天使の物語
柴 京介
第1話
仕事がおわり満員電車に耐えて家に向かう瞬間は最高だ。それに明日は土曜日で、カバンには先程買った漫画の新刊も入っている。
今にも鼻歌を歌いそうなくらい上機嫌な彼女の名は
「…ん?これって…羽? 」
突然視界に入り込んできた羽が気になって足を止める。ゆっくり落ちてくるそれはこの世のものとは思えないほど光輝いていた。
落ちてくる場所に合わせて手を差し出したけれど、触れる前にスゥーっと消えてしまう。
差し出した手が虚しくなって引っ込める。先程のは幻だろうか?それとも疲れて見えた幻覚かも知れない。
そんなことを考えながらふと上を見上げると、それはいた。
「……!!?」
「なんじゃお前、わたしが見えるのか?」
声にならない悲鳴をあげながら思わず指を指すと、ゆっくりこちらを見ながら話しかけてきた。
「て、天使? 」
「人間は皆、この姿を見ると天使と言うんじゃな!噂には聞いていたが本当だったとは」
白い服を着て大きな白い翼で宙に浮かぶ姿を見れば、大抵の人は天使と答えるだろう。頭の上に黄色い後輪は無かったけれど。
少女のような見た目から出る長老のような喋り口調はすごく胡散臭い。
けれどそれをかき消すほど輝く白銀の髪と、光を放つ虹色の瞳は神々しかった。
「天使って地上にいるものなの?というより見えちゃって大丈夫なのかな…。まさかお迎えだったりしないよね?」
「とりあえず落ちつくんじゃ。早口で喋られてんも分からんぞ!」
「落ち着いてられるかーー!!」
非日常的すぎる出来事が目の前で繰り広げられ
それに同調するように
「ごめん取り乱した」
「気にすることはない。わたしを見て驚く人間なんて初めて見たからの!それだけで嬉しいのじゃ」
「それなら良いんだけど…。やっぱり天使が見えるって珍しいのかな?」
「天使は見えないのが普通じゃからな。見える人間に出会った天使もほとんどいないくらいじゃ。こう見えて今にも飛んで生きそうなくらい喜んでるのじゃ!」
もう飛んでるじゃん、なんて野暮なツッコミは心の中で留めておいた。どんどん早くなる翼の羽ばたきは、喜びに比例しているのだろうか?
「面白そうじゃし、ついていってもいいかの?」
「別にいいけど…なにも面白いことはないと思うよ。いたって普通の生活してるし…」
「話せるだけで楽しいからいいんじゃ!」
大きな羽をなびかせながら、天使は後ろを着いてくる。 あんなに大きな羽動かしてるのにもかかわらず、風などは一切起こっていない。
天使と話していれば直ぐに家に着いた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。もうすぐご飯できるわよ」
リビングに入ると、ご飯のいい匂いが漂ってきた。天使はご飯の匂いを嗅ぐと、
「美味しそうな匂いじゃな! これどんな味がするんじゃ?」
近くで天使が喋っていても何事も無いように母は夕食の準備を進めていた。今のところ
「おーい!聞いとるかー」
「聞いてるよ」
「急に小さい声でどうしたんじゃ?」
「他の人にあなたの事見えてないんだよ?普通に話したら一人でなに話してるのって言われちゃうよ」
「ボソボソひとりごと言ってないで早く手洗ってきなさい」
母の言葉に「ほらね?」と言わんばかりに目で訴えると、なるほどと天使は頷いた。それから他人がいる時話しかけなくなった天使は、意外と素直なのかもしれない。
夕ご飯を食べ、お風呂について来ようとしたので追い出し(結局扉をすり抜けて入ってきたけれど)
椅子に座り一息ついてからカバンから漫画を取り出す。読みはじめると天使は後ろから覗きこむように漫画を見ていた。
「これ好きなの?」
「読んでるとわたしまで冒険しているようで好きなんじゃ。いつも暇な時は人間が読んでる漫画を見るのが楽しみでな。」
「そっか。これ読んだら他のも見る? 」
「いいのか? そしたら次はあれが読みたいのう」
それから読めるだけ漫画を見て一息ついて時計を見ると、もう夜中の二時をまわっていた。 さすがに眠くなってあくびをして、ふと思う。天使は寝るのだろうか?
「私そろそろ寝るけど…あなたはどうするの?」
「もう人間は寝る時間なんじゃな。わたしは一度天界に戻る事にする。また近いうちに会いに来るぞ!」
グッと足に力を入れると、そのまま勢いよく飛び立っていった。
天使と出て行った後、布団に入るとすぐに眠りについた。はっと目が覚めた時にはお昼を回っていて、だいぶ熟睡していた事に気がつく。
起きればそこに天使の姿はなかった。近いうちに来るといっていたけれど、いつだろうか?
まだ来ない、まだかな?なんてしている間に一ヶ月がたって。
半年経つ頃にはその出来事も忘れかけていた。たまに思い出してはあんな夢も見たななんて懐かしい気持ちになって。
一年経つ頃にはすっかり忘れていた。
「遊びに来たぞー!って何をそんなに驚いてるんじゃ?」
「急に来たら驚くよ! それにすっごい久しぶりすぎて!もう来ないかと思ってたくらい」
休日の朝、外をぼんやり眺めていたら突然天使は現れた。しばらく目を見開いたまま固まってしまうくらいには驚いた。
「近いうちに来たじゃろ? 」
「一年は近いうちに入りませんー!」
天使にとっては翌日に遊びに来たよ!くらいの感覚らしい。久々の再会はだいぶ感覚の差があるなと感じる。
「今日はなにをしようか?」
久々の再開だ。やりたいことはたくさんある。
その日は天気がいいからと外に出かけて、夜には一緒に漫画を読んで、
それから大体一年くらいの周期で天使は
「あなたの名前は?ちなみに私の名前は…」
「
「え?なんで知ってるの? それよりあなたの名前は?」
「名前は無いぞ。なくても困らないから考えたことなかったのう」
三度目の出会いにして、自己紹介をしていない事に気がついた。天使は知っていたみたいだけど。
天使にとって名前はそこまで重要ではないようだ。けれど
「これからあなたの事“つばさ”って呼んでもいい?」
「なんでじゃ?」
「名前で呼びあったほうが親しみがでていいじゃん。友達は名前で呼びたいし」
「わたしは
「もちろん! これからよろしくねつばさ」
大きな特徴的な翼をみてぱっと思いついた名前だけど。三年かかったけど、ようやく友達になった。
「どうしたんじゃ? なんだか元気が無いようじゃが」
「もしかして顔に出てた? ごめんねせっかく会える日なのに…」
「気にするでない。つばさで良ければ話してくれないか?」
「最近ね、うまくいかなくて」
もうそろそろ来る日だからと思っていたのに。つばさの顔を見たらホッとして気が抜けてしまったのかもしれない。
誰にも打ち明けなかった悩みが口から溢れていく。
「つまり人生に価値があるのか悩んでる訳じゃな」
大まかにいえばそんな感じだ。自分の代わりはいくらでもいてそこまで価値のある人間では無いと。それを感じる出来事がたくさんあった。
「どんな人生にも価値があるに決まってるじゃろ!!」
少し怒っているようにも見える表情に驚いて固まる
「天使はな、この世に生きる生物の人生を管理するのが役目なんじゃ。人生は一冊の本になっていてな。誰でも持ってるいるのじゃ」
つばさは本棚の方に行くと指さす。
「天界には大きな本棚があって、沢山の人生の本があるんじゃ。どんな生き方だろうと共通していることがある。
みんな主人公なんじゃ。必死に生きた人生に同じものはなくて、どれも素晴らしい物語なんじゃよ」
「みんな主人公…?」
「
「
輝く瞳を細めて優しく笑うつばさを見ると、頬にスッと涙が流れた。
どこか現実離れした話ばっかだったけれど。
それでも自分自身を肯定してもらえたようで、今までの悩みが嘘のように消えていった。
「ありがとう」
「どういたしまして!」
この後も何十年に渡り交流が続いた。
歳をとって感じるのは、この悩みを打ち明けた時が人生のターニングポイントだったという事だ。
実家を出て住む家が変わっても、天使は変わらず
「遊びにきたぞー!」
「久しぶりね、つばさ」
「おばあちゃんだれとおはなししてるのー?」
「お友達とお話してるの。それより
「ほんとだ、はやくいかなきゃ!おばあちゃんあとでね!」
毎年変わらず元気よくつばさはやってくる。
「人間の成長は早いのう... もう小学生じゃろ?」
「少し前まで小さかったのにね」
歳をとるたび時間が早く感じるようになるというのは本当らしい。
「今日はここでゆっくりでもいい?」
「いいぞ! 皐月とならなんだって楽しいんじゃ」
ここ数ヶ月は体調を崩してしまい、大事をとって休養している。
なんとなくもう長くないというのは分かっていた。
あと何回つばさに会えるだろうか?
*
光輝く空に生き生きとした鮮やかな緑の樹々、水は澄んでいて心地よい風の流れる穏やかな地。何一つ不自由ない楽園だ。
大きな翼を持ち、光を身に宿す者のみ立ち入りを許された場所。
ここがつばさの生活する天界である。
天使はみんな白銀の髪と虹色の瞳、大きな翼を背に持つが、見た目まで一緒ではない。
お婆ちゃんやお爺ちゃん、幼女や少年、筋骨隆々な男性やスリムな女性などなど。
天界を見渡せばいろんな個性のある姿に出会えたりする。
その見た目の個性とは裏腹に思考は皆一緒で話してもつまらない。
必要最低限の話しかないのだが。
「近頃はよく地上に降りてますね」
凛とした声につばさが後ろを振り向けば、天界の中でも一際目立つ美貌の女性が立っていた。
頭上から耳上にかけて左右対称に癖毛がピョンと生えている。この癖毛はどう頑張っても直らないのだと以前嘆いていたのをつばさは知っていた。
あまり表情もなく、淡々とした喋り口ではあるが、同僚を気にかけたり話してくれる分、他の天使より話す回数は多い。
「天使が見える人間がいたんじゃよ!名前ももらったんじゃ」
「そうですか」
この天使も見える人間に会ったことがあるからか、反応が薄かった。
八の天使と呼ばれていたらしい。
つばさはそんな変な名前ではなく、つばさという名前をつけて貰ったんだと、心の中で言いながら胸を張った。
「楽しそうに笑う貴女を見るのは久々ですね」
水面に映る自身の顔を見れば、言われた通り楽しそうに笑っていた。
最初は天使が見える人間への興味からつきまとっていたが、いつのまにか楽しいかけがえのない時間になったのだ。
いまは使命さえ億劫になるほどには、
「けれど一人の人間に固執しないように。全ての生物は平等に扱うこと、忘れないでくださいね」
「分かっておる!何万回も聞いた言葉じゃからな」
平等に扱わなくてはならないことなんて分かっていた。 どの人生も平等に大事には変わりない。
それほど
「人の一生なんてあっという間に終わってしまいます。あまり肩入れしすぎると別れの際に...」
そんな話は聞きたくないと、話の途中でつばさは駆け出した。
嫌な予感がして天界から地上へ繋がる入口の方に向かった。
ついさっき会いに行ったばかりだけど、きっと「早いね」って驚きながら歓迎してくれるはず。
入口まで来たが、地上から帰りの天使がたくさんいてしばらくは入れそうにない。
「急いでるんじゃが!」
ついイラッとして出た言葉に反応すること無く集団はマイペースに同じ場所に向かっていた。
人生の本は死んだ時に回収される。集団は皆本を持っているから、回収作業が終わったあとなのだろう。
日々たくさんの生物が亡くなるためこの行列も珍しい事では無い。
まだ続く列にイライラしていたつばさはある本を見つけて立ち尽くす。
「見間違いじゃ...だって、あれは」
それは
あんなに遅く感じていた列の流れがやたらはやく感じる。
その本を持った天使は待ってはくれず、やがて本棚のある部屋の前にたどり着いた。
「ッ!なにするんですか。返してください」
急に飛びかかってきたつばさに少し驚きつつ、淡々とした態度で天使は対応した。
「何処に行くんですか!」
制止の声も聞こえない。ただその本をもって誰もいないところまで走っていく。
静かな場所で本を開いた。人生の本は持ち主が死んでからはじめて閲覧出来る。
生まれてから死ぬまで、つばさが見ていない部分まできっちり物語は綴られていた。
「これが
「小さい頃は漫画家になりたかったのか。だからあんなに沢山漫画があったんじゃな」
そういえば生前、自由に出来る時間が増えたからと絵の練習をしていた事を思い出す。
そしてページの最後の方、亡くなる前に最初で最後の漫画を描きあげたと書いてあった。
「どんな漫画を描いたんじゃろうな」
人生の本は天使にとって必要ない情報は省いて記載される。
だが、今回に限って省きすぎだとつばさは思う。
それでも初めて見た
最高の物語を見たはず、なのにどうしてこんなに苦しいのだろうか?
本をもって生まれる生物はみんな主人公だ。時に他の本の登場人物になる時には、脇役として主人公に影響を与える。
関わることで、他の本にも名前が出てくるのだ。
「やはりつばさとの話は、描かれることは無いんじゃな」
本を持たない天使は主人公ではない。ただの観測者に過ぎないのだ。
物語に出る事すら出来ないのだから、
もし、天使としてではなく人間として出会えていたなら。
最後の瞬間にも一緒にいれて、
拭いきれない喪失感を抱えながら日々時間が過ぎていく。
なんのために存在しているのだろうか?
いつものように過ごしていたはずが、任務遂行に必要のない場所にたっていた。
「いつの間にここに来てしまったようじゃな」
何十回と行ってきた習慣だ。数こそ少ないものの、慣れというものは恐ろしい。
今は亡き
「つばささーん!いますかー!」
帰ろうとしたその時、つばさを呼ぶ声がして振り返る。
「いまのきこえたかな?つばささんいるかな?」
「おばあちゃん今日来るって言ってたじゃない。きっといるわよ」
大声で呼んでいたのは
「おばあちゃんがしぬまえに言ってたんだ。友達がくる日にこれをわたしてって」
そう言って持ってきたのは『天使の物語』という表紙がある紙の束だった。
「いまならべるね! どう?みえてるかな」
床に一枚ずつ丁寧に並べられていく。物にさわれないつばさの為にしているのだろう。
一枚ずつ並べられた紙は漫画になっていた。この絵は
本に記載されていた
「まさかこんな所で
内容は天使と人間の友情の物語だった。出会いから忠実に描かれている。
「これおばあちゃんとつばささんのお話かな?」
「きっとそうね。あら?最後の方は白紙なのね」
天使が去っていき人間が死んだ後のコマから白紙が何枚も続いていた。
親子は首を傾げていたが、つばさにはわかった。
『天使の物語』の題名の下にメッセージが書いてある。
「私に物語をくれた友達へ。この物語を送ります」
この物語は
この白紙はつばさが人生を選択し描く為にあるのだ。紙に絵を描くことは出来なくても、物語は描ける。
「ありがとう」
もっと読んでいたい、孫たちが片付けてしまうまで目に焼き付けたい。
それなのに目の前がボヤけてよく見えなくて。目に溜まった水滴を手で拭う。
最高の物語を描いていく事を心に誓った。
天使の物語 柴 京介 @Kyosuke-shiba
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