06話

「ん? また雨か」


 勉強を開始してから約一時間後ぐらいに雨が降り始めた。

 ただ、対面でやっている彼がまだ真面目にやっているから邪魔をしたりはせずに再開する、お喋りは終わってからでいい。

 だけど一旦途切れるとどうしたって集中するまでに時間がかかるということで、時間も悪くないから夜ご飯を作ってしまうことにした。


「いい匂いだ」

「邪魔をしてごめん、だけどやる気があるときに作っておかないと面倒くさくなってそのままお風呂に入って寝るなんてことが多いからさ」


 あのまま無理やり勉強をしていたら間違いなく作っていなかった、なんならお風呂にも入らないまま寝ていた可能性がある。

 食事も入浴も後回し、翌朝にやればなんとかなってしまうというのも原因だ。

 その日にちゃんと食べたり入ったりしないと死んでしまうようなシステムだったらこうはなっていないね。


「気にするな、矢子の家なんだから自由に行動してくれ」

「あと、食べていってくれる?」

「くれるなら食べさせてもらう」

「それならよかった」


 多めに食材を使用しているから食べられないということになるともったいないから助かった。

 完成したら温かい内に食べて、食器を洗ってから再び勉強をやり始める。

 向き合ってしまえばこんなものだ、ふざけたりなんかはしない。


「これぐらいでいいかな」


 それでも二十時になる前には教科書なんかを片付けて床に寝転んだ。

 彼はまだかきかきと真剣にやっているから黙ったまま見ていた。

 やっぱり彼は他の子とは違う、勉強をやろうと誘ってきたくせに全く勉強なんかをせずにこっちばかりを見ていた男の子達とは違うのだ。

 でも、だからって学校で考えたようなことができるわけではないんだけどね。


「……っと、もうこんな時間か」

「もう帰らないとお母さんが心配になるよね」

「そうだな、いつも十九時前には帰ってくるから顔を見せてやらないとな」


 まだまだいてほしかったから意地悪をしたわけではない、私は大袴さんみたいなことはしない。

 集中をした結果が二十時近くまでやることになったというだけのこと、止めなかったのだって彼の邪魔をしたくなかったからだ。


「それじゃあ帰りなよ、傘を貸してあげる」

「傘? ああ、雨が降っていたのか」

「はは、ご飯を食べたときだって降っていたんだよ?」

「はは、全く気付かなかった」


 あとはもうやることがないから付いて行くことにした。

 地味にどういう人なのかが気になっているのはある、少しだけでも彼のお母さんと話をしてみたい。


「母さんは恥ずかしがり屋だからな、多分呼んでも出てこないぞ」

「へえ、面白いね」

「それともう帰った方がいい」

「いいよ」


 彼は同じことを何回も言うのが得意のようだった、これも能力? 違うか。

 無理そうだったので彼の家に着いたら諦めて歩き出した、目的地はあの公園だ。


「久しぶりだね、鳴海」

「待って、誰だっけ?」


 まじで誰か分からない、分かっているのは男の子だということとあの高校の生徒ではないということだ。


「鳴海――」

「待った! ちゃんと思い出すまで待っていて」


 分からないのに〇〇だよと言われても意味はない、だから頑張って探してみせる。

 でも、すぐに出てくるならこうはなっていないということで、途中から雨の中、なにをやっているのかという気持ちになってきていた。


「はは、鳴海らしくないね、変わったんだね」

「初めて自分から相手に興味を持ったぐらいだからね」

「その子って網口泰二君だよね?」

「うん」


 駄目だ、出てこない、仲良くはなかったけど異性とはそれなりに一緒に過ごしてきたから違う顔が出てくるだけだ。

 こちらのことを名前で呼んでいるぐらいだから他の子とは違うはずなんだけどね、それともこの人とのことを思い出したくないから出てこないのだろうか?


「あの子だよね?」

「ん? うん、そうだよ」

「はは、怖い顔で見られているから僕はもう行くよ、ひええってなってしまうから」

「うん、ばいばい」


 ま、思い出せないままでいいか、出てこないということはそこまでのことではないということだ。


「いまのは誰だ?」

「分からない」

「つか大人しく家に帰れよ」

「それは君もでしょ、ここに座ってよ」

「おう」


 十二月になったことで下がった気温と雨のコンボで手がかなり冷えていた。

 赤くなっているぐらいだから大袈裟というわけではないと思う、そういうのもあってポケットに手を入れようとしたら握られて見る羽目になった。


「これはどういうつもりでしているの?」

「俺がしたかったからだ」

「ちなみにいつからいたの?」

「最初から」

「付いて行くことが好きだよね」


 ここでも似た者同士か。

 こちらは体感的に数分が経過しても特に嫌だという気持ちが出てこないことに意識を向けていた。


「な、鳴海……でいいか?」

「ちょっと待って、なんで急にそうなるの?」

「ま、真似をするなよ……」

「ははは、別に呼びたければ呼べばいいよ」


 いま真似をした瞬間にこちらの手を握る強さが強くなった、私と違って緊張しているのかもしれない。

 受験のときに吐いていたというぐらいだからそこまでのレベルではないにしてもいつも通りではいられていないということだ。


「ふむ、心臓の鼓動が速いね」

「……当たり前だろ、逆に鳴海はどうなんだよ?」

「確認してみる? はい、いいよ」

「で、できるわけがないだろ」


 手を握ることはできてもそちらは無理か、仮に試したとしても面白い結果にはならなさそうだからしなくてよかったと思う。

 というかそんなことよりも気になるのは先程のことだ、物凄く集中できているわけではなくてただ緊張して固まっていただけだとしたら、名前を呼びたいけどすぐにできなくて悩んでいたとしたら、可愛いな。


「じゃあこうすればいいよね」

「……普通だな」

「当たり前だよ、手を握られた、名前を呼ばれたぐらいでどきどきなんかしないよ」

「つまらねえ、都子じゃないけど俺は鳴海にも恋をしてほしいと思っている」

「うーん、じゃあ君が変えてくれたらいいんじゃない? そもそもちょっとは影響を受けているわけだしね。前にも言ったように自分から触れたりするのはレアだよ」


 あらら、固まってしまった。

 流石に寒さに耐えられなくなったから腕を掴んで彼の家まで歩いた。

 今度こそ出たりはしないでと言ってから自宅に向かって歩いたのだった。




「矢子ちゃんさ、なんか私達よりもすごいことをしているみたいだけどどうすれば矢子ちゃんみたいにできるの?」

「がばっとやってみたらいいんだよ、市崎君の反応次第で変えよう」


 両想いだと既に分かっている状態なのに彼女ができないのはよく分からない。

 相手の方からしてほしいとか乙女的思考をしているのであればそういう不満は吐かないべきだ、どうしても抑えられないならそれはもう自分から動くしかない。

 泰二ではなく市崎君が相手なら尚更積極的にやっていくしかない。


「手を繋ぐことだってまだ頑張らないとできないのにそれ以上となると……冗談抜きで爆発するよ?」

「しないよ、それに一瞬の恥ずかしさなんかよりもその後に繋がることをする方が大事だよ」

「た、泰二君にしてみて、お手本を見せて」

「いいよ」


 いつも通り突っ伏して休んでいる泰二の頭を撫でてまずは顔を上げてもらう、こちらを微妙そうな顔で見つつ「な、なんだよ?」と聞いてきているのをスルーしてそのまま正面から抱きしめた。

 これが結構お気に入りのようだから嫌な気分になることはないだろう、それで抱きしめたまま大袴さんの方を向いたらあわあわと慌てているように見えた。


「ま、まさか教室でやるとは……みんなが見ているんだよっ?」

「見ていないよ、ほら――ちょっと見ている子もいるけど大丈夫、無問題」

「い、いいからそのまま泰二君も一緒に教室から出ようっ」

「うん」


 私が彼にしてもこの反応ならこれはもう駄目かもしれない、積極的になった彼によって私達の関係の方が先に変わる、なんて流れになりそうだった。

 というか市崎君はなにをやっているんだ、やはり一緒にいてあげないと駄目だ、それこそ爆発してしまう。


「泰二、今日市崎君は?」

「……風邪だ」

「だから大袴さんが暴走しているんだね」


 放課後ならいますぐにでも彼女を連れて行くところだけどまだ昼休みにもなっていないからそれはできないのが残念だ、幼馴染効果で大人しくなんてことも無理そうだからどうしようもない。

 放課後までこのテンションで来られるというのも微妙だった、勉強中なんかにも邪魔をしてくるところが容易に想像できてしまうからだ。


「違う、それは鳴海が悪い、少しおかしいぞ」

「そんなことはどうでもいいよ、どうすれば大袴さんは落ち着いてくれる?」

「富久君の声が聞ければ、かな」


 あの子が元気になったら自分のためにも声を録音しておいた方がいい。


「じゃあ大袴さんは早退して市崎君の家に――」

「馬鹿か、都子も放課後まで我慢をしろ、あと落ち着け」

「うん、そうするよ、矢子ちゃんが変なことを言ってきたおかげで落ち着けたから」


 この調子なら邪魔をされることもないだろうから私的にもよかった。

 だけどやたらと追ってくる日となって学校が少し嫌いになったね。


「お、押すよ?」

「待って、なんで私もなの?」

「お、お家に一人で入れるわけがないでしょっ」


 腕を掴まれていたとはいえ私もどうして大人しく付いてきているのか、あほだ。

 市崎君だって私がいるとなったら残念だろう、期待をしていただろうにこれではあんまりだ。


「はい……あ、来てくれたんだ」

「だ、大丈夫なの?」

「うん、ちょっとまだ弱っているけど明日は絶対に行くよ」

「じゃあこれ、お大事に!」

「え、てっきり上がってくれるものだと思っていたんだけど……」


 ナイス市崎君、それとここまで来ておいて余計なことを言ってしまったことを反省している。


「だけど悪化したら嫌だよ、学校で富久君と会えないのも嫌だ」

「でも、今日は朝から寂しくて……」

「あーもう! 分かったから早く寝て!」

「うん、ありがとう」


 よしよし、こうなってしまえばもう彼にしか意識がいかないだろうからと留まっていたら腕をがしっと掴まれて結局上がる羽目になった。

 彼の家に入るのはこれで二回目となる、何故かそういう点は気にならないらしい。


「矢子さんまで来てくれたのは驚いたよ」

「泰二が行ってやれって言ってきてね」


 これは事実だ、だけど多分彼女のことを考えて口にしたのだと思う。

 一人だと結局行かずに帰りましたーなんてことになりかねないから監視役として私を、というところだろうか。


「おお、そっちも仲良くなれているんだね」

「聞いてよ富久君、この子なんて教室で泰二君を抱きしめたりなんかしたんだよ?」

「あー矢子さんっていつもそんな感じじゃない? こっちが緊張するようなことでも平気な顔でできちゃうんだよ」


 緊張はともかくなにも影響を受けないような人間ではない、特に父が関係するとその面は強くなる。

 珍しく授業を見に来られるというときは滅茶苦茶頑張ったし、褒めてもらえそうなことならなんでもやってきた。

 だから父が家を空けたりなんかしたときには酷くなって、どうでもよくなって敵を作ったりもしたのが昔の私だ。

 ただ、流石に中身だって成長していくわけだから高校生にもなって同じミスをしていたりはしない、父がいなくても上手くコントロールをしているのが現状だった。


「そういえば押し倒されたって言っていたよね、富久君どきどきしていそう」

「あれは驚いたよ、あと顔が近かったからね」

「こ、こんな感じだよね? うぅ、確かにこれは近いよ……」

「い、いや、実行してからそんなことを言われても困るんだけど……」


 いいぞやれ、そうやって自分から動かない限りはもやもやとするだけだ。

 なんならこのまま目の前で盛ってくれてもいい、私は観客だ。


「矢子さん、悪いんだけどやっぱり都子さんを連れて帰ってくれないかな? このままだと悪化しそうだから」

「え、いいよそのままで」


 今日はともかく普段もやばいからとか照れるからなどと言って避けていそうだ。

 これは彼女だけが悪いわけではないみたいだ、ならもう少しぐらいは優しく対応をしてあげなければならない。


「僕が無理だからっ、ね? お願いっ」

「そこまで言うなら仕方がないね、大袴さん行くよ」

「あー!」


 そしてその彼女は家から出ても尚、顔を赤くしたままだった。


「頑張って、応援しているよ」

「うん、ありがとう」

「ただ、私みたいなのはあんまりしないようにね、市崎君の場合だと逆効果になりそうだからさ」


 距離感が一気に変わると怖く感じるかもしれないからああいう方法は駄目だ、というかこれでも私は馬鹿だったということになる。

 そうやってやられてきて嫌だと感じていたはずなのに同じことをしてどうする、結局同類だったということになってしまうぞいまのままなら。


「多分、泰二君にもやめた方がいいと思うよ」

「そっか、じゃあ参考にさせてもらうね」

「え……って、冗談だよね、矢子ちゃんは恋に興味なんかはないよね」

「うーんどうだろうね」

「お、え、おお!」


 いい顔をしていやがる、自分以外の人間がたかだか考え方を少し変えただけでこの反応は大袈裟過ぎやしないだろうか。


「帰ろ? 外は寒いよ」

「うん!」


 でも、睨まれたりされるよりはよっぽどいいから結構いい気分で彼女を家まで送ったのだった。




「泰二」

「風邪が治ってよかったな、ちゃんと鳴海は来たか?」

「うん、来てくれたよ、ただ……」


 またなんか変なことをしたのかと呆れそうになっていたら「矢子さんといるときは都子さんが暴走するから少し困るときもあるよ」と言われてそっちかよと呆れた。

 ちなみに仲良くなったのか鳴海のところには都子がいる、二人で楽しそうだ。


「行こうよ、遠慮はよくないよ」

「いや別にそういうのじゃないが……」


 休み時間なら基本的にこうして過ごすというだけだ、基本的にだからそうやって過ごさないこともある、最近なら鳴海なんかといるために変えることの方が多かった。


「矢子さん昨日はありがとう」

「風邪が治ってよかったね」

「うん、だけど都子さんに変なアドバイスをするのはやめてね」

「もうしないよ、反省したからね」


 三日ぐらい我慢ができればいい、ぐらいか。


「というわけでお二人でごゆっくり、泰二君はちょっと付いてきて」

「おう」

「えー別にいいのに」

「そうだよ矢子さん」

「いいからいいから」


 少し前に比べたら表情が柔らかくなった、あとは急に呼び方を変えたことが気になることか。

 彼女は廊下に出るとすぐのところで足を止めた、それから頭を下げて「ごめん、反省したよ」と謝罪をされて困った。


「私は自分がされて嫌なことを君にしてしまったからね」

「待て、なんの話だよ?」

「だから抱きしめられたりとかされたくなかったでしょ? 都子ちゃんにもやめた方がいいって言われたんだ」


 はぁ、こういう極端なところはこれまで一人でいた弊害なのかもな。

 ……それに俺は嫌だなんて言っていないだろ、場所をもうちょっと考えてほしいというだけだ。


「嫌じゃない」

「仮にそうでもだよ」

「お、俺にしかしていないんだろ? それで俺が嫌じゃないならいいだろ」

「ふふ、つまり求めているってこと? 私からのそれを?」

「……気になる異性が自分にだけそうしてくれるってことなら嬉しいと思うがな」


 鳴海がこういう人間じゃなかったらきっとここまで続いてはいない、でも、なんでもかんでも受け入れてもらえて安心ともならない。

 嫌ならことならちゃんと言ってほしい。


「一人にすると心配になるからじゃないの?」

「は? 寧ろ一人でなんでもできてしまうのが鳴海だろ、俺が近づいていたのは鳴海に興味があるからだよ」


 幼馴染の都子に対してだったら分からなくもないが同級生の女子相手にそういう理由で近づこうとする人間はいないだろう、いたらもう謝るしかない。

 じゃあ仮に俺がそういうつもりで近づいていたとしたらそんな男にあんなことをするのが彼女ということになってしまう、彼女としてもそれは避けたいはずだ。


「それっていつから?」

「去年の冬頃からだな、いまも言ったように一人でなんでもできてしまうところが格好いいと思った」

「はは、喋ったこともない相手のことを気に入るとか泰二君は面白いね、しかもそれで近づいてきたのは二年の冬現在なんだからね」

「鳴海が隙を見せないのが悪い、あと恋なんかそんなもんだ」


 不公平だろこれ、なんで俺ばかりが吐かされているのか。

 だが、接触をしていようといつも通りの彼女には勝てないことを分かっている、このまま動いたところでこちらが負けるところを見るだけだ。


「ふーん、つまり私を女として見ているってことだよね?」

「……何回も言わせるな、意地が悪いな」

「はは、ごめんごめん」


 そしてこのまま仲良くできても変わるかどうかと言えば変わらないと答えるしかないよなこの件は。


「いいよ」

「な、なにが?」

「何回も言わせるなんて意地悪だね、別にそのままでもいいよって言っているの」

「そ、そうか」

「うん、よろしく」


 くそ、余裕があるな。

 どうにかして変えたくなる、でも、彼女を困らせたくない、傷つけたくないというそれを前に俺はこれからも彼女を変えられない。

 でも、変に照れてもこちらが恥ずかしくなるからこのままでいいと片付けた。

 なにより、俺的にはメリットしかないわけだから変に動こうとすることの方が大間違いだと言えた。

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