第8話

 その二人の会話が途切れたタイミングで、ノックもせずに王妃が乱入してきた事でウィリバルトの思考も中断された。


「ヒルダ、王妃よ。ノックもせずに入室するなどマナーに反するぞ」

「でも陛下はわたくしが来なければ、エルフリーデをそのまま帰すつもりでいらっしゃったのでしょう? わたくしを仲間外れにしないでくださいませ」

「仲間外れなど。何を考えてそう思ったのだ。余はエルフリーデに、ただ学園のガーデンパーティーに参加した方が良いと説得しておっただけだぞ?」

「あら、そうでしたの? でも今聞き捨てならない事を仰られましたわね。エルフリーデがガーデンパーティーに参加しないとか? わたくしの聞き違いかしら?」


 当然の如く国王の隣に座った王妃は、扇で口元を隠しながらエルフリーデに細めた目を向けた。


「ええ。然しながら王妃殿下、先程までは欠席をしようと思っておりましたが、陛下からの説得も有りまして参加しようと考えを改めたところですの」

「それは良かったわ。エルフリーデ、忘れないでちょうだい。他国の王妃には権限がない事が多いでしょうけれど、この国の王妃とは、国王を補佐する存在なの。国王が間違えない為に常に国の行く末を見据えて国王に意見する立場なの。国王ほどではないけれど、王妃にもある程度の権限が与えられるのよ」


 王妃はそこで一度口を閉じて、隣に座る国王を一瞬だけ見遣った。


「だからこそ、王妃は我慢もしなければならない。貴女にこれを今言うのは躊躇われるけれど、言っておかなければ不平のもとになるわ」


 王妃はまたも口を一旦噤み、暫し躊躇する素振りを見せた。


「隠しておいても仕方がないから教えておくけれど、この国の国王は愛妾を持つ事ができるの。王妃はそれを拒絶できないわ」


 王妃の言葉でエルフリーデは愕然とした表情になった。


「かなり酷な事を言っている自覚はあるわ。でもエルフリーデなら理解できると踏んだのよ。貴女はわたくしが唯一認めた、この国の将来の王太子妃であり、将来の王妃となる存在。その辺の有象無象に遅れを取るなど許しませんわ」


 王妃は真剣な目をしていた。この国の王妃が、エルフリーデを将来の王妃として認めているという情報は、ウィリバルトを打ちのめした。

 王家はどうあってもエルフリーデを王家に取り入れるつもりなのだろう。だとしたら彼女はテオドールの妻になる未来しかない。

 嫌だという思いが湧き上がる。

 けれども、今は恋愛に現を抜かす時ではない、と理性の部分がウィリバルトを窘める。今は王位簒奪を目標にしているのだから、それに邁進まいしんすべきなのはわかっている。わかってはいても、感情の部分では嫌だと叫び出しそうになる。

 それをどうにかこうにか抑え込んだウィリバルトは、それでもエルフリーデへの想いを断ち切れない。


「ありがとう存じます、わたくしをそこまで評価いただけて恐悦至極に存じますわ。王妃殿下の期待に応える為にも、一層の努力をさせていただきとうございます」


 エルフリーデの返答は王妃の気に入った様で、扇から見える目は笑みをたたえた。


「王妃の期待に応える為にも、今日の学園のガーデンパーティーには必ず出席すべきだな。エルフリーデのエスコートはアイゼンラウアー卿ウィリバルト、其方そなたがするが良い」


 掛けられた言葉の内容に、ウィリバルトは一瞬息が止まった。


「それは、ご命令ですか?」


 声が震えてしまわない様にと努力し、そのウィリバルトの努力は実って平坦な声を出せた。

 国王を見る目には感情が出てしまっていないかと心配になるが、国王の顔を見るとその心配は無用だとわかった。


「其方が命令の方がいいと言うのなら、命じよう。ウィリバルト・アイゼンラウアー、エルフリーデ・アルナシェルのエスコートをしてガーデンパーティーへ参加せよ」

「ご下命、謹んでお受け致します。国王陛下の仰せのままに」


 ウィリバルトが慇懃に頭を下げたのを、国王と王妃が揃って痛ましそうに見ていた事など彼には塵ほども予想できず、またエルフリーデが国王と王妃のその表情を見ていた事も知る事はなかった。

 国王からの命令としてエルフリーデのエスコートを引き受けたが、ウィリバルトの心の中は歓喜と戸惑いと苦渋の感情が、混沌とした様相で入り混じっていた。

 そんなぐちゃぐちゃな内心を押し隠し、ウィリバルトはエルフリーデと彼女の侍女とともに王家が用意した馬車に揺られ、ガーデンパーティー真っ只中の学園へと移動した。




❐ ❐ ❐ ❐ ❐


 ガーデンパーティーの名が表す様に、学園の大庭園でパーティーは行われている。その中へ王太子の婚約者であるエルフリーデが、王太子の側近と見られているウィリバルトとともに現れれば注目を浴びるのも致し方ない。


「アルナシェル嬢。ガーデンパーティーに到着致しました。何か飲み物を持って参りましょう。何がよろしいですか?」


 殊更慇懃に話しかけると、エルフリーデは怪訝そうな顔を一瞬見せたが、すぐに綺麗な笑みを顔に浮かべた。


「ではりんごとリモーナの果実水をお願い致しますわ」


 エルフリーデをパーティー会場のあちこちに設えられたベンチに座らせ、ウィリバルトは飲み物と食べ物が載っているテーブルに近づいた。

 そこにいた給仕に、りんごとリモーナの果実水を注文し、自分の分のぶどうとリモーナの果実水を手に取る。

 りんごとリモーナの果実水を手渡され、ウィリバルトはエルフリーデの元へと戻る。

 足早にエルフリーデの元に急ぎ、彼女にりんごとリモーナの果実水を渡す。氷が入れられている果実水は、ちょうどよく冷えていた。

 りんごとリモーナの果実水は、りんご果汁を九十五パーセント、リモーナの果汁を五パーセントの割合で混ぜる。リモーナは酸味の強い柑橘類であるのだが、他の果汁と混ぜると酸味が甘みを和らげ、甘ったるい果汁が爽やかな飲みやすさへと変わり、年頃の少年少女の人気を博していた。


「ありがとう存じます、アイゼンラウアー卿」


 エルフリーデに礼を言われ、ウィリバルトは胸にチクリとした痛みを感じつつ口角を上げて微笑んで見せた。


「アルナシェル嬢のお役に立てるのなら、使いなど取るに足らぬ事ですよ」


 アイゼンラウアー卿などと他人行儀に呼ばれる事が苦しい。彼女には愛称であるウィルと呼んで欲しいのに、エルフリーデは完璧な淑女だから、許しも得ずに愛称呼びなどする筈もなかった。

 じりじりとした焦燥感がこみ上げかけるのを押し込め、ウィリバルトは距離を取る。王太子の婚約者であるエルフリーデに変な噂が立つのは、ウィリバルトにとっては到底許せない事であるから、本当は近くに腰掛けたいのを我慢して『護衛』としての距離を保ち、腰の後ろに両腕を回して足を軽く開き、完全に『護衛』の様子を見せた。今までもエルフリーデや王太子の『護衛』の一人として周囲を警戒していたウィリバルトを、少しも疑うような者はいないようだった。

 そうして五分ほど経った頃だろうか、エルフリーデに話しかける少女がチラホラと出てきた。

 エルフリーデは楽しそうに彼女らと話している。笑みは綺麗に作られたものだが、時折見せる笑顔は作り物ではなく本心からのもので、それがウィリバルトには酷く眩しく思えた。

 彼女の気配には気を払いつつ、ウィリバルトは会場を注意深く見回す。

 遠くに王太子テオドールと、噂になっている子爵令嬢が見え、王太子は人目も憚らずにその令嬢の腰に腕を回していた。

 それを見て呆れると同時に苛立ちを覚える。

 エルフリーデが王太子の婚約者として将来の王太子妃に、いては王妃となる様必死の努力をしているのを側で見ていたウィリバルトとしては、婚約者を蔑ろにしている王太子に対して怒りを覚えてしまう。

 自分ならエルフリーデが婚約者なら絶対に他に目を向けないのに、と考えて、自分の諦めの悪さに溜息が出る。

 王太子と彼に纏わりつく女狐にイライラしつつ、他も慎重に見回した。

 するとどうだろうか。王太子と女狐の方を見る令嬢たちの視線が冷たい事に気がつく。そして男子学生にも二人を見つめる目が冷たい者が多い事が窺えた。

 これは収穫だな、とひとまず安堵する。彼らの様子を見れば、近い将来、王家と王太子相手に事を構えようとするウィリバルトに味方してくれる家も少なからずありそうだった。












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