっても守り続けてやったのだ。少し位は吾輩の願いを聞き入れてくれてもいいのではないか?)


 己を戒めた天敵に慈悲を乞うなど、かつての巨竜には考えられなかった。

 しかも愛しい番や同じ竜族でなく、ちっぽけな人の命を繋ぎ止める為に。


(お前達が使うような不可思議な力は使えねど、お前達と同じ様に知を使い、二足の足で立ち、二つの腕で事をなし、同類を想う……お前達と同じような種族ではないか)


 愛する者と離れ離れになる寂しさを、巨竜はよく理解していた。ルガーも、泣き崩れたあの女も。

 だからこそ、このままルガーが死んていくのを黙ってみていられなかった。

 意識を失ってはいるものの、まだルガーの命と魂は彼の体の中にある。


 人ならざる者が自分に摩訶不思議な呪いをかけて不老としたように、死にかけている者の命も繋ぎ止める事もできるのでは――この温かい魔力を滲み出させる真紅の扉の先には、自分には理解できないような奇跡が込められているのでは――巨竜はそう思った。


 しかし、巨竜の願掛けに真紅の扉は何の反応も見せない。中に誰がいるのか、何が広がっているのかも分からない扉は巨竜がここに来る前も来てからも、ずっと沈黙を貫いている。


(……何をやっておるのだろうな、吾輩は)


 こちらの気持ちを組んでくれるような者達なら、不老の術とともにここに縛り付けるような呪いを強制的に刻みつけたりはしない。

 無慈悲な生き物と扉に諦めがついた巨竜は、気持ちを組んでくれる者に視線を移す。


(……ディナ。お前以外の存在に核を分ける私を許して欲しい。私はこの男に幸せになって欲しいだけなのだ。お前が死んでから数百年、孤独に生きた私に貴重な娯楽を与えてくれた存在に悔いなく死んでほしいだけなのだ)


 巨竜がルガーに抱える熱い気持ちは、捧げ物の恩義だけで作られたものではなかった。


 親は子どもを守るもの――巨竜は気まぐれに人間の子どもを助けたあの時から、巨竜と人の間に不思議な縁が結ばれていた。


 そして縁は人の温かさによって育まれて巨竜を孤独の寂しさから救う絆へと変わった。

 そこにほんの少し酒に対する執着がある事も否めないが、今ばかりはルガーへの執着の方が勝った。


 魔力を持つ者は皆、体の中に魔力を貯める器と魔力を生み出す核を持っている。竜族が持つ核は特に大きく、少しだけ他者に分け与える事もできる。


 互いに噛み合い、自身の体に相手の核を取り入れる事が番の証明――それを今、性別も種族も越えて行われようとしている。


(……過去もこれからも、私が愛しているのはお前だけだ。私の核に唯一無二の価値をなくす代わりに、私はお前の名を背負おう。お前は私自身より大切な存在だという意味を込めて。私はお前の名を背負って、これからの未来を生きよう)


 巨竜は心の中で愛する存在に深く詫びた後、前足の指を一つ切り落とした。


 今の、弱りきった体のルガーに噛みつく訳にはいかない。大量の血が吹き出し、男の体が巨竜の血と、血に込められた赤い魔力に塗れていく。


 魔力を持たない人には魔力を作り出す核がない。しかし何故か魔力を貯める器はある。

 例え小さくとも、器があるなら核と魔力を受け止める事ができるはずだ。


 真紅の扉から滲み出る赤の魔力は生命力に溢れ、その魔力に染まりきった真紅の巨竜の核もまた、並の竜の何倍もの生命力にあふれている。


 暖かく熱い魔力をルガーが自身の物に出来れば、生命力に満ちた竜の血と核を自身に取り込めれば――少なからず今迫っている死の危険から逃れる事が出来るかもしれない。


 こういう時に人を助けられるような知識が無い巨竜にとって、これが自分にできる唯一の手段であり、願掛けであった。


 前足の指一本犠牲にしてもいい位の、切実な願掛け――ルガーの命が救われたのは、竜の血か、赤き魔力か、真紅の扉から滲み出る生命力の影響か、彼の生存を願う巨竜と人間達の願いが届いたのか――あらゆる物が重なった願掛けは、見事に叶う事になった。




 ――誰も予想していなかった異変と共に。





 巨竜は気が遠くなるような長い年月を孤独に過ごした。しかし気まぐれに子どもを助けた事がきっかけで巨竜は雪解けの間だけ孤独ではなくなった。


 そして、巨竜が再び子どもを助けた事がきっかけで巨竜はついに年中孤独ではなくなった、のだが――



「カーディルナロルト様、空飛んでー!」


 うららかな陽気に包まれる森の中に一箇所、ぽっかり開いた平地に気持ちよさそうに寝そべっていた巨竜の元で、今日も複数の子ども達が騒いでいる。



 無視を貫くと子ども達は遠慮なく巨竜の皮や爪や尻尾を触りだす。毎日子ども達にまとわりつかれる、賑やかな日々は孤独ではないが静寂が足りない。

 ちょっと怖がらせてやろうかと思った時に、森の奥から大人の男が現れる。


「おい、お前ら! カーディナルロートはあんまり人を背に乗せたくないって前に言ったろ? しつこく言って困らせるなよ!」


 鮮やかな真紅の斧を片手に子ども達を諫める男は子ども達と同じ赤みがかった髪ではあるが、目は巨竜や手に持っている斧と同様、真紅に染まっていた。


「カーディナルロート、近くの村が魔物に襲われてるみたいなんだ。助けるの、手伝ってくれるか?」


 真紅の眼差しと問いかけが巨竜に向けられると、巨竜はゆっくりと身を起こし、羽を大きく広げた。

 

「カーディルナロート様のケチー!!」

「ルガー兄ちゃんだけカーデルナロート様に乗れるのずるーい!!」

「ルガー兄ちゃんこそリア姉ちゃんに告白するって前言ってたじゃん! 何で告白しないんだよー!?」


 子ども達の不満の声の一切を素通りしてルガーは慣れた手付きで巨竜の背に乗ると巨竜は空へ向かって飛んだ。




「子ども達が騒がしくて悪いなー。もうちょっと大きくなってから乗せればよかったなぁ」


 青空の下、広大な森の上を飛ぶ巨竜の背をルガーが励ますようにポンポンと背を叩くと巨竜の声がルガーの頭の中に響き渡る。


『全くだ……お前のお陰で吾輩が自由になったからとあれこれ言う事聞いてやったら図に乗りおって!』


 ルガーに核を分けた際、巨竜は自分の中の呪いに異変が起きた事に気づいた。

 何かが割れて、何かが繋がったような――絆という精神的なものではない、物理的なものでもない、不思議な鎖のようなものが、ルガーと自分に結び付けられたのを感じた。


 その違和感を確認する為に、まず、ルガーから離れる。すると、30メートル位だろうか? その位の距離から見えない壁が立ちはだかるように前に進めなくなった。


 次に、気を失っているルガーを巨竜は尻尾で包んで洞窟を出て空を飛んでみると、これまで散々巨竜を苦しめてきた見えない壁も鎖もなくなっていた。

 自由に飛び回り、喜びの咆哮を上げている中で目を覚ましたルガーにしてみればそれはほぼ恐怖の想い出と化していた。


 震えるルガーを洞窟に戻し、村人達との感動の再会を見守っていると巨竜は今の自分が人語を理解できるようになっている事に気づいた。

 会話できる、と気づくやいなや巨竜はルガーに自分と今の状況について説明すると


『じゃあ俺の村に来ればいいじゃん! 赤い扉はここの入り口を埋めときゃ誰も入ってこれないんじゃねぇ?』


 という話になり、巨竜の日常は千と数百年を越えてようやく真紅の扉と洞窟から開放され、陽光の下に戻ってきた。



 ただ、人の喧騒に包まれた生活は沈黙に慣れた巨竜には刺激が強いものだったらしく、ルガーを背に不満を愚痴愚痴と垂れ続ける。


『吾輩の名前もいつまで経っても間違えるし、ベタベタ触られるし……そしてお前もお前だ。何であの娘に告白せんのだ!!』


 ルガー限定ではあるが、こうして念じる事で巨竜は自分の意志を伝える事も出来るようになった。

 謝罪のつもりが自分の所にまで飛び火してルガーは思わず吹き出す。


「いやー、まあ、その、何だ。タイミング逃しちゃってさ!」

『あれはタイミングの問題ではない!! 問題はお前だ!!』


 何度思い返してもイライラする光景が、再び巨竜の脳裏によぎる。



 あれは村に招待されて、ルガーの傷が大分癒えてきた頃、全くアプローチしてこないルガーに痺れを切らしたリアが不器用なアプローチを起こした時――


「ル、ルガーって……私の事、す、好きなんでしょ?」

「えっ!? いや、まあ……好きか嫌いかって言ったら、好き……だけど……」

「なっ……何よ、その歯切れ悪い言い方……!!」

「な、何だよ!? まさか男女的な意味で好きだって誤解してたのか!? 馬っ鹿じゃねぇの! 誰がお前みたいながさ」


 ルガーが言い切る前にスパァン!! と小気味いい音が響いた。


「何よ!! 周りからは事あるごとにあんたが私に告白するみたいだって言うから、ずっと待っててあげてたのに……!! あんたはいつまで経っても言ってこないし、周りからも言われるし、こっちから勇気出して聞いてやったのに……!! もう知らない!!」


 リアは泣きながらその場を走り去り、ルガーはぶたれた頬を抑えて


「いってぇー……!!」


 と涙目になっていた。



『何なのだ、あのザマは!! あの女でなければお前などとうに見限っておるわ!! 吾輩のように愛する者の名前を背負う位の愛を見せよ!!』

「やだよ超だっせぇ!! お前そんな変な事するから名前長くなって子ども達がちゃんと覚えられねぇんだよ!!」

「ぬ!? 今、吾輩を馬鹿にしたな!? 振り落とすぞ!!」

「ごめんなさい!! 名前背負うの素晴らしいっす……!! あ、カーディナルロート、あそこだ!!」


 ルガーが示した先の方で黒い煙が上がっている。巨竜が煙の元に近づくとルガー達の村の時と同じ様に魔族達が数体、バラバラに飛び立った。


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