第3話


 *



「今日も水浸しだ」


 相変わらずずっしりと水分を含んでいる毛を、タオルで優しく包み込む。この子はなんでこうも毎回びしょ濡れなのか。水が好きでいつも水遊びでもしているんだろうか……謎である。


「ごめんね、今日週番で日誌書いてたら遅くなっちゃった」


 猫はハッとしたように顔を上げて私を見た。心なしか焦っているように感じる。私は猫の身体をゴシゴシと拭きながら続けた。


「同じ当番の子が途中からいなくなっちゃってさぁ。サボるなら日誌書いてからにしてほしかったなぁ。あれって地味に一番大変なんだよ? 特に最後のコメントのところ」


 思わず愚痴のようなものをこぼしてしまった事は許してほしい。


「……ナーオ」


 猫はばつが悪そうに小さく一声鳴いた。



 *



 翌日、自分の席に着いた瞬間に事件は起きた。


「おい」


 不機嫌そうな低い声が聞こえ、声のした方に顔を向けると鋭い視線が私を射抜いていた。右目が隠れるように分けられた黒い髪がサラリと揺れる。話しかけてきたのはまさかの環くんだったのだ。思わず身構えてしまったのは仕方ないことだろう。


「昨日……悪かった」

「え?」

「週番」


 しかし、環くんの口から出てきた言葉は週番をサボってしまった事への謝罪だった。私は驚きのあまり目を大きく見開く。


「あ、えと、大丈夫」

「忘れてたわけじゃないけどちょっと……戻れなくなったんだ。今日は俺が全部やるから。悪かった」


 それだけ言うと、ぷいと顔を窓の方に向けた。私は呆然と彼の方を見続ける。照れているのか耳がほんのりと赤い。相変わらずぶっきらぼうな言い方だけど、彼から謝られるとは思ってなかったので本当に驚いた。環くんの不意打ちのツンデレに、私はニヤニヤしながら朝イチの授業を受ける事となった。




 ──環くんは本当に週番の仕事を一人でやってしまった。


 私も手伝うと言っても自分がやるの一点張りだったので、申し訳ないと思いつつ彼に任せることにした。彼は面倒な日誌もHRが終わる頃には終わらせていて、私の昨日の苦労はなんだったのかと思わず嘆いてしまった。


 帰り際に「ありがとう」と言えば「別に」と一言だけ返ってくる。環くんらしい無駄のない返答だった。


 日誌を出しに職員室へ向かった環くんを見送ってから校舎裏に行くと、廃れたベンチに猫の姿は見当たらなかった。今日は来ないのかと落胆しながら本を読み始める。それから数分後、遅れて猫がやって来た。


「猫ちゃん!」


 本をベンチに放置してしゃがみ込む。近付いて来た猫は、やはり今日も水浸しだ。


「今日は遅かったね?」

「ナーオ」


 話をしながら、私はいつものようにタオルで猫の身体を拭いていく。


「聞いて。君に似てる隣の席の子が今日すごく優しかったの。昨日のお詫びのつもりなのか週番の仕事全部やってくれたんだよ。すっごくびっくりした」


 猫は何故かドヤ顔でしっぽを左右に大きく振った。


「ちょっと照れてたみたいでさぁ。顔は不機嫌そうだったんだけど、それがなんか可愛くって。さすがツンデレで有名な環くんって感じだよね」


 猫は顔を隠すように毛繕いをすると、ちょっと不機嫌そうに低い声で鳴いた。さっきまでドヤ顔だったのに。さすが気分屋の猫ちゃんだ。機嫌を取るように首元を撫でると喉をゴロゴロと鳴らしてくれたので、チャラってことで良しとしよう。

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