第11話
「あの、アイゼンラウアー様、お話がありますの」
目を開けるとエルフリーデは食事の載っていたトレーをウィリバルトとの間に置いて、真っ直ぐこちらを向いていた。その事にウィリバルトは内心戸惑う。もちろんそれは表情には出さない。
「私にお話とはなんでしょう?」
エルフリーデから話しかけてきたのに、何故か少し躊躇っている様子が伺えた。だが、促す事はせず彼女が口を開くのを待つ。
エルフリーデは周囲に遮断結界の魔術をかけ、声が漏れないようにした。
これは他人には秘密にしたい事を話す時に使われる。
「アイゼンラウアー様、失礼な事をこれから申し上げますが、気を悪くなさらないでくださいまし」
「……内容にも因りますが、努力致しましょう」
「では遠慮なく申し上げますが、アイゼンラウアー様は国王陛下の血を引くお子ですわね? そしてそれにも拘らずアイゼンラウアー公爵家の子として育てられました」
エルフリーデの言った内容に衝撃が走る。感情を表情には出さないようにしていたのに、それすら取り繕う事ができずウィリバルトは目を見開いた。なぜ、何処からバレて……と考え、彼女は
「……お父上からそれを知らされましたか」
驚愕から納得の表情に変わったウィリバルトに、しかしエルフリーデは首を横に振って否定を示した。
「父からではありませんの。実はわたくし、『影』を個人的に抱えていて、彼らがそれを調べてきました」
再度驚愕の表情になる。
「……我が家の使用人ですら知らない事を?」
「『影』は何処にでも潜む事ができますわ」
「アルナシェル家の『影』は恐ろしいですね」
「家とは関係ありません。わたくし個人が集めて鍛え上げた情報収集の為の組織ですの」
「……貴女は令嬢で、アルナシェル家の継嗣ではないのに?」
「王太子妃になる予定
一公爵令嬢が情報収集の為の組織を抱えているのも驚きだが、その理由も驚くものだった。情報で相手を掌で転がすという発想は、単なる令嬢の発想ではない。しかし、
彼女を王太子妃にと望む王家の思惑にも納得しそうになる。
「それでもう一つ。これもわたくしの『影』が調べ上げた
ウィリバルトは息が止まりそうになった。何処からその情報が漏れたのか。心臓も早鐘を打ち鳴らすように激しく鼓動している。しかし心臓の鼓動とは反対に顔から血の気が引いて行くのがわかった。
「ああ、この事はまだ誰にも漏らしておりませんわ。そして迂闊な人に教えるつもりもありませんからご安心なさって?」
安心しろと言われても、ウィリバルトは安心などできない。王位簒奪など大逆罪に問われるもので、王家にばれてしまえば彼の首は簡単に刎ねられる。そればかりかウィリバルトに同意して事を起こそうとしていた三公爵やその家族、そして同志となった貴族たちも家族ごと処刑台の露と消えるだろう。
「アイゼンラウアー様! わたくしは今のところ誰にも話すつもりはありません、と申しました。三公爵の一角を我が家も担っておりますから、その計画が漏れればわたくしも処刑を免れません。なので、落ち着いて話を聞いてくださいまし」
エルフリーデに言われて気がつく。確かに彼女はアルナシェル公爵家の娘で、三公爵の一角を担っている。自分の命と引き換えに密告する事はないだろう。ウィリバルトは少しだけ安心できた。
冷たくなった顔に熱が戻るのを自覚する。
「アイゼンラウアー様。いえ、ウィリバルト殿下、お願いですから王位簒奪は諦めてくださいまし。余計な血が流れ、復讐の連鎖になりかねません」
エルフリーデに言われた内容に、顔が歪む。
「俺が王位を欲する理由も理解していないくせに、貴女は俺にそれを諦めろと言うのか!」
いくら愛しいエルフリーデと言えど、ウィリバルトが復讐するのを止められる筋合いはない。
「いいえ、わたくしにはわかります。ウィリバルト殿下が苦しんでいる事も理解しています。殿下はテオドール殿下の数日前にご誕生されましたが、数日後にテオドール殿下がご誕生された事で、国の勢力が二分して相争う事を憂慮された国王陛下がブリギッテ様にウィリバルト殿下を託されました。生まれて間もなく、何物になるともわからない赤子なのに、側妃の子というだけでウィリバルト殿下は亡くなった事にされてしまいました。それがウィリバルト殿下の矜持を傷つけたのでしょう?」
三度驚愕する事になったウィリバルトは、エルフリーデを見つめてパクパクと口を開閉するだけで言葉を発せなかった。
なぜエルフリーデはウィリバルトの心情をこうも正確に当てられるのか。
「驚かせたようで申し訳ございませんわ。でも、並べられた事実から推測したに過ぎません。国王陛下の血を引くお子、側妃の母親、数日の差で生まれた弟殿下、ウィリバルト殿下は公には亡くなったとされ臣下の公爵家の養子とされた、弟殿下が王太子、王太子殿下の側近、学園では王太子殿下よりも優秀な成績、感情を読ませない無表情、時々王太子殿下を見る目が冷たい、そして『影』から齎された王位簒奪の計画。これだけの情報があれば、ウィリバルト殿下の心情を推測するなど
静かに話すエルフリーデを、ウィリバルトは食い入るように見る。本当に、彼女は聡明で、将来の王妃として相応しいと思える。
「だからと言って、俺が計画を諦めるなどできるわけがないだろう!? これは俺の復讐なんだ! 俺を切り捨てた男を見返す為に、なんとしてもこれだけは諦められん!」
激昂した為に口調が取り繕われたものから素のものに変わっているのにも気が付かず、ウィリバルトはなおも続ける。
「それに、あの愚かなテオドールに国を治められるものか! あいつは己の感情でしか物事を判断できていない! 国を治めるという事をわかっていない! あんなのが国王になったら国は滅ぶ! ならば俺が王冠を頭に載せてもいいだろうが! 俺が正妃の子であったなら順当に俺が王太子になって、国王として学んでいた筈だろう!?」
一気に心情を吐き出したウィリバルトは、目を右手で覆い俯いた。どくどくと心臓が煩く鳴り響く。
「お心はわかりました。貴方は拗ねているだけですのね。そしてテオドール殿下に嫉妬している。でも、なぜそんな事で拗ねる必要があるのです? 貴方の学園の成績は王太子殿下よりも優秀で、普段は冷静に物事を判断でき、婚約者がいなくとも女性と遊ぶでもなく逆に寄せ付けない。先日のストラ教国の駐在大使の歓迎昼餐会で見事なストラ語を披露して大使の覚えもめでたく、国王陛下も喜ばれました。これだけの優秀さを周囲に見せつけているのです。拗ねる必要など有りませんでしょう?」
言われた内容に反発し、顔から手を外して勢いよく頭を上げた。
「拗ねる拗ねると、俺を子供扱いするな!」
「やってる事はえげつなくて腹黒いけど、その元になってる感情は子供と同じだわ。生まれた時に切り捨てた両親を、貴方は憎んでいるようで実は恋い慕っているのよ。自分を見てくれ、自分を愛してくれ、と」
「そんな訳があるか! 俺は国王を憎んでいる!」
「甘えないで! 貴方は国王陛下という実の親に切り捨てられたと思っているけど、国王陛下は貴方を愛しているからこそ妹のブリギッテ様に託したのよ? 側妃のマルティナ様と正妃のヒルデガルト様、お二人の親友でもあるブリギッテ様なら、ウィリバルト様を自分の子として愛情をかけて育ててくださると信じられるから。貴方には義姉もいるでしょう? アイゼンラウアー公爵家には既に子供がいたにも拘らず、ブリギッテ様は快く引き受けた。それは貴方が国王陛下にもマルティナ様にも愛されていたからよ」
「なぜそう言い切れる!」
「養子に出した息子を、王太子の側近として登城させれば、毎日その姿を目にする事になる。嫌ならそばにも寄らせない筈だし、公爵家という貴族としては最高位の家に養子に出す筈がないでしょう? 養子に出したとはいえ息子には変わりないから、成長を見守りたい、そう考えての事よ」
自信満々に述べるエルフリーデの言葉遣いがいつの間にか砕けたものになっていて、それがウィリバルトに幼い頃を思い出させた。
そしてエルフリーデに言われた事を考える。本当に自分は国王に子供として愛されているのだろうか。
けれども、エルフリーデの言う事が本当の事の様に思えてくる。
確かに、嫌ならば孤児院にでも入れて平民に落としてしまえば二度と目にする事はないだろうし、関わる事もないだろう。なのに公爵家に養子に出し、王太子の側近としてそばに置き、毎日登城させていた。そして今思えば度々、宮廷内の庭園で国王と出会っていた。それがもし、
「あ……ま、さか……」
ウィリバルトは呆然と呟いた。
「ウィリバルト殿下は努力家で、優秀なのです。ですから、不幸な者を生み出す方法を取らずとも、正攻法で王位を得られますわ。わたくしにお任せくださいまし。将来の王妃と望まれたわたくしの全霊を以てして国王陛下を説得し、ウィリバルト殿下を王位へと近づけますわ」
エルフリーデの言葉が元に戻り、ウィリバルトは寂しさを覚えた。
「……どうするのかわからないが、エルフリーデ、君を信じよう」
「ありがとう存じます、ウィリバルト殿下」
「その敬称はやめて欲しい。できれば貴女にはウィルと呼んで欲しいが」
「申し訳ございません、それは了承できかねます。ですが、確かにまだ貴方様は王族籍へ戻った訳では有りませんわね。ならば今まで通りアイゼンラウアー様とお呼び致しますわ」
予想通り、エルフリーデはウィリバルトを愛称呼びはしてくれなかった。内心では残念に思ったが、エルフリーデに対する愛しさは更に募った。
「わたくし、そろそろ食器を片付けて生徒会室に向かいますわね」
「ああ、私も片付けて生徒会室に向かうから、一緒に行きましょう」
ウィリバルトもいつもの状態に戻り、表情をいつもの無表情にすると、ベンチから立ち上がってエルフリーデの持ったトレーを取り上げた。
「わたくしがやりますわ」
「ここは男の私に任せてください。紳士として淑女にさせる訳には参りません」
「それなら、お願い致します」
少し困ったような表情で、エルフリーデがウィリバルトの意思を尊重してくれた。
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