第9話:橋の下の癒し

 唐高幸江との訳の分からない特訓に付き合って、盛大な誤解をされたまま俺は唐高幸江の家を後にしてきた。


 朝から彼女の家に行って昼過ぎまで「特訓」をしてしまったみたいだ。昼ご飯は唐高幸江のご両親がなぜか寿司の出前を取ってくれたので、四人で寿司を食べた。


 たらふくご馳走になってしまい、気付けば夕方。


 なんだか昨日のデジャビュの様だが、疲れ果てていた。俺には「癒し」が必要だった。


 こんな時に俺は良い場所を知っている。俺は川沿いを歩いた。


 この辺りは川に沿ってジョギングコースが作られていて、その横にいくつも公園が作られている。そして、その公園には「地域猫」が飼われているのだ。


 地域猫とは半分野良猫みたいなものだが、地域の人の募金によって避妊手術済みの猫でその公園で飼われている。


 地元の人はエサをあげてもいいし、連れ帰って飼ってもいい。責任が取れるのならば、と言う条件は付くけれど。


 俺も時々散歩がてらこの公園に行って猫に餌をあげて癒されている。


 基本、野良猫だから食べ物には苦労しているみたいで餌を持って行くとわらわらと猫たちが集まってくる。


 川沿いのジョギングコースを歩いて散歩して、公園で猫に餌をあげるまでが俺の「癒し」だった。


 スーパーで買った猫の餌を持ってジョギングコースを歩く。


 すると、前方にうちの学校の制服姿の生徒を見かけた。黒髪で背中までのストレート。新しいのか古いのか判断に困る姫カット。立ち居振る舞い、その後ろ姿には見覚えがあった。


 俺が特別彼女を知っているという訳ではなく、うちの学校の生徒なら全員知っているのではないだろうか。それも、ほとんどが一方的に彼女のことを知っている。


 俺の前を歩く彼女は俺たちの学校の現生徒会長なのだ。名前は……忘れた。全国コミュ障協会会員の俺くらいになると、身近な人以外の名前は憶えていないのだ。とにかく、由緒正しい家系みたいな名前だった。どこかのお嬢様と言う噂だし。


 ただ、何か恥ずかしい二つ名を持っていたような気がする。「鉄の女」じゃなくて……「チタン」だったか他だったか……。とにかく、お堅いイメージが強くて生徒からも毛嫌いされている節がある。美人なのに人気が無いという非常に残念な人。


 テストはいつも学年1位で、制服も一切着崩さない。ルールは必ず守るし、先生からの信頼も厚い。その一方で、生徒達からはそれほど好かれている訳ではない。ルールにガチガチで面白みが無いというか、どこかアンドロイドの様な印象を持っている。


 あまりにワンマンな上、身勝手なので生徒会役員は一人また一人と辞めていき、今では会長ひとりになっていると聞くし、ヤバい人であるのは間違いなさそうだ。


 俺みたいに生徒会に全く興味が無い人間でもちょっと引いているというか、遠目に見ている気がする。


 まあ、俺と関わることのない人種なので特に気にしない。


 てくてくてく。


 まだ、先輩は前を歩いている。どこに向かっているんだろうか。この辺は河原で特に珍しいものはないし、ランドマークになるような物もない。


 てくてくてく。


 なぜ、いつまでも先輩は俺の前を歩いている⁉ この先と言えば、公園くらいしか……。特に遊具があるような公園じゃないから、先輩が公園で遊ぶとは思えない。


 じゃあ、トイレか⁉


 同じ学校の先輩の後ろをついて行っているのが何となくストーカーみたいで罪悪感が湧いてきた。でも、既に猫の餌は買っている。俺は予定通りに公園に歩みを進めた。


 ◇

 公園が近づくにつれて俺は段々不安になってきた。


 地域猫は言ってみれば半分野良猫だ。手術が終わった猫は片耳の先端を切り落として手術済みを知らせてある。でも、そんなことは知っている人間以外は知らないはず。


 誰かが一言「迷惑だ」と言うだけで保健所がその猫を連れて行って処分してしまう。特に理由など必要ないのだ。人間様に害なすものは処分されるのがこの世の常。


 生徒会長さんが地域猫のことを知らなくて通報してしまったら……そんな嫌な想像が浮かんできた。


 やっぱり先輩は公園に入って行った。大きな橋の下に作られた小さい公園だけど、俺が知っているだけで猫は20匹以上いる。面積に対してこんなにたくさんの猫が生きていけるのは地域の人が猫を可愛がっているからだ。


 先輩は公園内できょろきょろしている。猫達逃げろ! 俺は心の中で叫んだ。しかし、猫達は空腹に負けたのか先輩を「餌をくれる人」と思ったらしくわらわらと物陰から出て来てしまった。


 先輩は、その猫達に目もくれず、公園の裏の方に駆けて行った。あの辺りはこの公園のモニュメント的な大きな岩みたいなものが置かれている場所。彼女はその裏に走っていった。


 俺は興味本位で先輩の後ろをつけて行った。するとそこには先輩がしゃがみこんでいて、手には小さな子猫が……。


「みゃーみゃー、お前はどこから来たんでちゅかぁ?」


 ん? 赤ちゃん言葉⁉


「段ボールに入れられちゃって、もしかして捨てられちゃったんでちゅかぁ?」


 あの子猫が捨てネコだったら大変なんだけど、そのことが全く頭に入ってこない! 生徒総会とかでもかなり厳格な感じで、固いのが常。ルールこそ節理みたいな「チタンの女」が……!


「んーーー、困りましたね。どうちましょかぁ。うちはお前を飼ってやれないし……」


(ガサガサ)俺が持っていた猫の餌に釣られてたくさんの猫が俺の足元に集まってきていた。俺はちょくちょく餌をあげるので「餌をくれる人」と言う認識が猫の間に広まっていたらしい。


「そこに誰かいるの?」


 うっ、しまった。こんな公園じゃ、隠れる場所もない。俺はすごすごと先輩の前に出た。


「ん⁉ きみはもしかして同じ学校の2年。名前はたしか……野坂くんだったか」


 えーーー、俺って名前まで憶えられてるの⁉ ダメだ逃げられない。


「先輩……その猫。どうするつもりなんですか?」


「そ、それよりも、今のを……聞いていたのか⁉」


 先輩の顔色がすごく悪い。


 そして、表情がめちゃくちゃ怖い。


「なぁ、さっきのを聞いていたのか、と聞いているんだ」


 先輩が1歩また1歩と近づいてくる。俺の頭の中では警報が鳴り響いているのだけど、どうにも足が動いてくれない。


 もう、先輩の手が俺に届くとこまで来てしまった。


 俺は殺される……!


「すまない! 今聞いたことを聞かなかったことにしてもらえないだろうかっ!」


 ばっ、と先輩は90度腰を折った最敬礼で言った。


 あれ? 思った反応と違う。


 どうして俺の周りの女子達は、どの子も俺の予想と全く違う言動をするのだろうか。それよりも、今は先輩だ。


「先輩、頭を上げてください。いいじゃないですか、赤ちゃん言葉くらい……」


「いや、困る! 困るんだ! 私はしっかりしていなければっ!」


「大丈夫ですから、誰にも何にも言いませんから。まあ、いう相手がいないって言う悲しい理由もありますけど……」


 先輩は頭は上げてくれたけど、両手をわなわなと振るわせて「あわわわわわ」と混乱しているようだ。目が尋常じゃない。どうかしている人のそれだ。


「きみ、私でできることがあればさせてもらうから、どうかこの事は内密にしてほしいんだ!」


 まだ言ってる。よっぽどイメージが壊れるのが困るみたいだ。こうなると何かお願いした方が先輩も安心するのでは……。かといってえっちなお願いはしずらいし、口に出す勇気も ない。


 ん? 先輩ってこうして並ぶと頭が俺の胸のあたりまでしかないのか。意外と背が低いな。


 いつも体育館の壇上でしか見ないし、威厳があるというか、権威があるというか、大きく見えていたのだろうか。芸能人などが実際に会うとテレビで見るより背が低かったというのに似ているのだろうか。


 この背の低さなら俺がお願いしたいことは決まった。


「先輩。じゃあ、お願いなんですけど……」


 俺は先輩に俺の欲望をぶつけることになる。

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