世界中ナウオンエアー
唄で世界を救いたい
【1】
〜これは地球から日本が消えたあとの物語〜。
マグニチュード10.0、その数値は地球で起こりうる中でも最大の地震と試算されている。そのマグニチュードが突如、日本を震撼させた。
その最大級の災害は日本を海に沈め、世界中を絶望へと落とし込んだ。当時、バンドのボーカルだった響は運良く津波に巻き込まれず、救助隊に助け出された。
しかし響は生き残ったことを心から後悔する。それはなぜか。他のバンドメンバーは津波に呑まれ、自分だけ生き残ってしまったからだ。そんな絶望感に叩き込まれたのは響だけではなかった。辛過ぎる現実に命を断つ者、戦を始める者。次々に人が消え、全世界の人口はみるみる減少していった。
−−−あれからもう五年になるのか。
子供達の笑い声が遠くに聞こえ、響はヘッドフォンを傍らに置く。耳元を澄ませば、楽しそうな子供の声が響の耳を柔らかく包んだ。波が大きな岩に打ち付けられる音。海の粒が弾けて消える音。その音は夏の記憶を甦らせる。
脳裏に熱い記憶が蘇り、余韻に浸るよう砂の上に座る。
炎天下に晒された海はきらびやかに光っていた。響の目に太陽の光が当たり、暑い日差しに瞼の内側が赤くなる。空飛ぶカモメを眺めていると男が映った。男はにこやかな笑顔を見せながら、黄金の眉毛をおでこに寄せている。足元まで近寄り、サーフボードを片手に響の肩を叩く。
「泳ぐには最高の天気だね、響は楽しんでる?」
「うん。ジョルハーは...?」
「僕はもう最高潮さ。今日の波加減はちょうど良くてね。息がピッタリ合うんだ」
「そっか」
「じゃあ僕は第四ラウンドに行ってくるよ」
「気を付けて」
「うん、ありがとーヒビキ」
そしてジョルハーはまた海へと招かれた。彼はいつも危険とスリルを求める。海を乗りこなし、自然を自分のものにしているその姿。彼の行動は、いつも響に活力を与えてくれる存在だ。遠くなるジョルハーを眺めながら、心の底からそう思った。
子供達の笑い声は未だ聞こえる。響き渡る大小様々な声。その声は懐かしい日本の記憶と一致する。彼の心を揺さぶり、涙腺を刺激させる。
しかし溢れる涙を堪えた。涙を流すと全て零れそうな気がしたからだ。罪も、あの記憶も。
よくバンド練習を行っていたあの部屋は、残骸に変わった。週一で出演するラジオ放送局は鉄屑に変わり果てた。本来の光景を知っているのは、もう極一部しかいない。その重荷が響に重く伸し掛かる。
一旦深呼吸し、心を静めようと目を閉じた。ヘッドフォンを装着し、耳の奥底で子供達の声を聞く。子供に付き添う大人たちの声も並行して聴こえる。波の音も聞こえる。浜辺のオーケストラを聴きながら、響は夢の中へと誘われる。
このまま夢の中へと誘われていいかもしれない。身に任せようと身体を倒したとき、異変を感じる。
……一人の子供の音が途絶えた。
子供達の声を聞いていて、違和感は唐突に来た。響は体を起こし、子供達の数を数える。一人、二人、三人、四人、五人、六人、七人、明らかに足りない。子供の音が消えている。消えたのは声が高い女の子の声。
響はヘッドフォンを投げ捨て、海へと駆け寄った。広大な海が目前に迫る。
日本を呑み込んだ元凶、五年間今まで触れてこなかった海水が目の前に広がっている。波は縮小を繰り返し、響を手招きしているようにも見える。ずっとトラウマだった海が、あの避け続けた青が、また命を奪おうとしている。
響は大きく足を踏み込んで、砂に足跡を作る。
「今助けるからっ!間に合ってくれ!みんなは救助隊を呼んでほしい!」
響は服を脱いで、海へとダイブした。盛大な水柱が上がり、サーファーをしていたジョルハーも異変を感じる。
「ん?響....大変だ!」
不自然に泡が出ている箇所がある。女の子は絶対あそこにいる。
響の掛け声が伝わったようだ。救助隊が現れて、響を追うように海の中へと飛び込む。目の前に光る水と青、色とりどりの海藻。耳に伝わる自分の鼓動。光の筋があちこちに降り注いでいる。
冷たさと温かさの合間にあるなんとも言えない温度の海水を、響はただひたすらに掻き分けた。そして泳いで、泳ぎ続けて、響の視界は段々と朧げになる。感覚が消えていき、とうとう響は海の中で意識を失った。無意識の中、太陽に手を伸ばした。肌を擦りむかないように、血を出さないように。手を引っ張って、空気に触れようとした。
もう溺れているのか、死んでいるのか。自分の状態が分からない。そしてそのまま、響の酸素は底を尽きた。
…………そんな夢を見た。
息が苦しくなり、起き上がる。そこには何ひとつ変わらない日常があった。子ども達はみんないる、溺れかけている様子など微塵もない。太陽に晒し、焼けてしまった右手を庇うように上半身を起こす。赤く膨れたふくらはぎが目につく。蚊に刺されてしまっていたようだ。患部を触ろうと左手を持っていく直前、細い手に左手を掴まれる。
「かいちゃだめ」
軟膏を手渡され、響は「カーリー、ありがとう」と言葉を返し、クリームを塗った。徐々にかゆみが引いていくのがわかる。
「効き目凄くいい、こんなすぐ効果あるやつってあんまりないよね」
「そっかな?ヒビキが知らないだけじゃない?そんなことより...砂に足をめり込ませてみてよ」
「足を...?」
「うん、この湿った砂が私の足を揉んでくれるの。正直これだけで海に来た意味ある」
「そっかな...あぁ、うん、そっかも」
響も足をめり込ませてみた。湿った砂がドクターフィッシュのように足を治療してくれている。カーリーは微笑みながら、砂を擦っている。
「海で泳ぐより、こうして周りの景色を見るほうが好きなんだよね。色んな国の子どもたちが一緒になって遊んでてさ。それを見るのが好き」
「俺も一緒だよ。そして、大人もこんなふうになればいいのにな。ってずっと思ってる」
そう言って、響は綺羅びやかな海を見る。地平線の向こう、未だに人は傷つけあっている。
「でも、いつまで経ってもそうはならない。争い、互いを憎む」
圧迫するような胸の苦しみが、押し寄せる。カーリーは響の心を読み取ったのか、立ち上がると振り向いた。
「ちょっとだけ、あるこっか」
歩くたび、重心で砂が沈む。響の前を歩くカーリーは鼻歌を歌いながら、風に吹かれている。風はカーリーの髪や服を押したり引いたり、仕舞い込んだショールの縁を奪おうとしている。
塩気のある空気がそよ風になって、響とカーリーの足元にあたる。砂がはねて、二人の足指にかかる。彼女はかがみ、砂を払い除けると響に振り返った。
「息を吸って吐いて、その後思い切り笑い転げるの」
「え?どうしたのカーリー?」
「私って政治家の娘でしょ。だから、他人から『真面目』とか『規律正しい』だとか思われてるけど、私自身は全然そんな性格じゃない。むしろ、不真面目な方だって……勝手に思ってる」
「そうなのか?」
「うん、というかそう思われたい。固定観念をぶっ壊したいんだ」
「カーリーさんならできると思う」
「そう言って貰えて助かる。でも、どうすればいいんだろう。ユーチュー.....ーデビューとか」
「上手く言えてないよ、カーリーさんはネットを知るところからかな」
「不真面目さも足りてないのかもね。だからもっと、笑わなくちゃ」
「いや、笑うことが不真面目ってわけではない」
「ち、違うの!?」
賢さを演じる以上に、バカを装うのは難しい。
響は海の向こうを見た。地平線に差し掛かろうとする太陽が見えて、もうすぐ夕方になることをいち早く悟る。頭上を飛ぶ飛行機も着陸するようだ。航路を下げている。雲を刺し、穴を開けるその姿はまるで矢のようだ。
もう一度海を見てみれば、一際大きな波が石を巻き込んでいた。
海はトラウマだった筈だった。あの大地震の出来事で、海と関わるのは辞めた筈。
それでも何故か、響はビーチにいる。
「嫌いになれないもんだよね、海。響の全部を奪ったはずの海を....見つめている」
「なんでだろうな...」
「トラウマっていうか...未練がある?海に対して」
「海に対してか...」
響は最後の言葉を復唱し、あの夢を思い出す。子供を助けたい一心で海に飛び込み、無我夢中で泳いだ。繊細に覚えているあの映像通りの光景が、この海面に広がっているのだろうか。
「さっき、夢を見たんだ」
「どんな?」
「子供を助ける夢。子供が海に溺れて、それを俺が助けに行くんだ。全部覚えてる、海の温度も、どんな泳ぎ方をしたのかも」
響は砂に足を沈み込ませながら海に近寄る。砂の凸凹を歩き、砂に埋もれる木の枝を避けながら、人差し指を海水に付ける。夢より少し冷たく、小さな鳥肌が立つ。その途端、小さな波が中指を呑み込んだ。網目模様がキラキラ光り、海の線がサイダーのように弾け飛ぶ。
幾年ぶりの海の潮風に目が乾き、響は瞬きした。
「俺、海を泳いだことないんだ。経験はプールの中だけで、海は試したことがない。でももし、本当に夢の中みたいに泳げたのなら...」 「海ってさ、色んな感情が芽生えるよね。楽しいとか、心が落ち着くとか。でも、それとは逆に怖いとかさ。ネガティブな感情も抱いてしまう。凄いよね、海って」
「言われてみれば、こんなに感情を揺さぶれる自然は海だけなのかもしれない」
響は遠くを見た。海を乗りこなすジョルハーがいる。波を利用して一回転し、水飛沫を上げながらサーフボードを海に叩きつける。
体格の大きさからは考えられないような身軽な動きで、彼は又も一回転。アクロバティックな回転にカーリーは思わず手で拍手し、響は目を丸くする。芸術的な彼の身のこなしは、ビーチ全員の心をも掴み取った。
「俺も、ジョルハーみたいに」
ふと、言葉を溢した響の肩にカーリーは優しく手を乗せて、人差し指を立てる。政治家の娘らしからぬネイルがきらりと光った。不真面目だと思われたい、そんな彼女の心境は勿論彼女自身にしか分からない。
「ジュルハー、そろそろ帰ろう」
響は太陽に手をかざし、ジョルハーを呼ぶ。太陽の周りが赤い。そろそろ本格的に夕方へとなるだろう。カーリーも釣られるように大声で呼んだ。
「ジョルハー、戻ってきてー!もうすぐ夜になるかもー!」
「あとちょっと遊びたかったけど、それは今度の機会にってことかな」
「今日一日ずっとサーフィンしてたじゃん、まだ遊びたりなかったの?」
「勿論だよ、カーリー。ほんとうは四六時中サーフィンしたいぐらいなんだから」
「さすが海バカ。そんで夜は皆でパーティーするんでしょ」
「そうだよ」
「どこからその元気が湧いてくるの...でも、身体に悪い、早く寝なきゃ」
夕方の海を背景に三人組は歩く。カーリー、ジョルハー、響。響にとって彼らは新しい親友だった。そして、彼らも響を親友だと思っていることだろう。
突如、カーリーのスマホが鳴り響く。二人は音に気付かず、歩いていた。カーリーはそっと耳に当てると、丁寧な口調で話し掛ける。
「どうされましたか、お父様」
二人とは少し遠い距離で、声が漏れないように口に手を被せるカーリー。電話の向こうでは何やら怒鳴り声が聞こえており、只事ではないとカーリーは悟る。眉を曲げて返答を待つ。やがて男の声がスマホから流れた。
「カーリー、落ち着いて聞いてくれ」
「はい」
短く返事を行う。そして、男は深い溜息をついてカーリーに告げた。
「....この国は終わりだ。この国も日本同様に海へと沈む」
言われた意味が分からず、カーリーは口を半開きした。「え?」とすら言えなかった。言え出せなかった。思考停止して、砂浜にスマホを落とした。
「大丈夫か?カーリー....取り敢えず明日来い」
落としたスマホからの命令。カーリーは黙って従うしかなかった。
だって相手は政治家なのだから。
【2】
月の光が海に差し込み、海中に光のカーテンがゆらゆらと動いている。無規則な波の動きに翻弄される光は行き場を失い、やがて海底都市へと焦点を当てる。
その海底都市こそ日本。日本は沈み、海底都市へと成り果てた。ビルだったものには苔がびっしりと生え、沢山の海洋生物たちが住み着くねぐらと化した。
道路の白線を這うカニやエビの先には、民家と思われる建物が無惨にも破壊されている。
かつての面影はみじんも残っておらず、かろうじて原型をとどめている東京スカイツリーでさえ、ピサの斜塔のように斜めって、左半分は朽ち果ててしまっている。
その異様な絶景、日本人からすれば絶景とは程遠い醜悪な景色。メンバー達との大切な宝物が今も海深く、水深4000メートルに眠っている。
五年前。 日本で大地震が起きる前日、未来を知らない人間達が東京に蔓延っていた。少し離れた下北沢という地域には、レコーディングスタジオが沢山ある。その中の【レプコ】という名前を持つ薄暗い部屋に響達メンバーが入る。電気をつけると、既に見慣れている様々な楽器が広いスペースに置かれていた。ドラム担当の横根はホルダーに刺さっていた一組のスティックを手に取ると、スツールに腰掛ける。キックペダルを踏むと同時に、スキアを鳴らす。五月蠅くも小さくもない心地よいドラムの音が部屋を囲んだ。外の騒音は一切聞こえず、ドラムとメンバーの呼吸音だけが、この空間に音という彩りを与えている。
タム回しをする横根もなかなか様になっており、途中でスティックを一回転させる小技も魅せていく。
ベース担当の黒田はギターケースからエムアールジー(ベースギター)を取り出して、ピックを指の間に挟む。渋く低い音を二本の指で鳴らし、ドラム担当の横根と音を重ねる。
飲みかけのペットボトルの水が揺れて波紋を作る。無機物までもが音に乗っているようだ。響はその水を飲み干すと、いつもどおりの定位置に付いた。椅子に腰掛けて楽譜とメモ帳を開く。眼の前にマイク・スタンドを立てて、マイクを取り付ける。
ベースとドラム、二つの音を聞きながらペンを持つ。初のメンバー共同制作となる今回の新曲、メンバー達は今まで以上に気合を入れて臨んでいる。
響が歌詞を紙に書き、取り敢えず歌詞を口ずさんでみる。横根は【良い歌詞だね】と誉めるように、彼に向かってピースをする。
微笑んで頷き、また自分の脳内に入り込む。共感が得られそうなワードを頭の中で穿り出し、楽譜に当てはめる。
直球過ぎる言葉選びはせず、遠回しで自身の思っていること、考えていることを伝える。歌詞は添えるだけのものではなく、重要な味付けになる。曲の要となるサビ部分では強烈なワードを選び、聴いてくれる人達の耳に残りやすくする。
そうして二時間後、出来上がった歌詞を黒田に見せる。緊張の訪れる瞬間だ。やがて解き放たれた言葉に、二人はじっくり耳を澄ます。
「全体のセンスは本当に素晴らしいね、でもココだけ...ちょっぴり歌詞が選挙の演説っぽくなってるような」
「それは、俺が皆に伝えたいことなんだ。直球過ぎる言葉は選ばない、それも一理あると思う。でも伝えたいことは伝えなきゃ、何のために歌手をやっているのか分からない」
曲の歌詞は、漫画や小説の台詞とは違い、そこに音が乗る。テンポや声の出し方でも受け取られる印象はガラッと変わる。
「俺はこの歌詞を全世界に届けたい」
響の真っ直ぐな声は、黒田と横根に強く突き刺さった。
しかし、虚しい事にその歌詞が全世界に届く事は無かった。次の日、楽譜もろとも海に沈んでしまったのだから。
見てもいない光景が響の頭の中に思い浮かぶ。メンバー達が海に流される光景、横根と黒田が溺れながらこちらに手を差し伸べている。次第に大きな波がその手を拐い、悲鳴が海から聞こえてきた。
二人を救えなかった後悔は今も尚、響の全身に色濃く焼き付いている。
「はっ!?」
午前三時、夢にうなされて響は目を覚ます。鳥のさえずりより、虫の羽音の方が大きく聞こえてくる。天井には簡素な蛍光灯が取り付けられており、響は近くのスイッチを押して電気を付けた。携帯が鳴り、画面にジョルハーという文字が表示される。
「響、今皆でバーベキューやってるんだけど来ない?」
「いま深夜の三時だよ」
「言ってみただけ。でも楽しいよ。明日は花火大会をみんなでやるつもりなんだよね」
「花火か、日本の行事を取り入れてくれてありがとう」
「いえいえ、僕がやってみたいだけさ」
「それでも、みんなが日本の文化を知るきっかけになって。みんなの心に日本が残って。いつも思うんだ。このまま、日本は全世界に忘れ去られるのかなって」
「日本人は響だけじゃない、全世界に響のような避難民は沢山いる」
あのとき、色んな国が日本を助けてくれた。
全世界の船が集い、日本人を乗せた。その後、バラバラに離れた日本人は今も世界の何処かにいて、頑張って生きている。言語の壁はあれど、現地の人に助けられているのだ。
「ああ、そうだよな。ジョルハー、バーベキュー楽しみなよ」
「うん、あんがと。また明日」
「うん」
電話の向こう側からパチッという音が聞こえる。木材が焼かれている音だろう。響はその音を噛み締めながら、眠りについた。
【3】
朝、カーテンから漏れる光に目を覚ます。目を擦りながら、響は上半身を起こす。側には二つの写真がある。一つはメンバーとの写真、もう一つはカーリー、ジョルハーと三人で取った写真。その写真を見て、響はベッドから抜け出す。
窓のカーテンを勢いよく開けると、太陽の光が部屋中に広がった。天井に届くような背伸びをすると、キッチンに入り込んで料理を作り始める。
テレビのリモコンを付けると、丁度今日のニュースが流れる。あの大地震の被災者がインタビューを受けている、直後日本が無くなる瞬間の映像が流れた。ヘリから撮影したものだろうか、料理を作っていることも忘れ、響は手を止めて映像で釘付けになった。しばらくした後、その映像は止まる。次に各国の専門家の見解が始まり、災害の怖さを視聴者に叩き込む。
五年間。ずっと同じ話題を繰り返している。その度、響は言葉にならない感情を蘇らせている。しかし、その感情から目を背けてはならない。一日たりともそれらを忘れることのないように、響は毎日ニュースを見ている。
朝食を作り終えたとき、既にそのニュースは終わっていた。響は世界情勢の動向を見ながら、朝ご飯を済ませる。そして、身支度をしたあとテレビの電源を消す。
「僕らは人間同士。同じ生き物の筈なのにどうしてこうなるんだろう」
人は石を投げあい、お互いの命を削り合う。ただ種族が違うだけの筈なのに、まさかお互いがお互いを化け物と思っていたりするのだろうか。
人は賢くなりすぎたのかもしれない。
玄関のドアを開けると、猛暑が響を襲う。太陽に手をかざしながら、自家用自動車に乗り込む。すかさずキーを回し、エアコンを入れる。
サウナのように熱かった車の中が冷えていく。冷気が充満し、十分に涼しくなったところでハンドルを踏む。
少し進むと大きな湖が見えた。魚が跳ねている。色とりどりの石が散りばめられ、水面は透き通っている。響は音楽をかけて、綺麗な湖を通り過ぎていく。
流れてきたのは日本の曲だった。全編日本詞の曲が車全身を包み込む。
十年前、フェスで初めて聴いたときからこの曲に惚れた。
「今頃どうしてるのかな。生きているらしいけど、無事だといいな」
一度だけこの歌手とセッションをしたこともある。それは響の念願が叶った瞬間だった。
歌が終わりに近づき、大サビに突入する。響はボリュームを下げながら、最後まで聴く。
相変わらず良い歌だと響は思った。でも、響の心に空いた穴は塞がらなかった。
結局、歌で人は変われないのだろうか。
自分自身に問いかけながら、響は目的地に付く。駐車場に車を止めて外を出ると、気温の違いが響を襲った。目を顰めると、その視界の奥にジョルハーがやって来た。
「暑いねー、響。この暑さ、我慢できる?」
「残念ながら、我慢できそうにない」
「アハハハハ、そっか、そうか。昨日、というか今日。あのあと眠れた?」
「うん、バッチシ眠れた。ありがとうジョルハー。電話を掛けてくれなかったら、あの後眠れなかったよ」
「どう致しまして!んーじゃあ、今日もスパルタコースでかい?」
「ああ、よろしく頼むよ」
「オッケー!」
目の前に大きな施設が建っている。大きさには似合わない狭い出入り口を抜け、響達は施設へと入っていく。そして更衣室に入り、水着に着替える。続けて準備体操を入念に行い、やがて広々としたスイミングプールへと足を踏み入れた。
「んじゃ、僕はここで響の泳ぎを見る」
「ああ、頼む」
足の親指をプールの水に浸けた瞬間、夢の光景が浮かぶ。
このプールもかなりの広さがあるが、海と比べるとちっぽけな池のようなものだ。それでも、このプールを泳ぎ切ることに価値がある。小さな価値かもしれないが、価値は価値だ。
響は決心する。
体を折り曲げ、垂直に、水の中に飛び込んだ。完璧なフォームだった。彼を見た人達が歓声を上げ、ジョルハーは立ち上がって叫んだ。
「いいぞ、響!そのまま突き進め!」
多数の観客に見守られながら、響は反対側の壁を目指す。青しか見えない水中を切り裂きながら、一歩一歩ゴールへと前進していく。
あのとき、恐怖で身体が動かなかった。でももし今なら......。
タイムマシーンで過去に戻れるなら、メンバーやその他大勢を救えたのだろうか。
気付いたときにはもう響は泳ぎきっていた。ジョルハーは拍手で迎えた。
「おめでとう響」
「ジョルハー、そしてみんなのお陰だよ。ホントにありがとう」
今日はきっと人生で最大の思い出になるだろう、ジョルハーはそう心の中で確信を抱く。
その時だった。観客たちが響を囲んで胴上げした。いろいろな国のいろいろな人間が、たった一人の日本人をお祝いした。
「「「「「「「「「「ばんざーーーーーーい!!!!!!!!」」」」」」」」」
人間に国境なんてものはない。人間は人間だ。人間は地球という国境で結ばれているのだ。
【4】
突然、ピアノの音が大きな個室に流れた。カーリーはその音を聴きながら心拍を整える。目線を下に落とすと、鍵盤に触れた手の先に紅いネイルが輝いている。
カーリーはため息をつきながらネイルを隠し、天井を見ながら呟く。
「もう止められないの...」
存在感を発揮させているシャンデリアが答えるように点滅する。程なくして、彼女は鍵盤をなぞりながら即興曲を弾く。軽やかに白い板をカーリーの指がすべる。
淡く美しく、どこか儚げな音色がこの空間を幻想的な部屋へ変貌させる。その空間に導かれるものが一人、その者は彼女の父親だ。父親は部屋に入ると、向かい合うようにして椅子に座る。目を瞑り、娘の演奏に耳を澄ませる。ひとつひとつの音色に頷きながら、彼はやがて立ち上がりカーリーとの距離を埋めていく。
カーリーは父親が寄ってきたのを見て手を止め、反射的に赤い爪をグランド・ピアノの下に隠した。戸惑いを悟られないように父の首辺りを見つめながら、彼女は言葉をなんとか絞り出す。
「いかがなさいましたか、お父様」
「この国から逃げるんだ、カーリー」
「では、もう私達の故郷は...」
「戦は止められない、直に彼らは攻めてくるだろう。そうなれば、カーリーも無事ではすまない」
父親の目の下の隈が濃い。政治家という職に追われ、ロクに寝ていないことが見て取れる。更に、これから起きるであろう悲劇に臆してもいるようだ。手足が震えている。
「異論はないな、カーリー」
「……はい、問題ありません」
「よし。ならば今すぐ飛行機を手配させる...どうした、カーリー?」
父親は彼女に違和感を感じる。彼女は本心を伝えきれずにいる。本心は先程の発言と百八十度違う。響、ジョルハーに【この事実】を伝えなければいけない。それが本当の気持ち。しかし、父親は彼女の気持ちを許してはくれないだろう。それでも。結果が見えていたとしても、カーリーは思いを告げなければならない。そうしなければ、永遠と後悔することになるからだ。
「その、わたくしの友達にお別れの言葉を伝えたいのですが...」
口から絞り出した思い。しかし、思いは当然のように一蹴される。
「そのような時間はないと申したはずだろうっ!」
父親は鼻の穴を膨らませ、荒く息を吐きながら怒号を響かせる。カーペットを強く踏みしめるばかり、靴の跡が絨毯に残る。その後父親はカーリーを取り残したまま部屋から出た。部屋から出ると、とある男の声が左耳から飛び込んできた。
「今すぐに中止を提言します!考え直してください!あの大地震からがんばってきたじゃないですか!」
「もう我慢ならないんだ、次はこちらの国が海に沈むかもしれない」
電話から漏れる声を聞いた途端、父親は駆け寄り男から電話を取り上げる。受話器を耳に当て、虚ろな目で謝罪をする。
「こちらのものが過ぎた真似を...お叱りしておきますので」
それだけ告げると、電話を切る。
「どうして止めたのですか?」
「もう何度も抗議したんですよ、でも無駄でした。終わりなんですよこの国は。私は、娘を連れてこの国を出る.....ロイサー議員、貴方も生き残れるといいですね」
「国を担う人間が言う言葉ですか.....聞いて呆れる...カーリー様も嫌でしょうね、貴方みたいな人間が父親だと」
二人が言い合っているさなか、カーリーは部屋から忍び足で抜け出していた。既に太陽の下に出向いている。下から建物を見上げると、てっぺんにこの国の国旗が立っていた。カーリーは国旗を見ながら呟く。
「友達を見捨てるなんて、そんなこと私には出来ない」
もうすぐこの国で戦が始まる。その事実を伝えるべく、足を一歩先へと踏み出す。
もうじき影が長くなり、太陽の位置が変わる。それは夕方へと時間帯が変動する合図。カーリーは急ぐ。ギンギンに照らされる自家用車に乗り込むと、高級そうな服を脱ぎすてた。
「ほんとあっっつい!邪魔!」
そう独り言を溢したあと、エンジンをかけてアクセルを踏んだ。
焦燥感が募る。いつも目にする光景がまるで違って見えてくる。平和を象徴する子供達の遊んでいる姿さえ、今はどこか危なっかしい。
次第に見えてくるなだらかな傾斜を進み、目の前の赤信号を待つ。
カーリーを不真面目にしてくれたのはジョルハーだった。カーリーを元気付けてくれたのは響だった。野放しにすることなんて出来ない。
青信号に変わり、車を弾かせるように走らせていつも通うスーパーを通り過ぎた。
【5】
プールの帰り、響はジョルハーが所有するテラスへとご招待されていた。
照明はほのかな光を放ち、テラス全体の雰囲気づくりに貢献している。響は芝生を歩き、オレンジ色の椅子に腰掛けると半乾きの髪の毛を揉んだ。熱帯夜特有の風が肩を擦り、何となく上を向く。満月がそこにはあった。
その地球を照らす電球を眺めていると、響は肩の荷が下がったような気になった。いつも少し煩いと感じる蝉の音も、今は心地よい。
こんなに夏を満喫しているのはいつ以来だろう。響は過去を探りながら、満月を眺め続ける。
しばらくした後、木々の間からジョルバーが顔を出して響に近づいた。芝生に散らかるバーベキュー用品を避けながら、隣に座る。
「ほんとすごいよ響。一年前は泳げなかったんだから」
「努力したからできたんだ。人は努力すれば変われるんだよ。やっぱり...」
「努力も才能だと思うんだ。響には、その才能があったんだよ。僕だったら途中で諦めちゃうと思うから」
「サーフィンは?あの上手さは努力の証だと思うよ、ジョルハー」
「うーん、僕の父を真似ただけだからなぁ」
「それはもう立派な努力の一つだよ。その真似の中に努力がある」
ジョルハーやカーリーと過ごす時間は、響にとって大切なもの。別世界の人間と親しくしてくれたかけがえのない存在。この二人がいなかったら、今の響はなかっただろう。
他愛も無い話を続けていると、テラスの外側に車の明かりが付いた。明かりの元である車が姿を現し始める。かなりの高級車。カーリーの車だ。
「カーリー?こんな時間にどうしたんだろう?」
逸早くジョルハーが気づき、響が後に続いて気づいた。車から出てきたカーリーは、どこか寂しげな表情を浮かべている。そして肩をすくめたあと、車のドアを閉める。
まだカーリーはこちらの視線に気づいてないようで、足元のコンクリートを見続けている。
「様子、おかしいな...」
響は異変を感じ取り、カーリーの元へ早足で出向く。ジョルハーもただ事ではないと察し、響と隣合わせでテラスの外へと歩いた。
「あ...昨日ぶりだね」
足元まで歩き、カーリーはようやく顔をあげる。何かあったのは明白だった。響は力になりたいと思い、話し掛けた。
「何かあったの?」
「うん....今から話すこと、よく聞いてほしい」
カーリーは申し訳そうに頷いたあと、ゆっくりと事実を告げた。
「この国で戦が始まるの。もうすぐ違う国が攻めてきて、ここは戦場になる」
告げられた事実は、二人の心を悉く粉砕させていく。予測できない衝撃のニュース。ジョルハーは耳を疑った。響は無意識に言葉を漏らした。
「え?」
カーリーの言葉に二人は戸惑った。呆然と立ち尽くし、響は皆から貰った差し入れを床に落とす。それを拾いながら、響は再確認する。
「本当、なのか?」
「うん、本当」
カーリーから笑顔は消えていた。ジョルハーもおちゃらけることを忘れて、深刻な表情でカーリーを見ていた。そして、独り言のような小さな声量でジョルハーは尋ねた。
「どうにもならないの?」
「うん、もう駄目だと思う」
カーリーは頷く。絶望感を全面に出しながら。
その二人を見ながら、響は手のひらを握りしめた。全部無駄だったのだろうか、5年前してきたことは全て。世界から戦を無くそうとバンドメンバーを立ち上げたのは、全部無意味なことだったのだろうか。そんなことはない。響は自分にそう言い聞かせて、カーリーを見た。
「カーリー、俺は今日目標まで泳ぎきったよ」
突拍子もないことを言う響に、カーリーは頼りない笑顔を作る。
「言いたいことは分かるよ、努力すれば変われるってことだよね。でも、規模が大きすぎる。それに...」
「抗えばもっと過激になるかもしれないね」
カーリーの言葉の続きをジョルハーが繋ぐ。息がピッタリと合う二人に、響は居心地が悪くなった。目線を地面に向け、奥歯を噛み締めた。良い雰囲気だったテラスが今はどこか悲しげに見える。響は再び顔を上げると、二人を見ながら呟いた。
「ごめん、ちょっとだけ外に出てくる」
芝生に散らばったバーベキュー用品を避けながら、外に出た。外は涼しい風に溢れかえっていたが、涼しむ気には一切なれない。それどころか、遣る瀬無い気持ちが更に膨れ上がる。風に触発されたのか、脳裏にとある人の台詞が蘇る。
「歌で世界から戦を無くしたい?そんなバカな夢みるなよ。たかがバンドが世界を変えれる訳が無い。平和を願う奴の心は掴めても、平和を願わない奴の心は掴めねぇよ」
バンドをしていた頃、バンドのマネージャーが良く口走っていた台詞だ。響はその台詞を思い出しながら、地面に横たわるセミの死骸を見た。
「本当にその通りみたいですね、マネージャーさん」
独り言をこぼし、死骸を穴の中に埋める。手に付着した土を払い、響は何度もマネージャーの言葉をリピートした。繰り返していく度、響の心は深海へと誘われていく。
「やってきたことは全部、無駄だったのか...」
満月に呟いた。満月は輝きを保ちながら響を照らす。その満月は写真で見たあの時の月と一緒だった。その写真とは、戦時中に撮られたであろう一枚。その一枚が響をアーティストにしたのだった。
「そういえばそうだったな、あの写真が全てのきっかけだった」
その写真に心を動かされて以降、すぐさま音楽へとのめり込む。バイトで金を稼ぎ、ギターを買った。同級生からメンバー募集を掛け、集まった面子でバンドを組む。オリジナルソングを作り、文化祭では皆に披露した。その歌に歓喜し、涙を流す者もいた。当時の光景を思い出し、響の心には光が灯った。涙を流す...つまりそれは人の感情を歌で動かしたということ。
「こんなところで挫けるわけにいかないか」
人間は人間だ。同じ人間なら響の歌で涙を流させることだって可能なはず。響は肩を叩いて立ち上がり、心に決める。
「歌で人の心を動かす、それが僕にできること。そうだよね、黒田。横根」
海の底に沈むメンバーの名前を読んで、響はテラスへと舞い戻った。テラスでは未だに空気が戻っておらず、二人は黙り込んだまんまでいる。そこに響は割り込む。二人を視界に捉え、大声を腹から発した。
「ジョルハー、カーリーさん。実は、頼みたいことがあるんだ」
「「え?」」
二人は目を丸くして、先程まで意気消沈していた響を視界に捉える。響は生き生きと二人を交互に見渡しながら、言葉を紡ぐ。
「俺の勝手なお願いなのは分かってる。それでも、二人にしか頼めないんだ」
「何?ここから逃げてくれってこと?」
「いや、そうじゃないんだ」
ジョルハーの問いに響は手を横に振る。次にカーリーが言葉を発する。
「頼み...でも時間はないよ」
「うん、分かってるよ。でも...」
そして響は息を吸い込んで、二人に無理なお願いを頼み込んだ。
「バンドを組んでほしいんだ。俺と...。そして今度こそ、歌で世界を救うんだ」
響の口から解き放たれた言葉に、二人は口をぽかんと開けた。しかし数秒後には理解したのか、カーリーは優しく唇を噛む。
「ほんと、響って....」
彼女の言葉の後をジョルハーが紡いだ。
「最高だよね」
二人の反応に響の緊張がほぐれる。思わず座り込んだ。衝撃で椅子が揺れる。
「私、やるよ。やってみる。諦めてた、もうこの国は終わりだって、思いこんでた。駄目だよね。私は不真面目なんだから、そういうところも不真面目にならなくちゃね」
カーリーは言葉を詰まらせて言った。その後彼女の目に一筋の涙が流れる。無理をしているのがわかった。本当は怖くて逃げ出したい、という彼女の本心を響は見抜いた。響は足を一歩前に出して、カーリーを逃がそうと口を開けた瞬間。
「アッハッハッハッハッ!!!」
響の言葉はジョルハーの笑いに掻き消された。ジョルハーは満面の笑みで響を見た。
「僕もバンドやるよ。こう見えて昔、ドラムやってたから」
「ま」カーリーは咳払いした。「マジかいな」
「マジだよ、カーリーちゃん」
「カーリーちゃん!?そんなふうに呼んだことなかったよね」
「いいじゃないか」
「嫌ですぅーー」
カーリーは舌を剥き出しにして、テラスを走り回り始めた。相変わらず不真面目というのを履き違えている、でもそれがいいのかもしれない。と響は思う。響は無意識で笑みを作ると、拳を前に突き出した。
「俺たちがこの国を救う、この国の笑顔を守るんだ」
この第二の故郷を戦場なんかには絶対させない、響の覚悟は決まっていた。
二人も駆け寄り、響の拳に拳を合わせた。そして、手を大きく突き上げて三人は「オー!!」と掛け声を発する。
今この瞬間、テラスの雰囲気はもとのテラスへと戻った。満月がこの場を優しく包み込み、希望という光を大地に浴びせている。
恐怖の気持ちが無くなったわけでは無い、それでも三人は進まなきゃいけない。平和を取り戻す為に。
【6】
響はケースからギターを出して、数年ぶりに見た水色のボディーを撫でた。あのときは随分弾いたな、と響は昔を一瞬思い出す。カーリーとジョルハーも定位置に付き、それぞれ練習をし始める。カーリーはピアノ、ジョルハーはドラム、そして響はギター権ボーカル。正直もう触ることはないと思っていた楽器が今手元にある。五年前と一緒だ。響が作詞し、他二人がその間楽器を奏でる。
変わったのは楽器とバンドメンバーだけ。雰囲気、空間、何一つ昔と同じだった。響は懐かしい気持ちになり、寂しい感情を心に灯す。顔に感情が出すぎていたのか、カーリーは弾くのを中断して響を心配した。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。少しだけ、昔を思い出したんだ」
響はカーリーに向かって頷き、ペンを右手に持った。様になっている響の姿に、ジョルハーは「格好いいね」と褒めたあと言葉を続けた。
「ON AIRだったよね、バンド名」
「うん、そうだよ。よく覚えてるね、ジョルハー」
「でも初めて聞いたときはびっくりしたよ。まさかプロのロック・バンドだったなんて」
スネアを一回転させながら流石だねと言って、ジョルハーは再びドラムを叩く。プロ並みのセンスに響は頭を掻いた。本当にジョルハーは何でも出来るね、と脳内で褒めちぎる。
カーリーはその光景を瞬きしながら見ている。響は再び頭を掻くと、先程のジョルハーの言葉に応答した。
「そんな凄いもんじゃないよ。メンバーの黒田と横根の方が凄かったかな」
「へぇ、どう凄いの?」
「俺は....どっちかって言うとメンバーに引っ張られてたんだ。作詞のアイディアを考えてきてくれたり、フェスで躓いた時に横からボソっと励ましてくれたり....とにかく、俺の夢をサポートしてきてくれた」
話しながら響は書くのをやめ、ペンをキャップに直した。
「凄いんだね、やっぱ響は」とカーリーが言う。
急な肯定に響は首を傾げながら、彼女を見る。
「え...そうかな」
「うん」
カーリーは頷き、鍵盤を響かせながら続きを話す。
「だって、そんだけ愛されるのってなかなか無いよ。あと、本当にメンバーを引っ張っていたのは響じゃないかな。今だってそう。響がバンドを立ち上げようと言ってくれなかったら、私達はあそこで諦めてた。言ってくれたおかげで、私達は今こうしてここにいる」
カーリーはジョルハーの方に顔を向けた。悟ったようにジョルハーは言葉を繋げた。
「そうだね、カーリー。そのとおりだ」
二人の励ましに響は再びペン先に付いたキャップを引き抜いた。
「五人で創り上げよう、世界の心を動かす唄を」
本格的に三人は曲作りに動き出した。題名は『世界中ナウオンエアー』。全世界の人間に届いてほしいという想いを込めた名前。今世界が必要としているのは社交性、人と人との繋がり。そして共感。
カーリーは趣味で弾いてきた卓越なるピアノ伴奏を更に練り上げ、ジョルハーは持ち前のスキルでカーリーとセッションをする。始めの方はズレていた部分もあったが、一時間もすれば直ぐに二人は息を合わせ始めた。響もギターで参戦し、三時間後には三人はシンクロしていた。
歌詞作成に取り掛かる頃、外はもうオレンジのカーテンに移り変わっていた。ジョルハーは買い出しに行っており、今この場にいるのは二人だけ。
響は優しく弦を鳴らしながらカーリーを見る。
「あんなにすぐ合うなんて」
「五年も一緒にいるんだから、当たり前じゃない」
カーリーは背筋を伸ばしながら、固まった筋肉をほぐしている。交互に左右を捻って、体を椅子から少し浮かす。疲れているカーリーの様子に響は口を曲げる。
「ちょっとだけ休んでもいいよ」
「まぁ、お言葉に甘えたいんだけど...響は大丈夫なの?」
心配するカーリーに響は言った。
「僕はその後休もうかな。交代制でいこう」
響の微笑みにカーリーは微笑み返す。
「いやいや響さん、一緒に休もう。作業は三人でやった方がいいと思うよ」
カーリーの提案に響は頷く。
「それもそうだな」
そう言うと、響は引っ張られるように外に連れ去られる。外では太陽が半分だけ顔を出し、一日の終わりを告げている。眩い光に思わず顔をしかめる響の横をカーリーが並ぶ。そして横を向いて響の横顔を見た。
「私、響の歌好きだわ」
「カーリーのピアノも好きだよ。はじめて聞いたときから凄いってずっと思ってた」
「まあ、3歳の頃からやっておりますし」
腰に手を当ててカーリーは言った。
「ん、あれ?」響は目先に広がる公園の奥にジョルハーを発見する。
カーリーはすぐさま手を振り、響も釣られて手を振る。ジョルハーは笑いながら距離を詰め、響に手さげ袋を手渡した。新鮮な風が袋を揺らす。
「いいの買ってきたよ、響。夏の風物詩、花火」
「え!?」
袋の中には線香花火が三十本入っていた。響とカーリーは目を配らせた。響は質問する。
「こんなのどこで?」
「店主が日本好きでさ、分けてもらったんだよね」
ジョルハーは誇らしげに鼻の下をさすっている。そして一息つけた後、満足げな表情を浮かべてジョルハーは言った。
「でね、良い歌詞を考えたんだよ」
「へーどんな?聞いておこうかな」
カーリーが興味を示す。響も頷き、ジョルハーの方を向いた。
「俺も知りたい」
本当に知りたそうな顔だった。その顔を見たジョルハーは声を大にして思いついた歌詞を言った。そして公園に響いた恥ずかしい台詞に、二人は笑った。
その後、三人の練習は再開した。歌詞作りと演奏を交互に行い、着々と完成へと向かっていく。響の心拍数は150のあたりを彷徨っていた。五年ぶりの新曲、親友との共同制作。身体は疲れていたが、休む気にはもうなれない。黒田と横根の為にも、響は前に進まなければいけない。カーリーとジョルハーもこの国を救う一心で練習を続けていた。
しかし午後八時。遂にアイデアが尽きたのか、響はペンをキャップに直す。ほか二人もとうとう疲れが溜まりに溜まったのか、演奏のキレが悪くなっていた。響はその現状を見て一時中断と声を掛けようとした時、ジョルハーが先に声を発した。
「貰った線香花火、しない?」
粋な提案だった。すぐさま響は立ち上がる。
「この世界全員でやろう。ジョルハーの友達、カーリーの友達、皆でやろう」
響の言葉に二人は頷く。そして二人は携帯を取り出して色んな友達にメールをし始める。その間、窓を眺めてるだけの響。そんな響に気付いたのか、カーリーは声をかける。
「響は呼ばないの?」
「うん、そうだな」
そう言うと響も携帯を取り出した。
午後九時。公園に大勢の人が集まった。圧巻だった。皆一人一人が線香花火を持ち、小さな火花を地面に向けている。公園の隅、響はジョルハーに声を掛ける。
「ジョルハーはやっぱり、顔が広いね。こんなに友達がいるなんて」
「響にね、言いたい事がずっとあったんだ」
「言いたい事?」
「...僕の通ってた学校にはイジメがあった。肌の色が違うってだけで虐められて、言葉が喋れないってだけで蔑む人がいたんだ」
「ジョルハーにもあったんだ」
「響もあったの?そんなことが?」
「うん、小四の頃かな。別の国の子が俺の学校に留学してきてさ、次の週にはもう...」
「僕はさ、この世界から国境を無くしたいんだ。国と国の境目を無くして、全世界の人々が手を取り合って笑い会えるような世界にしたい....響、ありがとう」
「こちらこそ、一緒に手を取り合ってくれてありがとう。ジョルハー」
沢山の火花に囲まれながら、二人は手を握った。二人の間に境目なんてものはない、生まれた国は違えど友情という熱い想いに囲まれている。
「絶対に戦を止めさせよう!」
「勿論だよ、響!」
そして午後11時、響は宣言した。
「カーリー、ジョルハー、良い歌詞が頭の中に浮かんだ。あともう一息、完成させるんだ。俺たちの最高傑作を!」
【7】
翌日。たくさんの民衆に囲まれ、響たちは国会へと急ぐ。しかし無数の警察官に阻まれ、国会に侵入できなくなる。エントランスは直ぐそこにあるのに、辿り着くことができない。
響は一息つくと後ろの車から楽器を取り出す。そして思いきり弦を鳴らし、国会に音をひびかせる。音が鳴り終わったところでカーリーは言う。
「お父さん、話したいことがあるんです」
しかしカーリーの父親は現れない。変わりに別の政治家が現れ、響たちの前に立ちはだかる。
その政治家に響は言った。
「国と話をさせてください」
「一般人が首を突っ込むことじゃない」
「突っ込まなかったら、この国は終わるだけ。俺たちがそれを変えるんだ」
そう言って響達のバンド演奏が始まる。そして遂に耐えられなくなったのかカーリーの父親がエントランスから現れる。顔は険しく、怒っているようだ。
響は演奏を一時中断させると、カーリーを前に促した。
「お父さん...」
「何をやっているカーリー!昨日からずっと電話をしていたのに何故出なかった?今すぐ避難の準備をしよう」
「お父さん!」
カーリーは一際大きな声を発した。そして赤いネイルを父親に見せつける。
「私は諦めたくないの、諦めないって決めたの」
「逆らうのか?」
「うん、逆らうよ。お父さんの気持ちは凄く分かる。でも、私達の国が戦場になるのは耐えきれない」
そこまで言うとカーリーは元の位置に戻る。ジョルハーはカーリーに微笑み、カーリーも微笑み返す。そして響はふたりの交友を見ながら、一歩前に出た。
「お父さん、俺たちに力を貸してほしいんです。そのお国と...電話をさせてください」
「電話をしてどうなるのです?」
「その国でライブをしたい」
「ライブ....?」
「そうです、音楽の力で変えるんです。未来を...」
「馬鹿馬鹿しいにも程があります」
父親は呆れたように言うと踵を返す。しかしその父親の行動を、今度はジョルハーが止めた。
「待ってください」
「もう話は終わりです。カーリー、行きますよ」
もう話は通じないのだろうか。いや、何処かに突破口があるはずだ。響が模索しているとカーリーがアクションを起こした。
「クソ親父!」
「政治家に向かってなんだ!その口のきき方は!」
「私、お父さんとお父さんらしい事一切出来てない!私はこの国で!お父さんとお父さんらしいことをしたいの」
「......」
父親が沈黙したところをつき、響は言った。
「お願いします、今ここで...」
「はぁ....分かりました」
父親はそう言うと電話を取り出し、電話を掛けた。そして響に手渡す。
携帯が震えている。響の鼓動も緊張で震えている。そして携帯の向こうから声が聞こえ、響は携帯を耳に当てた。しかし開口一番、向こうの拒絶から会話が始まる。
「すみませんがお引取り願います」
「いえ、こちらは引きません。そちらの国でライブを行っても宜しいですか?」
「もしや、音楽で私達の心を変えられると?」
「はい、変えられると思っています」
「そうですか、ならいっかいだけチャンスを上げましょう」
「いいんですか」
「しかし、私達の心は変わらないでしょう」
「やってみせますよ。では、失礼します」
そう言うと響は電話を切る。遂にやってくるのだ。勝負のときが。息を整え、心を落ち着かせる。目を閉じて、インスピレーションをする。そして目を開けると響は二人に振り返った。
「ライブやろう!」
「やれるんだね」
「やったぞー響!」
カーリーとジョルハーはお互いを見ながら喜ぶ。響もその輪に入り、拳を合わせる。
その光景を父親は物珍しそうに見ていた。
「カーリー、いつから君はそんな生意気になったんだ。そんな不真面目に、何故自分を下げるようなことをするんだ」
「良いじゃないですか」
独り言を呟く父親に、別の政治家がそう言った。そしてその政治家は彼等を見ながら語った。
「最近の政治家関係者は皆堅苦しい、ちょっとはカーリーさんみたいのがいても良いのではないですか」
「ですが、あんなふうに育てたつもりは...」
「私はですね。彼等に諦めないことの大切さを気付かされました。お父さんも本当はもう気付いているんじゃ無いのですか?」
「いや、私は...」
「素直になりましょうよ」
「…………カーリー...無事に戻ってくるんだぞ..」
父親はカーリーの背中を見ながら呟く。隣の政治家は微笑んで、彼等に手を振った。彼等三人は赴く、戦を仕掛けようとしている国に。歌で世界を救うために。
【8】
僕らは同じ人間だったのに、どこから道を外したのだろう。人の撒いた種は何故こんなにも大きくなるのだろう。
楽屋で響は待っていた。外には音が響いている。1つ前のバンドが演奏を始めている音だ。ギターの音が聴こえ、ボーカルの煽りが皆を巻き込む。歓声が楽屋を包み込み、緊張が漂う。
「僕たちはどうやらサプライズゲストとして呼ばれてるみたいだね」
「ああ、だったら尚更俺たちの気持ちを伝えられる」
響の眼差しは透き通っていた。カーリーは「よし、やるぞ!」と自身を奮い立たせている。どこをみても男の人ばかりだったが、カーリーは気にもしていない。知らない言語が飛び交う中、ジョルハーは友達を作ろうと出演者に話し掛けだす。本当はとても怖い、響たちの演奏が心に届くか届かないかで故郷の命運が決まる。みんな緊張を必死に隠している。
響は立ち上がり叫んだ。
「僕たち五人でやろう、必ず成功する。あの日叶えられなかった夢を必ず叶えよう」
その意気込みに二人の緊張が和らいだ。響は頭の中に何度も歌詞をリピートする。五人で創り上げ、5年のときを経って完成させた。皆の思いを全てぶち撒けた渾身の作品。その作品を大勢の前で今から披露するのだ。
「ゲストさん、スタンバイお願いします」
楽屋のドアが開かれ、一斉に振り向いた。一つ前のバンドはもうすでに最後の曲を披露しているようだ。音が漏れ、そのバンドの練習成果がうかがえる。響たちは一緒に頷き合い、ステージへと急ぐ。
「ムーデイバードありがとうございます!さて、ネクストは急遽決まったゲストバンドの登場でーす」
視界の声とともに紙吹雪が舞い、煙幕がステージに張られる。煙幕が充満し、その間に響たち三人はそれぞれの位置に移動をする。地面にある機器に触れないように歩きながら、響はギターを持つ。二人もそれぞれポジションにつき、煙幕が消えるのを待つ。
炎の柱が突如下から上がり、遂に響たちは大勢の場に姿を現した。そこにいる全員が響を見る。響は臆する事なく、スタンドマイクに口を引き寄せる。MCの内容はもう決まっている。響は五年前と同じ感覚を味わいながら、思いを告げる。
「俺たちは今日急遽決まってここまで飛んできました。そして気付いたことは三つ。一つは【やっぱり俺らは同じ人間だってこと】そして【音楽の力はどんな力にも負けないってこと】そして【俺たちに明日はあるってことだ】付いてこいよナウオンエアー!」
そして演奏が始まった。音が鳴ると共に観客の両腕が太陽に伸びる。切れ目のない青空が前奏を引き立たせ、ジョルハーがスネアを叩く。切れ目のない青空に切れ目を入れるのはいつの時代だって人間だ。
あの頃と何一つ変わらない。俺達は今、三人でバンドをやっている。音を鳴らし、思いを伝えている。
Aメロに入ると響の声が会場全体に渡る。Aメロは黒田と横根、響で創り上げた部分だ。観客は腕を左右に振りながら声に揺れている。歌詞が届いている証拠だ。
そしてBメロ。Bメロはジョルハーとカーリー、響で創り上げた歌詞だった。思い出がそれぞれ交差していく。懐かしい日本の風景が頭に過ぎり、五人で練り上げた『世界中ナウオンエア』はサビへと突入する。
「行くぞ、全世界!」
鉛色だった響の心は空の色と一つとなった。コバルトブルーへと変わり、その色はメンバーに以心伝心する。カーリー、ジョルハーは響の掛け声と共にサビの一音を強く鳴らしていく。響は会場を見渡しながら唄とメッセージを発信し続ける。
サビが終わりを迎え、ジョルハーとカーリーのソロパートがやって来る。今度は二人が気持ちをぶつける番だ。響は振り返って二人の顔を確認する。自信にあふれていた。ジョルハーはウインクし、カーリーはいたずらっぽい笑顔を見せた。もう二人に緊張なんてものはない、吹っ切れて自身の思いを告げようとしている。響は流れに任せ、前を向いた。そして驚いた。
観客が皆腕を組んでいる。歌詞の意味を読み取ったのだろうか。観客を見渡しているとその中に沢山の政治家も混じっていた。
「カーリーの思い、伝わったみたいだな」
そして遂にラストスパート、大サビに突入する。四分間という短い歌の中で世界はなにかが変わった。響はそう確信しながら、弦を弾き続ける。楽しい、嬉しい、色々な感情が響の中に押し寄せて初めての感情を心に感じ取った。
幸せ。
歌が終わったあとの歓声と拍手は、ニ分間鳴り止まなかった。響は下を向いて声を掛けた。
「やったよ俺たち。黒田、横根」
「どこ見てるの響?」
「声を掛けてたんだ。見守ってる俺達のバンドメンバー二人に」
「黒田さんと横根さんなら上にいるよ」
「え?」
歓声に包まれながら、カーリーはコバルトブルーを見上げた。
「海の中じゃない、上にいる。雲の上で響のことを見守っている」
「うん、そうだな」
青空に手を伸ばす。その時だった。片手を両腕で握られた。ふと見ると、電話で話した声の男がそこにいた。
ボロボロと涙を流しながら、男は響に言った。
【9】
10年の時を経て、響とジョルハーは海上自衛隊になった。船の上で準備体操をしっかりと行い、シュノーケルと酸素ボンベを身に着ける。
「響、ジョルハー、頑張れぇ!」
カーリーの掛け声と共に、二人は海に飛び込む。十年前に見たあの夢と同じ光景だ。光る水と青、色とりどりの海藻。耳に伝わる自分の鼓動。光の筋があちこちに降り注ぐ。二人は目の前の不自然な泡を目指し、遂に泡の根元を掴んだ。
シュノーケルを取り付け、泡の根源を救助する。海面に顔を出すと拍手が湧き上がった。世界中の人々、世界中の船がそこにはある。
10年前のあの日から地球に国境という概念は無くなった。響たちの演奏が地球全域に届いたのだ。人々が手を取り合い、差別のない世界に生まれ変わった。
現実はそう上手く行かないだろう。この社会、人は同じ生き物である人を嫌い、差別しあい、お互いを傷つけ合い、殺し合っている。だからこそフィクションの中だけは夢をみたい。そう思うのは罪なのだろうか。
人が死なない世界、絶対にいがみ合わない世界、そんなお花畑な世界観のストーリーは嫌われてきた。しかし今こそ必要だ。
それを世界の片隅で全世界に発信し続ける。
ノイズの酷いトランシーバーに乗せて。
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