第3話 人からの贈り物
子どもを助けた次の年から毎年落ちている、果物や酒が入った謎の袋――投げていたのは子どもの父親だった。
義理や恩の情は竜族にもある。子どもの命を助けてくれた恩返しのつもりなのだろう、と巨竜はすぐに理解した。
(という事は……あの子どもは無事助かったのだな。しかし、ただ一度、気まぐれに子どもを助けてやっただけなのだが人というものは大袈裟なのだな)
一度だけならまだしも、毎年お礼を続ける程、人にとっても子どもは大切な存在なのだろう。
これまで餌だとしか思っていなかった人に対してまた違う思いを抱いた巨竜は、いつ終わるともしれない<人からの贈り物>を楽しむ事にした。
袋の落とし主が判明した事で巨竜の警戒心は消え去り、独占欲は一層強まる事になった。
あの袋は完全に自分の物。横取りされないようにここら一帯に縄張りを示す咆哮でもあげようか、横取りする者達を一掃しようか、色々考えたが、
(いや、人は臆病で隠れる生物だ……火炎や咆哮を上げれば吾輩を恐れて来なくなってしまうかも知れん)
見張ったお陰で袋が投げ込まれる時期を大体把握した竜はその時期と同じ程度の川のせせらぎが聞こえてくる頃、一層神経を集中させて袋が落ちてくる音を聞き分け、聞こえるやいなや急いで取りに行くようになった。
大きく勇ましい風貌の巨竜に似つかわしくない、まるで小動物のように餌を見つけて捕まえて隠れる一連の行動は見る者によっては(ちょっと可愛らしい)と思われるかもしれない程微笑ましい姿であった。
そして――巨竜が抱いた疑問は、巨竜だけが抱くものではなかった。
人の方も、男が雪解けの時期になる度に果実や酒を袋に詰め、崖から渓谷に向かって投げる姿を疑問に思う者がいた。
贈り物が続いて2桁の年に達しようという頃の雪解けの時期。耳を澄ます巨竜はいつもと違う音が近づいてくるのを感じた。
(小動物ではない……これは、人の足音か?)
「おーい、赤竜様ー!」
微かに聞こえてくる人の声で巨竜は確信した。そしてその後、袋が落ちるような音が聞こえる。
(あまりここの存在を知られたくないのだが……あの袋を人に奪われるのは嫌だ)
岩を動かすとそれなりに周囲に音が響く。扉を守れと言われた事を守っている訳でもないが単純に自分の住処がバレてしまうのは嫌だった。
(……吾輩が姿を晒せば逃げていくかも知れん)
洞窟からなるべく音を立てないように岩を動かしていつものように川岸に向かうと、そこには男が一人立っていた。
「おお! 本当に真っ赤だ!」
自分を指差して驚きの声を上げる男に巨竜はちょっと不快な思いをしたが、男が足元に置いた袋を拾い上げて自分の方に近づいてくる姿に驚愕した。
その袋は今までここに投げ込まれてきた物にそっくりで、それを持ち上げる人間の男はこれまでそれを投げ込んできた男によく似ていた。
違うと言えば眼の前の男にはまだ僅かに子どもらしさを感じる所と、その表情に恐れや警戒が一切ない事くらいだろうか? そんな事を考えている間に袋は巨竜の足元に置かれた。
「あのさ、あんな所から投げたら果実とかいっぱい潰れるだろ? もったいないから直接持ってきた方が良いんじゃないかって俺、ずっと思っててさ!」
何やら話しだした男を巨竜がじっと男を見据える。巨竜は人ならざる者の言葉は何故か理解できたが、この男の――人の言葉は理解できない。
「あ、俺、ルガーって言うんだ! 俺がうっかりここに落ちた時、赤竜様が助けてくれたんだろ? 俺は全然覚えてないんだけど、ありがとな!」
ルガーと名乗った青年の言葉が続くが、やはり巨竜には理解できない。
だが言葉も意思も通じあえなくても、態度を見て敵意や悪意を感じ取る位の事は巨竜にも出来た。
(何を言ってるのかさっぱり分からんが……恐らくは、あの男の子ども、なのだろうな。人は老いるのが早い。親に代わって自分が届けに来たのか……)
そう判断し、攻撃の姿勢を見せない巨竜に対し物怖じせずに近づいてきた人間の男はまた先程の場所に戻り――何やら奇っ怪な形の物、人の間では<壺>と呼ばれる入れ物を手に持って巨竜の前にドン、と置いた。
「今頃村の皆が心配してるだろうから早く帰らねえと。またな、赤竜様!」
ルガーは片手を上げてニッカリと笑った後背を向けて、振り返る事無く歩き去って行った。
(少しは警戒しろ……)
喋るだけ喋って、置くものだけ置いて後ろから襲われる事を警戒せずに歩き去ったルガーに巨竜は呆れた。
巨竜はもう人を喰らうつもりはないが、竜族は人を喰らう。巨竜は自分を一切警戒しない人間の男に何だか心配になりつつ壺に目を向ける。固い奇っ怪な形の入れ物からは濃厚な酒の匂いがした。
これまでより何倍もの量の酒に巨竜は歓喜し、口で壺を挟む。が、持ち上げた瞬間壺は口の中でパキッと音を立てて割れてしまい、慌てて舌で包み込むも一瞬で終わった酒に巨竜は絶望した。
翌年、また人の足音が聞こえてきた。巨竜はいつも使っている巨木の酒杯を抱えて洞窟を出た。またあの男が袋を壺を置いて立っていた。
巨竜は今度こそ失敗しないようにと巨木の上で壺を割り、酒を酒杯に流してその巨木をそうっと両手で抱えた。
壺は割れるが巨木は割れない――そういう考えからの行動だったのだが、返しも何もない単なる凹みに注がれた酒は巨竜が歩く度に揺れて大きく零れてしまった。
「ああー、何やってんだよ! もったいない!」
ルガーが何やら叫んだが巨竜には伝わらない。ただ巨木の凹みを見つめる巨竜の寂しそうな視線にルガーはそれ以上言うのは可哀想かな、と黙り込んだ。
「また来年持ってきてやるから元気出せよ! またな!」
ルガーの励ましも巨竜には理解できなかった。結局巨竜はその年、今までよりちょっと多い位の酒しか飲めなかった。
(両手が塞がるのも不快だ。洞窟近くでいつ来るか分からんあいつを待つのも手間だ。無駄にディナの傍を離れたくない)
その年、洞窟の中であれこれ考えた巨竜は男にここまであの入れ物を運んでもらった方が早い――という結論を出し、巨竜は男を何とか洞窟に招こうと決めた。
一人と一匹を繋げる言語も文字も無い。それでも身振り手振り――最終的には去りゆく男の腹に尻尾を巻き付けて洞窟まで引っ張った。
「勘弁してくれよー! 俺何か悪い事したかよー!? 俺美味しくねぇよぉ!!」
ギャアギャアと叫ぶ男は洞窟に入るなり大きな空洞と巨木の山に感嘆の声を上げた。
「すげぇー……! でけぇー! 何かすげぇなー!」
感動しているらしいルガーに巨木の酒杯を出すと、ルガーは昨年自分の前で巨木の上で酒の入った壺を割る竜の寄行をハッキリ覚えていた。
「あ、ここまで酒持ってきてほしいんだな? そりゃこんな返しも蓋もついてねぇもんに入れたら絶対零すだろって思ってたんだよなぁ。赤竜様、図体の割には頭良くないんだなぁ」
ルガーは口こそ悪いが性格は悪くなかった。次の年から洞窟の前まで来て袋と酒をそこまで持ってきてくれるようになった。
洞窟の外から「おーい」と呼びかけてくる男の声が聞こえると巨竜はいそいそと立ち上がり、人が入れる位まで岩をどけて洞窟の中に男を招いた。
激しい雨が降っている時は男は洞窟に泊まっていく年もあった。何気なく洞窟の奥が気になって奥へ歩こうとするルガーを巨竜が「ガァ!!」と一喝するとルガーはビク、と体を震わせて立ち止まった。
「あ、これ以上入るなって事か?」
ルガーが何を言っているのか巨竜は理解できなかった。だがルガーはよく危ない場所に行っては親に叫ばれて止められた経験があるからか、巨竜が言いたい事が分かった。
「……嫌な事したら食われるかなって思ったけど、赤竜様はやっぱ優しいなぁ。何で龍の谷の暴れ竜だなんて言われてんだろうな?」
千年以上も前の巨竜の姿を知らず、山を焼いた姿を見た訳でもないルガーの純粋な疑問が洞窟に響く。
巨竜はあの頃、人を餌としか思っていなかった。だが餌ですらなくなった今、人に対してまた別の感情を覚え始めていた。
それを説明しようにも伝える術がなく、そもそも巨竜にはルガーの言葉が理解できず。
「村の皆が赤竜様は怖くないって分かってくれたら、もう少し酒を融通してやれるんだけどなぁ。赤竜様絶対酒好きだろ? だから俺、酒だけは自分の分我慢して持ってきてんだ」
そんなルガーの善意も、巨竜には伝わらない。
贈り物を始めてから数年で果実を多く実らせる木が引っこ抜かれるのが止まった。その事実から「贈り物は絶対続けた方がいい! 贈り物やめたらまた山荒らされるかもしれない!」と村の皆を説得してここに来るのが許されている。
そんなルガーの父親やルガーの苦労も、巨竜には伝わらない。
ただ、彼らの贈り物は確実に巨竜の心を癒やし、特に酒は巨竜の大切な楽しみになっている。
巨竜がチロチロと大切そうに飲む姿を見てルガーは満足げな笑顔を浮かべた。
「元々は俺のだし、俺にも一杯くれよ」
「ガァッ!!」
「わぁっ、怒るなよ!」
そんなやりとりがあった翌日、雨が止むとルガーは「またな」と笑って洞窟から離れていった。
去り際に表情を緩めて「またな」と言うのが人の別れの挨拶なのだと、巨竜は理解した。
ルガーが去った後、巨竜は人が笑顔と呼ぶルガーの表情を思い返しながらまたチビチビと酒を舐める。
巨竜がこれまで見てきた人々が見せた事のない、恐れのない顔。人ならざる者に向けられた事のない、緊張感のない顔――
(あの男が死ぬ頃には、この贈り物も終わるか……)
そう考えると巨竜の中に寂しさが襲った。愛する番ほどではなくとも、あの警戒心なく自分に近づいてくる青年がいなくなる事に寂しさを覚えた。
ルガーが来なくなる寂しさから目を背けるように別の事を考えると、今度は酒を失う事に寂しさを覚える。そしてルガーが何処で酒を手に入れているのか気になり始めた。
翌日、巨竜は洞窟を出て空を飛んだ。人の村を探し、酒の所在を突き止める為だ。
酒の作り方を知らない巨竜は、この液体が泉のように湧き出る場所があるのだろう、人はそこから汲み取っているのだろう、と思いこんでいた。
魔族に魔物、毒虫――人には天敵が多い。
空を飛べる天敵から身を隠す為に生い茂る森に身を隠しているのは容易に想像できた。
しかし激しい雨に見舞われた翌日の、様々な匂いが立ち込める森の上からでは人が発する独特の匂いを嗅ぎつける事は出来なかった。
洞窟に戻り、尻尾をばたつかせる中で巨竜は気づいた。
(またあの男が来た時に後をつければ良いのでは?)
ある程度方角が分かるだけでも手がかりになる――いや、あの警戒心のない男は堂々と着いていっても拒まない気する。
巨竜はフスっと鼻で笑った後、酒の泉を目にする事を想像して心を踊らせた。
(こんな訳の分からぬ扉より、魅惑の液体と生み出す泉の方が守りがいもあるというもの……しかし、ディナの体が移動に耐えてくれるかどうか……)
今ですら番の体は大分傷んでいる。雨風に晒されればより痛みも早くなるだろう。この洞窟のように入り口の方向にだけ気をつければいいという訳にもいかない。
皮肉な事に巨竜を縛り付けるこの場所こそ遺骸の安息の地となっている。
(住処を変える訳にはいかんな……せめて、吾輩が動ける範囲に泉があれば)
酒をたらふく飲み干す夢を見ながら、巨竜は目を閉じて雪解けの時期を待った。
しかし――次の雪解けの時期。いつも来る頃にルガーはやって来なかった。
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