第15話
姿勢良く真っ直ぐに立ち、凛とした表情で王太子たちと相対するエルフリーデはウィリバルトにとって眩しく見える。体の内側から気品が溢れているように思えるくらい、彼女は気品に満ち満ちていた。
「まずはわたくしの無実を証明させて頂きますわ」
エルフリーデはそう前置きをすると、教科書を破られたという事について、公務があって学園に来ていなかった事を、その公務の相手であった隣国のリーゼンブルシュタット公国の公弟殿下を引っ張り出して証明してみせた。
リーゼンブルシュタット公国から飛竜を飛ばして来たと聞いて、ウィリバルトは内心かなり驚いた。飛竜は戦馬の様なもので、戦の際に空中から魔術や弓で攻撃を与えたり、飛竜の頑丈な体を利用し低空飛行を行って敵兵を薙ぎ払ったりと、飛竜を持っていない国にとっては対抗策が取りづらく、謂わばその存在は重要機密事項と言えた。
そんな機密の塊を動かしてまでエルフリーデの無実を証明する為だけに来てくれるのは、リーゼンブルシュタット公国とアイゼンブレヒト王国が友好国というだけではなく、エルフリーデ自身にこの大陸の友好に尽力して貰いたかったようだった。
(エルフリーデは他国の要人にまで気に入られているのか。公弟殿下は妻帯者で、リーゼンブルシュタットでは一夫多妻は認められていないし、国主一族に側妃や愛妾が認められている訳でもないから、公弟殿下が今回来てくれたのは、純粋にエルフリーデを買っているからなのだろうな。安心すればいいのか、心配すればいいのかわからんな)
ウィリバルトは内心で溜め息を吐いた。
次にドレスが汚されたと言っていた件についてエルフリーデは証明していく。ガーデンパーティーでの事かと尋ね、それをテオドールが認めるとそれも否定し、ガーデンパーティーには遅れて参加しウィリバルトにエスコートをして貰ったのだと落ち着いた声音で述べていた。
エスコートをウィリバルトに頼んだ事をエルフリーデの落ち度と捉え、
「ええ、国王陛下からのご下命でしたので、アルナシェル公爵令嬢のエスコートをさせて頂いたのですよ」
ウィリバルトがそれを肯定すると、テオドールが怯んだ様子を見せた。それが愉快で、口元が緩んでしまう。
「確かにエルフリーデは、あの時、学園のガーデンパーティーに行くのをやめようとしていた。だが、未来の王妃が未来の貴族の奥方たちとの交流を厭うてはならぬと説得し、ちゃんとガーデンパーティーに出席させる為にウィリバルトにエスコートする様に命じたな」
と、国王は王妃の方を向いた。
「私もエルフリーデに言い聞かせました。この国の将来の王妃としての心構えと、
王妃の言葉に、ウィリバルトは僅かに目を瞠る。だが直ぐ様表情を消した。
(王妃が認める将来のこの国の王妃がエルフリーデだけ、というのは面白い。今の言葉は、あの阿婆擦れの子爵令嬢には強烈な皮肉だな。お前など王妃には、つまり王太子妃にはしないと言っている様なものだ。テオドールにも意味は汲み取れたか? まさかその意味を把握出来ないとは言わんだろう?)
テオドールを見てみると、流石にその意味を理解したと思われ、青ざめた表情で自分の母親である王妃を見ていた。
それがウィリバルトには愉快で堪らない。
(自分の親に切り捨てられる気持ち、これで良くわかっただろう。まあ、お前が俺の出自を知る事はないだろうがな)
昏い気持ちが晴れて行くようにウィリバルトには感じられた。
「テオドール、お前はこれでもエルフリーデがドレスを汚したと言い張るのか?」
「………………」
国王の厳しい声に、テオドールは青ざめた儘、悔しそうに口を歪めた。
そんなテオドールには構いもせず、エルフリーデは淡々とした声で進める。その様子から、彼女はテオドールには何の思いも寄せてない事が伺え、ウィリバルトはそれだけで満足感が湧いてくるのを感じた。
「次にドレスを破ったと仰る件ですが。卒業パーティーに着る予定のドレスでしたわね?」
「え、ええ、そうですわ! ドレスが破られて参加できなくなりそうで、困っていましたらテオ様がドレスをプレゼントしてくださいましたの」
ウィリバルトはソフィア・レーリヒ子爵令嬢の言葉に眉を
(あの様な者を可愛いと言うなど、本当にテオドールたちの正気を疑う。
嫌悪感で気分が悪くなる。
あの様な者が王太子妃に、
ウィリバルトではなくとも皆そう考えたようで、壇上の国王夫妻の後ろに並び立つ国の重鎮達が一様に顔を
「ドレスがないと卒業パーティーに参加できないと、ソフィが泣いていたからな。愛するソフィが「そんな事はどうでもよろしいのです。そのドレスはどうなさいましたの?」」
エルフリーデがとうとうテオドールの発言を遮った事で、テオドールが唖然とした表情をした。ウィリバルトにはそれが愉快に感じられた。
「もちろんソフィの為に仕立てたのだ! 一週間もかかったのだぞ! 漸く届いたのが一昨日だ!」
その言葉に呆れる。ドレスを一週間で仕立てるなど、たとえ王太子の権力を以てしても不可能だ。ドレスというものは縫製だけではなく刺繍などの装飾にも時間がかかるものというのが常識で、たとえ公爵家の注文と言えども最速で二週間はかかる。王家の注文だとしても、やはり二週間は必要だと思われた。
エルフリーデが溜息を吐いた。そして呆れたようにテオドールに告げる。
「テオドール殿下。ドレスは採寸してから一週間程度では作ることはできませんわ。そして今、レーリヒ様でしたかしら、貴女が着ているそのドレスはわたくしが持っていたドレスとそっくりですわね。確かめさせて頂きますわ。女官長、お願い致しますわ」
エルフリーデが指示すると、ホールの端に控えていた女官長が数人の女官を率いてレーリヒ子爵令嬢へ近づき、有無を言わせず彼女を立たせて連れて行こうとした。
「女官長、何をする! ソフィを離せ!」
テオドールがそれに対して異を唱える。
「何をするの⁉ 離して! 離してったら! 私は未来の王太子妃よ! 王妃になるんだから!」
子爵令嬢が暴れて女官たちの手を離そうとしていたが、女官たちは立ち止まりはしたものの手はレーリヒ子爵令嬢の腕を掴んだままだった。
ウィリバルトはまたしても気分が悪くなる。馬鹿な子爵令嬢だと思っていたが、まだ王太子の婚約者でもないのに王太子妃だ王妃だと騒ぐその頭の弱さに辟易とする。頭の中は花畑でできているのだろう。
「私がヒロインなのに! おかしいわ! エルフリーデは悪役令嬢なのにどうして⁉」
子爵令嬢は、おかしな事を吐き出した。
ヒロインとは何の事だろう、とウィリバルトは首を
「ヒロインとはなんだ?」
イアンが不思議そうに呟いた。誰しも子爵令嬢の言葉が理解できなかったらしい。
「本来であれば書物やお芝居などの女主人公の事ですわ。でも、誰もが己が人生に於いて主人公ですのに何を仰っているのかしら?」
エルフリーデが呟いた内容に、なるほど、と得心し、つい素で「言われてみれば確かにそうだな」と呟き返してしまった。
直ぐに気がついて気を引き締める。
「レーリヒ子爵令嬢。貴女は
イアンが子爵令嬢に対して不愉快そうな冷たい声で教え諭す。
それを聞いた子爵令嬢が何故か愕然として目を見開いた。
そういえば、イアン・クラウゼヴィッツにもこの阿婆擦れは声をかけていたな、と記憶を掘り起こす。だとすれば、イアンは彼女に堕ちたと思っていたのかもしれない。そう考えると子爵令嬢が驚くのも納得できる。
「女官長、テオドールの言うことは気にせずとも良い。連れて行って確認しろ。但し確認した後はここに連れ戻せ」
「御意にございます」
国王の指示で、女官長と女官たちはまた動き始めた。
最高権力者が許可したのだから、王太子がその命令を覆す事は不可能だ。
子爵令嬢は女官たちに腕を掴まれ背中を押され、ぐいぐいと容赦なくホールから連れ出されて行った。
「さて、ドレスの確認をしている間に、論文の破棄に関して誤解を解きましょうか。ハウフトマン先生」
エルフリーデは更に、無実の罪である事を証明していく。
内容は、レーリヒ子爵令嬢が、先に論文を担当講師に見せていたエルフリーデの論文とそっくり同じ内容のものを提出し、それを担当講師が尋ねると王太子が出てきて脅された、というものだった。そしてその直後からエルフリーデが子爵令嬢の論文を盗み、破いて捨てたという噂が広がったのだという。
ホールの中にざわめきが広がる。恐らく王太子テオドールに対する批判だろうと思われた。
ざわめきが収まらないうちに、女官長が着替えさせられた子爵令嬢を連れて戻ってきた。
「アイゼナッハ女官長。どうであった?」
「エルフリーデ様のお召し物でした。王城のエルフリーデ様の私室のクローゼットから盗まれた物に相違ございません」
国王の問に、女官長ははっきりと述べる。
(阿婆擦れとその取り巻きたちに、王太子の婚約者のドレスの窃盗という罪状が追加されたか)
普通の窃盗でも刑罰は重いが、『王太子の婚約者』のもので、それも王宮内から盗まれたとなると、不敬罪、大逆罪も追加されかねない。
子爵令嬢自身が指示した訳ではないとはいえ、そのドレスを着てしまっている。『王太子の婚約者』の衣装には内側にアイゼンブレヒト王家を表す紋章、剣に絡まる蔦が刺繍されているのだから、それを身に着けてしまった以上、『王太子の婚約者』に成り代わるという意思表示に他ならず、公爵令嬢であるエルフリーデを侮辱し王家をも侮辱した事と判断される。更にはアルナシェル公爵家をも侮辱しているのだから、どう足掻いても子爵令嬢は刑場の露となる運命を自分で引き寄せた事になる。
ウィリバルトにとってはエルフリーデを侮辱した子爵令嬢に対して、怒りは湧けども同情心など塵程も感じなかった。
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