第6話

 日々を勉強と鍛錬で過ごすが、ウィリバルトの視線はどうしてもエルフリーデに向かってしまう。


(自分で諦めると決めたのに)


 内心で自分自身に苛立つが、こればかりはどうしようもない事のようだった。自分に付いている従者は子爵家の三男で、その従者が言うには好きな女の子からは目が離せないのだという。ならば自分もそうなのだろうが、今はそれどころではないと自身を叱咤し、益々勉強に鍛錬にと打ち込んだ。

 そんな日々ではあるが、学園にいる間は生徒会の仕事の事務処理がある。

 昨年の半ばからずっと、テオドール王子は生徒会長としての仕事を嫌がり、必要最低限の、会長の最終処理が絶対的に必要なもの以外を、副会長であるエルフリーデと会計であるイアン、書記であるジョアンとウィリバルト、そして役員補佐であるコンラッドに丸投げしている状態だったのだが、秋にはコンラッド、冬に入ってからジョアンも生徒会室には姿を見せなくなり、生徒会の業務の殆どはエルフリーデとイアン、ウィリバルトに伸し掛かっていた。

 エルフリーデは生徒会業務の他に、王太子の婚約者としての公務も増えてきているし、元より王妃教育も忙しい。

 睡眠を削っているようで、日に日に顔色が悪くなっていくのが心配だった。それを指摘しても、エルフリーデは「完徹経験がいくらでもあるので寝不足くらいでは倒れません」と訳のわからない事を告げてくるだけで、相変わらず顔色の悪いままだった。


 王太子の振る舞いは直る事がなく、生徒会の事務処理も煩雑で忙しいが、ウィリバルトは将来の国政を、それも最終決定権を担う事になるのだから、生徒会業務で音を上げる訳にはいかないと、黙々と処理を続けていた。

 そんな六月初頭のある日、エルフリーデとイアンが並んで廊下を歩く姿を目にした。ウィリバルトの心臓が大きく跳ねる。

 なぜイアンと一緒に歩くのか、という思いが心の内に渦巻く。


(まさかイアンと、そういう仲なのか⁉)


 そんな素振りは見えなかったのにいつの間に、と愕然とする。イアンを殺してしまいたくなる程の激情を抑え込み、二人の後をつけていく。

 二人は学園の生徒会室の中に入って行った。二人とも生徒会の役職を持っているから、何らおかしな事ではない。ないのだが、一緒に入るのが少しばかり不自然に思えた。

 そっと近づき、生徒会室の扉に耳を当てる。会話は殆ど聞こえなかった。それが余計に苛立つ。イアンを殺したくなったが、目を瞑ってその激情を抑え込む。

 嫉妬する権利など、自分にはないとわかっているのに、エルフリーデとイアンが一緒にいるというだけでイアンに対して嫉妬と怒りが湧き上がってくる。けれどもそれを表に出してはいけないという理性は残っているから、無理やりその激情を抑え込むしかなかった。

 時々聞こえるエルフリーデの「イアンは大事」「未来の宰相」「心配している」という言葉が、イアンがエルフリーデの特別だと知らせているようでウィリバルトを苛む。


「貴方ならやれます。イアン、自信を持ちなさい。わたくしが貴方を助けます」


 その言葉がはっきりと聞こえ、ウィリバルトは青褪めた。奥歯を噛み締め、きびすを返して足早に生徒会室から離れる。


(エルフリーデは本当はイアンの事が好きなんだ。俺の事は何とも思っちゃいないのか)


 絶望的な気持ちで生徒会室の前から離れたウィリバルトには、彼女が発した「未来の宰相閣下が毒牙にかかるとこの国の未来がないのです。既にマイネル様とキュンベル様が籠絡されていて、殿下も落ちかかっています。国を暗礁に乗り上げさせない為にも、貴方がしっかりしてくださらないと」という言葉を聞き損ねていた。

 





❐ ❐ ❐ ❐ ❐


 暫くのち、王太子の噂が学園内に密かに広がる。その内容は、王太子がレーリヒ子爵令嬢と恋仲だというものだった。

 そんな中、ついに王太子が夏季休暇の前のガーデンパーティーの方に参加するから公務には行かないと言い出した。

 内心、小躍りしたい気分だった。時々、テオドール王子からエルフリーデに対する愚痴を聞かされ、内心では何度も剣で彼を切り刻みながらも表情には出さず、ならば他の少女と気晴らしをするのもいいのでは、とそそのかしてきた甲斐があったとほくそ笑む。

 エルフリーデが王子に対して王族の務めと王太子の義務を説いているが、テオドール王子がそんな事で改心などしない事は明白だ。

 あとはどのタイミングでウィリバルトが王太子の代理をするとエルフリーデに伝えるか。

 無表情を装いながら、ウィリバルトはそんな事を考えていた。

 数日後、宮廷からの使いが来たとウィリバルトは学園の応接室に呼ばれた。中に入ると、エルフリーデの姿もあった。歓喜と苦渋の感情が去来する。

 エルフリーデの向かい側のソファには、宮廷からの使いと見られる壮年の男が座っていた。その男は不必要に偉そうな空気を作っていた。


「遅れてしまいまして申し訳ございません」


 そう言いながらウィリバルトはエルフリーデの隣に拳二つ分くらいの間を空けて座った。


「ウィリバルト・アイゼンラウアーです。お呼びと伺いましたが」


 ウィリバルトが名乗ると、男は自分を王の勅使のフリッツ・ノイベルトと名乗った。ノイベルト伯爵家の縁者か、と頭の片隅に置く。


「ウィリバルト・アイゼンラウアー、七月十日に行われるストラ教国大使の歓迎昼餐会に、王太子テオドール殿下の名代として出席する事を命ずる。これは王命である」

「は! 謹んでお受けいたします」


 ウィリバルトは深々と頭を下げた。

 そしてすぐに頭を上げる。このタイミングでの王太子の名代は、おそらくクラウゼヴィッツ宰相の計らいだろうと思われた。


「エルフリーデ・アルナシェル、王太子殿下の婚約者として七月十日のストラ教国大使の歓迎昼餐会に、王太子殿下の代理であるウィリバルト・アイゼンラウアーとともに出席せよ。王命である」

「ご下命、謹んでお受けいたします」


 エルフリーデが深く頭を下げるのを横目で確認しつつ、勅使を凝視する。

 そんなウィリバルトに、勅使は視線を向けた。


「アイゼンラウアー公爵家のご令息であれば、王家の血を引いています。王族ではありませんが、ブリギッテ様のご子息であれば、王太子殿下の代理を任せてもいいだろう、というのが国王陛下のご判断です。陛下と我が国の恥とならぬ様、歓迎会の場では発言と行動に注意する様に」


 その言葉の端々に、僅かな侮蔑と敵意を感じ取る。フリッツ・ノイベルトは敵だな、と頭の中で敵リストに入れる。


(だがノイベルト伯爵家一族が全て敵なのかはまだ見定める必要がありそうだ)


 フリッツ・ノイベルトがノイベルト伯爵家の縁者であっても、直系なのか傍系なのかで扱いは変わる。単に分家の出なら、事が成就した暁には本家に処分させればいいが、本家筋の人間ならば家の意向とも取れる。


(その辺はまだまだ情報収集が必要そうだ。だが敵対しそうな家が知れただけ幸運か)


 ウィリバルトは再度頭を下げつつ答えた。


「王家の血を引く者として、陛下と国の恥にならぬ様、言動に十分注意致しましょう」


 勅使は国王の代理であり、伯爵家の縁者とはいえ敬意を払わなければならない。僅かとはいえウィリバルトに敵意をぶつけてくる相手に敬意を払う振りをしなければならない事に苛立つが、今は雌伏の時で我慢すべきだと、その苛立ちを飲み込んだ。

 頭を上げると、勅使の優越感漂うニヤケ顔が目に入ったが、それも一瞬の後には尊大そうな表情に変わった。

 その表情を見て、自分が玉座に就いたらこの様な虎の威を借る狐はことごとく排除しなければ、と心の中のリストに記した。


「当日は午前九時には王城に来てください。アルナシェル嬢は復習がてら、アイゼンラウアー卿には付け焼き刃ではありますが、ストラ教国の文化や産業などを覚えて頂きます。アイゼンラウアー卿、共通語は話せますか?」

「共通語の会話は不自由しません。それと、ストラ語も、簡単な日常会話程度ならなんとか。さすがに専門的な内容は無理ですが」


 アイゼンラウアー公爵の『周辺国の言語を覚えておくのは公爵家の継嗣として当然だ』という方針の元、殆どアイゼンブレヒト王国と言語体系が変わらない隣国リーゼンブルシュタット公国の言葉以外、隣国三ヶ国と近隣国四ヶ国の言葉をウィリバルトはほぼ網羅していた。もちろん、日常会話程度ではあるが、専門的な内容なら共通語と言われるハイデリア語で行えば充分である。


「ストラ語を話せると⁉」

「公爵家の方針で、この国の周辺七ヶ国と共通語のハイデリア語を覚えさせられました。ハイデリア語はアイゼンブレヒト語と遜色なく話せます」


 勅使の目が僅かに見開かれ、次いで不機嫌そうな表情に変わった。


(公爵家の教育で周辺国の言葉を習っているとは思ってもみなかったのだろうな)


 言語を学ぶ際に、相手国の事を習うのはこの国の貴族の教育では常識だった。だから、ウィリバルトがストラ語を話せない前提で組まれた当日の午前中の学習計画は、簡単に崩れる事になる。


「……では、アイゼンラウアー卿も復習がてらで良さそうですな。それならば、お二方には午前十時に登城していただきましょう」


 フリッツ・ノイベルトが不機嫌そうな表情のまま、ウィリバルトに時間を告げた。


「承知致しました。七月十日午前十時に登城致します」

「遅刻なさらぬよう注意召されよ」

「重々心得ております」


 ウィリバルトが答えると、フリッツ・ノイベルトはソファから立ち上がった。


「では私は城へ戻ります」


 ウィリバルトが何かを答えるよりも早く、勅使は応接室の扉を開けて外へ出ていってしまった。扉が大きな音を立てて閉められる。

 ウィリバルトは慌てて立ち上がると、エルフリーデに「お手をどうぞ」と手を差し出した。そのついでに、魔術で扉を少しだけ開ける。

 早急に応接室から出なければ、昼日中から男と密室に二人切りだったとエルフリーデに悪評が立つ。

 エルフリーデが立ち上がったのを見て、ウィリバルトはゆっくりと歩き出した。


 扉を押して大きく開き、廊下へと進み出る。そして自然に見えるように気をつけながら手を離した。


「アルナシェル嬢、私は少し生徒会室に用事があるので、先に教室に戻って頂けますか?」


 用事などないが、エルフリーデと一緒にいるとウィリバルトの心が保たない。

 苦しくて、哀しくて、でも嬉しくて、幸せで。

 正と負の感情が忙しなく入れ替わり、混乱してしまう。

 ウィリバルトが心を落ち着ける為には、エルフリーデから物理的に離れる必要があった。

 だが、離れるのも哀しくて苦しい。彼女の姿を目に映せない事が酷く寂しく思えた。

 自分の心を押し殺し、この気持ちを墓場まで持っていくのは簡単だと思っていた。

 それなのに、実際は顔にこそ出してはいないだろうが、心はエルフリーデを求める。


(なんて女々しい)


 ウィリバルトは自分で自分が嫌になった。ここまで女々しいとは思わなかった。ここまでエルフリーデに執着するとは思わなかった。

 けれども、どんなに執着したとしてもエルフリーデは彼のものにはならない。彼女は王太子テオドールの婚約者なのだから。


(テオドールは何もかも俺から奪っていく。ならば、奪われたものを取り返せばいい。取り返したって悪くない筈だ)


 こう考えるのは何度目になるだろうか。

 エルフリーデの答えを待たず、ウィリバルトは教室とは反対の方角にある生徒会室へと足を向けた。

 エルフリーデが一瞬怪訝そうな顔をしていたのが見えたが、ウィリバルトが彼女から離れたからか、後ろからは彼女が教室に向かった気配がした。

 そのまま生徒会室まで行き、中に入って扉を閉めたあとに扉に凭れかかった。

 口を開けて大きく息を吸い込み、胸の中にわだかまった諸々の苦い想いを少しでも軽くしたくて思い切り吐き出した。

 だが、そんな事ではエルフリーデに対する焼ける様な想いも、本当の親に対する鬱屈した思いも、テオドールに対するどす黒い思いも、全くと言っていいほど消えてくれない事など始めからわかってはいた事だった。

 頭を二、三度振って、とりあえず今だけはその考えから離れた。

 昼休みに呼ばれたから、もうすぐ予鈴が鳴る。早く教室に戻らねば、と生徒会室から出た。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る