とある異世界の昔話(ル・ティベルシリーズ短編集)
紺名 音子
色神外伝
真紅の巨竜
第1話 真紅の巨竜
1年の大半が雪に覆われる高い山々の中、最も気温が高まる時期の間だけその渓谷は姿を表し、浅い川と地面を覗かせる。
その雪解けの時期にたった1日だけ、川沿いにある崖に突如洞窟が現れる。
明らかに人為的に掘られた洞窟は天井も横幅も高く、少し歩いた所で大量の巨木が根っこごと乱雑に投げ置かれ積み重ねられた、いっそう大きな空洞に行き当たる。
空洞の隅には大きな真紅の扉と、その扉の先に行かせないと言わんばかりに扉の前で横たわる大きな竜の亡骸、それに寄り添う真紅の巨竜の姿があった。
雪と山々に隠され、巨竜に守られたこの洞窟には千年以上の間、人はおろか魔物も動物も訪れていない。
目も、歯も、爪も翼も、体全体が赤く染まった雄の巨竜だけが訳あって愛する
雪の時期はただひたすら洞窟で番の亡骸に寄り添って息を潜め、雪が解ける短い時期に一度だけ洞窟の入り口を塞いだ岩をどけて外に出る。
誰も入り込まないように出た後は必ず岩で入り口を閉ざすのも忘れない。
そして立派な両翼を大きく広げて崖の上へと飛び、周囲の森で木の実がたくさん成った木を1本、根っこごと引き抜いて洞窟に持ち帰る。
番の亡骸に寄り添いながら木の実や果実を舌で転がしながら長い雪の時期を過ごすのが巨竜の日常だった。
(……大分雪が溶けてきたようだな)
雪解けの時期だけ聞こえてくる川のせせらぎの音がハッキリと聞こえてくる頃、巨竜はいつものようにのそりと起き上がり、暗い洞窟を塞ぐ岩をどかして真紅に染まった巨体を日の下に晒す。
約一年ぶりの陽光に目を細めながら周囲を見渡した巨竜は川沿いの砂利の上にいつもは見かけない物――人が一人、倒れている事に気づいた。
(川に流されてきたのか? 崖から落ちてきたのか?)
数百年ぶりの人の物珍しさに近づいて覗き込んでみれば、人は多少の傷はあれど息をしている。
植物の繊維を編んだ薄黄色の服を纏った赤みがかった茶髪の人間は、まだ男か女かも分からない子どもだった。
(本物の人か、あるいは、人ならざる者か……)
どちらにせよ関わりたくない、と思った巨竜は人の子どもから背を向ける。
だがすぐにある問題に気づいて再び人の子どもの方に振り返った。
(まだ雪解けの時期に入ったばかり。放置していたらいずれ死んで腐ってしまうかもしれん……)
今の時期にこんな場所で息絶えられては腐臭が岩の隙間を通して洞窟に入り込んでくる可能性がある。
再びこの渓谷が雪に埋もれるまでの短い間とは言え、巨竜は動物が放つ強烈な腐臭が苦手だった。
番が放つ死臭には耐えれどもそれ以外の物が放つ腐臭には耐えきれない。おまけにその臭いが体に纏わりついてしばらく取れない点も巨竜は嫌だった。
巨竜の中で(いっそ食ってしまうか?)という思考も過ったが、気が引けた。ならば、どうしたものか――と考えている内に崖の上の喧騒に気づく。
復数の人が何か叫んでいる。数百年ぶりの人の声の方を巨竜が見上げると、人達の大半が悲鳴を上げて逃げていった。
(しまった)
もしかしたらあの者達はこの子どもを助けあげようとしていたかもしれない。
こちらの懸念を勝手に払拭しようとしていたかもしれないのに、邪魔をしてしまった――と巨竜は反省しながらも、そこにまだ一組の人の男女が酷く不安そうな表情で巨竜を見下ろしている事に気づく。
(親か……)
子どもが心配で逃げられないのだろう――と巨竜はふと自分と番の子どもの存在を思い返した。
この地に縛られる前に番と成した子どもの数は10を超える。成長していく子ども達を番と共に温かく見守っていた遠い記憶が巨竜の頭をよぎる。
竜の子どもは親にとって番とほぼ同等――自分の身を自分で守れるほどに成長するまでは何が何でも守らなくてはならない大切な存在である。
だが成長するまでに様々な理由で命尽きてしまう子も少なくない。暖かな記憶は同時に巨竜に辛い記憶も蘇らせた。
(……今自分の足元にいる存在も、きっと彼らにとって何より守るべきものなのだろうな)
子どもを守る気持ちに種族は関係ない――その想いが気まぐれに子どもを口で拾い上げ、巨竜を羽ばたかせた。
急速に近づいてくる巨竜に対して夫婦が驚愕の悲鳴をあげる中、巨竜はそっと彼らから少し離れた場所に子どもを置く。
そして巨竜が間をおかずにはばたいて空に浮き上がると、夫婦は直ぐ様子どもの元へ駆け寄り抱きかかえた後、呆然と巨竜を見上げた。
(さっさと連れて帰れ!)
そう巨竜は思いながら咆哮を上げると、夫婦はハッと我に返ったかのように子どもを抱えて森の中へと逃げていった。
(……あれは、間違いなく人だな。全く鈍臭い)
邪魔者達が消えた後、巨竜は改めて周囲を見下ろす。
(今年はどれにするか……早く決めてディナの所に戻らねば)
雪解けの短い間だけ本来の姿を晒す一帯は暗い緑色の葉と様々な色の果実を茂らせた針葉樹が広い森を成している。
普段雪に埋もれる木々達はそれぞれ厳しい環境で甘みを凝縮させた果実を空に晒し、空行き交う鳥や森の動物達に果実をついばんで種を遠くへ運んでもらえるのを待っていた。
そんな木々の願いを裏切るかのように巨竜は空を旋回した後、気に入りの果実を多く付けた木を1本まるごと豪快に引っこ抜いて洞窟へと戻った。
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