第16話

 ホールの中のざわめきは最高潮に達し、子爵令嬢に対して冷たい目を向けながら何かを話し合っている卒業生たちは、国王が目をすがめた事にも気付いていなかった。


「静かにせよ!」


 国王が威圧とともに発した言葉は、ホールの喧騒を鎮める力に溢れていた。


(これが国王の持つ威厳か。父親としては最低だが、国王としてはかなり優秀なのは間違いない)


 ウィリバルトの内心は複雑ではあるが、以前のように全てを否定するのではなく認められるところは認めようという心情にはなっていた。


「エルフリーデ、報告を」

「御意にございます、国王陛下」


 エルフリーデは国王からの命令に、ドレスの隠しポケットから書類を取り出し、それを見ながら報告をし始めた。


「わたくしのドレスを盗んだ者は、王城の小間使いでわたくしの私室の掃除を任されていた者のうちの一人でした。彼女は母親の薬代を報酬として示され、テオドール殿下の名前を出されて犯行に及んだ様ですわ。指示したのはコンラッド・マイネル様です。そして、学園の生徒会予算と、王太子予算に使途不明金がございました。調べたらどちらもコンラッド・マイネル様に繋がりました。証拠の帳簿はそちらに」


 エルフリーデが書類から顔を上げ国王の方を見た為、ウィリバルトもそちらの方を見遣った。

 そこでは従僕の一人が国王の斜め後ろに立つクラウゼヴィッツ宰相に、厚手の書類を渡している姿があった。あの厚手の書類がエルフリーデの纏めた帳簿だとわかった。


「中身の精査はお任せ致しますわ。

 さて、残りの疑惑である殺人未遂に当たる階段から突き落とそうとした事ですが」


 エルフリーデは淡々と事を進める。

 少しだけ間を空けてからまた口を開いた。


「わたくしとレーリヒ子爵令嬢は学園に入ってから一度も口を利いた事はございません。これは一度たりとも同じクラスになった事がないからですわ。ですので、わたくしの名前呼びを許した覚えはございませんの。そして、レーリヒ子爵令嬢はわたくしが王城に通っている事はご存知でも、週何回通っているかはご存知なかったとみえますわ。だからこんな間抜けな事を企てるのだと思いますわ」


 エルフリーデがいつもなら言わない皮肉を言った事で、彼女が子爵令嬢に対して何かしら思うところがある事が伺えた。


「わたくしは将来の王太子妃であり、その先はこの国の王妃になる身。ですのでわたくし個人に子飼いの『影』がいますのよ?」

「なっ⁉ 聞いてないぞ⁉」


 テオドールが目を見開いて驚愕の声を上げた。

 そんなテオドールよりも先に、彼女が『影』を抱えている事を教えて貰っていた事実が、ウィリバルトの優越感を擽った。


「学園に入ってから、婚約者を放置して他の女性に現を抜かす様な不誠実な方に、手の内を晒すとお思いになりますの? そう思っていらしたのなら、テオドール殿下はよほどおめでたい御頭おつむをされていらっしゃるのですわね」


 ここでもキツい皮肉を言うあたり、エルフリーデは王太子に対して何も思っていないどころか苛ついていたのだろう。

 テオドールは目を見開き、信じられないとでも言うようにエルフリーデを凝視した。

 自分がエルフリーデに好かれているとでも思っていたのだろうか、と優越感とともに王太子を眺める。

 思えばエルフリーデの態度は婚約者となった当初から一貫していて、テオドールの完璧な『婚約者』たらんとする姿に自分を含む周囲は彼女の心もテオドールにあるのだと思わされていた様に思う。


(最初からエルフリーデはテオドールを何とも思っていなかったのだとしたら、これ程滑稽な事は無いな。エルフリーデがあの阿婆擦れに嫉妬していた事を前提にした断罪なのだから)


 その断罪も、完璧に準備していたエルフリーデ本人によって覆されようとしている。彼女の抱える『影』がこの断罪を覆す情報を集めたならば、この上なく優秀だと言えた。


(アルナシェル公爵家の『影』すら出し抜く組織を、まだ若いエルフリーデがどうやって鍛え上げたのか知りたいところではあるが)


 なんとなく、エルフリーデは教えてくれないだろうなと、ウィリバルトは隣に立つ女性にそっと視線を送った。

 エルフリーデはいつもの柔和な笑みを浮かべながら、視線は子爵令嬢と王太子に向いていた。

 エルフリーデの視線に釣られるように子爵令嬢を見ると、そこには土気色の顔に怯えの色を載せた女が立ち竦んでいた。


(今更己の仕出かした事に気がついたのか? だがもう遅い)


 エルフリーデの逆襲はまだ続いている。周囲を囲んでいた集団の中から講師が押し出され、エルフリーデが公務で欠席届けを出していただろうという問を肯定していた。

 そしてエルフリーデの抱える『影』が最初から見ていた事も開示し、じわじわと逃げ場を無くしていく。

 その姿は凛として気高く、王妃が認める未来の王妃、つまりこの場にいる貴婦人第二位としての威厳を既に漂わせていた。

 しかし、子爵令嬢は納得していなかったらしく。


「なぜ悪役令嬢のくせに私に意地悪をしないのよ! だから私が自分でヒロインとして脚本シナリオ通りに動かなきゃならなかったんじゃない!」


とウィリバルトには理解し難い事を叫んだ。


「おかしな事を言われますのね。現実を見ていらっしゃらないの? わたくしの人生にも貴女の人生にも、勿論他の方の人生にも脚本はございませんわ。全ての方が己の人生の主人公ですのよ?」


 エルフリーデは一瞬目を眇め、呆れた様に子爵令嬢に言った。


「話にならんな。エルフリーデ、ご苦労であった」

「有難きお言葉を賜り恐悦至極に存じますわ」


 国王がもう終わりだと言うように話を遮り、それに対してエルフリーデが最敬礼を返すのを見ていた。


「近衛兵、テオドールを誑かしたそこな女を捕らえろ。あとテオドールの側近だったキュンベルの息子とマイネルの息子もだ。テオドール、お前は廃嫡とする」

「お待ちください、父上! なぜ俺が廃嫡になど」


 テオドールが慌てて食い下がる。その様子がウィリバルトには愉しい。


「まだわからぬか、この痴れ者が! 危うく国を危機に晒すところだったのだぞ!」

「国を、危機に……?」

「お前の行動如何で、アルナシェル公爵家はクラウゼヴィッツ公爵家とアイゼンラウアー公爵家とともに立ち、王家を廃して新たな王を戴くところまで話が進んでいたのだ! そうなれば国は乱れ、民は貧する。それを止めてくれたのがエルフリーデだ! エルフリーデがいなければ内乱が起きていたのだぞ!」

「内乱……」


 三公爵の反乱計画をここで話してしまっても、国王がそれを咎めなければ罪にはならない。常ならば計画していただけで罪とされるが、今回の場合は何かの条件と引き換えに罪を問わない事にしたのだろう。

 激昂して前のめりになっていた国王は、そこで溜息を吐いて椅子に背を預け、力なく己の息子である王太子を見つめた。


「テオドール、其方は生涯幽閉とする。そして余の名前に於いてウィリバルトを新たな王太子とする。ウィリバルトは余の息子だ。更に、テオドールとエルフリーデの婚約を白紙とし、ウィリバルトとエルフリーデを婚約させる」


 その瞬間、ウィリバルトの心臓が大きく鼓動した。


──俺が王太子、そしてエルフリーデが俺の婚約者


 歓喜が心の中に溢れる。

 遂にエルフリーデを自分の手に入れられる、と頭が、次いで体が熱くなる。

 願わくば己の手でもぎ取りたかったが、この際贅沢は言うまい、とまだ内心に燻る昏い想いを宥めた。

 ホールの中は卒業生と講師陣の驚愕の声で溢れていた。

 テオドールはその場に崩れ落ち、膝と手をついて自分に下された国王の沙汰を嘆いている様だった。

 国王が喧騒を威圧で黙らせる。

 心のうちから溢れる膨大な歓喜の感情が制御出来よう筈がなく、ウィリバルトはその感情の儘に笑顔をエルフリーデに向け手を差し出した。


「これからよろしく、婚約者殿?」

「ええ、よろしくお願い致しますわ、ウィリバルト殿下」


 エルフリーデは頬を染め、ウィリバルトが差し出した手にそっと彼女の手を載せてきた。

 その手をしっかりと握ったウィリバルトは、抱き締めたい衝動を抑えていた。


「もう君を諦めなくていいと思うと嬉しいよ。それにしても君の言うとおりになったね、エル」


 つい今まで被っていた「冷徹」の仮面が外れてしまう。

 だがもういいだろう。エルフリーデを手に入れ、近い将来、王位も手に入れるのだから。

 ウィリバルトは震える心の儘、エルフリーデを見つめた。













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