第5話

 三年生になると、エルフリーデは公務で外す日も多くなった。

 エルフリーデの姿が見えないと、ウィリバルトは寂しく思うようになった。エルフリーデを見ていると胸が苦しいのだが、いなければいないで寂しさが募る。どうしようもない想いを抱えているウィリバルトには、テオドール王子がエルフリーデをぞんざいに扱う事が許せなかった。

 公務で丸三日、エルフリーデの姿を見なかった時には、焦燥で胸が潰れそうだったがその後元気な姿を見て心底安堵した。


 義父に王位簒奪の決意を話してから二月ふたつき後の五月半ば、義父から呼ばれて応接室に入って驚いた。

 そこには王国の三大公爵家が揃っていた。

 ウィリバルトの義父であり、法務大臣を務めるアイゼンラウアー公爵ローレンツ。

 イアンの父であり、宰相であるクラウゼヴィッツ公爵エトムント。

 そしてエルフリーデの父であり運輸大臣、そして間諜組織を抱えるアルナシェル公爵コルネリウス。

 三大公爵が揃うとは何事かと警戒する。

 そんなウィリバルトをローレンツは苦笑しつつ招いた。

 警戒しながら近寄ると、ここに座りなさいとローレンツの隣を勧められた。

 緊張しながら座ったウィリバルトは、様子がおかしかったら即座に対応できるように、魔力を練り始めた。


「緊張するなと言う方が無理か。大丈夫だ、ウィリバルト。クラウゼヴィッツ公爵もアルナシェル公爵も、我らと目指す先は同じだ」

「ウィリバルト殿、いや、ウィリバルト殿下と申し上げた方が良いだろうか」

「……宰相閣下、私は表向きはアイゼンラウアー公爵家の長子です。テオドール王太子殿下の従兄に過ぎません。ですから、公爵家の息子に対する言葉遣いと態度で結構です」

「ではウィリバルト君と。君の秘密を知っているのは陛下と王妃殿下、それに私とアルナシェル卿、他数名。皆、口が固くてが高い者たちだ。その我らがずっと王太子殿下を見ていて何も感じなかったと思うのかね? 答えは否だ。私もアルナシェル卿も、何かあれば王太子を君とすげ替えるつもりでいた。アイゼンラウアー卿は渋っていたがな」


 ウィリバルトは内容を聞いて驚いた。彼が計画しなくても、裏ではそういう事になっていたらしいと聞き、複雑な思いに囚われる。


「もちろん、君の賛同が得られなかったらこの計画は実行しない予定だった。だが、思ったより早く君が自分であの愚か者の王太子を追い落とすつもりだと聞いて、私は胸を撫で下ろしたぞ」


 宰相の言葉に、戸惑う自分がいた。

 なぜそこまでウィリバルトの評価が高いのか、彼自身には心当たりがない。


「ウィリバルト君。君の事も監視していたのだよ。王太子の側近だからね」


 宰相の隣に座っていたアルナシェル公爵が、何でもない事のようにさらっと告げる。

 その内容にウィリバルトは動揺し、僅かに眉がピクリと動いた。だがすぐに平静さを装う。

 宰相クラウゼヴィッツ公爵は感心した様にウィリバルトを見た。


「その年齢で表情を大きく崩さないとは。これは逸材だな」

「まだ若いが、なかなか肝が据わっている。我が家の『影』たちも、座学や武芸、魔術の勉強に非常に努力していると褒めていた」


 アルナシェル公爵がそう褒めると宰相がアルナシェル公爵の方を向いた。


「そんなにもか」

「今は相当頑張っていると報告を受けている。彼の学園での座学の総合順位は一位だそうだ。エルフリーデは総合二位。王妃教育を受けた者を抑えての総合一位なのだから、相当優秀だと判断していいだろう。ちなみに王太子殿下は総合では十五位。王族としては不甲斐ない成績だと言わざるを得ない」

「ほう。さすが王位を狙うと宣言するだけはあるな。それに比べて殿下のなんと不甲斐ない事よ。王位継承者は学園での総合順位は五位以内と目標設定されているというのに」


 宰相がわざとらしく嘆いてみせているさまへ、アルナシェル公爵が呆れた目を向けていた。

 ウィリバルトは話の流れから、三大公爵家が全て、彼が王位を狙う事を受け入れ、且つ後ろ盾となる事を了承したのだと判断し、体に入っていた力を気付かれないようゆっくりと抜いていった。


「とりあえず、準備は秘密裏に行うのは当然として、アルナシェル卿、ウィリバルト君の方は監視から護衛に体制を変えてもらおうか」

「既に護衛体制に変えている。王太子殿下の方は引き続き監視していく。あと、気になるのがレーリヒ子爵家の令嬢だな。学園での振る舞いの噂は聞いているか、ウィリバルト君」

「彼女の噂は嫌というほど聞こえていますよ、アルナシェル閣下。婚約者のいる男子学生に次々と声をかけていて、婚約者との仲を割くと。ご令嬢方は非常に不愉快そうで、男子学生も大半は眉をひそめていますね」

「大半。半数は超えていても殆ど、ではないのだな。それでも由々しき問題だ」


 ウィリバルトの返事を聞いて、宰相がその柳眉を顰めた。


「彼らの親世代の質の低下が原因か。他にも、弱いながらも派閥が形成されているからそれも要因の一つだろうが」


 アルナシェル公爵がやや呆れた様にこぼす。


「派閥ができ始めているのか?」


 クラウゼヴィッツ公爵が問いかけると、アルナシェル公爵が頷いた。


「今のところ王太子派が最大派閥ではあるが、王妹の子であるウィリバルトを押し立てようというウィリバルト派というものができつつある」

「なんの冗談だ、それは」


 義父ローレンツの声が嫌そうに紡がれるのを、アルナシェル公爵が肩を竦めていなした。


「私に聞かれてもね。王妹殿下がアイゼンラウアー公爵家に降嫁した事実と、そこに生まれたウィリバルト君がのも事実だろう?」

「……だが、王太子殿下にはまだ何の瑕疵も「君はウィリバルト君から聞いたのだろう? 殿下が、たかが生徒会の仕事すらいとうて周囲に処理を押し付けているのを」」


 クラウゼヴィッツ公爵が途中でローレンツの言葉を遮った。


「王太子殿下が学園を卒業なされたら、陛下が担っている国政の一部を任される事になっているが、学園の生徒会の仕事すらいとうようであれば、それは十分に王たる資質に相応しくないと言えるだろう。宰相としてはそんな者に王国の将来を委ねたくはないね。それから学園の生徒たちも馬鹿ではない。王太子殿下の振る舞いを見てウィリバルト君のように親に報告しており、その中の一部がウィリバルト派を形成しつつあるのだろうさ。我らがそこに噛むかどうかは彼らの思惑を知ってからだが、少なくともそれを我らの都合の良いように利用はできるだろう」


 クラウゼヴィッツ公爵が両膝に肘をつき両手を組んでそこに顎を乗せ、底の知れない笑みを顔に湛えて言った内容は、流石に国政を動かす宰相だと感心するとともに背筋にひやりとしたものが走ったのも事実だった。


「……宰相を敵に回すとは、王太子殿下は本当に愚かだな」


 諦めた様に呟く義父、アイゼンラウアー公爵ローレンツが、ソファの背もたれにもたれて溜息をつく。


「我ら、いや、王国にとって幸いだったのは、ウィリバルト君の存在だな。愚かな王を戴かなくても済むのだから」


 宰相クラウゼヴィッツ公爵が、どこか楽しそうに言うのを、アルナシェル公爵が呆れたように見つめた。


「エトムント、君は賢いが時々暴走する嫌いがある。王国の将来をかけているのだから、楽しむ様な姿勢はいただけない」


 アルナシェル公爵がクラウゼヴィッツ公爵にそう苦言を呈する。


「はっ! 王国の存亡をかけるからこそ、最後まで楽しまなくては損だとは思わないのか、コルネリウス?」


 それに対してのクラウゼヴィッツ公爵の返答を聞いたウィリバルトは驚く。

 いきなり親しい者同士がする会話の様子に、ウィリバルトは戸惑うしかなかった。


「二人とも、公人の仮面を外すのが早すぎだ。ウィリバルトが戸惑っているぞ」


 ローレンツの苦い顔に、二人は肩を竦めてソファの背もたれに凭れた。


「でだ、ウィリバルト君。王太子殿下の振る舞いは確かに王たる資質に欠けるが、まだ決定的な瑕疵とは言えない。だからこそ君にはもう少し頑張って貰わねばならぬが、その辺の覚悟はあるかね?」


 クラウゼヴィッツ公爵からの問いかけに、ウィリバルトは背筋をただした。


「もちろん、ありますよ。生半なまなかな覚悟で王位簒奪を企む訳ではありません」


 ウィリバルトの返答に、クラウゼヴィッツ公爵とアルナシェル公爵が満足そうに頷いた。


「ならば、レーリヒ子爵令嬢に気をつけろ。彼女は段々と権力を有する高位貴族に近づいている。君は王妹の息子であり、三大公爵家の一角を担うアイゼンラウアー公爵家の嫡子だ。だが、おそらくは君かクラウゼヴィッツ公爵家のイアン君、キュンベル伯爵家のジョアン君、或いはマイネル伯爵家のコンラッド君を足がかりに王太子殿下に近づくと思われる。既に我が家の影からは、コンラッド君とジョアン君が陥落していると報告を受けてはいるが」


 アルナシェル公爵が出してきた情報に、ウィリバルトは肩を竦めて言った。


「私は男漁りをするような女は嫌いですよ」


 その言葉に、三公爵は吹き出す。


「その言葉が嘘で無い事を祈るがな」

「私は息子を不誠実な男に育てた覚えはないぞ」


 宰相の言葉を受けて、ローレンツが不服そうに返した。


「レーリヒ子爵令嬢の手管がな。まるで熟練の女諜報員のようだとの報告が上がっているのだ」


 そう言って、アルナシェル公爵が女諜報員の説明をする。曰く、対象に近づいて甘言を弄し、信用を得て自分の味方をさせるとの事。

 ウィリバルトの額に皺が寄る。


「そのレーリヒ子爵令嬢とやらは、他国の女諜報員だと? レーリヒ子爵家自体が他国に籠絡されていると?」


 だとしたら一大事であり、即座に捕まえるべきだろう。

 ウィリバルトがそう提案したが、今は証拠もないから泳がせるしかないと言われ、不承不承、承諾した。


「あと君が頑張るのは勉学だな。それから剣術・体術は護衛に任せる領分だが、ある程度自衛できる力量は欲しいところだ。少なくともマイネル伯爵家のコンラッド君を負かすまではいかなくとも、時間稼ぎできるくらいの腕があると有難い」


 クラウゼヴィッツ公爵に言われて顔が引き攣りかけるのを、ウィリバルトは気力で抑え込んだ。

 剣術は確かに三位であるが、一位のコンラッドと二位の生徒の力量が隔絶しているのだ。それを同等まで持っていけと言われたのである。動揺を顔に出さずに済んだ事に内心安堵していた。


「それと、殿下がもしも公務まで厭うようなら、その代理を君がやれば周囲にはいい喧伝アピールになる。王家の血を引く者がいる、そちらに王国の未来を託せる、とな」


 クラウゼヴィッツ公爵の宰相としての言葉に、ウィリバルトは無言で頷いた。

 そういう機会があるのならば、自分が表に出る事を厭う気はない。「国王の甥」という立場は、今のウィリバルトにとっては利用すべきものだからだ。

 それに、公務の代理をするならエルフリーデと一緒に居られる良い口実になる。

 もしも許されるなら、自分が王位簒奪に成功した時に、彼女を手に入れる事ができるだろうか。

 そこまで考えて、ウィリバルトは内心自嘲した。

 彼女への恋心に蓋をして諦めると決めたのに、全く諦めきれていない。女々しいにも程がある。今は恋よりも自分がこの国の頂点に立つ為に努力する時期なのだから、脇目も振らずに邁進すべきだろう。

 自分を切り捨てた国王おとこに復讐する為、自分を要らないと切り捨てたその判断が間違っていたと、自分ウィリバルトの足元に跪かせる為に、恋などにうつつを抜かしている暇はないのだから。

 ウィリバルトは俯いて一度強く目を瞑り、細く息を吐いてから目を開け、膝の上に置いていた両手を強く握った。

 そして顔を上げる。


「テオドール王太子を追い落とし、私が絶対にこの国の頂点に立ちます。その為に必要な犠牲も厭わない。王権をこの手にする為には必要な事でしょうから」


 ウィリバルトはクラウゼヴィッツ公爵とアルナシェル公爵に宣言した。


「その覚悟や良し! 愚かな王では民が疲弊する。民の為にもテオドール王太子にはご退場願うとしようか」


 クラウゼヴィッツ公爵はこれ以上ないほど、楽しそうにウィリバルトの宣言を受け入れた。


「アルナシェル公爵家も、ウィリバルト君を全面的に支持しよう。今後、影の情報収集は君の有利になるように提供させて貰う」


 アルナシェル公爵の力強い言葉に、ウィリバルトは頼もしさを感じた。


「こちらは宮廷の掌握をしておこう。王太子派の弱みは既に握っているから、少しずつ掃除をしておかねばな。なに、大人しくしてくれれば酷い事にはならん」


 非常に愉しそうに計画を話す宰相は、やはり食えない人なのだと心に留めた。今後の為にも宰相を敵に回す事のないように気をつけるべきだろう。


「ならば……私は法務大臣として、法律上でも問題のないようにウィリバルトの補佐をしていこう」


 義父のローレンツが躊躇いつつもウィリバルトを立て、明確に現王家に対立する事を受け入れた。


「我らは王国の将来を憂い、愚かな王を戴かない為に協力する。王家の血筋は守られる。簒奪ではない」


 クラウゼヴィッツ公爵が宰相として発言した。


「我らが忠誠は王国へ」


 アルナシェル公爵が言う。


「我らが戴くは王家の血筋」


 アイゼンラウアー公爵、義父のローレンツが続ける。

 宰相が最後を締める。


「我らの目的は、愚王の戴冠を阻止する事。その為には多少の犠牲はやむを得ない。これより我らは時を待つ。時が来れば即座に動こう」


 義父であるアイゼンラウアー公爵とアルナシェル公爵、及びウィリバルトは頷いた。

 その時が来れば否が応でも激動の日々になる。ならば今のうちにやれる事をやろう、と静かに心を決めた。


努々ゆめゆめ悟られる様な行動は控える様にな、ウィリバルト君」

「わかっておりますよ、宰相閣下」


 そう答えたウィリバルトは、この四人での『会談』の成果に後日水が差されようとは思いもしていなかった。










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