第12話

 エルフリーデの持ってきたトレーと食器を返却し、二人で生徒会室に向かう。

 ついでだからと定期考査の成績順位表を確認に行き、エルフリーデが一位、イアンとウィリバルトが同率二位となっているのを見てエルフリーデを祝福し、その後は生徒会室に行った。

 先に中で仕事をし始めていたイアンに成績順位を伝えると、ウィリバルトと同率二位なのが納得できない、追い越せなかったと悔しがったのを見て久し振りに笑った。

 そのウィリバルトの笑い声を聞き、イアンもエルフリーデも呆然とウィリバルトを見つめる。


「どうしました?」

「ウィリバルトが笑った……」

「アイゼンラウアー様、随分と久し振りに声を上げて笑いましたわね……」

「……そうでしたか?」

「ウィリバルトが声を出して笑わなくなって七年経つぞ。俺はもうお前は笑えなくなったんだとばかり思っていたよ」


 イアンがしみじみと言う。

 そう言われて思い返すと、確かにウィリバルトは生みの母親と会ってから作った笑顔以外、笑う事を忘れていたように思う。


「そう言われれば返す言葉はないですね。でも笑うような事もありませんでしたし」

「お前なぁ、子供ってのはどんな事にも笑える部分を見つけるもんだぞ。馬が放屁したとか、犬が何かに驚いて逃げ出して壁にぶつかったとか、他愛のない事で笑うもんだ。だけどさぁ、お前はそんな話を聞いても笑いもしない。いつも張り詰めた顔をして、いつからか冷たい表情になって周囲をつまらなそうに見てた」

「わたくしとクラウゼヴィッツ様とで心配しておりましたのよ?」

「二人とも心配してくれていたんですね……ありがとうございます」

「友達だからな。心配もするさ」


 イアンがプイと横を向いて表情を隠したが、耳が赤くなっているのを見て照れているのかと気がついた。


「今日はたまたまですよ」


 ウィリバルトも照れくさくなり、横を向いて頬を指で引っ掻いた。顔が熱くなっているから赤くなっているのだろうと更に羞恥に襲われる。


「さて、お二人とも。そろそろ仕事に取り掛かりませんと、夕方までには処理できませんわよ?」


 エルフリーデが手をぱんと打ち合わせて、二人の意識を引いた。

 確かに、と呟いて、ウィリバルトは執務机に向かい、学園内の生徒会業務で発生した書類を片付け始めた。今ではどうしても生徒会長のサインが必要なもの以外、ほぼウィリバルトたち三人で処理している。中には生徒会長の処理が必要とされるものもあったが、その辺はもう顧問も学園も諦めてくれていた。





❐ ❐ ❐ ❐ ❐


 そして夏季休暇初日。

 ウィリバルトは義父に呼ばれて応接室に行った。

 応接室と伝えられた時点で予想していたが、それにたがう事なく中には三公爵が揃ってウィリバルトを待っていた。


「クラウゼヴィッツ宰相閣下、アルナシェル公爵、ご機嫌麗しゅうございます。義父上、お呼びと伺いました」

「ウィリバルト君、まあ掛けなさい」


 クラウゼヴィッツ宰相がソファを勧めるのでそれに従い、義父の隣に腰掛ける。

 何かあるのかと訝しく思っていると、アルナシェル公爵が膝に肘をついて両手を組んだ姿勢で口を開いた。


「ウィリバルト君、娘から事情を聞いた。娘が独自の『影』を抱えているのは知っていたが、私の『影』を出し抜くほど優秀だとは思わなかった。それはまあいいとして。ウィリバルト君。君は王位を諦めるのかね?」


 その話か、と少しだけ緊張した。彼女を信じると決めた以上、彼女がどう動こうともウィリバルト自身は待っているつもりだ。


「私が王位を諦めるなどあり得ません。しかし、アルナシェル嬢が彼女の全霊を以てして私を王位に近づけると約束しました。私は彼女の事を信じたい」

「ふむ。娘からは王太子殿下の行状で国王陛下に直訴するとは聞いたが、君はそこまでは聞いていないようだね?」

「アルナシェル嬢を信じると決めたので。どういう手段を取るかはわからなくても、彼女ならば私よりも穏健な方法を取るだろうと。しかし王太子殿下の行状で直訴、ですか」

「テオドール殿下がアルナシェル嬢を疎んじているのは報告を受けて知っている。『影』が始終テオドール殿下に張り付いているそうだからな」


 クラウゼヴィッツ宰相が腕を組んだ姿勢で隣のアルナシェル公爵を見る。


「殿下が我が娘を疎んで軽んじる事は、我が家が侮られる事になるからね。これでも王族の血を引く公爵家だ。王家の裏の仕事を引き受けてきたという自負くらいはあるのだよ」


 アルナシェル公爵の目が冷たくきらりと光った気がした。思わず唾を飲み込む。


「我が娘を王家に、と言って来たのは王家むこうだと言うのにね。躾の出来ていないガ、子供だと笑っていられる時期はとうに過ぎたと思わないかい?」

(今、ガキと言いそうになったな。直ぐ様訂正したが)


 アルナシェル公爵の口の端は緩く上がっているが、目は一切笑っていない。その瞳の中に苛立ちを見たウィリバルトは、またも唾を飲み込んだ。気圧される、と感じたのは初めてだった。


(流石、『影』を統括する一族という事か。いや、さっき『王家の裏の仕事』と言ったな。情報の収集や操作だけではないという事か)


 確かに表の役職が華やかなものだと目に付きやすく、その分バレる危険性はあるだろう。だからこその運輸大臣という地味な官職なのだろうが。


(副業が官職で、本業が暗殺も含めた情報収集と操作だとか、一番敵に回してはいけない一族だな。それに対してテオドールは真正面から喧嘩を売ったことになる)


 だが、気の毒だとも思わない。せいぜい足掻けとしか思えないのは、エルフリーデの扱いが酷いからだった。


「王太子殿下が反省して態度を改める事など天地がひっくり返ってもないでしょう。彼は本当に愚かですから。躾をし直す時期はとうに過ぎました。今後は罰を受けて貰うのが妥当でしょう」


 私の手からは離れますけどね、とウィリバルトは締めた。

 ウィリバルトの答えに満足したのか、アルナシェル公爵からの威圧感プレッシャーがなくなった。密かに息を吐く。


「娘は何かを企んでいるようだ。それはおそらく王太子殿下の失脚に繋がる事なのだろう。私の『影』を出し抜くほど優秀な『影』を組織しているのなら、王太子殿下の失脚は確定された未来と言えるだろうな」


 王家の子は、公にはテオドール一人。そしてウィリバルトの身上は公には『王妹の子』であり『国王の甥』であるが、実際は国王の血を引く子であり、王家の一員として認められていれば第一王子という身分になった筈である。そして長子が王太子となるこの国の法に則ると、本来ならばウィリバルトが王太子となっていた筈だった。

 エルフリーデと約束した以上、今更文句も言わないが、もしもテオドールが失脚したならウィリバルトが王太子となる可能性が高い。公には半分だけ王族の血を引いているのだから。


(俺がもし、王太子となったのなら。エルフリーデを婚約者として求めてもいいだろうか)


 それくらいの褒美は許される筈だ、とウィリバルトは高鳴る胸を落ち着かせるべく、深呼吸をした。


「ウィリバルト君がエルフリーデ嬢を信じて待ちの姿勢になると言うのなら、私も待ってみよう。何、エルフリーデ嬢が失敗したなら即座に当初の計画に基づいた行動を起こせば良い。愚かな君主は国には害でしかないからな」


 クラウゼヴィッツ宰相は、顔に獰猛な笑みを浮かべてウィリバルトを見据えた。


「エトムント、君は先走りすぎる」


 義父が呆れた様にクラウゼヴィッツ宰相を窘めるのも、気心が知れているからだろう。


「とりあえずは待ちの姿勢で、計画は一時凍結と言うことでいいな?」


 続けて出された確認の言葉に、全員が諾と頷いた。





❐ ❐ ❐ ❐ ❐


 夏季休暇に入ってから、ウィリバルトは義弟のファビアンを伴ってアイゼンラウアー公爵家の領地を視察して回っていた。

 ゾンマーベルゲン市、シュバルツアンゲル市、エクヴィルツ市、グレッシェル市、ヒューグラー町、カーマン町、レークラー町、プッヘルト町、ライヒェン町。それぞれの市町の庁舎を訪れ、市長や町長との会談を挟みつつ、橋の修繕工事や採掘現場、酒蔵の仕込み、寡婦の為の仕事場などを見て回り、帳簿を大雑把に検査したりした。しかしこっそり複製の魔術を使って原簿と相違ないものを手に入れてもいる。義弟のファビアンは目を丸くしていたが、唇に縦に指を一本当てて微笑むと、黙って頷いてくれた。

 そうやって移動時間も含めるとほぼ一ヶ月半以上、領地の視察に費やした。

 馬車での移動だと時間がかかり過ぎるために乗馬での強行移動になりながらも、ウィリバルトは途中途中の宿で義弟ファビアンに、領地で市町村長を領主代理として置いている理由、任せきりにしない理由、時々視察する理由を丁寧に教えた。

 義弟は飲み込みが早く、教える事は素直に聞くという点が良い面として出ていた。

 学園の後期の始業式があるので、ライヒェン町の視察が終わったあとは真っ直ぐ王都の屋敷を目指した。途中の街や村で宿泊し、ゾンマーベルゲン市に預けていた馬車に乗り換え、ライヒェン町から一週間かけて王都へ戻ったが、体をいくら鍛えていて体力があっても乗馬での強行移動に引き続いて馬車に乗り換えての移動というのは酷く疲れた。況してやファビアンは初の視察同行で、今までこんな長距離を馬車や馬で移動した事などなかったせいで疲労困憊になり、帰宅した途端に寝込んでしまった。

 ウィリバルト自身も疲労が酷く、夕食後に早めに風呂に入って寝支度を整え、早々にベッドに潜り込んだのだった。

 












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