第13話

 翌日、すっきりと目覚めたウィリバルトは、王太子の側近として登城する。テオドールが与えられている王太子府の執務棟に赴き、補佐官用の執務室に入った。(ちなみに他は文官用が三部屋あり、文官は総勢二十四名いる)

 中には久しぶりに見たコンラッドとジョアンもいたが、イアンの姿を見て少しだけホッとしてしまった事はウィリバルトにとって絶対に秘密にすべき事柄だった。

 イアンに話しかけられたので少しだけ会話し、その後は真面目に仕事をした。と言っても王太子も自分たちもまだ学生の身であり、任される仕事は軽いものが多いし量も少ない上、その処理結果で能力が測られている事は重々承知である。

 真面目に、でも生徒会業務の書類処理よりもゆっくりと余裕を持ちながら午前中の書類処理を終わらせた。と言っても、稟議書や提案書、簡単な申請書類の仕分けと、自分たちで判断していいものにサインをして決裁する程度で、まだ王太子府に権限が与えられていない予算関係の処理がないから気楽なものだった。

 昼になり、王城内の一般官僚用の食堂に一人で向かう。

 食堂で手早く昼食を摂ると、ウィリバルトは食堂の窓側についている扉から外に出た。そこは中庭になっており、外で食べる人の為のオープンテラスから降りられる。

 中庭の四阿に行ったところ、そこにはエルフリーデが座っていた。そばにはいつもの侍女が控えていた。


「……お久しぶりですね、アルナシェル嬢」


 少し躊躇ったが、ほぼ二ヶ月間姿を見る事が叶わなかった少女を目にし、ウィリバルトは自分の心の渇きを癒やす方を選択した。


「アイゼンラウアー様、夏季休暇前以来ですわね。夏季休暇は何をなさっていらっしゃいましたの?」


 四阿の中にあるベンチを勧められ、ウィリバルトはテーブルを挟んだ向かい側のベンチに座る。


「領地の視察に。義弟おとうとのファビアンを連れて行っておりました」

「まあ。アイゼンラウアー領はかなり広いですわよね?」


 エルフリーデに言われる通り確かに広い。だが王国が元々広く、その王国の国土面積からするとアイゼンラウアー公爵領も十分の一もない。三公爵家の領地面積はほぼ同等と言われている。そして公爵家の領地面積よりも広いのが辺境伯家の三家だった。但し辺境に位置する領地は大半が開墾されていない山地や森林や沼沢地で、その分収入も下がる。広さだけでは測れないのが領地であった。


「主要な市町を視察して回るのにほぼ一月半かかりました。移動は馬車ではなく馬でしたが」

「それは……だいぶお疲れだったのでは?」

「昨日は早めに休みましたよ。でも今朝にはもう大丈夫でした」

「あまり無理をなさらぬよう。疲労で突然気鬱の病にかかる事もあるのですから」


 エルフリーデの涼やかな甘い声がウィリバルトを気遣うのが嬉しくて、僅かに口角を上げてしまった。慌てて元に戻すが、エルフリーデがふふ、と笑う。

 何を笑われたのかウィリバルトには見当も付かず、少し首を傾げてしまう。


「以前よりアイゼンラウアー様の持つ雰囲気が柔らかくなったと思いまして」


 そう言いながらエルフリーデは手を振って侍女を遠ざける。侍女が声の届かない位置まで遠ざかったのを見届けると、更に遮断の魔術をかけた。


「随分と厳重ですね」

「アイゼンラウアー様だけではなく三公爵の為でもありますわ。先程の話ですけど、アイゼンラウアー様が王位簒奪を諦めてくださった事で緊張が解れ、それで雰囲気が柔らかくなったのでしょうね。良い事ですわ」

「私の雰囲気が柔らかくなったと? 自分ではわかりませんが」

「以前はいつも張り詰めた雰囲気がありましたわ。そうして周囲を寄せ付けない様にしていたのでしょう。いつその張り詰めた糸が切れるかと、ハラハラして見ておりましたの。まさかそれが王位簒奪を考えていたせいとは思いもよりませんでしたけれど」


 ふう、と溜め息を吐いたエルフリーデをウィリバルトは呆然と見つめた。そこまで心配されていたとは思いもよらなかった。彼女はテオドールの婚約者で王妃教育が厳しく、そこまで見ているとは思っていなかった。

 胸の中が温かいもので満たされ、それはウィリバルトの自制を超えて溢れ出す。


「アルナシェル嬢、お願いがあります。貴女を名前で呼びたい。エルフリーデ嬢、とお呼びして良いでしょうか?」

「……他の方がいらっしゃるところではダメですわ」

「それは二人だけの時なら良いと言ってくださっている?」


 数瞬の躊躇の後に紡ぎ出された答えに、ウィリバルトは食いつく。

 しかしそのウィリバルトの様子に、エルフリーデが怯えた様子を見せた。


「……申し訳ありません。少し逸ってしまいました。今まで通り常識に則った呼び方をしましょう」


 残念に思ったが、今すぐは難しいのは理解している。エルフリーデはまだ王太子の婚約者であり、ウィリバルトと何かあればエルフリーデが王太子から責められる材料になり兼ねない。


(だが、心の中で呼ぶくらいは許して貰おう。誰にもわからないのならエルフリーデよりもエルと呼んでもいいだろう。俺の事もウィルと呼んで欲しいくらいだ)


「……そうしてくださいまし。王太子殿下に隙を見せる訳には参りませんの」


 エルフリーデの様子はどことなく寂しそうで、ウィリバルトはその様子を見てもしかしたらと考えてしまう。


(もしかして少しでも俺の事を気にしてくれてるのか? テオドールではなく俺に関心を向けてくれているのなら、期待していいのか?)


「そうですね。貴女の言う通りです。今王太子に隙を見せたら、貴女を糾弾する材料となってしまうでしょう。自重すべきですね」


 エルフリーデを窮地に陥れる訳にはいかない。彼女を守る為ならまだ暫くはこの気持ちを封印しておこう、とウィリバルトは内心で独り言ちた。


「さて、そろそろ午後の政務の時間になります。アルナシェル嬢は王太子府ではなく王宮に用事があるのですか?」

「そうですわ。王妃様からお茶に誘われておりますの。ですのでわたくしは時間までここにおりますわ」

「今日は昨日よりも暑いので、体調を崩されぬようご注意ください」

「ありがとう存じます、アイゼンラウアー様」


 ウィリバルトは立ち上がって暇を告げた。そのタイミングでエルフリーデが遮断の魔術を解除した。


「では、失礼致します」


 軽く頭を下げてエルフリーデの前から退去し、食堂を経由して王太子府の執務棟に戻り、午後の書類処理を始めた。

 しかし王太子テオドールはその日、ついぞ補佐官用の執務室の隣室、王太子専用の執務室には現れなかった。





❐ ❐ ❐ ❐ ❐


 夏季休暇が終わり、学園の後期が始まると生徒会業務は二年生に引き継がれた。

 忙しかった日々は、穏やかな日々に取って代わる。

 座学と魔術および武芸の授業を真面目に受け、更にそこに生徒会業務が伸し掛かっていたのだからとんでもなく忙しかったのだが、その生徒会業務がなくなればかなり楽になった。

 今までは薄暗くなり始めた頃に帰宅の途についていた為に、帰宅して慌ただしく着替えたらすぐに夕食の時間になっていた。だが、生徒会から離れると明るいうちに帰宅でき、私室で国政に関する勉強ができるようになった。

 今は各国との交易に関して勉強をしている最中で、農業交易品の数量から相手国の天候を見極めるという難題を義父から与えられていた。

 また、時には義父の伝手で知り合った騎士団の副団長を務める某侯爵家の三男に剣術や体術を鍛えて貰ったりした。

 そのお陰か、年明け前の実技試験ではコンラッドを下して実技の成績順位が首席となれた。

 王位簒奪を諦めたとしてもエルフリーデが王位に近づけると約束したのだから、王冠に相応しい人物になれるよう努力するのはウィリバルトの中では揺るぎないものだった。













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