第4話 人を襲う魔族
(昨年、吾輩が渓谷の周囲を飛び回った事で警戒したのか……? それとも気が済んだのか……)
男が来ない事で巨竜が久々に強い寂しさを感じていた頃、何人もの人間の声が洞窟の前から聞こえた。
「赤竜様! 赤竜様! どうか我らをお助けください!!」
ルガーの声ではない甲高い声が洞窟の外で響く。巨竜には何を言っているのかは分からないが取り乱したような悲鳴は酷く耳障りだった。
その上、その声が明らかにこの洞窟に向けられて発されている事に巨竜は怒りすら抱いた。
(あの男、この洞窟の存在をバラしたのか……!?)
男の警戒心の無さについ、自分も警戒心を無くしてしまっていた事を、巨竜はこの時初めて自覚した。
そして、反応しなければ収まるだろうと思っていた荒ぶる声はより不安定になって更に巨竜の不快を煽る。
(このまま叫び続けられて魔族や魔物にここが気づかれるのも困る……ここに二度と近づかんように威圧してやらねば)
そう思って巨竜は身を起こし、入り口の岩をどけて大きな咆哮をあげようとした時、
「うわー!! ルガー兄ちゃんの言ってたとおりだ! 真っ赤だー!!」
「竜だー!! 赤竜様だー!!」
幼い人の子達の声に咆哮はガッ、で止まった。
戸惑う巨竜をよそにまだ生まれて10年も経っていないような子ども達が数人ワラワラと竜の足に纏わりつく。
「すげー! ザラザラしてるー!!」
「爪もザラザラー!!」
番以外の存在にベタベタと皮や爪に触られる事に巨竜は激しい怒りを覚えた。
しかし相手は人の子ども――(この中にもし、あの男の子どもがいたら)と思うと怒りの咆哮をあげる気にはなれなかった。
結果「ガアッ」とちょっと中途半端な鳴き声をあげる事になったが、それで十分だったらしい。
好奇心旺盛かつ臆病な子ども達は一気に逃げ出し、すぐ傍にいた女性達の後ろに隠れた。
女性達は赤子、あるいは袋を抱えていた。巨竜の前に恐る恐る膝を付き、袋を開く。そこには木の実や果実、干し肉が入っていた。袋の傍に置かれた小さな木の入れ物には酒の匂いが漂っている。
それはルガーが毎年持ってきた贈り物と同じ物ではあったが――明らかに状況が違っていた。
「お願いします、赤竜様……! どうか村の皆を助けてください!」
「村が魔族に襲われて……!!」
周囲に跪く女子どもに巨竜は戸惑った。
(何が起きている……?恐らくここにいるのはあの男の村の者なのだろうが……何故あの男がいない?)
キョロキョロを見渡す巨竜に一人の女性が巨竜が誰を探しているのか察したようで、
「ルガーは途中まで着いてきてくれてたんですけど、追いかけてきた魔族達から私達を守る為に……!!」
女は巨竜に説明するが、巨竜は人語を理解できなかった。
ただ、女子どもの
(……村を襲われて逃げてきたか?)
だとすればこんな所でわあわあと騒がれてはこの者達を後を追ってきた魔族や魔物達にここを気づかれる可能性がある。
仕方なく巨竜は自身の身をズラし、洞窟の中に入るように尻尾で誘導すると女子どもが流れ込んだ。皆入った所で再び岩で入り口を閉ざす。
女のすすり泣きや子どもの喧騒で一気に騒がしくなった洞窟内で巨竜は悩んだ。
(村が襲われたのだとしたら、あの男は……)
もう死んでいるのか、それとも――必死に戦っているのか。
もし後者なのだとしたらまだ助けに行けるしれない。だが――
(困った……あの男の様子が気になるが、ここにいる奴らを放置する事もできん。この怯えきった人の女どもが扉やディナに何かするようには見えないが、子どもは何をするか分からない。万が一の事があってはならない)
真紅の扉については開けられようが開けられまいがどうでもいいが、扉の傍にいる番の亡骸を人の目に晒すような事はしたくない。
力無き人には知能がある。人が竜や獣の遺骸から器用に服や武器を作り出して己の身を守る習性がある事を巨竜は知っている。
しかし、多くの人を目の前にして久々に竜としての本能が疼くのを感じた。疼きが渇望になるのは避けたい――巨竜がそんな事を考えていると、子どもの一人が奥の方へと駆け出した。
反射的に「ガアッ!!」と一喝すると走り出した子どもは大きくコケて泣き出し、竜の一喝に怯えた子ども達も大声で泣き出した。
(人の子どもとは何と弱い……ちょっと怒っただけではないか……)
弱いのは子どもだけに限らないようで、女達の中にも泣き出す者がいた。洞窟の中に入れるんじゃなかった、と巨竜に後悔の念が生じ始めた時、一人の女が持っていた石で地面に一本の線を引いた。
「皆、この線から先に入っちゃ駄目!」
駄目と言われても試してみたくなるのが子ども――ソロソロと線を越えようとする子どもを女は「めっ!」と叱りつけた。
その仕草は、巨竜自身がルガーに示した行為にそっくりだった。呆気にとられていると線を引いた女が巨竜に向かって膝をついて頭を伏せる。
「赤竜様、私達を守ってくれてありがとうございます。どうか、村に残っている人達も……ルガーもお助けください……!」
ルガー、という単語は何度か聞いた。さっきもこの女はその名を出した。
あの男自身も初めて会った時にそんな言葉を口にしていた気がする。そこはよく思い出せないが、ただ、あの子どもが落ちていた時に崖上からよく聞こえた単語――
(そうか、あの男は、ルガーというのか……)
この時初めて、巨竜は男の名前を認識した。
もしルガーが死んだら、もう贈り物はない。ルガーにも二度と会えない。
(人より何倍も大きい竜族である自分に対して臆する事無く接してくる、あの底抜けに明るい馬鹿な男が、もう、来ない……)
巨竜は結論を出す前に入口に向かって歩いていた。
(あの女は子ども達が奥に行こうとするのをきっと止める。ディナが残してくれた体に危険がないなら、自分が今ここにいる理由は無い)
岩を動かし、再び洞窟を閉ざした後、巨竜は大きな羽を広げて空を飛んだ。
(飛んだのは良いものの、男の村は何処にあるのか、吾輩が動ける範囲にあるのか――)
巨竜の杞憂はすぐに消えた。巨竜が空から見下ろすと、少し離れた森の一部が燃えて黒い煙が上がっていた。
黒煙が運ぶ人や獣が焼ける際に発せられる独特の臭いが単なる山火事ではない事を告げている。
巨竜が行けるかいけないか、ちょうどギリギリの範囲――煙の元へと巨竜が豪快に翼を羽ばたかせて向かうと、巨竜が来た事で引き際を見極めたらしい黒い蝙蝠のような羽を持つ魔族達が小鳥のようにバラバラに飛び立っていく。
強い魔族は益を共有する事を嫌い単独で動く者が多いが、魔界を追い出される程弱い魔族は僅かな益を得る為に群れをなす者が多い。
非力で魔力も無い人一人を仕留める事は容易でも、人の群れとなるとそれなりに危険を伴うからだ。
散り散りに逃げ出す魔族達より何より、巨竜が気になるのはルガーの安否であった。
煙の下にまでは行けず、行けるギリギリの所の森の中に降り立つと人間の遺体が所々に転がり、散らばっていた。
人間からしてみれば何より避けたい凄惨な光景だろうが、人を餌にする生き物からすれば食事中にちょっと問題事が起きて慌てて飛び出した後の光景にすぎない。
ただ――その食物の香りは巨竜の食欲ではなく焦燥と不安を刺激した。
(あの男の姿は、無いな……)
人にとって救いのない光景を見回しながらここの亡骸の中にルガーの姿がなかった事に巨竜は安堵の気持ちを覚える中、複数の人間の慌ただしい足音が聞こえてきた。
(生き残りがいるのか?)
希望を懐いて足音の方向に顔を向けると、研ぎ澄ました石を木の棒にくくりつけた武器らしき物を持って駆け付けてくる人間達と目があった。
「魔族が去ったと思ったら今度は魔物か……! 一体何だって言うんだ……!」
「待て、あれは竜だ……竜の谷の赤竜様が助けてくれたんだ!!」
「あれが、ルガーの言っていた赤竜……!? という事は、妻や子ども達は皆無事なのか……!?」
所々血に塗れた人間達の会話の内容を巨竜は理解できなかったが、ルガーの単語は聞き取れた。
「赤竜様! ありがとうございます……!!」
それが感謝の言葉である事も理解したが、赤竜にとって今そんな事はどうでも良かった。ルガーの名前は出たが、その男達の中にルガーの姿はない。
「グ、ガァ……」
人間は他の生物と違って何故か魔力を持たない。だからこそ魔族や魔物から姿を隠せるのだが、探す側は肉眼で見つけなければならない。
しかし巨竜は動ける範囲が制限されている。何処にいるのか分からないなら、聞くしか無い。
「グガァー……グガァ」
伝われと願いながら自分なりに声の出し方を調節してルガーの名を言っては見るが、巨竜は中々上手く発音出来ない。
「……何て言ってるんだ?」
「分からん」
「グガ、グガァ!グガー!グルル、ガァ」
顔を見合わせる男達に苛立ちながら、巨竜は何度も繰り返す。何とかルガーの発音に近づけようとしながら。
「グルル、ガァ。グルル、ガァー」
「何か伝えたい事ががあるのは分かるんだが」
「グルルガァ……ルガー?」
男から出た発音に巨竜は目を輝かせて尻尾を振った。バタンバタンと上下に叩きつけられる豪快な仕草から村人達は驚愕しながらも巨竜が何を言いたいかを察した。
「ルガー……は確か、赤竜様に匿ってもらえないか頼んで見る、って女子どもを連れ渓谷の方に行ったから……」
恐る恐る男が渓谷の方を指し示すと、巨竜は指し示した方にドスドスと激しく音を立てて進んでいった。
(生きていてくれ)
一歩の歩幅が大きい巨竜が時折森の木をなぎ倒しながら先に進んでしばらく経った頃、微かに泣き叫ぶ子どもの声が聞こえた。
泣き叫ぶ子どもが魔族に気づかれないはずがない。それでも泣き叫び続けていられるのは――途中で泣き声が止まったが、声の発生源の所まで辿り着いた所で巨竜はついに目的の男を見つけた。
道から外れ、木々に遮られた死角で顔も衣服も真っ赤に染まり、息も絶え絶えな様子で――ピクリとも動かない魔族の遺骸のすぐ近くで、ルガーも命を失おうとしていた。
ルガーの傍にいた一人の子どもが巨竜を見るなりルガーを引っ張って逃げようとしたが、すっかり大人に成長したルガーの体はかなり大きく、逃げ出せないと分かるとルガーを庇うように立ちふさがる。
そんな子どもの動作にまた危険が迫っているのかと思ったのだろうか、ルガーは薄っすらと目を開いて、真紅の巨竜の姿を認識した。
「ああ……助けに……のか……あり……な……」
巨竜がここにいるという事は、村人が渓谷の洞窟に辿り着いたという事――痛みに耐えながら弱々しく言葉を吐くルガーの姿は、巨竜にとってこれまで見た事無いものであった。
それでもルガーの表情はいつもの笑顔を作り出そうとしていた。しかし。
「……ごめ……な……酒、これからは、リアが……」
「やだぁ! ルガー兄ちゃん死なないで!! 魔族に勝ったら今度こそリア姉ちゃんに告白するって言ってたじゃん! 死んじゃやだよぉ!!」
ルガーの声に振り返った少年が崩れるようにルガーに縋り付く。
「……俺だって……死にたく、ねえよぉ……」
涙に塗れた子どもの涙声に釣られたのか、ルガーは表情を滲ませた。一筋の涙と今にも途切れそうなか細い声が巨竜の心を強く揺さぶる。
消えていく「友」の命を見ていられなかったのか、自分が助けた「子ども」の切実な涙声に耐えきれなくなったのか――巨竜は咄嗟にルガーの胴体に尻尾を巻きつけると大きな羽を広げ、空を飛んだ。
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