第2話 人ならざる者
巨竜が洞窟に住み着く――住み着かざるを得なくなったのは千年以上前。亡き番や子ども達と共にここに住み着いていた人の群れを襲った時だった。
人は非力な上に、この世界で生物なら皆持っているはずの『魔力』を持たない。
その代わり頭が良く、魔力がないながらも高い知能を生かして天敵に狙われないように森や洞窟に潜んで生きながらえてきた生き物だ。
しかし一度人食いの種族に見つかってしまえば格好の餌として狙われる。巨竜もその時は無力で哀れな大好物を見つけ、喜び勇んで襲った。
しかし、その人々は巨竜がこれまで見てきた人々とは全く違った。
彼らは見えない壁で竜の口から吐き出される火炎を防ぎ、見えない力で巨竜と巨竜の家族達の動きを止め――その上更に巨竜に不可思議な呪いを施した。
『我らを襲った罰としてお前は未来永劫この星とこの扉を守るのだ』
巨竜の目の前に、巨竜を全く恐れない男が立つ。そしてその男が巨竜に向かって手をかざすと巨竜の中に言葉が響いた。
『この星の力をお前を通して浄化し、扉を閉ざす力に変える……この呪いは我らの弱き心と体では耐えられん。だから我らはこれまでお前のような強靭な存在を捕らえてはこの呪いをかけてこの扉を守ってきたのだが……お前には特別な呪いも付加する事が出来そうだ。お陰でもう我らがこの厳しい環境に留まる必要はない。感謝する』
巨竜は不思議と人ならざる者の言語を理解できたが、言っている内容をあまり理解できなかった。
それでも扉を守れと言われた事は理解し、人ならざる者が番の後を追わない様子に心から安堵した。
そして昼夜を何度か繰り返した後、人ならざる者達は洞窟から去っていった。
巨竜が誰もいなくなった洞窟の中で戸惑っていると逃げのびていた番が戻ってきた。
再会を喜びあった2匹はすぐその地から離れようとした。が、離れる事ができなかった。その地域から離れようとすると巨竜の体が動かなくなるのだ。
まるで洞窟から長い鎖でもつけられているかのように。洞窟を中心に円状に広がる広い檻の中に閉じ込められたかのように見えない壁と心の臓に絡む見えない鎖が巨竜を縛りつける。
巨竜と番は怒り狂って山々を飛び回り周囲を焼き尽くしたが人ならざる者が再び現れる事はなく、周囲が一段と冷え込み雪が振り始めた頃。
(ここよりあの温かい洞窟の中で過ごした方がマシ)
巨竜の頭も雪に冷やされ、番に自分の事は忘れて幸せに生きて欲しい旨伝えた。
しかし番は一切引く事無く、2匹の激しい咆哮が山々に響きあう。長き言い合いの末に竜の夫婦は寄り添って渓谷の洞窟に戻った。
この2頭の壮絶な八つ当たりと夫婦喧嘩――という事情を知らない近場に住む人々は暴れる2竜に恐怖し、逃げ出した先で『あの谷には周囲一帯を燃やし尽くす恐ろしい竜の夫妻が住んでいる』と言い伝えていく事になるのだが、巨竜はこの時知る由もなかった。
夫婦で洞窟に引きこもり長い年月を過ごしていく内に、巨竜は自身に施された見えない呪いから時折多大な力が供給されるのを感じた。
その力はけして巨竜に害や苦痛をもたらすものではなく、大半は真紅の扉に吸い取られるように消えていく。
そして真紅の扉から滲み出る赤い魔力はいつしか巨竜達の心を癒やし、気が遠くなるほどの長い年月が彼らから人ならざる者に対する怒りの感情を少しずつ風化させていった。
(襲われれば反撃するのは当たり前の事。あの時、
そう自分に言い聞かせて運命を受け入れてから更に長い時が過ぎ、巨竜の番がすっかり老いてしまった頃――巨竜が自身にかけられた特別な呪いというのが不老の呪いである事に気づいた時にはまた怒り狂って周囲の森を荒らした。
自身の命を弄んだ『人ならざる者』に対しての怒りと、番と死に別れる恐怖は山々を荒らすだけでは収まらず、巨竜は真紅の扉を破壊しようとしたが大きな扉は巨竜よりずっと強い力に守られ、巨竜の爪も火炎の息も扉に触れる事すら出来なかった。
そんな状況に更に荒れ狂う巨竜を諌めたのは、既に己の死期を悟っていた巨竜の番だった。
真紅の扉が放つ淡く赤い光が番の体を照らす中で彼女はずっと巨竜の元を離れる事無く。死の間際まで巨竜を宥めながら、慰めながら、静かに亡くなった。
「命が尽き、体が朽ちても、魂はずっと貴方と共にありますから」
愛に満ち溢れた言葉を最後に巨竜の孤独な生活が始まって数百年――巨竜の体調が悪くなる事もなく、腹が減る事もなく、老いを感じる事もなく。ただ番の亡骸が年月と共に少しずつ朽ちていく。
生きている間ずっと寄り添ってくれた、愛する者の遺骸の朽ちていく様に巨竜は時折痛々しい想いに駆られた。
(ディナの体がこれ以上朽ちていく姿を見る位ならば、いっそ食らって自らの血肉としたい)
竜は(愛しい)と思う存在ができたら他の異性に一切の興味を示さなくなる。互いに想いあえた時、脳が唯一無二の存在――
そして生涯番と寄り添い、片方が死んだ時は血肉を取り込んで一体となる。
それは竜の本能であり、巨竜もその例に漏れなかった。だが愛しい番の遺骸に何度そう思っても、巨竜はそれを実行に移す事ができなかった。
今まで扉を開くような敵が来た事は一度も事が無い。扉の向こうから誰かがやってくる事もない。
魂はずっと共にある、と言われても魂は目に見えるものではなく、感じる事もできない。
愛する番の言葉は巨竜の支えにはなれど、慰めにはならなかった。
その上この場所にはまともな娯楽がない。外から木の実や果実を持ち込んで気を紛らわせる程度の慰めしかなかった。
だからこそ人の味に再び取り憑かれ、血と肉に飢えるような状況を避けたかったのである。
人を食わず、1年の殆どを番の遺骸の傍で寝て過ごす日々――そんな生活をもう何百年続けているだろうか? 巨竜自身ももう正確には思い出せない。
自身が真紅に染まる前はどんな色をしていたかも忘れ、人ならざる者に喧嘩を売った事への後悔や理不尽な呪いをかけられた怒りも消え失せていく程に長い年月の中――ただただ誰も来ない、誰が出てくる事もない真紅の扉の傍で番の亡骸に寄り添っていた。
しかし、気まぐれに人の子どもを助けた次の年から、巨竜の退屈な生活に変化が訪れる。
翌年の雪解けの際、いつものように洞窟の外に出ると子どもが落ちていた場所の辺りから甘く熟れた果実の匂いが漂ってきた。
惹かれて近づいてみれば植物の繊維を編み込んで作られた袋と、その周囲に熟れた果実があちらこちらに落ちていた。
袋の中にも草に覆われて様々な木の実や果実が入っていた。いつからあったものなのか、少し傷んだり潰れている部分もあったが巨竜はその中央にきつく縛られた動物の胃のような物に興味惹かれた。
巨竜は散らばった果実を舌を使って器用に食した後、袋を洞窟に持ち帰り改めて中を確認する。動物の胃袋を袋がわりにした中に溜められた液体から放たれる魅惑的な匂いにつられてをチロ、と袋の先に舌先を伸ばして舐めて口に含むと
(何だ、これは……!?)
癖になるような独特の風味が口の中全体に広がり、巨竜は捨て置いていた巨木の一本を倒して爪で凹みを作り、その中で袋を裂いた。
凹みの中に透明な液体が広がる。その液体に舌先を付けては口に含んでいると体が丁度良い感じに温まってきた。
独特の風味の液体――それは人が「酒」と呼ぶ物なのだが、酒は巨竜に果実とは比べ物にならない程巨竜の乾いた心を潤してくれた。
そして酒のお陰か、巨竜はその日、久々に深い眠りにつく事が出来た。
酒が含まれた不思議な落とし物は毎年雪解けの時期になると1度だけ見かけるようになった。
果物の量は多い時もあれば少ない時もあったが、果物よりも酒があるかないかで巨竜の気分は一喜一憂した。2袋あった年、巨竜は思わず咆哮を上げた。
酒、そして色んな種類の木の実と果実が詰められた袋の登場によってこれまでまるごと一本引き抜いて食していた大量の果実の慰めは必要なくなり、巨竜はいつしか木を引っこ抜くのをやめていた。
しかし、そんな魅惑的な物が詰まった袋――当然他の生物にも狙われる。
ある年、巨竜が見つける前に袋の中の物が先に熊にでも狙われたのか無惨に食い荒らされ、酒の入った袋は潰れて中身が溢れてしまっていた。
巨竜は切ない咆哮を上げた後、諦め悪く酒の入っていた袋をつまみ上げると口の中で転がす。
(こんな事、二度とあってはならん……先に取られないようにしなければ。しかし、この袋はいつここに現れるのだ?)
巨竜は久々に寂しさと怒りの混ざりあった感情を覚えながら、雪解けの時期に1度だけ現れる謎の袋の存在に流石に疑問を抱いた。
(……よくよく考えてみれば、毎年決まった時期に同じ物が置かれているのはおかしい。魔族か人か――あるいは人ならざる者の罠かも知れん)
巨竜は次の雪解けの時期、まだ川のせせらぎがそこまで大きくならない頃から洞窟から出て、少し離れた所からこっそり川を見張る事にした。
警戒心と共に(あの袋を誰にも取られたくない)という独占欲が大いに含まれていた巨竜の行動によって袋の落とし主はすぐに判明する。
崖の上から袋らしき物が投げ出されるように落ちてきたのを確認すると、巨竜はすぐ崖の上を見上げる。
そこには男が一人立っていた。
男は、数年前に巨竜が気まぐれで助けた子どもの父親だった。
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