篝火の蛍
差し向かう 心は清き 水鏡
―
※ ※ ※ ※
ほら、ね。
※ ※ ※ ※
「わぁ……!」
夕闇が
桜の花は散り去り、庭の葉桜の緑が、目に
春は、とうに過ぎ去っていた。
「ふふっ……」
平五郎さんが手入れした庭には、
「捕まえた……」
光の中の一つを、
指の
私の心は、
「にゃあ」
翌朝。
不意に、鳴き声がした。
「ん……」
「黒猫……?」
猫は、庭に落ちていた、小さくて黒いものを、ぱくん、と
「にゃあ」
「あっ……」
もう一声鳴くと、とと……と、走って行ってしまった。
「平五郎さん、お早よ」
「お早うございます、沖田さん」
「ねぇ、黒い猫を見なかった?」
「猫……? はて、私は、見てませんねぇ」
平五郎さんは、
「掃除するの?」
「いやぁ、飛んでる間は、良いんですけどねぇ」
苦笑い。目尻に
気になって、縁側から庭に下りてみる。
見ると、地面のそこかしこに、小さな黒い
「……どうして」
ぴくりともしない。
「……どうして?」
私は、一つの
※ ※ ※ ※
五年前 (文久三年) 春
― 江戸 天然理心流
「土方さんにしては、上出来じゃないですか」
「俺にしては、ってな何だよ!?」
私は、いつもの調子で、年の離れたこの人を
「……
春の日の朝、私達は、
私は、土方さんから
「『差し向かう、心は清き、水鏡』。
どう言う意味なの?」
「解らねぇで言ってたのかよ!」
「ねぇ、ねぇ」
私が
「ったく……これはな、
『お前
って事を、
得意満面。これは、調子に乗ってるな。
「それ、本当に土方さんが考えたの?
他の人が、作ったんじゃないの?」
「……そんなに言うなら、お前が詠んでみろ。総司」
「私には、俳句なんて、詠めませんよ」
「自分に出来ねぇのに、俺のに口出してんのか!」
「二人共、その辺にしとけ」
近藤先生が、
「……いよいよだな、京」
「ああ、いよいよだ」
「
身分も、
浪士組に加われば、百姓の俺が、徳川様の為に、刀を振るう事が出来るんだ」
近藤先生は、先頃、百姓の出である事を理由に、幕府の
だから、余計に嬉しいんだろう。
「見せてやろうぜ、
多摩にも、骨のある奴が居るって事を」
「そうだな、
土方さんは、近藤先生が名前を改めてからも、ずっと「勝っちゃん」って呼んでる。
この人の中では、先生は今でも、親友の「島崎
「総司、お前は?」
「私ですか?
私には、難しい事は分からないけど……
近藤先生と、土方さんに、付いて行きますよ!」
「総司……」
「楽しみですね、京!
どんな事が、私達を待ってるんだろう!」
※ ※ ※ ※
慶応四年 夏
― 会津 ―
「土方さん、足は痛みますか?」
「こんなモン、
足に包帯を巻いた土方歳三は、巨漢の男に、そう答えた。
辺りでは、同じく、負傷した兵達が、
新選組は、
「くそっ!
俺が刀で斬り込んでも、
「落ち着け。
土方は、
「こんな時、沖田さんが居てくれたら」
「言うな」
土方は、島田を目で制した。
「総司が居なくても、俺達は戦える」
「…………」
口調とは裏腹に、土方が強がりを言っている事は、明白であった。
「近藤局長だって、あんな事にならなけりゃ……」
「言うな!」
土方は声を荒げ、鋭い目で島田を
「ひっ……!」
「勝たなきゃいけねぇんだ。俺達は」
※ ※ ※ ※
― 千駄ヶ谷 植木屋 ―
「……皆、どうしてるかな」
春先には、甲州の
あれから、同士達が、押されているとしたら――?
私は、
「ねぇ、近藤先生は?
最近、見えないけど」
庭で、植木の
「さぁ、ねぇ……?
お忙しいんじゃないですか?」
「
「や、それも、ちょっと……」
「ちぇ……会いたいなぁ」
私は、
「姉上は、庄内に越してったし……。
土方さんも、春に桜を見て以来、来てくれない」
「じゃあ、私はこれで……」
平五郎さんは、そそくさと
「旦那様、近藤先生って言ったら、こないだ……」
「しっ!」
平五郎さんと、飯炊きのお婆さんが、廊下でこそこそ話すのが聞こえた。
何だろう……?
※ ※ ※ ※
二ヶ月前 (慶応四年 春)
― 京 三条河原 ―
「あれが、新選組の局長、近藤勇の首なん!?」
「いやぁ、恐ろしいわぁ」
その、白い河原に
三条大橋の上から、町人達が、我も我もと、物
「せやけど、お侍さん言うたら、腹ぁ切るもんちゃうの?」
「知らんのか? あいつ、元は、多摩の百姓の出や、っちゅう話やで」
「せやから、
「
「せや! あれ、歌ったろうや、皆!」
一人の男が、手を
「せぇーの!」
「♪あれは朝敵 近藤勇
誠の
トコトンヤレ トンヤレナ♪」
「あっはっはっは!」
※ ※ ※ ※
同年 夏
― 千駄ヶ谷 植木屋 ―
剣
狭い屋敷の中で。
ばたばたと倒れる者。
逃げ
その中の一人を追って、私は、急な階段を駆け
これは。
池田屋――?
ああ、この時も、私は、何人も……。
私の意識は、そこで一旦、途切れた。
私は、馬を走らせている。
あの、春の日。
大津の街道で。
「沖田君! 私は、ここだ!」
自分から、手を振って。
どうして。
どうして、あの
ねぇ?
「私の
お願いだから。
そんな風に、笑わないで。
「山南さん」
私は、庭の茂みに、身を潜めている。
あの、雨の日。
酒
「俺を、斬りに来たのは……
土方、山南、左之助……
もう一人は?」
落ち
どうして。
どうして、
ねぇ?
「お前か……沖田」
お願いだから。
そんな風に、
「芹沢さん」
私の手は、返り血で、真っ赤に染まっていた。
「う……?」
瞳を開けると、見慣れた天井があった。
辺りはまだ、
「夢……?」
枕元に置いた、刀を握る。
「……うっ!」
途端に、胸に、焼け付く様な熱が、
「ごほ、ごほっ!」
「あ……」
ひゅうひゅうと、肩で息をする。
ぼんやりとした闇が、私の心を
「……そろそろ、かな」
部屋の
「俳句なんて……詠んだ事、無いんだけどな」
真白い半紙に向かい、筆を
ちら、と、庭の桜の木に目を
花はもう、散ってしまっていた。
「おや、珍しい。書き物ですか?」
日が昇ると、庭に、主人が現れた。
自身が手入れした植木に、水を
「ちょっとね。
平五郎さんは、いつも
私は、筆を持つ手を止めて、立ち上がり、縁側に腰掛ける。
「花には、水を
こうして、お
夏のお日様が、頭上から
その輝きに、私は、思わず目を細めた。
「……水、が」
「えっ?」
「……水が、欲しい」
「えぇと……
平五郎さんは、おろおろと慌てる。
「……水が、欲しいんだ。私は」
※ ※ ※ ※
― 会津 ―
「土方さん、替わりますよ」
「島田」
「少しは、寝て下さい」
島田は、土方に、夜警の番を申し出る。
空は、雲で覆われて、月も見えない。
辺りは、砲弾で地面が
「隊士達の様子は?」
「皆、疲れています」
「ちっ……」
土方は、
「桜、すっかり散っちまいましたね……」
島田は、葉ばかりになった桜の木を見上げて、
「いや……散っても、又、花を咲かせるさ」
「……又……来年も……」
「あぁ……この先も、ずっと――」
※ ※ ※ ※
― 千駄ヶ谷 植木屋 ―
その夜。
私は、導かれる様に、庭に下りた。
足下がふらつく。
「あっ……」
足が
その
「……立派な木」
散った桜の、木の幹を
私は、首を
「……月、見えないや」
そこには、ただ、闇が広がっていた。
「にゃあ」
あの黒猫が、じっと、こちらを見ているのだ。
「……何だよ」
「……かはっ!」
池田屋と。
あの、
同士を
同じ、赤。
闇の中に、
ちか、ちか、
ほら、ね。
「にゃあ」
※ ※ ※ ※
― 会津 ―
「あっ、蛍だ」
島田は、草
「蛍って、お前……」
土方は、
「あれっ? 動かなく、なっちゃった」
島田の大きな手の中で、小さな光は、静かに消えて行く。
「昨夜は、元気に光って、飛んでたのになぁ……」
土方の
『夏には、蛍が、飛ぶでしょう?
きっと――』
哀しそうに笑う、あの顔は。
「……総司」
「えっ? 沖田さんが、どうかしましたか?」
「土方さん!」
「尾関」
旗持ちを務める、尾関雅次郎が、走り込んで来た。
「敵が、もう、そこ迄!」
「…………」
土方は、覚悟を決め、立ち上がる。
「行くぞ、お前
「おぉおおおっ!!」
「掛かれぇっ!」
※ ※ ※ ※
動かねば 闇にへだつや 花と水
― 沖田 総司 ―
散華の庭 ももちよろづ @momo24rose
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