篝火の蛍


差し向かう 心は清き 水鏡






― 土方ひじかた 歳三としぞう ―




 ※ ※ ※ ※




嗚呼ああ




ほら、ね。




り。




れい、でしたよ。




 ※ ※ ※ ※




「わぁ……!」



慶応けいおう四年。


夕闇がせまる、夏の日。


労咳ろうがいわずらった私は、不本意ながら戦線を退しりぞき、


せん駄ヶ谷だがやの植木屋、柴田へい五郎さん宅の離れで、養生ようじょうさせて貰っていた。


桜の花は散り去り、庭の葉桜の緑が、目にまぶしい。


春は、とうに過ぎ去っていた。




「ふふっ……」


平五郎さんが手入れした庭には、あわい光が飛び交っている。


ほたるだ。


「捕まえた……」


光の中の一つを、てのひらに収めてみた。


指のすき間から、ぽぅ、と灯りがれる。


私の心は、すいを手に入れたかの様に、高揚していた。




「にゃあ」


翌朝。


不意に、鳴き声がした。


「ん……」


とこで目覚めたばかりの私は、障子しょうじを開けて、庭をぐるりと見渡す。


何処どこから敷地に入り込んだものか、真っ黒い猫が、こちらをじっと見ていた。


「黒猫……?」


猫は、庭に落ちていた、小さくて黒いものを、ぱくん、とくわえる。


「にゃあ」


「あっ……」


もう一声鳴くと、とと……と、走って行ってしまった。




「平五郎さん、お早よ」


「お早うございます、沖田さん」


「ねぇ、黒い猫を見なかった?」


「猫……? はて、私は、見てませんねぇ」


平五郎さんは、ほうきを引っ張り出して来て、庭を掃こうとしていた。


「掃除するの?」


「いやぁ、飛んでる間は、良いんですけどねぇ」


苦笑い。目尻にしわが寄る。


気になって、縁側から庭に下りてみる。


見ると、地面のそこかしこに、小さな黒いかたまりが転がっていた。


「……どうして」


ぴくりともしない。


「……どうして?」


私は、一つの亡骸なきがらの前に、しゃがみ込んだ。




 ※ ※ ※ ※




五年前 (文久三年) 春



― 江戸 天然理心流 衛館えいかん 道場 ―




「土方さんにしては、上出来じゃないですか」


「俺にしては、ってな何だよ!?」


私は、いつもの調子で、年の離れたこの人を揶揄からかう。


「……そうとし


いさめる、近藤先生。


春の日の朝、私達は、けい古場こばで三人、円座になっていた。


私は、土方さんからぎ取った短冊を、高々とかかげる。


「『差し向かう、心は清き、水鏡』。


 どう言う意味なの?」


「解らねぇで言ってたのかよ!」


「ねぇ、ねぇ」


私がくと、彼は渋々しぶしぶ、口を開いた。


「ったく……これはな、


 『お前と向かい合って、俺の心は、水鏡の様に澄んでる』


 って事を、んでんだ」


得意満面。これは、調子に乗ってるな。


「それ、本当に土方さんが考えたの?


 他の人が、作ったんじゃないの?」


「……そんなに言うなら、お前が詠んでみろ。総司」


「私には、俳句なんて、詠めませんよ」


「自分に出来ねぇのに、俺のに口出してんのか!」


「二人共、その辺にしとけ」


近藤先生が、あきれて口を挟んだ。


「……いよいよだな、京」


「ああ、いよいよだ」


清河きよかわさんが、上様を守る、浪士をつのってくれた。


 身分も、氏素性うじすじょうも関係無い。


 浪士組に加われば、百姓の俺が、徳川様の為に、刀を振るう事が出来るんだ」


近藤先生は、先頃、百姓の出である事を理由に、幕府のこうしょの指南役になれなかった。


だから、余計に嬉しいんだろう。


「見せてやろうぜ、っちゃん。


 多摩にも、骨のある奴が居るって事を」


「そうだな、とし


土方さんは、近藤先生が名前を改めてからも、ずっと「勝っちゃん」って呼んでる。


この人の中では、先生は今でも、親友の「島崎 かつ」の、まんまなんだろうな。


「総司、お前は?」


「私ですか?


 私には、難しい事は分からないけど……


 近藤先生と、土方さんに、付いて行きますよ!」


「総司……」



「楽しみですね、京!


 どんな事が、私達を待ってるんだろう!」




 ※ ※ ※ ※




慶応四年 夏



― 会津 ―




「土方さん、足は痛みますか?」


「こんなモン、怪我けがの内に入らねぇよ。島田」


足に包帯を巻いた土方歳三は、巨漢の男に、そう答えた。


辺りでは、同じく、負傷した兵達が、うめき声を上げている。


新選組は、いな山に陣を張っていた。


「くそっ!


 薩長さっちょうの奴、鉄砲だの、大砲だの、ドンパチって来やがって……!


 俺が刀で斬り込んでも、らちが明かねぇ」


「落ち着け。あせったら、あいつの思うつぼだ」


土方は、はやる島田かいなだめる。


「こんな時、沖田さんが居てくれたら」


「言うな」


土方は、島田を目で制した。


「総司が居なくても、俺達は戦える」


「…………」


りとて、新選組の中でも、え抜きの使い手である、一番組長が抜けた事は、痛手に違い無い。


口調とは裏腹に、土方が強がりを言っている事は、明白であった。


「近藤局長だって、あんな事にならなけりゃ……」


「言うな!」


土方は声を荒げ、鋭い目で島田をにらみ付けた。


「ひっ……!」


「勝たなきゃいけねぇんだ。俺達は」




 ※ ※ ※ ※




― 千駄ヶ谷 植木屋 ―




「……皆、どうしてるかな」


春先には、甲州の勝沼かつぬまで、にしき旗を掲げた薩長軍との間に、いくさが起こった。


あれから、同士達が、押されているとしたら――?


私は、たたみの上で一人、北に思いをせる。


「ねぇ、近藤先生は?


 最近、見えないけど」


庭で、植木の剪定せんていをしている主人に、声を掛ける。


「さぁ、ねぇ……?


 お忙しいんじゃないですか?」


ふみは? 届いてないの?」


「や、それも、ちょっと……」


「ちぇ……会いたいなぁ」


私は、くちびるとがらせた。


「姉上は、庄内に越してったし……。


 土方さんも、春に桜を見て以来、来てくれない」


「じゃあ、私はこれで……」


平五郎さんは、そそくさとおも屋の方へ消えてしまった。



「旦那様、近藤先生って言ったら、こないだ……」


「しっ!」


平五郎さんと、飯炊きのお婆さんが、廊下でこそこそ話すのが聞こえた。


何だろう……?




 ※ ※ ※ ※




二ヶ月前 (慶応四年 春)



― 京 三条河原 ―




「あれが、新選組の局長、近藤勇の首なん!?」


「いやぁ、恐ろしいわぁ」


しょの東を、南北に流れる川、かも川。


その、白い河原にさらされる、胴と斬り離された、一つの首。


三条大橋の上から、町人達が、我も我もと、物めずらしげに眺めている。


「せやけど、お侍さん言うたら、腹ぁ切るもんちゃうの?」


「知らんのか? あいつ、元は、多摩の百姓の出や、っちゅう話やで」


「せやから、けものを殺す、殺場で、首、ねられたんやて」


東戎あずまえびすの田舎もんが、京の町を荒らしよってからに……ええ気味やわ」


「せや! あれ、歌ったろうや、皆!」


一人の男が、手をたたき、おんを取り出した。


「せぇーの!」


「♪あれは朝敵 近藤勇


 誠の旗じゃ 知らないか


 トコトンヤレ トンヤレナ♪」


「あっはっはっは!」




 ※ ※ ※ ※




同年 夏



― 千駄ヶ谷 植木屋 ―




げきの音がする。


狭い屋敷の中で。


ばたばたと倒れる者。


逃げまどう者。


その中の一人を追って、私は、急な階段を駆けのぼる。


これは。


池田屋――?


せ返る、血のにおい。


ああ、この時も、私は、何人も……。



私の意識は、そこで一旦、途切れた。





私は、馬を走らせている。


あの、春の日。


大津の街道で。


柔和にゅうわで、博識だった、あの人が。



「沖田君! 私は、ここだ!」



自分から、手を振って。


どうして。


どうして、あのまま、逃げおおせてくれなかったんですか?


ねぇ?



「私の介錯かいしゃくは、君に頼みたい」



お願いだから。


そんな風に、笑わないで。




「山南さん」





私は、庭の茂みに、身を潜めている。


あの、雨の日。


壬生みぶとん所の、八木家で。


ぐせの悪い、粗暴な、あの人が。



「俺を、斬りに来たのは……


 土方、山南、左之助……


 もう一人は?」



落ちくぼんだまなこを、血走らせて。


どうして。


どうして、やいばを向けられているのに、嬉しそうなんですか?


ねぇ?



「お前か……沖田」



お願いだから。


そんな風に、わらわないで。




「芹沢さん」





私の手は、返り血で、真っ赤に染まっていた。






「う……?」


瞳を開けると、見慣れた天井があった。


辺りはまだ、ほの暗い。


「夢……?」


枕元に置いた、刀を握る。


「……うっ!」


途端に、胸に、焼け付く様な熱が、り上がった。


「ごほ、ごほっ!」


き込むと、着物に、とんに、血飛沫しぶきぶ。


「あ……」


ひゅうひゅうと、肩で息をする。


ぼんやりとした闇が、私の心をむしばんだ。




「……そろそろ、かな」


部屋のすみには、小さな机がしつらえてある。


「俳句なんて……詠んだ事、無いんだけどな」


真白い半紙に向かい、筆をった。


ちら、と、庭の桜の木に目をる。


花はもう、散ってしまっていた。




「おや、珍しい。書き物ですか?」


日が昇ると、庭に、主人が現れた。


自身が手入れした植木に、水をいている。


「ちょっとね。


 平五郎さんは、いつも忠実まめだねぇ」


私は、筆を持つ手を止めて、立ち上がり、縁側に腰掛ける。


「花には、水をらないと、枯れてしまいますから。


 こうして、お天道てんとう様の光を、たぁんと浴びて、すくすく育って貰うんですわ」


夏のお日様が、頭上から燦々さんさんと照り付ける。


その輝きに、私は、思わず目を細めた。



「……水、が」


「えっ?」


「……水が、欲しい」


「えぇと……のどが渇いたんなら、持って来ましょうか?」


平五郎さんは、おろおろと慌てる。



「……水が、欲しいんだ。私は」




 ※ ※ ※ ※




― 会津 ―




「土方さん、替わりますよ」


「島田」


「少しは、寝て下さい」


島田は、土方に、夜警の番を申し出る。


空は、雲で覆われて、月も見えない。


辺りは、砲弾で地面がえぐれ、惨憺さんたんたる有様であった。


「隊士達の様子は?」


「皆、疲れています」


「ちっ……」


土方は、苦々にがにがしく舌打ちした。


「桜、すっかり散っちまいましたね……」


島田は、葉ばかりになった桜の木を見上げて、こぼす。


「いや……散っても、又、花を咲かせるさ」


「……又……来年も……」


「あぁ……この先も、ずっと――」




 ※ ※ ※ ※




― 千駄ヶ谷 植木屋 ―




その夜。


私は、導かれる様に、庭に下りた。


足下がふらつく。


「あっ……」


すがる様に伸ばした手は、むなしくくうを切った。


足がもつれて、庭土に、ひざを突く。


そのまま、よろよろとって、太い木の根元に、ぺたん、と腰を下ろした。


「……立派な木」


散った桜の、木の幹をでる。


私は、首をもたげて、夜空を見上げた。


「……月、見えないや」


そこには、ただ、闇が広がっていた。


「にゃあ」


漆黒しっこくの中に、緑色の双眸そうぼうが浮かび上がる。


あの黒猫が、じっと、こちらを見ているのだ。


「……何だよ」




のど元に、熱いものが込み上げる。



「……かはっ!」




てのひらに、赤。


池田屋と。


あの、てい浪士を斬った日と。


同士を介錯かいしゃくした、あの日と。


同じ、赤。




数多あまた灯火ともしびが、


闇の中に、


ちか、ちか、またたいて、





嗚呼ああ



ほら、ね。



り。



れい、でしたよ。








「にゃあ」




 ※ ※ ※ ※




― 会津 ―




「あっ、蛍だ」


島田は、草むらで、ふよふよと飛ぶ蛍を捕まえた。


「蛍って、お前……」


土方は、いくさの最中に、虫に気を取られる島田を、げんな目で見る。


「あれっ? 動かなく、なっちゃった」


島田の大きな手の中で、小さな光は、静かに消えて行く。


「昨夜は、元気に光って、飛んでたのになぁ……」


せつ


土方の眼裏まなうらに、はかな面影おもかげが浮かぶ。



『夏には、蛍が、飛ぶでしょう?


 きっと――』



哀しそうに笑う、あの顔は。



「……総司」



「えっ? 沖田さんが、どうかしましたか?」


「土方さん!」


「尾関」


旗持ちを務める、尾関雅次郎が、走り込んで来た。


「敵が、もう、そこ迄!」


「…………」


土方は、覚悟を決め、立ち上がる。



「行くぞ、お前


 ひるむな! 新選組の意地を見せてやれ!」




「おぉおおおっ!!」




「掛かれぇっ!」




 ※ ※ ※ ※




動かねば 闇にへだつや 花と水






― 沖田 総司 ―




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散華の庭 ももちよろづ @momo24rose

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